第22話 ただの人として
「で、どうしたのちーくん。話がしたいなんて、珍しいね。」
私の隣のパイプ椅子に以前と同じ、パーカー姿の八神君が静かに腰掛けた。その顔は以前よりも少しだけ青白く思えた。
「・・・任務を三上所長に頂きました。本来は二人一組で行うべきものなのだそうです。だから僕一人では心もとなく・・・可能でしたら霧嶋さんに同行していただきたくて。・・・・・・ダメ、でしょうか。」
八神君は一冊のファイルを手渡した。そこには、ただ『調査概要』とだけ無機質に記されている。
「アオイさん、私・・・」
「三上からちーくんに直接持ってきた任務だから、ちっとばかし怪しいけど・・・サクヤちゃんの気持ちで決めてほしいな。あ!もちろん体が心配だったら、休職ってのもできるからね!」
彼女は一瞬顔を曇らせたが、すぐにいつもの太陽の様な眩しさを取り戻した。その言葉に込められた優しさや労りが、私の心をいつも照らしてくれる。それに、八神君とはもう少し話をしてみたいと思っていたところだった。私は彼に向きなおすと、自分より白くて細い手に触れた。
「こちらこそ、八神君がいいなら一緒に任務を頑張りたいな。」
「・・・!はい、ありがとうございます。」
やっぱり八神君は女神様みたいだ。
彼が微笑むだけで、きっと世界は彼に優しい光を差し出すはずだから。
まただ。ちーくんが笑ったのを見たのはこれで二回目。以前は彼の無意識によるものだったらしいけれど、今回の微笑みは彼の心をそのまま表したものに見えた。ずいぶん柔らかくなったと思う。最初の頃はアタシが挨拶したり、話しかけたりしてもロボットの様な無機質さに溢れた肯定・否定の返事しかしなかったのに。サクヤちゃんに出会ってからのちーくんは、まるで水を得た魚だ。彼女の表情や言葉から人間に必要不可欠なモノを吸収し、自分に適応する・・・AIに彼は進化したのだ。だけど、まだ人間にはなりきれていない。でもゆっくりでいいと思う。例えどんなに人間性を欠いていたとしても、彼は生きているのだ。これから起こる様々なことを乗り越えて手にした何かが、きっと彼自身を塗り替えていくはずだ。それならば、大人として私は彼の道行きを見守ろう。それだけが、私ができる唯一の贖罪方法だ。
「それでは、任務内容を確認しましょうか。」
八神君は視線をテーブルの上に広げたファイルに移す。タイトルページの次にはプロセルピアに程近い市街地の地図があった。赤い点がおびただしい数記されている。
「・・・これは、なかなか一筋縄じゃいかなそうな奴だね。というか、こんなになるまで、アイツは何もしなかったのか。・・・相変わらず人間としてどうかしてる。」
アオイさんは恨み言の様にこぼした。確かにこれほどの被害が出ているのなら迅速な対応が求められるはずだ。それなのに、どうして今までだれ一人としてこのことを知らなかったのだろうか?
「・・・悪夢を毎日繰り返し見ることによって、睡眠そのものが恐ろしくなり不眠症になる。一見すれば怪異と断定しにくい事象ですが、これほど同じ地域で同様の症状を持つ患者が増加したとなれば、集団幻覚のようなものに街そのものが支配されてしまっているのかもしれません。」
「このエリア内の患者さんたちの共通点とかも、見当たらないしね・・・。」
発症者は老若男女問わず、ただこの地域に住んでいるという事実しか共通点を持たない。無差別的なものなのだろうが、それでは猶更にどうして悪夢を見せる必要があるのかが分からない。
「・・・全員夢で何かに追われたり、捕食されそうになったりと典型的な自身の罪悪感といった負の感情や環境の影響で見る悪夢の特徴と類似していますが、カウンセリング等を受けてもなお症状が改善した者がいないとなれば、怪異そのものが人々の夢に介入して危害を加えようとしている可能性が高いように思います。」
「もし、討伐することになったらやっぱりちーくんやサクヤちゃんの夢に入り込んできたところを襲うことになりそうだね。睡眠状態の二人に介入するすべは存在しないし・・・なかなかハードモードだな。」
アオイさんが渋い顔を崩さないのも分かる。夢はどんな人間でも無防備に近い状態だ。そんな自分がちゃんと怪異と向き合えるのか分からないし、それに・・・この前みたいに怪異の言葉に惑わされて何もできなくなったら、今度こそ私は死んでしまう。私が自分の未熟さに情けなさを通り越して怒りを感じだした時、八神君は静かに呟いた。
「・・・僕が囮になればいいのではないでしょうか。」
「え?」
「僕は夢をみたことがないんです。概念としては理解していますが、経験がない・・・これは上手く夢を支配する怪異を引き付ける餌になるのではないでしょうか。」
私は一瞬彼が何を言っているのか分からなかった。だって、それは自分が怪異によって傷つけられるのも良しとしている、ことに違いないのだから。まるで自分をただの物としか思っていない様な発言をした彼に、私は怒ればいいのだろうか。怒っていいのだろうか。上手い答えが見つからない。
「そうだね、確かにちーくんの体質的にもその作戦は悪くないよ。だけど、もし仕留め損ねたら?」
「・・・事前に僕の体に怪異が接触した時点で外に出られない様に術を施そうかと思っています。そうしたら、僕が死ぬまで怪異は他の誰かに悪夢を振りまくこともできません。」
淡々とした言葉で彼は語る。アオイさんも、とっくに向こう側の人の顔だった。この空間で今、置いてけぼりな私は一体何なのだろうか。
「・・・なんで、そんな簡単に自分の命を投げ出せるの?」
思わずこぼれてしまった本音に、アオイさんは困った様に笑った。
「サクヤちゃん、そう思うのは貴方がまだ人間だっていう証拠だよ。
アタシやちーくんは・・・もうそこに戻れなくなってる。」
「だって、もし怪異に殺されたら、もう一生会えなくなるんですよっ・・・!
そんなの、目の前の誰かを救うために、誰かが犠牲になるなんて、
嫌ですよ。かっこよくなんてないですよ・・・。」
力なくうなだれる私を、当の本人は不思議そうに見ていた。その視線が、苦しかった。自分のエゴを押し付けているのは分かっている。救うためには、誰かが命をもって止める必要がある時もあるってことも知っている。だけど、それでも、目の前で死地に向かおうとしている誰かを止めないわけにはいかなかった。向こう岸へ漕ぎ出す船に乗る彼の背中を私が押すことは、どうしても嫌だった。
「・・・私がやります。」
「え、」
「私が怪異を倒します。だから、チヒロ君一人に命は賭けさせません。
・・・死ぬときは、一緒です。」
抱えた槍がいつもより重さを増した様に感じた。
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