第2話 幼女爆誕

「これで終幕です。インフェルノブレイカーッ!」

 と、可愛らしい声の決めゼリフ。

 日曜8時半に放映されていた魔甲少女プリティブレイザーの必殺技をくらったコウマは、髪やよそ行きの服が汚れるのもかまわず、芝生が剥げてむき出しになった土の上に倒れた。

 オーバーアクションで仰向けになると、ダークブルーに染まりつつある12月の空が見えた。視界の端がキラキラ輝いて子供心にも綺麗だと思う。

 クリスマス商戦に向け、商業区の中心部はイルミネーションで溢れていた。

 その光を背景に、無邪気にポーズをとる幼い山下の笑顔が眩しい。


(なんでこんなことをしていたっけ)


 コウマはクラクラする頭で考える。起きろ、汚れるでしょと、母親の声がする。そうかプリティブレイザーのショーを見に行ったんだと思い出す。


 ショーの後、カフェでクレープセットを食べて、この公園に寄ったのだ。まだ幼い妹のレンカと、山下の妹は母親たちが押すベビーカーで眠りこけているはずだ。


 懐かしいなと、半ば覚醒し始めた頭でコウマは思った。そして思う、山下が「みてみてっ、コウくん、きれいだねって」次に言うんだよな。


 「みてみてっ、コウくん、きれいだねっ」予測した通り、夢の中の山下は、忠実にセリフをなぞった。遥か上空で、星が爆発したかの様な輝き。白く輝く流れ星が、四方に散っていく。


 山下がコウマの隣でコテンと仰向けになった。恥じらいもなく手まで握ってくる。あの頃の山下は、今より遥かに無害だった。ああ、俺にも平和な時代があったんだと、感動すら覚える。


 ふいに雷が落ちる様な轟音をあげ、流れ星がふたりの胸に落ちた。

 慌てた母親たちが、ベビーカーを置き去りにして駆け寄ってきた。

 寒いと訴えるコウマたちを無視して、服をめくり上げ仔細に身体を調べられるが、怪我ひとつなかった。


 寒空の中、半裸で母親にしがみついているのに、さらりとしたシーツの肌触りと、ふかふかベッドの感触がする。

 いよいよ覚醒の時か。

 なんで夢は夢だと自覚すると、すぐ覚めてしまうのだろう。


 唐突に北岡の声で笑う天使が、崩れて消えていく映像に切り替わる。友をこの手にかけた喪失の痛みとともに、身体中からアドレナリンが湧き出してきた。理不尽なことへの怒りが湧き上がる。なんで北岡が、なんで俺が、なんで山下が……そしてネコ耳だ、なぜあんな恥ずかしい物体が生えたのだ。人生に、いや世界には、神も仏もいないのか。


 「牛丼メガ特盛つゆなしでっ!」


 なぜかそう叫びながら、コウマは飛び起きた。

 ゲームばかりの生活でたるんでいるはずの身体が、腹筋だけできっちり奇跡の直角90度に起き上がる。

 と同時に、ぱふんと、なんとも言えない心地よいクッションに顔がうずもれた。


「ひゃいいいっ!」


 甘い声質の悲鳴とともに、極上のふかふかクッションが遠のく。パタパタと複数の足音。ドアが勢いよく開く音。そして目の前には、たわわな胸を抑え顔を赤らめるメイドさん。どうしたと、詰め寄る少女たちに、メイドさんは、なんでもないよと首を振る。


「……んあ、おやすみぃ」


 基本的に二度寝しないと起きることができないコウマは、多少の騒ぎもなんのその。何事もなかったように枕に顔をうずめなおす。


「いや……あのですね、どうして牛丼メガ特盛つゆなし……」

 なぜか敬語で話しかける声の主が、遠慮がちにコウマを揺すった。


「もうちょっと寝かせてぇ」

「もうちょっとって、どのくらいでしょう?」

「あとぉ、さっ、さっ、三年まってぇ、すぴぃ~」

「さっ、三年寝太郎!どうしようルミ?この子、大物すぎるよぉ」


「こんなヤツは、殴り起こしてびしっと躾ければいいんだ」

 と、別の少女の声。どうやら足音の主のひとりのようだ

「佐々木くんはスグつけあがるので、体に教え込むのが本人の為ですね」

 やや声質が低めだが、山下みたいな喋り方も聞こえた。


「んあ?」


 重いまぶたを開けたら、見慣れぬ天井が見えた。さらに見知らぬ女子が三人も。


 全員、おそろいのメイド服を着こなし、ネコ耳と、ふりふり動く本物みたいな尻尾まで付けていた。


 (いったいなんのコスプレ?)


 インパクトのある光景に、眠気はすっかり遠のいた。あれ、ここは自分の部屋じゃないぞ?


 「佐々木くん、助けてもらった上に、お世話になっているんだから、しっかりしよ?」

 白く長い髪を三編みにした少女が、形の良い弓なりの眉を吊り上げ、緋色のネコ耳を神経質にヒクヒク動かし説教をしてきた。白い髪に緋色の耳というのは、紅白みたいで縁起が良さそうではある。


 「ええっと、どちら様?」

 その問いかけに答えず、少女は困ったようにはにかんだ。


 コウマが親しくしている女性は、母親、妹、あと番外で山下くらいだ。やや髪色が奇抜だが、こんな可愛い子には見覚えがない。密かに思いを寄せる、クラスいちの美少女、斎藤さんより可愛かった。しかも距離が近い。心臓が止まりそう。


「おなかすいてるよね、ご飯を食べながら話そっか?」


 そう提案した黒ネコ耳の少女は、コウマよりちょっと年上くらいだろうか。額で綺麗に切りそろえた前髪。結わず自然に垂らしたままの黒髪は腰に届く長さ。優しそうな瞳は濃い藍色で吸い込まれそうだ。なによりも抜群のプロポーションを誇る、奇跡のムチムチわがままボディは、メイド服という凶器により一層の破壊力を増していた。思わずコウマの脳内に搭載してあるおっぱい星人メーターが、余裕でレッドゾーンをぶっちぎってしまう。こ、このボディラインは脳内に永久保存しておかないと。


