第三章 憧憬の果てに④


 大病院から都市の街中を駆ける。

 メレハルトを出て、見渡す限り広がる大草原を駆ける。

 学外演習の舞台となった森林地帯を駆ける。


 雨が降り始めた。

 ざあざあと音を立てるそれは、徐々に勢いを増していく。

 僕は雨が降る荒野を駆け続ける。

《肉体活性》の強化度合いを引き上げ、撃ち出された弾丸のように突き進んでいく。

 ヴァルトに追い付くなら、この荒野が最も見つけやすい。

 ただ、見つけやすいのは僕だけじゃない。

 高速で突き進む僕に気づいて、何体もの怪物が出現する。

 僕は魔法で吹き飛ばそうとして、やめる。深呼吸しながら剣を握った。

 いまだに慣れない感覚で、トラウマの恐怖が頭から離れない。

 それでも体はきちんと動いた。

 僕の意志に従い、鞘から剣が引き抜かれていく。


「どけよ……!!」


 目の前に現れる怪物たちを認識した瞬間にはもう剣を振り抜いていた。

 雨と鮮血が飛び交う夜闇の中で、《感覚研磨》された視覚が敵の動きを捉えている。

 体が覚えている。

 剣を振る感覚を。八年もの間、剣を握らなかったのに。

 どこに剣を振ればいいのか手に取るように分かる。

 だって、いつも剣さえ使えればと諦めきれずに考えていたから。

 僕の弱さも、たまには無駄じゃないことがあるらしい。

 自嘲気味に笑みを零しながら、道を塞ぐ怪物を斬って、斬って、斬って、斬って。


 その果てに。

 僕を見据える銀髪の男と、彼の近くでうずくまる青髪の少女を見つけた。


「……ごめん、ルナ。待たせた」


 人気もなく、草木も生えていない荒野で。

 ざあざあと降りしきる雨が、体にこびりついた血を洗い流していく。


「ブラム……」


 ルナは怪我をしていた。

 腹部を抑えながら、何とか立ち上がろうとしている。


「……ルナに何をした?」

「言うことを聞かねえからな。ちょっとばかし立場を分からせてやったんだ」

「お前……!」


 殺気を込めて睨みつけるが、ヴァルトは動じない。

 ……僕が、こいつに負けたせいだ。そのせいでルナは傷ついてしまった。

 だからこそルナの目を見据えて告げる。強い意志を込めて。


「今度こそ、助けてみせる」

「そんなふざけた真似を、俺が許すと思うのか?」


 ヴァルトが剣を引き抜く。

 一歩前に出て、僕とルナの間に立ちはだかる。

 守るように。


 ――その仕草が、ひどく気に食わなかった。


 ああ、分かっている。

 これはただの醜い嫉妬だ。

 当時の状況はもう思い出せないけど、ここ三日で反復した知識としては覚えている。

 僕が剣を握れなくなったのは、ルナを殺してしまったからだ。

 そんな僕の前で、剣を握ってルナを守ろうとするヴァルトの姿勢が、この世界の何よりも気に入らなかった。


「……ムカつくんだよ、テメェみてえな奴が一番気に食わねぇ」


 そんな僕の胸中を代弁する台詞は、しかし僕のものじゃなかった。


「……何だと?」


 ヴァルトの台詞に驚いて片眉を上げる。

 奴はこれまで以上に憎しみのこもった目で、僕を睨みつけていた。

 とはいえ、奴が何を思っていようと僕の知ったことじゃない。


「一応聞いておくぞ。怪我をする前にルナを返す気はないんだな?」

「馬鹿が。もうテメェが負けたことを忘れちまったのか?」


 ちらりと、ヴァルトの目が僕の剣に向く。


「剣を握れるようになったらしいが、その程度で力の差が埋まるとでも思ったのか?」


 人類を救う戦いにおいて、僕はまず奇襲でヴァルトから剣を奪った。

 全力を出させないことに全力を尽くしたし、対する僕も剣を握れなかった。

 だから、お互いに本気を出せる状況で戦うのはこれが初めてだ。


「――ああ。行くぞ、怪物。今から本当の剣術ってやつを教えてやる」

「――いいだろう。やってみろよ、人間」








 剣と剣が衝突する。

 金属音が連続し、眼前でいくつもの火花が散った。

 目にも留まらぬ剣閃はしかし流麗な体重移動によって振るわれるものであり、僕はヴァルトの細かな動作から次の攻撃を予測し、あらかじめ回避しつつ剣を振るっていく。


「テメェ……!」


 そんな真似ができるのはヴァルトの剣が確かな「理」を持って振るわれているからだ。


 怪人の身体能力に頼っているわけじゃない。鍛錬と経験に裏打ちされた正当な剣術。だからこそ次の手が分かる。剣がぶつかる。予測して対応する。さらに加速していく。

 ひときわ大きい金属音が響き、鍔迫り合いに移行した。

 至近距離。剣を挟んで睨み合う。黄金の瞳が真っ直ぐに僕を見ていた。


