第10話 誘拐事件4

ボロボロのカーテン、倒壊し散乱する家具。

汚れの酷い絨毯と壁紙。室内はひどい有り様で、身動きするたびに埃が舞い上がった。

淀んだ空気は先程の比ではなく、息をするたびに体の中がおかしくなりそうだ。



元は豪奢であったろう椅子に手足を縛られ拘束されたシアは、目の前に つ、とおりてきた蜘蛛にあげそうになった声を飲み込み、こちらはご遠慮くださいと念を送ってふっと息を吹きかけた。


シアを抱えたままこの部屋に転移したあと、ベイカーは譫言のようにもごもごと呟きながらシアを拘束し、ざらついた手で頬をひと撫でした。

くぐもって聞き取りづらい声で、何かの用意をする、と言葉を残して部屋を出たきり戻ってこない。



『シア』

「うん、大丈夫。椅子に括りつけられただけで何もされてないもの。トーヤは大丈夫だったかなぁ」


シアだけ別場所に連れ拐われるだろう、と予測したのはヴォルク本人だが、それでもピリピリしているらしく

『なんの問題もない』

答える声の抑揚が不自然に抑えてある。


「ここ。多分だけど彼の以前の屋敷じゃないかな」

『位置的にそうだな。なぜそう思う』

あ、もう場所を捕捉したのか。早いなぁ


「いかにも惨殺事件現場の廃墟って感じだなぁ。壁の模様かと思ったけど、あれ血飛沫の跡だよね。やだなぁ」


相変わらず盗聴を前提にしているから、シアの独り言のような変な会話だ。


『ほかの気配は感じるか』

「私以外の拐われた子たち、どこにいるんだろう。静かだし私一人なのかな」

・・・わからないよ、ごめんねヴォルク。

ピアスをトントンと叩く。



『後少しでそこに到着する。ここから先は視野の同調は切るぞ。ベイカーの確保より共犯者の割り出しと被害者の救助が先になる。シア、悪いが少し待っていてくれ』

「きっと誰か助けに来てくれるはずだもの。大人しくしてなくちゃ」

外見はともかく中身はいい歳だからね。騒いだりしないでまってるよ。


『シア』

なあに。

『それでも何かあったら必ず呼べ』


トン。とピアスをたたく。


・・・呼んだらきちゃうから、呼ばないよ



沈黙したピアスにそっとふれていると、ぎぃぎぃと音が近づいてきた。

相変わらず焦点の合わない目で盥とポットを乗せたワゴンを押してきたベイカーは、盥にポットから湯を張ると、ポケットから小瓶を取り出してどろりとナニカを垂らし入れた。


「さあ、汚れを落としてキレイにしよう」


むっとした甘苦い、重たい臭いが部屋に充満していく中、ベイカーが膝まづいてシアの編み上げのブーツを脱がし始めた。

足の拘束はほどかれたようだが、分厚い手で足首を抑えられピクリとも動かない。


素足にした足を恭しそうに手に取ると恍惚とした表情で息を吐いている。


はぉはぁと生暖かい息が当たるたび、鳥肌がたつ。


ぶんぶん首を振り、足に力一杯いれて踏ん張ってみるが何の抵抗にもなっていないようだ。


「ああ、前にも増してキミはとてもいい香りがする。堪らないよ」


涙目のシアを気にもとめず、何を入れたかわからないお湯の中に足を浸すと、手のひらでお湯をすくってかけながら膝下から撫で下ろし、立ち上る臭気を深く吸い込むとふくらはぎに頬を擦り付けた。



っひぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!

無理かも無理かもーーー!!!

まだなの、まだなのー、早くしてくれないと我慢の限界かもーー!!!!