「状況は飲み込めてないだろうし、いろいろ教えてやる」


 キリッとした眉と吊り目は、活発で意志が強そうな印象を受ける。炎の様な緋色のネコ耳は、さきの白髪三編みの子よりも赤かった。淡いピンク色の髪を左側に寄せて結い、サイドテールにしていた。読モでもやっていそうなスラリとした細身には、バレエダンサーのようなしなやかな筋肉がついている。


(この三人、レベルたけえ……)

 普段はゲーム中心の生活を送り、女子には興味を示さず生きてきたコウマでさえ、少女たちの色香で目がくらみそうになった。


「それでねっ、まずは、このお洋服に着替えてみてほしいんだ」

 黒いネコ耳少女が、コウマの目前に小さなメイド服を広げた。


「えっ、なんで僕が女の子の服を着るわけ?しかもそれ、小さすぎじゃ」

「自分がどうなったのか自覚ないだろ。あっちの鏡を見てみ?」

 ピンク髪サイドテールの少女が、いたずらを仕掛けたみたいにニヤついている。


 自分の姿を確認するため、シーツをはねのけベッドから起き上がった。ベッドの足がやけに高くて肝を冷やす。なんだか手足がやけに小さくなったように感じる。おぼつかない足取りで、部屋の隅に置いてあるアンティークな姿見の前に立った。


「これが、俺?」


 かすれる声に合わせ、鏡の中人物のぷっくりした唇も動いていく。明るい空色の直毛は流れるように肩までたれていた。子猫のような可愛らしい耳も空色。ただインク瓶に漬けたように、先端だけ黒くなっていた。そして青く澄んだ瞳は、驚きで大きく見開かれたままだ。


 しばし呆然。

 はっとして、下パジャマの中を確認する。


「ない、ないっ、ついてないぞっ!」


 叫んだ後、少女たちの視線を感じ、顔を羞恥に染め上げた。


 男の娘とからかわれた佐々木コウマの面影は、どこにも見当たらない。別人にして完全なる幼女がそこには映っていた。もうすぐ一五〇センチに届くと胸を踊らせた身長は、どうみても一二〇センチ台。心の動揺を表すかのように、お尻から生えている空色の尻尾が小刻みに揺れた。


 高価そうな木彫アンテークの姿見に、指紋をベタベタつけながら、コウマは何度も確かめた。角度を変えてみる。目を閉じて、もう一度まぶたを開く。やはり完璧な幼女だった。


 「ありえん、ばかな、うそだろ、死にたい」


 これは嘘だ、特殊メイクであってほしい。コウマは頬を必死にこする。顔がムンクの叫びになるだけだった。


 「ホムンクルスの義体は、レンタル料金が高いんだ。死ぬなら代金を稼いでから死ね」


 ピンク髪サイドテールの少女は、突き放すように言った。


 「……ルミ盟姉ねえさん、佐々木くんは身長が低いのがショックなんだよ」


 「しかも(胸が)ないし!ないし!ないしぃぃぃぃっ!」

 興奮したコウマは、マイクロ絶壁をぺちぺち叩いてみせた。


 「……えっと、大きいのが理想だから、現実を受け入れがたいみたい」


 「いちいち翻訳しなくていいからっ。あなたは僕のなんなのっ、馴れ馴れしいよ!」


 コウマは白髪を三編みにした少女に、くってかかった。


 「中学生のシンデレラも、可愛いかったなあ、って言ったらわかるかな?」

 そう言いながら、見覚えのある黒縁メガネをかけてみせる。度が合わないのか、ダメ酔う…と呟いて、すぐ外してしまう。


「まっ、まさか山下!顔がちがう……僕より高くて……大きい……だと」

「以前から佐々木くんより、身長は高かったはずだよね?」

「うっ、それは……」


 ニヤリン。山下だと自称する白髪の少女は意地悪な笑みを浮かべる。


 「私の胸は……そっかあ、そういう目で見ていたんだ。いやらしいなあ。おばさんに言いつけちゃおうかな」

 「ほ、本当に山下なのか、なんで……なんで山下と北岡が、ボンキュボイーンで身長あって、俺だけ幼児なのっ。不公平だ。キャラメイクからやり直しさせろ!」

 「盟姉ねえさんたちが白い目で見ているよ、怒りと嫉妬のあまり我を忘れないで」

 「はぁっ、はぁっ、なあ山下、そもそも、ここはどこなんだ?」

 「身長が!胸が!って嫉妬に狂う前に、まずそこを確認しようねー」

 「ぐっぬっ!」


 「あの……、ごめんね、キミの本体は重症だったから盟妹いもうとの契に耐えられなくて、完全に石化しちゃったの」


 キュラキュラと軋ませながら、黒ネコ耳の少女が部屋の隅っこの台車を押す。荷台は意味深に布で覆い隠されていた。

 ばさり。覆いが取り除かれる。真実がコウマに突きつけられた。


 「お、俺だ、石になってるっ。うぎゃー、あちこち割れてるしっ。これ、治るの?じゃあ俺の、この身体は……」

 「キミが劣化しないよう、意識と心の星粒、DNA、RNAをホムンクルス製の義体に移植した上で、仮の盟妹の契を施したの」

「移植って…もっとこう…大きめの身体でも良かったのでは」

 未練がましく、コウマは身長及び体型にこだわっていた。


「意識はね、オリジナルの体型を記憶しているから、かけ離れていると定着しないの……カドゥケウス中探して、やっと近いサイズの義体を見つけたんだよ。ごめんね。もっと早く助けてあげればよかったね」