「それだけの腕があって、なぜ剣を握れなかった?」

「お前……っ!」


 元凶そのものに問いかけられ、思わず怒りが噴き上がる。


「剣を交わせば分かる。テメェのそれは修練の果てに生み出された剣だ。誰かを守るために積み重ねてきた剣だったはずだ。なんで、あの時テメェはその剣を使えなかった?」

「何が言いたい……っ!?」

「遅いんじゃねえかって言ってんだ。……何のための剣なんだよ。もし俺がこの女の命にこだわってなけりゃ、テメェが守りたかった奴はとっくに死んでる。分かってんのか?」


 ぎりぎりと、怪人の膂力が徐々に僕を押しのけ始める。


「テメェに何があったのかは知らねえし、興味もねえ。ただ――」


 これでも《肉体活性》は限界まで使っている。

 戦いの後に体がどうなるかなど一切考慮せず、膂力のみにこだわっている。

 それでもやはり、怪人に力では勝てない……!


「テメェの大事な女を守るために剣すら握れなかった愚図に、負けるつもりはねえんだよ」


 ヴァルトの剣が力ずくで振り抜かれる。

 地面を削るように吹き飛ばされ、僕はごろごろと回転しながら体勢を立て直した。


「……お前の言う通りだよ」


 この程度、大したダメージじゃない。


「ああ、そうだ。僕は愚図だ。これ以上はない駄目人間だ。失ったものばかり気にして、剣すらまともに握れなかった愚か者だ。本当に、生きている価値がない」


 僕は剣を正眼に構え、ヴァルトに言葉を返す。


「――だからこそ、もう間違えたままじゃいられないんだ」

「気に入らねえ目だ……」

「お前の過去まで僕に押し付けるのはやめろよ、ヴァルト」

「……何だと?」

「剣を交わせば分かる。お前の剣も、誰かを守るための剣だ。怪物とは思えない。悲しくなるほどに人間らしい剣だ。……なぁ、守るために握ったんだろ? その剣を」

「テメェに俺の何が分かる?」

「……分かるさ。お前が気に食わない理由が分かったよ。僕とお前は似てるんだ」


 剣には人の想いが乗る。

 だから僕には、剣を通じてヴァルトの過去が少しだけ分かった。

 ヴァルトも同じだろう。だから否定もせず、憎々しげな表情で僕を睨んでいる。


「……だったら現実を教えてやるよ。どうせテメェは俺には届かねえ。半端な力じゃ意味がねえんだよ。俺を越える力がなけりゃ、また失うことになる」


 ――返答の前に、僕は踏み込んでいく。

 懐に潜り込もうとする僕に袈裟斬りが放たれた。受け流すように応じて、さらに一歩前に出ながらその勢いを使って上段から振り下ろす。

 ヴァルトは後退してかわした。


「届くさ。必ず助ける。僕とお前は似ているけど違う。一度失って、傷ついて、今度こそ誰かを守りたくて剣を鍛えて――結局、諦めた奴なんかに負けない」


 ヴァルトの表情が歪む。


「テメェ……よほど死にたいらしいな」


 低い一言には、刃のように鋭い殺気が滲んでいた。


 ――奴が膝を曲げた瞬間、ありったけの魔弾を叩き込んだ。


 僕が使うのは剣だけじゃない。魔法もあると忘れてもらっては困る。

 しかしヴァルトは傷つきながらも、一気呵成に僕の懐まで踏み込んでくる。

 速すぎる。

 咄嗟に剣で応じたが、そのまま腕ごと弾き飛ばされ、あまりの膂力に体勢を崩した。そのせいでヴァルトも読みを外したのか、二撃目の剣閃がたまたま逸れていく。

 くるりと回転して今度は上段に構えるヴァルト。

 その間、僕は地面を転がる。根本的な速度の違いはあまりにも厄介だ。

 だから、そこを魔法でカバーする。

《魔力障壁》がヴァルトの剣をがっちりと抑え込んだ。


「なっ……」


 ヴァルトが絶句する。この程度、簡単に砕けると思ったのだろう。

 だが、さっき代償に捧げたルナの記憶が引き続き僕の魔法を強化している。どうやら体を全回復させただけでは、まだまだ余剰があるらしい。威力や精度がいつもと数段違う。

 動揺したヴァルトに横一閃。

 振り下ろしの体勢で止まっているヴァルトは腕を使って防御した。

 いくら怪人の体でも、僕の剣は防げない。

 腕の肉に剣が突き刺さり、血飛沫が舞い上がった。

 だがヴァルトの黄金の瞳は、烈火の如き眼光で僕を捉え続ける。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!」


 裂帛の気合と共に込められた圧倒的な膂力が《魔力障壁》を砕き、そのままの勢いで僕の肩口を切り裂こうとしてくる。その一撃に下段からの斬り上げで応じる。僕はヴァルトの剣を跳ね上げたようとしたのに、むしろ僕が抑え込まれる。地面に亀裂が走った。


