霊能力者紅倉美姫31 冬の海、車窓から

岳石祭人

第一章 花束



 「ストーカー女子高生幽霊」の事件が片づいてから、紅倉は珍しく現地での滞在を希望した。特に仕事も入っていないので芙蓉はホテルを予約し、とりあえず三日間の予定とした。

 一泊して翌日、芙蓉は紅倉の「あっち。こっち。」という指示に従って車を運転し、海岸を走る道路の途中で「そこ。」と、車を止めた。

「あそこに行きたい」

 と紅倉は指をさした。

 ガードレールの向こうに船舶の荷物を上げ下ろしする大型のクレーンが建ち、埠頭が広がっている。その海に斜めに突き出した桟橋に行きたいと紅倉は指さす。

 入り口を捜して車を走らせると、入り口はあったが、「港湾関係者以外立入禁止」と大きな立て看板があった。

「先生。入っちゃ駄目ですって」

「見つかったら美貴ちゃん、謝って」

 芙蓉は肩をすくめて車を進めた。紅倉の指さした荷役専用らしい幅の広い桟橋を行く。途中いくつもコンクリートから飛び出した鉄芯でガタンガタンと車が揺れた。全体が茶色く鉄錆びたような古い印象の港だ。

 先端まで四メートルほどのところで芙蓉は車を止めた。

 外に出ると、寒い。海からの風が体全体にぶつかってきて、足下をすくわれてそのまま運ばれていきそうな怖さを感じる。

 紅倉は先端向かって歩き出した。

「先生」

 と芙蓉が注意するように声をかけると、紅倉は軽く手を上げた。「大丈夫。分かってるわ」と言うことだろうが、あまり当てにならない。しかし紅倉は手前一メートルで止まり、芙蓉はとりあえずほっとした。

 紅倉の銀色の髪が風に踊った。後ろ姿の背景となる空は重く灰色で、海はすさんだ感じの波が高く、暗い鉄色をしている。芙蓉は思わず言った。

「先生。似合いますね」

 紅倉はしゃがみ、指さすと言った。

「お花」

 すっかり色の禿げた赤い係船柱の根元に牛乳瓶が1本転がっていた。

 紅倉の目にはそこに差されていた花が見えるのだろう。

「あれ、ちょうだい」

 差し出された手に芙蓉はカバンから取りだした「人型」を渡した。十五センチほどの、和紙を人の形に切り取った物だ。昨夜ホテルで紅倉が欲しいと言い、芙蓉が和紙を買ってきて作った。

 紅倉は立ち上がると縁に近づいた。芙蓉は安全のため隣にくっついて前に腕を回して紅倉の胸を押さえた。海面まで優に2メートルはある。黒く深い陰に打ち付けられた波が白く泡立っている。先生が落ちたらと芙蓉は恐怖を感じる。

 紅倉は人型を額に当てると、海に放った。

 人型は風に舞い上がり、クルンクルンと旋回し、風に流されて向こうに飛んでいったかと思うと、スーッと舞い戻ってきて、滑るように目の前の海面に降りた。

 ザブンザブンと大きく揺れる三角の波に乗って上下していた人型の、その下の海中から何か白い物がわあーっと、浮き上がってきた。

 それは、数十の白い手の群だった。

 まるで魚が餌に群がるように、白い手たちが人型を自分の物だと奪い合い、やがて一人が掴むと、手たちは束になってスーッと海中に戻っていった。人型ともども。

 ゾッとした顔で見ていた芙蓉は紅倉の顔を見て、「さ、」と後ろに下がらせた。

「先生。あれはここで亡くなった人たちですか?」

 フウン……、と紅倉は鼻の奥で声を漏らした。

「そうなのねえ……。ずいぶんたくさんいるようねえ」

 芙蓉がまたゾーッとして海面を眺めていると、

「おーーーい」

 と呼びかけて、黄色いヘルメットに作業着の中年男性が歩いて、時々小走りになりながら、やってきた。


「駄目だよあんたら、勝手に入り込んだら。危険だから、さっ、早く帰って」

 芙蓉がすみませんと謝ろうとすると、

「すみません。安達さんのお参りに」

 と紅倉が言った。

 作業着の男性は「スー」と半開きの口から息を吸い込みながら考えて、

「どなただったかねえ?」

 と半分迷惑そうに半分申し訳なさそうに訊いた。

「四年前に、一家四人で発見された」

 ああ、と男性は口を大きく開けてうなずいた。

「あの、車で。ああ、そうー…。ご親戚の方?」

「いえ、お兄ちゃんの方の知り合いで」

「お兄ちゃん? ああー、そうかー……。うん、事情は分かりました。けれどね、危険は危険だから、とにかく、あっち、ビルの方来て」

 男性は紅倉が人型を投げ入れた海面に手を合わせてギュッと目を閉じると、「早く早く」と二人をせかし、「あの先、倉庫の奥入って」と事務所の場所を説明した。

 一生懸命小走りに駆けていく男性の後を追って芙蓉はゆっくり車を走らせた。


 実用性一点張りのそっけない四角いビルの、ファイル類が雑然と積まれた印象の港湾事務所に案内され、その一角を切り取った応接間に招かれ、男性と向かい合って座った。風のない閉じた空間に入ると男性は油と潮のしみこんだ臭いを発散させていた。ヘルメットを脱ぐと薄い髪の毛が頭皮にぺたりと張り付いて、五十代であろうか、しわの刻み込まれた厚く黒い肌をしている。

 事務員の女性が熱いお茶を出してくれた。

 男性は目の見えないらしい紅倉の顔を遠慮がちに覗き込んで訊いた。

「安達さん一家のお兄ちゃんというと……、同級生じゃないよねえ? 先生……でもないのかな?」

 紅倉は熱い煎茶の湯飲みを両手で持ってふーふー冷まそうとして、手を火傷するので芙蓉は湯飲みを取り上げて置いた。紅倉はちょっと芙蓉を睨んで、おどおどしながら男性に言った。

「安達さんの元同級生の男の子と知り合って、それでその、安達さんのご両親に呼ばれまして……」

「はあん? どうも要領が得んですなあ?」

 仕方がないので芙蓉が正体を名乗ろうとすると、お茶を入れてくれた事務員が助け船を出してくれた。

「所長。この方、紅倉美姫さんと芙蓉美貴さんですよ。ねえ?」

 こちらは四十代だろうか、痩せて骨張っているが優しそうな顔でニコニコ笑って言った。

「べにくらさんと……ふよう……さん?」

 残念ながら所長さんは紅倉先生のことを知らないようだ。

「有名な霊能師の先生ですよ。光栄ですー。やっぱりここの自殺岬のことを調べに来たんでしょう?」

 所長は事務員の軽率な言葉に「おいおい」と渋い顔をした。紅倉は困った顔で事務員に笑ってみせ、所長に言った。

「先月ですか? また車の飛び込みがあったのは?」

 所長は苦り切った顔で紅倉を睨んで答えようとしない。紅倉はまた困った顔で笑って言った。

「お金なんて請求しませんし、テレビの取材なんかも入りません。実はわたしも困っているんですけれど、無視してしつこくされるのも面倒ですし、ちょっと、調べさせてもらえませんか?」

 所長さんはしかめた顔で事務員に訊いた。

「だいじょうぶなのお?」

 事務員は、

「もう、バッチリです!」

 答えて、グッ、と親指を立てた。笑いかけられ、芙蓉も苦笑した。

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