第20話 少女の願い/戦士の呪い
「此処に?」
「あぁ、この世界でずっと......共に。」
どうしてこのヒトはこんなにも苦しそうな顔をしているのだろう。今にも泣き出してしまいそうだ。
「あの、カイネウスさん...それはアナタにとって悲しいこと...なんですか?」
「そんな訳...!」
勢いで立ち上がったカイネウスさんに強く肩を掴まれる。初めて、私に対して彼が強く感情を露わにした瞬間だった。でも直ぐに肩に置いた手に気付き、手を離すと一歩後ろに下がってその場に膝をついた。
「すまない、サクヤ。オレ...」
大丈夫ですか、と声を掛けながら手を貸そうと右手を差し伸べた時、彼は堪えきれず目から涙を溢しながら私を自身の腕の中に引き込んだ。
「か、カイネウスさん!?」
脈打つ心音と体温が重なっていく。私が驚きの余り、彼の胸元を押し返そうとしても彼はより深く自分の懐に私を収めようとするだけだった。
「...はは、小さいなオマエは。本当に小さくて、可憐で...守ってやりたくなる。」
このカラダは恋を、愛を知らない。
カイネウスには子や孫がいるというが、オレには理解できない。ただ"子供がいた"、"孫がいた"という記録でしかないからだ。だから他のカムヒや神々との酒宴で話をする時、物凄く苦労した。ヤツらは酒が入ると決まって、女の話になる。誰が誰を抱いただとか、何処そこの女はイイだとか...至極退屈な話に何時間も費やすのである。こんな事ならカムヒになんてならなければ良かった、と何度思ったことか。だけど今更還ることもできず、一日でも早いこの役目からの解放を願い続けていた。そんな時ふと目に入ったのが咲耶だった。
一人っきりで肩を竦ませながら、まるで自分の存在を誰にも知られたくない様に人の波を掻き分ける少女。だけど、それは周囲が許してはくれない。男どもは彼女を揶揄い、美しい視線の矛先になりたがっていたし、女は女でそんな彼女を嫉妬の情炎か何かで見つめ続けた。しかし、少女は気づかない。むしろそうされる度に内に内にと籠るようになっていった。
この世界では今の彼女である限りどうにもならない、と思った。だからこんな時こそカムヒが介入しなければと考え、人間に託宣を下したのだ。『霧嶋咲耶を此処に連れて来い』と。だが、渡されたのは彼女とは似ても似つかない令嬢だった。そのくせ処女性を持たず、他の神の手跡がびっしり付いている最悪な贄。少女に罪はないが、己の立身出世の為にオレを欺かんとするのはやはり我慢ならず、祭壇越しに其奴らを音もなく切り裂いた。驚いて起き上がった少女に忘却処置を施すのも忘れずに。
そして漸く会い見えた時、彼女が"棺"である事を知った。この時ほど世界に憤ったことはない。神に至る運命を仕組まれた人間...少女の意思とは関係なしにオレと接触する事で神へと強制的に生まれ変わらされる...それが棺だ。今迄の霧嶋咲耶という人間を置き去りにして、無かった事にして。それを知っておきながら、ヤツらは何も言わなかったのだ。これ程残酷な事実が他にあるだろうか!カムヒの感情を隆起させて、もしもの時にも備えている辺り本当に悔しかった。だからせめて、ほんのひと時だとしても霧嶋咲耶という存在を己の中に刻みつけたかった。忘れない様に、彼女が忘れたとしても無かったことにしない為に。彼女の生きた証を覚えている為に。
寝台に寝かせた少女の手を握れば、少女の全てが流れ込んできた。悲しかった、辛かった、苦しかった。彼女の記憶は悉く哀から始まっていた。ほんの些細な幸福も、誰かからの優しさも何もかもが哀しみによって覆われているのだ。少女の歩みを見つめる度、オレの身体は酷く痛んだ。本当は彼女の方がずっと何倍も痛い筈なのに。その内、自分のパンドラの箱に手を伸ばしていた。見比べてみればどうだろう、状況は違えど己と彼女は同じではないか。ただ命の源泉を穢されなかったことだけが、オレには救いだった。だから決めたのだ、霧嶋咲耶という人間とカイネウスという戦士として。
『オレの全てをオマエにやる。
だから二人で一つに溶け合おう。
オマエの全てを愛してやる。
だからオレを受け入れてほしい。』
これが色恋のソレかはどうでもいい。
同情からなる失敗作でも構わない。
ただオレ自身を少女に捧げたかった。
助けてやりたかった。
そんな願いが叶ったのか、今此処にオレと咲耶がいる。それならば、語る言葉は一つしかない。もう何にも捉われずに、願いを捧げよう。妨げるモノは何一つとしてないのだから。
「咲耶、オマエは美しい。だから本当はもう何人にも傷つけられる様を見たくはない。
だけど、オマエの歩みをオレのエゴで止める事はやっぱり嫌なんだ。だから如何なる決断でも受け入れよう。
咲耶の願いをオレに
叶えさせてほしいんだ。」
「......私の、願い。」
私に願う権利はあるのだろうか。今まで自分の願いだなんて考えた事がなかった。だけど彼は本気だ。どちらを選んでも、どんなに下らない幼な子の様な妄言だったとしても、きっと彼は許してくれる。きっと彼《神様》は叶えてくれる。
それなら、彼の手を握って、彼の目を見て伝えよう。初めての事だから上手くできるか分からないけれど。
「......私、わたしね、まだ言えていない事があるの。アオイさんに、八神君にありがとうって、また一緒にご飯食べたいって。だから、カイネウスさん...ううん、カムヒ・カイネス。
わたしのお願い、叶えて。」
瞬間、光が爆ぜた。
眩しさに目を瞑る。何秒、何分経ったのだろう。再び目を開けた時、私は槍を抱えてプロセルピアのビルの前に立っていた。自然と手の内から広がる温もりが身体中を駆け巡り、馴染んでいく。
「だいじょうぶ、だよね、私。」
答える様に熱が満ちていく。
さあ進もう。
あのヒトは私の背中を押してくれている。
それならその期待に応えなきゃね。
「これで良かったの?」
ドアに寄りかかりながら、半身は不満げに呟いた。
「咲耶が願い、望むならカムヒとして叶えるべきだろ。」
「...意気地なし。他のオトコに取られても知らないからね。」
彼女は吐き捨てる様に言うと、オレの横に置かれた桐箱を持ち去って行った。アレは空箱なのに、何を期待しているのだろうか。
「コレはまた今度な。」
繊細に織られたベールをベッドの収納から取り出し眺める。我ながら渾身の出来だと思うソレは少女の黒髪にきっと映えることだろう。
「生きろ、咲耶。
そして命の灯火が消えた時、
オマエを腕に抱き空を仰ごう。
だから、コレはその日まで仕舞い込むよ。
オマエには笑顔が映えるから。」
あの日の誓約が果たされるまで、オレは喜んでオマエの願いを叶え続けよう。
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