第42話ギレスベルガー伯爵

 ギレスベルガー伯爵家は、ルドルス王国の南部一帯を領土とし、広大な領土は王国の穀倉地帯となっている。その領土の北にあるイルシュチナという町にギレスベルガー伯爵家は居城を構えていた。

 その居城の最上階の執務室で、ギレスベルガー伯爵家の当主であるカールは、机の上に重ねられた書類に目を通していた。

「お館様、よろしいでしょうか」

「ルトガーか、入れ」

 ルトガーは、ギレスベルガー伯爵家の騎士団長で軍の最高責任者である。

「王国軍に動きがあります。ゲオルク王子率いる軍勢が南下を始めました」

 ゲオルク王子は第二王子であったが、今は次期王の第一候補である。

「数は」

「今の所二万程ですが、諸侯の軍勢も順次加わるでしょうから、その倍にはなるでしょう」

 ギレスベルガー伯爵は顔を上げてため息を一つ吐く。

「帝国は春までは攻めてこないのを見込んで、こっちを先に片づけるつもりか」

 北のラジャルハン帝国は、積雪により行軍が困難となるため、過去において冬には戦争を起こしていない。

「要求は、ユリウス王子の身柄だと思いますが、どうしますか」

 第一王子であるユリウスの身柄要求は今度が三度目であるが、軍勢を率いてやってきたのは今回が初めてだ。

「アルベルヒを呼んで来い」

「今、不在ですが」

「であれば、戻り次第連れてこい。それから決める」

 アルベルヒは、ユリウス王子と共に王都を逃れてこの地にやってきた、ユリウス王子の側近である。白髪の混じった髪や髭は伸び放題になっており、曲がった背中に杖をもってヨタヨタと歩く小男だ。


 一週間ほどして、アルベルヒが帰ってきた。

 早速、ギレスベルガー伯爵とルトガー、アルベルヒの三人で話し合う。

「ルトガー、王国軍はどうなっている」

「軍勢は、五万から六万。あと一週間ほどで我が領内に差し掛かります」

「アルベルヒ、どうするのだ。魔人の指輪があれば王国軍は敵ではないと言ったな」

「ラットキンの町を焼いた報告を聞かれたでしょう」

 ギレスベルガー伯爵の問いかけにアルベルヒは、にやりと笑いながら答える。

「では、どうする。バルログを使うのか」

「本当は、帝国相手に使いたかったのですが、追い払うためには仕方ありませんね」

 異様な風体をしている小男の自信に満ちた目を見て、ギレスベルガー伯爵は一瞬言葉に詰まる。

「わ、分かった。ルトガーと準備を進めろ」


 それから数日後、王国軍から使者がやってきた。

「三日以内に、ユリウス王子を引き渡すこと。期限を過ぎても引き渡しがない場合は攻撃を開始する」

 使者はそれだけを伝えて帰って行った。

「アルベルヒどうするのだ。相手のスキをついてすぐにでも攻撃を仕掛けてみたらどうだ」

 すでに5万を超える王国軍はギレスベルガー伯爵領のすぐそばまで来ているが、全く動こうとしないアルベルヒにギレスベルガー伯爵はイライラしている。

「では、2千の兵を敵から10㎞ほどの場所に布陣させましょう」

「それで、いつ攻撃を開始するのだ」

「敵が領内に侵入してからです」

「本当に大丈夫だろうな」

「お任せください」

 アルベルヒは余裕たっぷりにそう言って出て行った。


 そして四日目の朝、王国軍は宣言通り領内に向け進軍を始めた。

 ギレスベルガー伯爵とルトガー、ユリウス王子とその妻のテレーザ、そしてアルベルヒは、布陣している自軍の近くにある小山から、王国軍の進軍を眺めている。

「わあ、凄い数だな。アルベルヒ奴らを倒せるのか」

「お任せください」

 ユリウス王子が少しずつ迫ってくる王国軍を見ながらアルベルヒに聞いている。傍にいる、ギレスベルガー伯爵とルトガーは落ち着かない様子で見ていた。

 敵が、500mほど迫ってきたとき、アルベルヒが手をあげて合図をした。自軍より100m程前にいる黒いローブを着た十人ほどの集団が、それを見てバルログを二体召喚する。

 現れるとすぐに、赤く燃え盛るバルログは敵陣に向けて走り出し、敵の直前で止まると赤黒い溶岩を投げ始めた。

 それを見て逃げ惑う前線の槍兵、吹き飛ばされる騎馬兵など敵軍は大混乱に陥った。一方本陣は魔法によるバリアでなんとか直撃を免れていたが、高熱の岩に焼かれて周囲は燃え上がっているため、後退を余儀なくされている。

