第24話 小波の外側

「八神君、おはよう。」

「・・・おはよう、ございます霧島さん。時間ぴったりですね。」

先日会った時と同じ緑のパーカー姿の八神君がナップザックを背負ってプロセルピアのビルの前に立っていた。アオイさんは少し遅れるとのメールが送られてきたので、二人っきりなのは必然だった。

「・・・先日は取り乱してしまい、すいませんでした。」

「ううん、こっちこそ自分勝手だったよね。」

深く下げた頭を上げた彼は、安心したように表情の緊張を解いた。取り乱した様には思えなかったのだが、彼にはどこか思い当たる節があったようだ。それならば、その謝罪を彼の望むままくみ取ったほうがお互いにいいだろう・・・そんな思惑がぴったり彼の心をくみ取れたようだ、よかった。

「・・・それで考えたんです、どうして貴方が僕の命を重要視したのか。そして昨日の夜、個人的な回答と呼ぶには不十分ですが何とか考えを纏められたので

・・・・・・聞いてもらえますか。」

「!うんっ、もちろん。ぜひ聞かせてほしいな。」

覗き込むように視線を上げた彼の言葉に驚いた。彼はあの日以来私の言葉をずっと気にかけていたのだ。なんか悪いことをしてしまったな。

「・・・霧島さんは、僕とは違う人間です。今まで育った環境も全く違う。だからこそ、僕には想像もつかない様な生命倫理の思考に至れたのだと考えました。貴方を形作ったその世界は、誰から見ても美しいものだったのでしょう。だけど、まだ一つだけ分からないんです。

・・・・・・どうしてあなたは、誰かを守るために自分の命を投げ出せるのですか。

自分は、誰かの代わりに傷ついてもいいと、そう思っているのですか。」

「‼」

確かにそうだ。私は誰かを傷つけられるのが嫌で、代われる限りは自分が傷つこうとする。だけど、自分が傷つけられるのはずっと苦痛だった。そんな相反した考え方を抱えて私は生きてきた。苦痛なら止めればいいのに、それをせず誰かが傷つこうとするたびに身代わりになろうとした。

・・・どうしてだろう。

その時、世界がモノクロに染まった。

『痛いのは嫌い、でもね誰かが痛いのはもっと嫌。

・・・ほら悲しい顔をしないで、私の分もいっぱい笑ってほしいの。

だからわたし、代わりになりたい。

みんなに・・・ううん、貴方に幸せになってほしいの。

だから、お願い ”繝√Ν繝、ちゃん”。』

私によく似た少女の声が耳にこだましていく。それはまるで遠い昔の、ワタシの・・・

「霧島さん?」

「っ!あ・・・ごめん八神君、ちょっとぼーっとしてた。」

心配そうな彼をよそに、私は耳に触れた。

声はもう、途切れたままだった。

「いやー、ごめんね二人とも!ちょっと上層部に捕まっちゃってさぁ。」

息を切らした様子で駆け寄ってきたアオイさんの手には、今日滞在するマンスリーマンションの鍵が握られていた。あの後セキュリティ面から大人の方で話し合いが行われたらしく、作戦開始場所はアパートから変更になったのだそうだ。私も一人暮らしをしているとはいえ、全く家財のないアパートでは不安だった。アオイさんたちはそこら辺を考慮してくれたのかもしれない。

(家具付きのとこだと結構高いとこ多いし、数日しか使わないからマンスリーマンションのほうが融通が利くはずだった・・・よね、多分。)

「実は結構いいとこ抑えられたから、期待しててね。」

ニヤリと口角を上げたアオイさんに少し不安の様なものがよぎったが、促されるがままにタクシーに乗り込んだ。


「わあ・・・すごい!海が見える!」

「ふふ、いいとこでしょ。」

冗談抜きに絶景だった。目の前に広がる海と埋め立て地に所せましと肩を寄せ合うビル群が窓の外に他では見られない様な美しい風景を生み出している。

「すごいなあ、私海見たことなかったんです。」

「・・・・・・これが、うみ。」

八神君は私の横へ少し躊躇いがちにピタリとくっついて窓に触れた。その目はいつかのラーメンを一緒に食べたときと同じ、星の様に煌めく宝石みたいで。見ているこっちが呆けてしまうような、絵画チックな光景に私は言葉をなくした。

「・・・・・い。」

「ん?どうしたの八神君?」

「うみって、サクヤさんみたいに大きくて、優しくて・・・きれい、です。」

「へ」

「おやおや~、ちーくんもお気に召したのかな~?そーいえば、確かにどことなーく海ってサクヤちゃんみたいだよね~。」

「アオイさんまで!」

聞いている私が、真っ赤だからって揶揄わないでほしい。でも、八神君の言葉は裏表なんてなかった。だから、少しお返しにこんなことを頼んでみたのだ。

「・・・あのさ、私も八神君のこと、チヒロ君って呼んでいい?」

「・・・!はい!さくやさん!」

心がくすぐったいと思ったのは、きっとその言葉に添えられたチヒロ君の柔らかい微笑のせいだ。


サクヤちゃんとちーくんが昼食を作る言ってキッチンに籠っている隙に、アタシはずっと震えていた電話をとろうと外に出た。

『槙屋、検体6040番と盃の少女はどうだ。』

「・・・はい、経過は良好です。作戦に支障はないと思います。それで・・・鴉女、いえは何て言ってたんですか。」

『カムヒ・カイネスはどこだ、もう少しで取り込めたのに・・・と恨み節しかこぼさなかったよ。だが、カムヒとして利用する直前に・・・”太陽の継承者の降臨は近い、あの娘は耐え切れず劫火に贄として捧げられるだろう。”と告げていた。お前は何のことか分かるか。』

「いえ・・・現段階ではなんとも。ですが、サクヤちゃんが危険だというのは分かりました。忙しい時にありがとうございます。」

『・・・気にするな。お前は、ここでたった一人の血の通った人間だからさ。

 できる限り、協力させてくれよな。』

「・・・ありがとうございます、先輩。」

電話はそこで切れた。あの人も三上側の人間に目を付けられているから、もう情報をもらうことは難しいだろう。だけど、嘘でも最後に力を貸そうとしてくれたのは嬉しかった。憎しみに染まっていた私の両手を救い上げてくれたのは、あの人だったから。

(今度こそ、アイツには・・・三上恍一には何も奪わせない)

そう覚悟を新たにふたりの待つマンションのドアを開けた。

「あ、アオイさん!ちょうど今焼きそばできたんです。あったかいうちに食べてください!」

「・・・料理は初めての経験でしたが、サクヤさんの指導のおかげで形にできたんです。よろしければフィードバックをいただけませんか。」

エプロン姿の二人と香ばしく香るソースと鰹節のにおい。お腹が減ったという具体的な感覚を得るのは久方ぶりだった。

「・・・ちょうどお腹減ってたんだよね。大盛り、お願いしていい?」

「はい!勿論です!」

守ろう、この子たちの今日を。

そしていつか、カムヒも神も世界も、何もかも救い終わったのなら

こういう小さな幸せをかみしめて生きていられる明日を贈りたい。

もしも・・・・・・いや止めておこう。

今はただ、この子たちが笑える明日のために大人としてできることをするだけだ。

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