 黒ネコ耳をぺたんと倒し、黒髪の少女は顔を覆い泣き出した。ごめんなさい、ごめんなさい、私のせいなの…というつぶやきが、コウマの心を締め付ける。


「いや、重症だったのは、自分のせいだし。助けてくれたんだ、よね?なら、謝るのは俺の方だ…です。責めてごめんなさい。俺たちを助けてくれて、ありがとう」


 足を揃え、きっかり90度のお辞儀をする。取り乱した自分が恥ずかしかった。


「とりあえず一件落着だな。石化した身体は、時間をかけてでも蘇生させる。元通りになったら意識を戻して、本当の身体で盟妹いもうとの契を施してやる」

 今まで黙っていたサイドテールの少女が、コウマに約束をした。


「そうしたら、俺も山下みたいになれる?」

「ぷっ、気にするのそこなのかねえ。ああ、まあ幼女にはならんだろうさ。アルテミスじゃあるまいし」

 知らない単語が出たが、さんざん困らせまくったため、質問するのも気が引けていた。いいさ、そのうち分かるだろう。そう、自分に納得させる。


「ところで佐々木くん」

「なに?えっと、山下」顔が違うから、どうも呼びにくい。いや、自分自身も容姿が変わっているのは、嫌というほど自覚できた。それでも、やっぱりぎこちなくなってしまう。


「お洋服は、ひとりで着替えられるかな?」

 とりあえず渡されたメイド服を、コウマは手に取ってみた。腰のサイドで留めるスカートはまだいい。メイド服の背中にファスナーが付いているのは謎すぎた。


「なあ、これは、どうやって着ればいいの」

「えっと、半分閉めて着るとか、いろいろやり方あるけど……それちがうから……もういいよ。手伝ってあげるから全部脱いじゃって。もうっ嫌がらない。女同士でしょ」

「違うっ、俺は元男子だ。その認識には大きな隔たりがあるっ」

「じゃあ、慣れちゃおうねー。ルミ盟姉ねえさん、そっち抑えてっ。クナギ盟姉ねえさんは、お洋服持ってきて」


 少女たちの目がらんらんと輝いている。


「任せろっ」

「ちゃんと可愛くしてあげるからね」

「いいですっ、シンプルかつ平凡にして、ぎゃぁ、リボンとかつけなくていい!」

「ヤダ、ルミ盟姉ねえさん、髪編むの上手!どうやるの?」

「んー?ここをピンでちょっちょっと、んで、くりん。ほらな」

 コウマの空色の直毛が、あっという間に編み込みポニーテールに変化した。

「んで、フェアリーテールつうか、ツインテール版はこうやるっと」


「「やーん可愛い!」」山下と黒ネコ耳少女が、手を取り合いシンクロして悶えていた。コウマは、ただひたすらに早く終わることを祈り続けた。


 一通り着せ替え人形として弄ばれたコウマは、やっと終わったと安堵したのもつかの間、なぜかメイド服を剥ぎ取られ、今度はハイジに出てきそうな民族衣装を着せられていた。


 頭はふわっふわに編んだポニーテール。ワンポイントに、ちょこんと乗った小ぶりな純白ベレー帽。肩口がふわり膨らんだ白ブラウスと、襟ぐりの深い胴衣は橙色のチェック柄。同色のチェックスカートに、お陽さま色の前掛けエプロンが可愛いらしい。ドレープがふわりと幾重にも重なり、まるでカーテンみたいだというのがコウマの感想だったが。


 山下がうっとりとコウマを見て言った。

 「メイドもいいけど、こっちも……いい。あれ、この服、どこかで見たような…」

 「シルバニアファミリーを見るような目で、俺を見るのはやめろ」

 せめてもの反抗に、精一杯のジト目で山下にガン飛ばす。

 「これはっ、クナギ盟姉ねえさん、まさか『あーみんず・ろっじ』の制服じゃない!しかも、オーナー専用の伝説カスタムでしょ?なんで持ってるの?レプリカなの?自分で縫ったの?」

 「俺の話を聞いてないしっ、どこのヤンキー特攻服だそれ」

 「ふふん」

 たわわな胸をたふんと揺らし、クナギと呼ばれた黒ネコ耳少女が胸を張る。

 「メイエンが泊まりに来たとき、あの子が置いていったのです。うう、ハマりすぎだよ。佐々木くんだけ、この制服で働いてもらおうかなあ」


 「Tシャツと短パンじゃだめなの……」コウマは呻くように本音を吐き出した。


 山下がルミ盟姉ねえさんと呼んでいたサイドテールの少女が口を開く。

「お前らが擬似姉妹だって噂は聞いたことあるが…。はっ!あ、あたしは『ない』から。あくまで運営・戦略再編の一環で合併しただけで、百合とか、疑似姉妹とか、そういうの興味ないからなっ?」


 きょとんとしたクナギは、いつにも増してニコニコニコと笑顔を振りまいた。


 「ルミは私の大親友!メイエンは大江山で暮らしていた頃からの妹分。安心してね、私、ちゃーんと愛していた人がいましたから。スープ温めてくるねっ」

 そう言って、軽快な足取りで部屋をでていってしまう。


「あの……俺、わかんないことだらけなんだけど」

「私も……」

 教えてルミ盟姉ねえさん!という瞳で、ふたりは熱心に見つめた。


「ったく、あたしゃ教育番組のお姉さんか。ええっと、いろいろ話すと長いんだ、まずは朝飯にしよう。もう、腹減って死にそうだよ」


 そう言われると、確かに空腹を感じ始めた。そこに、しっかりとシーフードの香りが乗ったクラムチャウダーのいい匂いが漂ってきた。ベーコンが焼ける脂と香辛料の香りにまじり、香ばしいパンの焼ける匂いも……。

 もう、待ちきれない!