 王国軍もバルログへ向かって攻撃を試みるが高温で近づくことが出来ない。唯一、魔術部隊の攻撃は有効で、アイスランスやウォーターなどの攻撃がバルログにダメージを与えているようで、水魔法により赤く燃えていたバルログの体が一部黒くなって動きが鈍くなり、十分ほどでバルログは消えた。

 それを見て、すぐに黒ローブたちが、新たにバルログを三体召喚した。

 三体に増えたバルログは王国軍の中を縦横に駆け回りながら、赤く燃えた溶岩を投げつけている。乱戦となって、王国軍は隊列をとることもできず兵は逃げ惑っている。たまらず、王国軍は撤退を始めた。

 それを見ていた、ギレスベルガー伯爵や自軍の兵たちは驚き、声を失った。

「こ、これ程とは、凄いなアルベルヒ」

 ユリウス王子が笑顔でアルベルヒに話しかけると、アルベルヒはにやりとしながら頷いた。

 そして、アルベルヒが再び合図をすると黒ローブの集団は、馬に乗って撤退する王国軍を追っていった。

「アルベルヒ何をするつもりだ」

 ギレスベルガー伯爵が聞く。

「敵は混乱して一時撤退しましたが、損害はせいぜい千程でしょう。再び体制を整えて向かって来るでしょうから、その隙を与えずに追い打ちをかけます。兵が散り散りになるまで、恐怖が骨の髄までしみこむまで徹底的に叩き潰します」

(恐ろしい男だ)

 ギレスベルガー伯爵は奇異な見た目の小男に戦慄を覚えた。

 一方、王国の大軍を目の当たりにして悲観的になっていた伯爵家の兵たちは、逃げ惑う王国軍を見て歓喜しお祭り騒ぎとなっている。

「何だか分からんが凄いな」、「どうやらユリウス王子の兵らしいぞ」、「王国軍など恐れるに足らんな、ハハハハ」

「アルベルヒ殿、このまま一気に王国軍を滅ぼしますか」

 ルトガーも強気な発言をする。

「フフフ、いずれその時が来るでしょう。ですが今は、王国軍には帝国との盾になってもらわなければなりませんから」

 アルベルヒはそう言って笑った。


 一週間ほどかけて、命からがらゲオルク王子が王都ヴェシュタンに帰ってきたが、一緒に戻ったのはわずか数十の騎馬のみであった。死亡した兵士は4千程であったが、兵たちは散り散りになって逃げ惑い、5万の遠征軍はあっという間に崩壊していた。

「父上、申し訳ありません」

「たったこれだけか」

 僅かな手勢で戻ってきたゲオルク王子を見てルドルス王は驚く。

「バルログにやられました」

「やはり、指輪か・・・」

 焼け焦げ、ボロボロになっている王子や兵たちの姿を見て王もショックを受けている。

 バルログによって散り散りになった兵士たちの恐怖は、あっという間に王国中に伝わって行った。


 リベルはアルテオ城に来ていた。

「こんなに派手に指輪を使うとは思いませんでした」

「そうだな、所在は分かったが、バルログだけで王国軍5万を壊滅させたとすると、相当厄介だな」

「しかし、帝国軍が持ってなくてよかったですね」

 リベルの問いかけにアルテオはこの先の展開を考えていた。

 その時、リベルの腕輪の3が光る。

「誰だ」

「ア、アカテさんですね」

 リベルは、少し躊躇して答える。

「あの時のラットキンの忍者か」

「覚えてますか」

「怪しかったからな」

「じゃあ、ちょっと行ってきます」

「おい、俺も連れてけ」

「え」

 リベルは、アカテの隠れ家に案内していいものか迷って躊躇する。

「その場所を知られても、お前しか行けないんだろ」

「ん、そう言われれば確かに。じゃあ一緒に行きますか」

 リベルは、アルテオと共にナカチの家に移動する。

「うわ、天井低いな」

 アルテオの頭が天井にぶつかる寸前であった。

「ああ、良かった。ラットキンは背が低いですからね」

 部屋には誰もいなかったので、リベルは、ふすまを開けて階段の上から階下に声をかける。

「チヨさん、リベルです」

「あー、ハイハイ」

 チヨは、そう言いながら階段の下から顔を出す。

「あの、二人なんですが」

「そうですか、分かりました」

 そう言って、チヨは引っ込む。

 リベルが振り返ると、アルテオは膝に手を置いて前かがみになりながら、興味深そうに窓から外を見ていた。窮屈そうなアルテオを見てリベルが声をかける。

「アルテオさん、座ったらどうです」

「ここには椅子は無いんだな」

 アルテオはそう言って窓の傍に腰を下ろして外を眺める。

「全然違うでしょ」

「ああ、建物、服装、髪型、全然違うな。興味深い」

 とんとんと階段を上る足音がして、チヨが酒と料理を持ってきた。

「あ、すいませんチヨさん。こちらアルテオさんです」

「チヨです」

「アルテオだ」

「まあ、リベルさんのお連れだから子供かと思ったら、私好みのいい男を連れてくるなんて」

 そう言ってチヨはアルテオに笑いかける。

(ちぇ、子供だって)

