第二章 自殺岬


 芙蓉はここへ来た理由を聞いていない。それで見当を付けて訊いた。

「あの場所は自殺が多いんですか?」

 所長はハアとため息をついて話した。

「『自殺岬』なんて名前を付けられてまったく困ったもんだよ。まあ毎年のように一、二件ニュースになるからしょうがないけど。

 自殺は、確かに多いんだ。特に多いのが自動車やオートバイで飛び込むやつだね。

 この港は、潮がぶつかって底が削られるんだな、底が深くて大型船が直接接岸できるんで便利なんだ。便利なんだが、そこが飛び込みに持ってこいなんだろうかねえ?」

「かなり深いんですか?」

「いきなり十メートル、十五メートルと下がるんだわ。底を潮が流れてるから飛び込みなんかしでかすと、底に沈んだままぐーーっと沖まで運ばれて、外海に流されちまう。この世におさらばしたい人間にはロマンに感じるのかねえー、まったく、もっと頑張って生きやがれと思うがねえ」

 所長は、いかにも毎日を汗水流して一生懸命生きている人間の代表のように見える。

「だからねえー……、車やバイクなら沈んでるから『ああ、飛び込みやがったな』って分かるけど、体一つで飛び込まれたら、遺体はまずここでは上がらないから、よく分からんのだわ」

「では、車やオートバイの自殺件数はどれくらいなんです?」

「この十年で、」

 指で宙に電卓を叩いて、

「車が八台、オートバイが三台、だな。自転車ってのもあったけど、ありゃ不法投棄だな、罰当たりめ」

「あの入り口は夜間閉めないんですか?」

 今はもちろん開いていたが、引き出し式の頑丈な門扉があった。

「閉める……けど、閉めない時もあるなあ。いろいろと無理な注文されることも多いからねえ。港もお客あっての商売だからねえ。それにね、昔はここもただの漁港で、今もあっちの方は漁師さんの船が使ってるんだわ。そっちの方は漁師さんや港の従業員の住んでる家があって、ま、裏道になってるんだわ。道知ってる人間なら、いつでも入ってこられるんだなあ。こっちもね、高い人件費払って夜中じゅう見張り立てとくわけにもいかんから」

 やはりそれだけ自殺が多ければ港の管理もいろいろうるさく言われているのだろう、所長は渋い顔をしながら言い訳し、まだ不審ながら芙蓉と紅倉に尋ねた。

「あの……、どうなんだろうねえ?……先生……。そんなにここって自殺しやすい場所なのかねえ?」

 さっきあの光景を見た芙蓉は紅倉の横顔に視線で問うた。紅倉はフウンとため息をついた。

「死にたい人間はやっぱり本能で分かっちゃうんですね、ここなら確実に、きれいに、死ねるって。お仲間もたくさん手招きしてますしねえ……」

「あんた、嫌なこと言うね」

 所長はますます渋い顔になったが、芙蓉も思い出してゾッとする。

 紅倉は言った。

「地元の神社にお祓いを頼むんですね。少しはましになると思いますよ」

「あんたはやってくれんのですか?」

「わたし? わたしのギャラは高いんですよ?」

 むっつりする所長に

「冗談です」

 と紅倉は真顔で言った。

「お祓いはわたし門外漢ですので、お許しを。わたしどちらかというと神様に睨まれるようなことばかりやっていますので。いずれにせよ、ここは自然にそういう場所なんです。一度お祓いをしてきれいにしたからと言って、時がたてばまた多くの人が死に場所を求めて集まってくるでしょう。ですから定期的なお祓いが必要なんです」

「海の神様へのお参りなら毎年祭りでやってるがねえ?」

「神様は、必ずしも人を死から遠ざけるものではありません。海というより、あの場所のお清めが必要、なのでしょう。ま、地元の神社に相談なさってください」

「はあ……。まあ、そうしよう」

 それでも所長はまだ何か期待して紅倉をじっと見つめた。

 紅倉は実に困った顔をしてため息をついて、言った。

「わたしにももう少し調べさせてください。できるものなら……なんとかしましょう」

「やっ、先生、よろしくお願いします。ですが、作業もやってますし、危険ですから、くれぐれも気を付けて、よろしく、お願いします」

 頭を上げると、所長は苦く笑った。

「実際困っておるんですわ。呼ばれるんだか、風や波で荷が落ちることがあるんだわ。それで潜ると、沈んでるのを見つける、ってこともあってね。ハハ、けっこうな損失でね、ハハハ」

 芙蓉は現金なものだと呆れたが、きっと照れ隠しだろうと好意的に受け取ることにした。芙蓉は訊いた。

「ところで、先生。安達さんのお兄ちゃんというのは?」

 紅倉は所長を見た。

「見つかっていないのでしょう?」

 ああと所長は重くうなずいた。

「車が見つかったのは、四年前の、この月だな。どうやら半年以上前に飛び込んだらしい。

 運転席に父親、後部座席に母親と……八歳の男の子が乗っていた……。しかし、もう一人、状況的に見て助手席に乗っていたようだ。十二歳のお兄ちゃんがね。

 車は窓が開いていて、全員しっかりシートベルトをしていた。警察の話じゃ父親以外の三人は睡眠薬を飲まされていたんじゃないかということだった。

 一家心中だなああ…………。はあっ…………。

 会社経営、つまり社長さんだったようだね。あんまり大きい会社ではなかったようだけど。上手くいかないで、倒産しちゃったんだね。それで借金もあって、債権者に追い立てられて、逃げ回って、ま、どうにもならなくって、家族もろとも、あの世に行っちまったらしい……。たまらんね……。

 で、車が引き上げられて、三人は乗ってたんだよ、半分骸骨になってたけどね。ところが、……」

 所長はふと思いついて紅倉をじっと見た。紅倉はニヤリと彼女らしい笑い方をした。

「助手席のお兄ちゃんだけ、乗っていなかった。正確に言えば、左腕だけシートベルトに挟まれて残っていて、体の方は外に流れ出ていったらしい。不思議なことに両方の靴をきれいに脱いで、ね?」

 所長は目を丸くして、いやはやと頭を下げた。

「それは関係者以外知らないはずだからねえ。いや、お見それしました。これでも人を見る目はあるつもりでね、あんたあ、嘘つきだが、悪い嘘はつかないね?」

「それはどうですか?」

 紅倉はすまして肩をすくめ、芙蓉もニヤッと笑った。

「言ったように潮の流れがあるからね。それに……あそこ、魚がよう釣れるんだわ。よく釣り人が入り込んでるんだけど……、わたしゃあとてもじゃないが、あそこで釣った魚は食う気にはなれんねえ…………」

 ブルブルッと身をすくませた。

「あんたはあ……、安達さんに呼ばれたと言ってたね?」

 紅倉はうなずく。

「と言うことは、……成仏しとらんということ……だねえ?」

「ですね」

 ううううんん……と、所長は腕を組んで深く息をついた。

「無理もないやね。このご時世、わたしだって身につまされるね。いや、いかんいかん、やっぱり、いかんね」

 紅倉は笑った。

「あなたはだいじょうぶです。あの場所に引かれるようなことはないでしょう?」

「ないない!」

 所長は大仰に手を振り、興味深そうに話を聞いていた事務員が笑って言った。

「所長はだいじょうぶですよ。わたしが、保証します!」

「そうか?」

 所長はワハハと笑い、紅倉もオホホと笑った。

「ではしばらくお邪魔します」

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