 飢えた野良猫と化した三人は、ルミを先頭に、いそいそと食堂を目指した。


 板張りの廊下は、踏みしめるたびにキシキシ音を立て、アルミサッシ窓を見慣れたコウマにとって、木製すりガラスの窓は頼りなく脆そうに見えた。


 今どき珍しい古風な日本家屋だった。そして無駄に広い。

 昔、家族旅行で泊まった老舗旅館を思い出してしまう。

 サツキとメイの家のような、傾斜のきつい階段を降りていく。小さな体では、まるではしごの様な階段は降りるのが辛く、みかねた山下が抱き上げた。


 ルミが歩きながら施設の説明をしていく。

 「トイレと食堂は、お客さんと兼用な。表玄関は基本お客さん、あたしらは裏口をつかう」


 『男湯』『女湯』と染め抜かれた大きな暖簾。その間にあるのは角がすり減った年季を感じる番台。「銭湯なの?」というコウマの問いに、よほど空腹なのかルミは頷くだけだ。


 食堂は、こぢんまりとしていたが天井は高く、使われなくなって久しいキャンドルシャンデリアが鎖でぶら下がっている。手彫りの欄間は精緻な彫刻で、節ひとつない締まった板目の柱は黒光りしていた。イケアで売っているようなテーブルが六つ設置してある。まるで古民家をリフォームしたカフェダイニングみたいだ。


 「最初は明治初期に建てられたお雇い外国人の屋敷を料理旅館に変えたんだって、昭和になって大変な事故が起きて、今の銭湯になったらしいよ。この擬洋風建築ぎょうふうけんちくという建築様式はね、日本建築の技法で、大工さんが一生懸命に西洋建築を真似たことで生まれたんだよ」

「……詳しいな」

「えへへ、全部ルミ盟姉ねえさんからの受け売りです」


 テーブルには美味しそうな朝食が湯気を立てていた。2階にいても香ってきたクラムチャウダーは、目の錯覚なのか金色に輝いてさえ見える。

 先に座っていてねと、調理場からクナギの声だけ聞こえてきた。ルミが真っ先に食卓につき、コウマと山下は向かい側の椅子に腰かけた。


「ちょっと高よね、クッションもってこようか?」

「大丈夫、それより早くご飯食べたい。この匂いとビジュアルで待つのは拷問だ」

 コウマの口からよだれが垂れる。なんてはしたないホムンクルスの体だと思うが、唾が止められない。


「だよね、私も最初は泣いてばっかりだったけど、クナギ盟姉ねえさんの手料理に、すっかり餌付けされちゃったよ」

「おいおい、あたしについての感謝の言葉は?」

「そうだなあ、ルミ盟姉ねえさんからは、うんちくを一杯おそわりました」

「たったそれだけー?」

 ルミの言い方がおかしくて、コウマたちは仲良く笑い出した。まるで昔から、こういう家族だったかのように。

 クナギが分厚いベーコンを挟んだエッグベネディクトをトレーに乗せてきた。食卓に並べ終えると、ルミの隣に座る。


「いただきます」小学校の給食のように揃って唱和する。


 みな夢中で貪るように食べた。あらかた料理を平らげると、やっと会話する余裕が出てきた。クナギが保温ポットのコーヒを注いでまわる。


 飲みながら、三人は交替でコウマに話しかけた。正直に言って、その内容はトンデモ話ばかりで笑いだしたくなってくる。しかし、山下の目は、偽ることなく真っ直ぐコウマに向けていた。嘘ではないと直感が告げていた。肝が冷える思いで耳を傾ける。


 昔々、なまけもので昼寝三昧の猫は、堕ちた天使を監視するため楽園を追放された。一万年経った今も、猫は天使を恨み、ちゃっかり人間に世話をさせながら天使の監視を続けている。


 戦うなんてまっぴら、地上でも寝て暮らしたい猫たちは、代わりに戦わせるため、神代かみよネコの因子をこっそり人の身体に埋め込んだ。それ以来、因子が働いた人間は猫の耳が生え、氏族と呼ばれる一団を形成するようになった。


 副作用として性別は女性に固定されてしまう。これは神代かみよネコの因子は、男性の細胞質に馴染まないため、発現の過程で改変されてしまうのが原因である。個体を増やす手段としては、盟妹のオーバーライドという手法で、姉の盟血を適格者に与え、強制的に氏族にする手法が確立されている。近年、環境ホルモンが原因で、適格者の石化事故が増加するようになった。石化までの平均余命は30分である。

 

 NNN《ねこねこネットワーク》とは秘密結社でもなんでもなく、世界中の猫が情報を共有する、広大な思考ニューラルネットワークの総称である。もし猫が均等に宇宙に散らばっていれば、理論的には銀河の端から端までタイムラグゼロの通信も可能である。


 そして、コウマは一ヶ月ちかく眠っていた事実を告げられた。しかも、天使異体化セラフォーシス事件の被害者として、死亡したことになっているという。


 「前半のトンデモ神話とインチキ科学はとにかく、俺、死んだことになってるの……きっついな」

 コウマは、自宅パソコンのデスクトップに、北岡から貰ったエッチ画像を置きっぱなしだったことを思いだした。こうなる前に、あれを消去しておけばよかった。妹に見られていませんようにっ、親にもばれていませんようにっ。もし、ばれたら死んでしまいたい、死んだことになっているけど。