「チヨさん、アカテさんの妻って言ってましたよね。ほかの男にそんなこと言ってていいんですか」

「そんなこと言ったかしら、記憶にないけど」

 チヨはそう言いながら、アルテオに酒を注ぐ。

 アルテオは、それをグイっと飲み干す。

「ん、甘いな。そしてぬるい」

「あら、お酒はお好みじゃ無いですか」

「貸してみろ」

 アルテオはチヨから酒の入った徳利を受け取ると、手をかざしてから酒を注いで飲む。

「うん、こっちの方がいい。飲んでみろ」

 チヨは注がれた酒を口に含む。

「あ、冷たい」

 リベルも飲んでみる。

「あ、確かに、今の季節だとこっちの方がいいですね」

 季節は秋になろうとしていたが日中はまだまだ暑い。

「あれ、お箸は無理ですか」

 箸を使うリベルを見ながら戸惑うアルテオを見て、チヨはアルテオの傍に行くと手を取って箸の持ち方を教えている。

「お前手が冷たいな」

「でも体は暖かいんですよ」

 そう言ってチヨはアルテオに密着する。

(あーあ、アルテオさん嬉しそうにして。しかし、チヨさんて何者なんだろ)

 リベルがそんなことを考えていると。

「何か楽しそうだな」

 そう言いながら、ふすまを開けてアカテが入ってくる。

「げ、アルテオ閣下」

 アカテが驚いてリベルの方を見る。

「アカテさんすいません。オルト共和国とエラル王国が共同して魔人の指輪を探すことになりましたので」

「え、そうなのか。でもいきなりは驚くぞ」

「アカテさんだって、いきなり部屋に入ってくるじゃないですか」

「ん、確かに」

 そう言われてアカテも納得してしまう。


 アカテがチヨを下がらせると、リベルが聞く。

「それで、何の用です?」

「ワーウルフとリザードマンの件で新しい情報だ」

「リザードマンがデーモンを召喚したという話だな」

 アルテオが聞くと、アカテが頷く。

「バルログと同じで、スクロールで召喚したらしいが、それを手渡した男は、『琥珀の塔』だったらしい」

「琥珀の塔か」

 アカテの話を聞いて、アルテオは考え込む。

「琥珀の塔って何ですか」

「簡単に言うと、悪魔崇拝をする者たちだな。元々逃げ出した奴隷たちが集まって始めたらしいが、地獄より悪魔を呼び出して復讐したり、悪事を働いているらしい」

「さっきの、デーモンのようなものを呼び出すんですか」

「いや、そんな本物の悪魔は呼び出せない。生前悪行を重ねて地獄に落ちた悪霊を呼び出して、復讐したい奴なんかに憑依させて、悪事を行わせるわけだな」

「その、琥珀の塔の連中にユリウス王子がスクロールを渡したのでしょうか」

「そうかもしれんが・・・。気になるのは、スクロールを作るのに生贄が必要という事だ。先日のバルログも十体以上も使われたと聞く。それだけ揃えるには組織的に動かんと難しいだろう」

「では、スクロールの作成に琥珀の塔が関わっていると思われますか」

 アルテオは頷くと腕を組んで考えていたが、しばらくして顔を上げるとリベルの方を見る。

「奴らは、教会と敵対しているから教会を当たってみるか」

「教会ですか・・・」

 リベルは、ロクサーナの件で教会と敵対していたため返答に躊躇していたが、エンプレオスの話を思い出す。

「そう言えば、魔人の指輪はエラル王国の司教が調べてきたと、エンプレオスさんが言ってましたね」

「ああ、そう言えばそんな話があったかな?」

 アルテオは天井の方を見ながら、以前聞いた話を思い出そうとしている。

「もう教会は動いているんじゃないですか」

「そうかもしれん。司教に話を聞いてみるか」

「よろしくお願いします」

「ん、お前も同席したほうがいいだろ」

「いや、教会はちょっとまずいですね、ロクサーナさんの件があるので」

「そう言えばそんなこと言ってたな。だが、今はオルト共和国の代表だろ、いつまでも敵対するわけにもいかんぞ」

「うーん、そうですね・・・」

 煮え切らない態度のリベルを見て、

「分かった、教会の件はこっちで進めてみる」

「お手数をおかけします」

 リベルはほっとして礼を言う。

「それで、そっちはどうする」

 アルテオはアカテの方を見て聞く。

「そうですね、話が大きくなってきたんでもうそろそろ手を引こうかと。でも、情報は欲しいですね」

「ただで情報を得ようとは図々しいな。お前たちにしかできないこともあるだろうから、時々手伝ってもらえると助かる」

「いいでしょう」

 リベルはアルテオを連れてアルテオ城へ帰って行った。

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