第23話 フォークロージャ―

死ぬことを怖いと感じたことはない。

研究所とインターネット、神話の神々やカムヒ様たちが僕の世界のすべてだ。だから、失うことを怖いとは思えない。逆説的に考えると「失うことを恐れるほど大切なものが存在しない」ということにもなるのだが、それは人生の選択肢の一つとしてありえる答えだ。何もおかしくはない。だから、まさか僕の死を恐れて嘆く人がいるなんて想像もできなかったのだ。名もなき誰かを、一人の命でもって救うのは彼女には苦痛なのだろうか?分からない、彼女はどうして泣いているんだろう。どうして、僕を殺すことに躊躇するのだろう。

「・・・私がやります。」

「え、」

アオイさんの驚きの声を無視して彼女は続けた。

「私が怪異を倒します。だから、チヒロ君一人に命は賭けさせません。

 ・・・死ぬときは、一緒です。」

本気だった。この人は本気で僕の死を恐れて、自分が逃れえない死の代償の半分を背負おうとしている。それを理解したとき、僕の身体は得体のしれない冷たさを感じた。彼女から発せられる熱に逃げ腰になり自分をひたすら取り戻そうとする、そんな冷気を。

「・・・・・・貴方のことがよく分かりません。どうしてそこまで僕の命に

 固執するんですか。」

「・・・分からない。けどね、私は目の前で誰かが自分の命を投げ出そうとするのが、嫌なんだ。例えそこにどんな事情があったとしても、世界のために誰かが死ななきゃいけないなんて間違っていると思う。そんな役目は私が負う、誰にも痛い思いをしてほしくない。・・・エゴだっていうのは分かっているんだけどね。」

彼女は少し腫れた目で笑った。それさえも僕の胸中をクエスチョンマークで埋め尽くしていく。どうして、分からない、理解できない、知らない、どうして、どうして?

その日はひとまず、作戦は霧嶋さんと僕の二人で行うこと、今度の週末に怪異出没地域のアパートの一室にて作戦を決行することだけがまとまり、解散となった。霧嶋さんは最後まで僕を気にかけていた。神器を抱えた背中は僕と同じくらいなのに、今日は彼女が僕より大きく見えた。疑問が浮かんでばかりで、回答まで至らない。こんなの初めてだ。

「・・・ちーくんはさ、サクヤちゃんのことどう思った?」

「どう、と聞かれても・・・僕は今自身の機能が著しく低下しているので感想を述べるために必要な語彙を創出することも不可能な状況に置かれているんです。すいません。」

ぺこりと頭を下げて、もう一度アオイさんの顔を見ると少し眉を八の字にして笑っていた。その記録を最後に僕は活動を停止した。


「ありゃりゃ、ちーくんオーバーヒートしちゃったか。ま、結構今のちーくんのままじゃ理解できない感情や考え方だったもんね。でも、倒れる程にその命題について熟考していた。それなら、この任務でちーくん自身が変わる転機になるかもしれないね。」

アタシは前のめりに倒れ込んできた彼を支え、ゆっくりと背負いこむと研究所につながるエレベーターに乗り込んだ。この前会った時よりも、細くなったとは感じていたが・・・こう実際に背負ってみれば健康な同年代の子供たちより5キロほどは軽いのではと思った。一体向こうはどんな実験に彼を駆り出しているのか。アタシには知る由もないが、酷使されているのは確かだ。でなければ、半月ほどでこれだけ体重が減ることもないはずだ。

「・・・は何を企んでいるんだ。」

憎き男の姿が浮かぶ。あの紅い目には一体どんな未来が映っているのだろうか。

静かに寝息をたてる少年にヤツは何を課そうとしているのだろう。

「・・・私もまだまだだな。」

空に放った独白はエレベーターのドアが開く音に紛れて解けていった。


トケテイク。ワタシのカラダが熱によって溶けていく。

嫌だ、いやだ、イヤだ、イヤダ‼

身体はもうワタシの監視下から離れてしまう 勝手に動き出して

もうハンドルさえも、異界の神によってロックされてしまった

フザケルナ!!目の前のディスプレイを思いっきり叩く。

だけど液晶にひびが入るダケ ワタシは操縦者としての任を解かれてしまった

ダケドアキラメナイワ 

この世界においてワタシは圧倒的有利

異界の神々の権能ではワタシすべては縛れない

だからコンドコソ、トリモドスノ。ワタシのカラダをアイツからトリモドスノ。

ワタシは幸せになれない なってはいけない

それが罪 ソレガ罰 ソレガ我が望ミにして最後の自由

苦しめ 苦しメ 苦シメ クルシメ モット モット モット‼

生まれたことも 生きていることも オマエニハ 許されぬ 誰にも

ダカラ ワタシにすべてチョウダイ あんな男を受け入れナイデ

ワタシ唯一人を愛シナさい サクヤ  


「・・・チルヤ、私はそんなの望まないわ。」

荒れている。あの子の内側で、チルヤは暴れている。だけどもう戻れない。

あの子が消えるか、あの子がチルヤを殺すか どっちが早いのだろう。

だけどまだ猶予はある。この少年に幾重にもかけられた呪術に介入すれば、術の発動の時にあの子のカラダに入れる。

「回復したとはいえまだまだ本調子じゃない。無理をすれば確実に損害を被る。」

頭ではわかっているのだ。神としてどういう選択肢を取るべきか。

でも一人の姉としては?

「妹が悲鳴を上げているのだもの。動かないわけにはいかないわ。」

私はゆっくり意識を少年に集中させる。

そして徐々に彼の意識の内側へと深く深く潜っていく。

「決行は週末・・・まだ5日ある。それだけの時間があれば、私の存在を偽装しながら彼に溶け込めるわね。」

今度あの子に会ったのなら、きつく叱ってやりましょう

そして、思いっきり抱きしめてやるのです 昔の様にはできないかもしれないけれど

私とあの子は姉妹なのですから きっとどれだけ時が経とうとも 

私は何度でもあの子に手を伸ばすわ

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