 「はあ…」ため息は、感じ悪いなと思ったけれど、つい出してしまった。


 「ごはん、お口に合わなかった?」

 「そんなことない、むちゃくちゃ美味しかったよクナギ盟姉ねえさん、じゃなかった、くーねえ」


 本人の強い希望で、愛称で呼ぶことになったコウマは、途中で言い直した。

 ちなみにルミは、ルミ盟姉ねえさんと呼んだところ、照れ隠しに本気のグーで殴ってきたため、呼び捨てることに落ち着いている。


 「実年齢が17くらいだろ?育ち盛りだから何食べても美味いだろ」

 「ルミ盟姉ねえさん、その言い方、すごく年上っぽい」

 「あたしゃ、永遠の18歳だからね」


 それを聞いた途端、コウマはとっても嫌な予感がした。

 「……俺たちって、歳をとるの?成長できるの?」

 ルミが意地悪な笑みを浮かべた。あ、やっぱりこの人Sだ。コウマはそう直感した。


 「強くなるとか、賢くなるっていう成長はイエス。身体の成長はノー。氏族は老化しない。それはホムンクルスも同じだ」

 「そ、そんな、いつになったら幼女卒業できるの?早く俺の身体を治してっ!」

 「喜べよ、当分は小学生料金だ。いいなぁ、おこちゃまいいな、ウラヤマシー」

 「ぜんぜん素直に喜べねぇっ!!」

 「ぎゃはははっ、ここはヘリオスっていうからな、代表がくーで、あたしが副長な。ちゃんと覚えとけよ」

 こ、こいつ、俺の不幸を悦んでやがるっ。

 コウマの耳と尻尾が怒りでピンと伸びた。


 「ま、まあまあ。わたしたちはね、全部で十二のグループに分かれているんだ」

 「そう、それそれ。基本的には耳の色で見分けられる。黒耳はヘリオス、あたしの緋色耳はジュノーン、白耳がアルテミスで三毛がヴァルカンとかだな。もっと言うとだな、オーバーライドした姉の種族とステータスを、妹は引き継ぐ」

 そう言うとルミは、緋色の耳をピコピコ動かしてみせた。

 「だから佐々木くんと色が違うのか」

 得心した山下は、自分の耳を撫でる。


「そうだ、山下っちは、ジュノーンの種族特徴とあたしのステータスを。佐々木っちは、ヘリオスの種族特徴とくーのステータスを引き継いでいるはずだ。まあ、詳しくはおいおいとしてだな。うーん。しかしな、佐々木っちの耳の色はおかしいんだ。検査したところ異常はないんだが」

「え、この体がホムンクルスだからじゃないの?」

 コウマの耳は髪の毛と同じ空色の耳。先端のみ申し訳程度に黒くなっている。

 ルミはきっぱりと首をふった。


「ホムンクルスでも、くーの盟血を継いだら完全な黒耳になるはずだ。だが、そうならなかった。お前は本当に人類だったのか?」

「なにその言い方、すっごい傷つく!」

「ごめんね。私そそっかしいから、何かやらかしているのかも」

 クナギが申し訳無さそうにしょんぼりとした。ほら、フォロー!と、山下がコウマを肘でつっついた。


「いいよ色くらい。く、くーねえとの繋がりって、そんな安っぽいもんじゃないでしょ?」

「……優しいなあ。佐々木くんが盟妹いもうとで、本当によかった」

 あっと言う間に、クナギの顔から笑みがこぼれた。いいのか、こんなにチョロくて。ヘリオスの代表なんだから、もっとしっかりした人がなるべきではないのか。


 本当のところルミは、どう思っているんだろう。内心、自分のほうがリーダーにふさわしいと思っているのではなかろうか。

 そんなコウマの心内を読んだかのように、ルミが語り始めた。


 「昔話をしていいか。10年前に大きな戦があったんだよ。熾天使っていうクソでかくて強いやつがボス格で、あと2万くらいの力天使、権天使、天使の混成部隊だったかな。全国の氏族が緊急集結して、東京のはるか上空、成層圏で迎撃したんだ。彼我戦力は2万対5千。ノルマはお一人につき4柱浄化しましょうってやつだ。成層圏って場所は暑いし、空気ないんじゃね?って思うくらい薄いし、ブレイブギアでもしんどかったなアレは」


 クナギが引き継いで語りだす。

 「わたし、つい昨日みたいに思っちゃうけど結構経ったね。当時のヘリオスは剣客集団として有名でね。先陣をきって突撃していったの。ジュノーンからバフや援護法撃をいっぱい飛ばしてもらって。それでも最初の突撃で半分がやられた。そしてヘリオスだけで前線を維持できなくなって、ジュピターやミネルヴァ、ヴィナスにプロセルピナとかの前衛組もなだれ込む大混戦になったの」


 「本来は前衛に出ないはずの後方支援組…ジュノーン、アルテミス。補給任務が中心のヴァルカンやヘスティアまで駆り出したんだ。なあ、くー。雑魚を蹴散らすだけで何人減ったっけ?」

 「およそ4千。もうあれは戦なんかじゃなかったよ。それで、そうだ、わ、わたし…と、おね、おねえさ…ま…うっ!」

 青ざめたクナギが急に立ち上がり、厨房の奥に消えていく。おぇぇぇっ。あまり聞きたくないうめき声が聞こえてきた。


 「はぁ、あいつ、あの戦で精神的にちょっとな…。今でこそあんなだけど、凄いやつなんだぜ。ヘリオスの隊長である剣皇クオン、副隊長のクナギは残存戦力を束ね、ボス攻略に取り掛かった。ダメージ反射っていう反則みたいな特殊能力持ちで難航したんだが、ダメージを反射する対象が瀕死か死亡、または能力範囲を離脱していた場合に限り、無効化できることを突き止めた。

 そこで取った作戦こそが自爆作戦だ。残った戦力でクオンとクナギを熾天使の中央神核までエスコートしたんだ。あたしも…そのエスコート組のひとりだ。ふたりはギアをオーバーロードさせ、中央神核もろとも大爆発。


 それでやっと倒すことができたんだ。あたしは閃光を見ながら、自分が自爆しなくてよかったと心底ホッとしていたんだ。ははは、とんだ腰抜けだろ?勝利の代償は大きすぎたよ、五皇の一角、剣皇クオンの戦死。ヘリオスとジュノーンなんか一名の生存者を除き全滅だった」


 山下が目を見開いた。

「まってよ、ヘリオスとジュノーンって、じゃあ盟姉ねえさんたちが……」


「その通りだ。あたしとくーは、それぞれの氏族の生き残りさ。戦争が終わったら、それはもう途方に暮れたね。店の経営なんて、ひとりでできやしないもんな」


 顔色がいくぶん良くなったクナギが戻ってきた。

「お互い身寄りがいないもの同士、相談することも多くてね。いっそ合併しようということになったの。ひだまり湯を家主さんに返して、ジュノーンのアニフレンズで、店員さんをやるつもり……だったんだけどね」