「ぐうっ……!」


 歯を食いしばりながら耐える。

 限界を超えた《肉体活性》の影響でぱきぱきと体が不快な音を鳴らした。

 だが、ここで手を抜けばそのまま体を真っ二つにされる。ただただ、耐え続ける。

 永遠にも思える一秒を耐え抜くと、僕は周囲に百発の魔弾を展開した。

 だが、このままじゃヴァルトが近すぎて僕を巻き込む。

 怪人と人間の耐久力の差を考えれば、ここで撃ち放っても僕が死ぬだけだ。

 だから撃たない。

 一瞬だけでもヴァルトの意識を逸らせれば十分だった。

 あえて力を抜く。

 ふっ、と体をずらしながらヴァルトの剣を受け流していく。

 体の動きを少しでも間違えれば、剣が弾き飛ばされて僕は死ぬ。

 だから繊細に、丁寧に。

 僕はヴァルトの力に逆らわず、そのまま後退する。

 対するヴァルトは体勢を崩した。その隙を見逃さず、再び踏み込んで剣を振る。

 ヴァルトは膝をつきながらも剣で対応。しかし、いくら力で劣っている僕でも全身の体重を乗せた一撃なら、足腰に力が入らない体勢のヴァルトには負けない。

 鍔迫り合いになるまでもなく、思い切り吹き飛ばした。

 そこに先ほど展開した魔弾の雨を叩き込む。重い代償で強化された魔弾は僕自身も見たことのないほどの爆発を引き起こし、荒野の地形ごと粉砕した。


「ハァ、ハァ……」


 体が重い。全身が痛い。

 限界を超えた強化度合いで使う《肉体活性》は、僕自身の体を崩壊させていく。


 ……後、何分持つだろうか。


 叶うことなら今の一撃で倒れてほしいところだが、


「……そう甘くはないよな」


 砂煙が消え、地形が変わった先で、世界最強の怪人ヴァルトはまだ立っていた。

 傷だらけの体。ぼろきれのようになった服。どろどろと額から血を流し、それを鬱陶しそうに拭いながら、いまだ戦意を失わない黄金の瞳が僕を見据えている。


「――殺す」


 ヴァルトは一息で僕に肉薄し、剣を突き出す。僕は首を振って回避する。

 ……結局、ヴァルトのやることはそれだけだ。

 近づいて、剣で殺す。それ以外のことはしない――できない。

 奴の憑依能力は厄介だが、戦いそのものには何の役にも立たない。

 能力に頼る他の怪人とは違う。それでも剣だけで最強に至ったのがヴァルトだ。


「お――おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」


 がむしゃらな咆哮を上げたヴァルトの近接戦に応じる。

 剣を弾く。振り抜く。合わせる。受け流す。かわして、斬る。斬る。斬る。

全力で応じているのに、僕の体から次々に血飛沫が上がり、どんどん傷が増えていく。


「ヴァルト……!!」

「ブラムゥゥゥ……!!」


 辛うじて致命傷は回避しているが、このままだと負けるのは時間の問題だ。

 悔しいけど、認めよう。

 剣だけならヴァルトの方が上だと。

 でも僕には魔法がある。

 剣で劣っている部分をすべて魔法で援護し、威力で押し切っていく。


「この、俺が……人間ごときに……っ!?」


かつては天才と呼ばれ、ただひたすらに鍛錬を積み重ねた剣技。

そして魔女と契約し、八年かけて磨き上げた魔法。


あの日までは剣だけだった。

あの日からは魔法だけだった。


でも違う。僕が目指していた本来の戦い方はこれだ。

二つの技術を組み合わせ、魔法で補助しながら剣を主体に戦っていく。


最も強いと評された魔法騎士の王道――《魔法剣術》。


「――僕は、お前を超えていくんだ……!!」


 互いに踏み込み合い、だけど僕は怯まない。

 魔法でヴァルトの剣を妨害し、奴よりも速く剣を振り抜いていく。


 夜闇に銀閃が迸った。

 互いに剣を振り抜いた体勢で背中を見せあい、でも僕は振り返らなかった。

 その理由は、この手に確かな手応えがあったから。

 どさっ、と倒れこむ音が聞こえて、ゆっくりと振り返る。

 うつぶせに倒れたヴァルトの体は、斬撃の形で大きく傷が開いていた。

 いくら怪人とはいえ、流石に致命傷だろう。


 しかし。


 嫌な予感がした。



「俺に、こいつを使わせるのか……ブラム=ルークウッド」


 ヴァルトは倒れてなお、僕を睨みつけていた。

 その瞳から戦意は消えていない。


「何をする気だ?」


「――見てろ。そして光栄に思え。こいつを使うのは、お前が初めてだ」


 何をするつもりだ……?

 分からない。これ以上の手札があるとは思えない。

 とにかく今のうちにとどめを刺す。

 そう考え、僕はヴァルトに近づく。


「――〝怪物帰化(モンスターバック)〟」


 だが間に合わなかった。

 ヴァルトの口元が動き、直後に凄まじい魔力が世界を席巻した。


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