第2話 女王


足、なめさせてあげる――。


それは、温室の中から聞こえてきたようだった。

逡巡の後、綾芽は開いたままの温室の入り口からそっと顔を覗かせる。


視線の数メートル先。

重なり合う緑の木々、艶やかな花々の陰に、彼女はいた。

その存在感に、思わず綾芽は息を飲んだ。


遠目にもわかる端正な横顔に、スラリとした長身。首の長さを際立たせる潔いショートヘア。


背後にはひときわ派手な赤と白のアマリリスが咲き誇っている。


木製のベンチに堂々と鎮座した彼女はさしずめ植物をはべらせる女王の風格だ。


その足元にもうひとりの生徒がかしずいたかと思うと、恭しく女王の足を掲げ、ハイソックスを脱がせる。


「最後だなんて言わないで下さい……」


女王の足に縋るようにつぶやくその姿は下僕という表現がぴったりだ。


見てはいけない、咄嗟に綾芽は思うが裏腹に目は釘付けになる。


女王の白く細い脚が露わになる。


綾芽はその艶めかしさに知らず唾を飲み込む。


下僕は許しを請うように女王を見上げると、その足先に自らの顔を寄せる。


「えっ…」綾芽の口から知らず小さな嬌声が溢れ、慌てて息をひそめた。


下僕は、綾芽が食い入るように見つめていることなどつゆ知らず、愛おしげに女王のつま先に口づけた。


その様子はまるで西洋画のようだった。


そうして、「下僕」が「女王」の足の指を口に含み、丁寧にしゃぶるのが見えた。


それを目にした綾芽の体を鈍い痺れめいたものが走る。

悪寒とも怖気とも、そして官能とも思える得体の知れない何か――。

今までに味わったことのないその感覚綾芽は本能的に恐れた。思わず後ずさる。

と、その足音を察知したように、「女王」がこちらへ顔を向けるのが分かった。

綾芽は慌てて踵を返し、今度こそ高等部の校舎を探して駆け出す。



どうにかたどり着いた高等部の校舎の中、小走りで2年C組の教室へ向かう。

なんとかHRには間に合いそうだ。


「和泉先生!」


廊下の途中で声を掛けられる。振り向くと、担任である若本達樹だった。


「迷いませんでした?」

「実は早速」

「あーやっぱり。僕が案内すべきでしたね。小テストの準備でバタバタしちゃってて、すいません」

「いえ、私がぼんやりしてるだけなんです、ほんと」

「いやー、ここは広すぎますよね。ちょっとした街ですよ」


朗らかに若本は笑う。年は綾芽よりも少し上、30くらいだろうか。

穏やかで優しい雰囲気の好青年だ。

この人がサポートしてくれるのならなんとかなるかもしれないと綾芽は思った。


扉を開くと、教室中に散らばっていたおよそ30名の生徒たちの視線が一気に集まる。

綾芽は思わず背筋を正し、咳払いする。

思春期の女の子たちが集団になって放つ空気感は良くも悪くも大人を圧する強さがある。

負けてはいけない、と思った。

「はい、着席ー。新しい先生だぞー」

肩の力が抜けた若本の声掛けに生徒は素直に従う。

彩芽は壇上に上がり、教室を見回した。


「今日からこの2年C組の副担任になります、和泉彩芽です」


と、こちらをじっと見つめる顔がある。

小動物のような丸顔の生徒。

校内で迷っていた綾芽に間違った道を教えた生徒だ。

目が合うと、いたずらっぽく微笑んだ。

綾芽は彼女の意図が分からずとりあえず無視する。

更に生徒たちの顔に視線を泳がせる。綾芽はハッとした。

そこには、温室の「下僕」だった生徒がいた。

先ほどの熱っぽさが嘘のように、ぼんやりとこちらを見ながら長い髪をもてあそんでいた。

気づかなかったが、彼女もまた上品な顔立ちの美人だった。

そして、気にかかったのは、一番後ろの席がひとつ空いていることだ。

欠席だろうか。

それとも遅刻?


「……急なことで、皆さんも戸惑っていることと思いますが、副担任として、若本先生とともに精一杯――」


その時、教師が話している最中だというのに、教室の後ろの扉が開いた。


「遅くなって申し訳ありません」


抑揚のない言葉とともに現れたその姿に、綾芽は一瞬言葉を失う。


それは、温室で盗み見た「女王」だった。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

調べはアマリリス 犬堂七理 @inudou7ri

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