 ルミが無言で、指で頬をかく。

「片付けていたある日、ルミがふらっと来たの。それで言うんだよ。今日からこっちで世話になるって、いきなり言うんだよ。もう、わたしびっくりしちゃって」


「急に悪かったな。店は買い取ってくれる企業が出てきてさ、その金を元手に銭湯を立て直す方が、死んでいった連中も納得するかなと思ったんだ」


「ありがとうね、ルミ。思い出のいっぱい詰まった場所を手放すなんて、辛かったでしょうに」

 ルミは肩をすくめ、ニヤリと笑ってみせた。


「くーねえは、どうやって助かったの?成層圏で自爆したんでしょ?」

 コウマは抑えきれなくなった疑問を口に出した。


「……わたしの月影ツキカゲは早々に砕け散って、粒子を散らし溶けていったの。すぐ近くをクオンお盟姉ねえさまも落ちていった。

 なんとか相対風をコントロールして、手と手をとりあって…。お盟姉ねえさまは、大破したご自身の天断アマダチのリザーブシステム起動を試みたわ。だけど…ふたりを支えるにはパワーが足らなくて。わたし…覚悟したの…。

 そうしたら、『生きろ』と手を振り払って天断アマダチをわたしに託し、どんどん落ちていった。追いつこうってわたし頑張った、頑張ったけど……ネプチューンの…重粒子砲に先を越されちゃった……」


 クナギの声がどんどん震えていく。頬を幾筋もの水滴が伝う。


「ネプチューンって、クオンは味方に撃ち殺されたの?ひでえよ、なんでだよ!」


 コウマの声も震えていた。


 ルミにとっても、当時の記憶は辛いものがあるらしく目が潤んでいた。

「あのな、高高度戦闘の場合、落下物が地上に被害を出さないよう、海上部隊ネプチューンが処理するんだ。光消滅しそこねた天使の破片や仲間の遺体も一緒くたにな。気絶していただけの氏族も相当蒸発させたって話だ。戦後、自責の念に駆られたネプチューンの連中が、何人も自殺している」


 食堂内の空気が一気に重くなったようにコウマは感じた。

 聞かなければよかったと、後悔の念も湧き上がってくる。そんな空気を散らすかのような、明るい口調でクナギは言った。


「だから、あなたたちは『ひだまり湯』の希望なの。わたしたちは、あななたちを、ずうっと待っていたよ」


 その隣では、ルミが何度も頷いている。


「いっそ、人間のパートを募集しようかって、話し合っていたからな」

「人間を雇うと、労働基準法や最低賃金とか大変なのよねえ…」

 話題が戦争の残酷さから、所帯じみたものに切り替わってきた。そう言えば学校の屋上では、シフトがどうのと言っていた様な。


 クナギがぽんと手を打ち鳴らす。

「働かざる者食うべからず、というのがありまして」


「先払いで飯も食わせてやったし、佐々木っちも働いてもらいたい。細かいことは、先に仕事を覚えた山下パイセンから教えてもらうように」

 そう言ったルミは、ブラック派遣会社のコーディネーターみたいな笑顔を浮かべてみせた。


 「どうしてこうなった……」

 富士山のペンキ絵をぼやーんと見ながら、コウマは浴場のタイルを擦る。山下の指示とはいえ、小学生サイズの競泳水着を着て浴場を掃除するのは実にシュールだった。「あーみんず・ろっじ」のレア制服が濡れると代わりがないとか、もっともらしいことは言っていたが、本心は大変疑わしい。その証拠にコウマは、大変エグい角度のハイレグ競泳水着を着る羽目になった。


 「佐々木くん」

 隣の女湯から、山下が話しかけてきた。


 「なんだよ」

 「早く終わらせて、水着撮影会しよう!」


 「んなっ!バカか貴様は、湯船に沈めるぞ」

 「せっかく佐々木くんより早く働きはじめたお給料で、水着を買ってあげたんだし、いいでしょ?」


 「ありがた迷惑だ、せめてスパッツタイプを選んでくれ」

 「愛くるしい肌色成分が減少するので、却下します」


 「ったく、性格変わり過ぎだろ。クソ真面目なメガネ委員長はどこいった?」

 「親と学校の評価を気にしてばかりの、山下ケイコは死にました」


 「家に帰りたいとか、ないの?」

 「それ、繰り返し考えたんだけど、ないなあ。今が楽でいいよ」


 「俺は絶対に帰りたい。だいたい突然死んだことになったら、困るんだよ」

 「ふうん、エッチなデータを消したいとか?」

 「………そんなストレートに言わなくても。あ、あれだ、家族に…無事だって伝えたいし」


 「じゃあさ、手紙を出せばいいじゃない」

 「俺たち顔が別人になっているし、こんな身体で会いたくないよ。消印とかで居場所がバレないかな」

 「おバカ、夜にこっそり行って、直接家のポストに入れてくればいいじゃない」


 「お前は天才か」

 「佐々木くんの頭が、悪すぎるだけ」

 「うぐっ」


 「さてと、浴場が終わったら両方の脱衣所、洗面台もやってね。私はトイレ掃除してくるから」

 「そんなにぃ?ブラックだぁ。学校の掃除だったら、何人かで手分けしているレベルだぞ」


 「あ、ルミ盟姉ねえさんからの伝言があった。佐々木くんが家に帰りたいとか、ウジウジするから、危うく伝え忘れるところだったじゃない」

 「うっさいな、なんて言っていたの」


 「タクティカルネームを考えとけ、だって」

 「はあ?」

 「本名そのままは、まずいらしいわ」

 「まるで戦闘機乗りみたいだ。わくわくしてきたぞ」

 