声をあげれば、間違いなく色んなことをほったらかして来てしまうヴォルクを思って、唇を戦慄かせながら我慢する。


くらり。と眩暈を覚えて、足が浸かっているお湯を見る。先程たらしいれたのは、媚薬か神経系の魔薬のどちらかみたいだ。


吸いすぎないように意識して呼吸を小さく整える。

ベイカーの姿を目にいれたくなくて、壁の染みに意識を向けておく。


と、生ぬるい感触に思わず足元に目を向けると、シアの足の親指を口に含み、べちゅ、と音をたてて出し入れしていた。


・・うげ。


表情をひきつらせたシアに

「そんな顔をするなんてイケナイ子だ」


粘ついた糸をひいて口からだした指を見せつけるように舐めとり、がりっと歯を立てた。

にんまりと、初めて視線を合わせてきたベイカーに思わず声が漏れた。


「ひっっ、や!!」


パっと口を手で覆う。まずい。


内心ドキドキしながら様子を窺ったが、ヴォルクがくる気配はない。

安堵にふっと息をつくと


「余所見をするなんてワルい子だ」


いつの間にか、鼻先が触れる程近くにあるベイカーの顔に、ひゅ、っと息をのみこんだ。





「うっ、、」


焼けつくように熱い頬と横倒しになった視界に、頬を張られ椅子ごと壁に叩き付けられたのだと気づく。

ヴォルクの守護が働いているのか痛みはほとんどないのが幸いか。


盥のある位置が随分と遠い。


腕の拘束はそのままだが、椅子からは逃れられたようだ。というか、椅子が原型をとどめていない。


「キミはボクのものだろう?余所見なんて許さないよ。ボクだけを思ってボクだけを見ていてよ。」



・・・どこかで爆発音があがる。


やはり神経系魔薬だったようで、横倒しになったままの頭と体が全く動かせない。怪我をしたらしく、こめかみ辺りから血がつたって鼻先からポタリと垂れた。


「ああ、シノン。なんてもったいないことを」

シアの三つ編みの髪をつかんで、ぐっと引っ張りあげたベイカーはこめかみに舌を這わせ、血を舐めとった。


「・・あ、ぅ」

「血にまみれたキミは一段ときれいだよ。あぁ、なんて美しいんだ。もっとだ、もっと見せてくれ」


「っ、あっ」

シアの頭部の傷口にぐりぐりと指を差し込むと、溢れ出てきた血を自分の顔に塗り込んだ。恍惚とした表情で血まみれの手のひらを一心不乱に舐めとると、そのままシアの目の前で自慰を始めた。


「あ、あぁシノン、シノンっ」


時折爆発音があがり、ビリビリと窓ガラスが音を立てて震える。


意識が朦朧とし始めたシアは、目を瞑りたくともそのまま意識を失ってしまうのが怖くて出来ず、ぼんやりとその目にベイカーの恥態を写していた。




「予想以上にクソだな、アンタ」


「ぐぎゃっ」

過分に嘲りを含んだ低音の声がかかると、潰されたような音と共に悲鳴が上がった。



ひどくぼんやりとする意識をベイカーの方にむけ直す。


ベイカーの他に誰かいる。

・・・ヴォルクじゃない。・・・だれ?



「まったく。アンタにここを任せたのは失敗だったな。よりによってお姫様に手をだすなんてさぁ」

「シノンは、、ボクのだ!!ギャアッ」


「誰だよ、シノンて。おまけにアンタ、あのバカ女に魔血石を渡しやがったな」


ぐしゃ、ぺぎょ


もあっと生暖かい血臭と生臭さが漂い、ぐっと吐き気を堪える。


血で霞む視界に、シアへと歩み寄る黒い革靴がうつる。


「ああ、大丈夫かい?キミとはもっとゆっくり話したかったんだが、この馬鹿のせいで残念ながら今回は無理そうだ」


聞き覚えのない、落ち着いた低音の声。

20~30代男性だろうか、乱暴な言葉を使っていても受ける印象は上品さを感じられる、不思議な声音だ。


頭をあげられないシアの三つ編みをほどくと、一房の髪を手に取った。響いたリップ音から髪に口付けたのだとわかるが、意図がわからない。




「・・・・だ・・れ・・・」



「ふふ・・それはまだ秘密だよ。でもそうだな、そう遠くないうちにきっとまた会えるよ、お姫様」


手に取られていた髪がふわりと下に落ちてくると同時にふっと気配が掻き消えた。

直後、




「シアっ!!!!~~~この馬鹿っ!!!」


なにそれヒドイ。


聞こえたヴォルクの声に安心して意識を手放した。



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