 「イタメでいいじゃん。あるいはバンスケ」

 「やだよ、カッコ悪い」

 よし、せっかくだからアノ名前にあやかってみるのも…。

 コウマの脳内に様々な主人公の名前が浮かび上がっては消えていく。


 「それと、クナギ盟姉ねえさんが『パクリは禁止』だって」

 「ちっ」

 じゃあ、突っ込まれないようなのはどうだ。ジークリンデ、ベオウルフ、クー・フーリン、フレイア、ええっと、んーと。タイルを擦るデッキブラシを止め、必死にひねり出していった。


 「あ、ルミ盟姉ねえさんが、『ベオウルフとかはグーで阻止する』って、うっかり伝え忘れていたわ」


 「そこ忘れちゃダメだからぁ!くそっ、考え直しだっ」

 「いっその事、イキリトでいいんじゃない?」

 「あのさ、初対面の人に『はじめまして、イキリトです』って言える?」


 「私だったら、初対面じゃなくても言えないな」

 「そんなのを勧めたのか!そういう山下は、まともなの考えているの?」

 「もう決めたんだ、ホタルにする。山下蛍子の蛍から考えてみた」

 「くそっ、普通にいい」


 「佐々木幸馬だから、コウとか?コマとか?コマかあ、コマちゃん可愛いじゃん。ちっちゃいからぴったし。ね?コマちゃん?」

 「イエス、コウ。ノー、コマ。はい会話終了。んじゃ脱衣所の掃除いくから」


 このまま山下と話していると、言いくるめられて、コマになってしまいそうだ。それだけは阻止せねば!コウマは気合を入れて脱衣所の掃除に取り掛かるのだった。


 銭湯は開店の30分前から、ぽつぽつと年配のお客さんが店の前に並び始めていた。開店と同時に次から次へとやってくるご老人ラッシュを乗り越え、番台はやっと平穏を得ることができた。


 ひだまり湯の番台は男湯と女湯の入り口の間に設けてあり、入浴料を払ってから入るようになっている。番台の後ろにある仕切りには、男と女それぞれに繋がる小窓があり、突然開いて石鹸やカミソリを求める不意打ち《バックスタブ》もあるから気が抜けない。


 コウマがお釣りの計算に手間どるうちに背後の小窓が開き、前後のお客さんが同時に話しかけてくることもあった。焦って釣銭の計算を何度か間違えてしまうこともあった。しかし、クナギの姪という設定で働くことになったコウマに対し、お客さんは笑って済ませてくれた。たぶん、クナギが築いてきた評判と、幼い外見の効果のおかげだろう。


 「しかし、幼児って働いていいのか?」

 番台に座りながら、ふと疑問に思ったコウマは独りごちる。


 「15歳以上で、中学生じゃなければ、法律上はいいんじゃないかな。もっとも、佐々木くんの場合は、家業のお手伝いをしている健気な幼女に見えるけどね」

 割烹着を着たホタルが、呼んでもいないのにやってくる。カフェ代わりに利用する客のために食堂で給仕をしていたのだ。


 「幼女は余計なお世話だ。たまたま実年齢相応の外見を引いたからって、いい気になるな」

 「これでも褒めているんですけど?ああ、疲れが癒されていくなあ」

 むふふと、番台のへりに肘を乗せ、にへらーとコウマを見つめてきた。


 「俺が落ち着かないんですけど?なんでこっちくるの」

 「一息ついたから可愛い女の子を愛でて、元気を補充しようかなって」

 「コーヒーでも飲んで来い」

 コウマは手で追い払う仕草をする。


 「でも意外」

 「何が?」

 「メイド服で働く銭湯だなんて言うから、もっといやらしい仕事かと思ったけど、普通の銭湯だよね。佐々木くんと一緒に堕ちていこうって期待していたのに」

 「期待するな、そこは覚悟するところだ」


 「ねえ、メイドの制服にしたのは、これが理由かな」

 山下は、自分の緋色のネコ耳をモフモフしてみせた。

 「なんで耳が理由になるの」

 「ほら私たちって、耳と尻尾があるから、メイド服を着てしまえば」

 「そうか、コスプレした従業員に見える……いやいや、開きなおりすぎだろ。メイド銭湯って流行るのか?」

 「開店早々、お客さん多いし、繁盛しているんじゃないかな」


 すりガラスがはめ込まれた木製の引き戸が、ガラガラと音を立て勢いよく開く。


 「「こんにちはー」」

 山下とハモったことが恥ずかしく、コウマの頬が朱に染まる。


 「おおっ、ホントにメイドさんがいた」

 入ってきた少女は、コウマのよく知っている中学生だった。


 「これやばい、みんなにも教えておこう」

 連れの少女は店の断りもなしに、勝手に店内をスマホで撮りだしていた。


 「レンカ、だと?」

 「ユイ、どうして?」


 肉親が突然来店したことで、ふたりは凍りついたように固まった。コウマの妹のレンカは、珍しそうに周囲を見回し、山下の妹であるユイは、ホールを抜けて食堂まで勝手に撮影しはじめた。


 「お客さーん、他の人も写っちゃうと迷惑だから、やめてね」

 「うわー、映画のセットみたい。ちょっとレンカ、コックさんもメイドだぁカワイイー」

 コウマの呼びかけを無視して、ユイは厨房の中のクナギまで撮影する。


 ごつん。

 けっこういい音がした。

 談話する年配の婦人たちを撮り始めたユイの頭を叩いたのは、目を吊り上げた山下だった。


 「こらっ、勝手にカメラ向けられたら、どんな気持ちになるかわかるよね?もし、お姉さんがいたら、同じように怒るんじゃないかな」

 「ううっ、おね、お姉ちゃん……私のお姉ちゃんはっ、ううっ」

泣き出したユイは、たちまち年配客たちの注目を浴びる。クナギやルミが様子を見にくるほどだった。


 「お姉ちゃん死んじゃった、お父さんから、わたっ、いつもかばってくれてぇ、うええっ」

 そう言うと、涙と鼻水で濡れた顔を山下のエプロンにうずめる。

 見ればレンカまで涙を堪えていた。そうか、兄ちゃん死んじゃって悪かったな。コウマは心の中で謝った。いたたまれなくなってきたコウマは、なんとか妹に声をかけてあげたくなる。

 「お客さんたちは、お友達同士ですか」

そう言った後、実にバカな聞き方をしたと後悔をする。


 「うん。ユイのおじさんDVとかで、おばさん入院しちゃって。ユイを元気付けようと調べていたらね、燃える銭湯って、気合が入りそうな場所がSNSにあったから来てみたんだ」

 おそらく『萌える』と『燃える』を勘違いしているレンカに、コウマは一抹の不安を感じる。しかし、山下の家が大変な状況とは知らなかった。それにしても妹は、DVの意味をちゃんと理解しているのだろうか?


 「た、大変ですね。あの、DVってなんですか?」

 「ほえ、勃起不全のことでしょ?」

 ちっがぁぁぁぁうっ、それEDだからっ、Dしか類似点がないじゃん。DVは配偶者暴力のことだからね。勃起不全だったら、おばさんは入院しない!という心の叫びを抑え込み、なんとかコウマは穏やかな声を絞り出す。


 「そ、それは…E…Dってやつじゃ?」

 レンカと他人のふりして話すのは疲れる。そう痛感するコウマだった。


 「アハハ、そーなんだ。でねっ、レンカの兄ちゃんも死んじゃったから、部屋があまってるんだ。おばさんが退院するまでレンカの家に住んでいいよって。お父さんとお母さんが言ってくれたの」

 偉いよ!こんな両親を持って俺は鼻が高いよ。でも、部屋があまったって、そう言われると寂しい……。複雑な心境に悶えるコウマに向けて、ユイは止めの一撃を容赦なく加える。


 「そんで兄ちゃんの部屋を掃除していたら、パソコンにエッチな画像があってさ、ユイと全部見ちゃった。いやあ、ませてるねえ、最近の高校生は!!」

(死にてぇぇぇぇ!神様、なぜ僕はあのとき死ねなかったのですかね)

 許されることならば、今から全速力で帰宅して、パソコンをハードディスクもろとも破壊したい…。番台のヘリを握りしめ、必死に自制心を振り絞る。


 「にしても、あなたすっごく可愛いねっ!どこの小学校?読モやってたりするの?好きなブランドってどこ?やっぱ彼氏いるのかなあ?」


 (でたー。レンカの質問攻め。以前なら『うっせー』で済ませられたけど)


 「そ、そういうのは、ノーコメントで。男子に広まったら恥ずかしい…」

 いかにも小さな女の子らしく、もじもじしてみせる。お前は早く風呂入りに行けよ。そう叫びたくて仕方がない。


 「ねー、ねー。名前なんていうの?わたし、佐々木レンカ」

 「ひゃえっ?」まだ決めてないのに、まさか最初に聞いてきたのが、実の妹だったとは。

 どうしよ、どうしよ、どうしよっ。コウマはテンパる頭で必死に考える。


 「あの、キリ…いや、ベオ…やっぱりフレイ……」

 「その子はコマ、店長さんの姪っ子なの。お母さんが病気で、ひだまり湯で預かることになったから、よろしくね」山下が泣きはらしたユイを連れて来た。

 「あうっ、コ、コマぁ?」

 不意打ちによる精神的打撃で、酸欠のコイか金魚のように口を動かすことしかできなかった。


 「コマちゃんかぁ!名前も可愛いねっ。お姉さんは?」

 「ホタルです。ユイちゃん、さっきは叩いちゃってごめんね。お母さん入院して大変だね」

 妹をあやしながら、そつなく情報収集も済ませていたらしい。山下はすっかりユイと仲良くなっているようだ。


 「ううん、レンカがいるから平気」

 「そうだっ、みんなで写真撮ろう!ねぇ、いいでしょ?」

 そのレンカは、素っ頓狂なことを言い出し始めた。

 「今は混んでないから、番台の前でなら、いいかな」

 反対するどころか、ホタルまで乗り気だった。


 「やったぜ!ユイ、スマホ貸して?撮ってもらおうよ」

 電光石火で受け取ると…。

 「おじーちゃん、すいません。写真撮りたいから手伝って!」

 そうやって風呂から上がり、ホールのソファで寛いでいる男性客を巻き込んだ。

 「なんというかレンカちゃん、コミュ能力高いね」

 「あいつはアホの子だから、誰にでもああなんだ。怖いもの知らずなんだ」


 前列のレンカとユイが仲良くしゃがむ。山下とコウマは、それぞれの妹の後ろに並んだ。

 「はいっ、これから撮りま~す。おじいちゃん、そこ押すとシャッターになるからね」


 「コマくん、もうちょっとこっち来て」

 コマことコウマの身長に合わせ、腰をかがめたホタルこと山下が、頬をきゅっとくっつけてきた。最近まで男子だったコマは、女子の仲良しポーズみたいなのは免疫がないわけで、ようするに自覚できるくらい赤面した。


 じいさんからスマホを受け取ったレンカたちは、元気よく入浴料を番台に置いて暖簾をくぐった。まるで台風があっという間に通り過ぎたみたいだ。

 「ホタル、さっきはサンキュな」

 もうこの名前で呼び合った方がいいのだろう。妹たちも俺たちの死を受け入れ、前に進み始めているのだから。俺のタクティカルネームはコマ。心の中で何度も繰り返すと、それほど悪い名前だと思わなくなってきた。


 「頑張ろうね」

 いつもの憎まれ口が返ってくるものだと思ったら、予想外のセリフだった。思わず見上げたら、ホタルの瞳は潤んでいた。コマがじいっと見ていたのに気づいたホタルは、照れたのか、困ったのか、そんな表情を混ぜたような顔で笑った。


 それがとっても眩しくて、コマはつい視線をそらせてしまった。

※二章完、三章につづく※

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