第二章 たとえ君を忘れたとしても②


 それからしばらく馬車で進んでいくと、太陽が真上に昇ったあたりでようやく目的地に辿り着いた。さっきウルフェンが出てきたような浅い林とは違う。深い森が広がっている。

 鬱蒼と生い茂る木々の間は薄暗く、どこか不気味な雰囲気が漂っていた。

 僕らは森の手前で馬車を止め、教師の指示に従って野営の準備をする。

 それが終わり次第、班ごとに森に入って怪物狩りを行う予定だ。


「ブラム、意外と慣れてるな?」


 テントの設営をしていたら、レオが目敏く僕の手際に目をつけた。


「そうかな?」


 適当に言ったが、そりゃ上手いだろうな。僕は毎日が野営のようなものだったから。

 そのおかげか、僕らの班は他と比べてかなり早くテントの設営が完了した。


「どうするよ、一足先に怪物狩りに向かうか?」

「いや、それは……」


 レオの意見に反対しようとした、ちょうどその時だった。


「……な、何だこいつらは!?」


 悲鳴が上がる。音源は森の中だった。にわかに周囲がざわつき始める。

 ――おそらく僕らよりも早くテントの設営を終えた数少ない班が、すでに森に侵入していたんだろう。そのせいでヴァルトが直々に飼っている凶悪な怪物に出くわしたのだ。


 ……さて、どうするか。


 ヴァルト手勢の怪物の格は中位以上で、学生が相手になるレベルじゃない。

 助けたいのは山々だが、ルナから目を離したくはない。


「……ブラム、レオ。ちょっと見に行ってみよう」


 僕が悩んでいると、ルナがそう言った。


「一応、他の班の戦闘への介入は推奨されてないよ」

「分かってる。でも、今の悲鳴は気になるから」

「いつもの困っている人を助けずにはいられない症候群か」

「べ、別に悪いことじゃないでしょ」


 まあルナが一緒に来てくれるのなら僕としても問題はないな。


「急ごう!」


 先走るルナの背中をついていく。

 悲鳴の発生源を目指して、森の奥へと進む。さて、何が出てくるかな。


「うん? あれは……」


 戦闘をしていたらしい生徒たちがこっちに向かってきている。


「――に、逃げろ! お前らもこっちには来るな!」


 切迫した声音だった。

 僕らとすれ違うように、彼らは一目散に逃げ去っていく。

 何かを尋ねる暇もなかった。

 足を止めた僕らの目の前に、重厚な足音を響かせて一体の怪物が現れる。


「なっ……」


 その姿は、本来ならこんなところにいるはずのない異形の化け物。

 僕の十数倍もある巨体。堅牢そうな緑の鱗。爬虫類のような外見に、しかし二対の凶悪そうな翼を携えている。顎からは尖った牙が覗き、短い両手には五つの鋭い爪。


 その姿は、御伽噺で語られた伝説の怪物――ドラゴン。


「そ、んな……なんで、こんなところに」


 流石のルナも掠れた声で言う。


「……信じられねえ。竜種は、上位怪物の頂点だぞ。王国領への侵入が確認されたら、すぐさま魔法騎士が徒党を組んで討伐に向かうくらいの脅威だ」


 レオも冷や汗を流していた。

 二人とも胆力には自信があるはずなのに、二の句が継げなくなっている。

 当たり前だが、学生がどうにかできるレベルの敵じゃない。

 紛れもない命の危機だ。

 ――僕がいなければ、の話だが。


「どうする、親友?」

「最初にこいつを見かけた班は逃げ切ったみたいだし、無理に戦う理由はない」

「さっさと逃げて、教師連中に伝えるしかないか……」


 ドラゴンは僕が戦っても面倒臭い相手ではある。

 おそらくこのドラゴンは、ヴァルトの手勢の親玉のような存在のはずだ。

 ヴァルトはまずドラゴンを発見させることで、教師陣を引っ張り出すつもりなのだ。

 ここの狙いはたぶん歴史通りだと思う。

 ……僕がドラゴンと戦ってルナから目を離すのは下策だ。

 僕としても、ルナに憑依するヴァルトを表に引っ張りだす必要がある。

 一度ヴァルトを倒したことがある僕は、もちろん憑依能力への対抗策がある。


 ――悪魔祓いの魔法祓魔式


 ただ、潜伏状態では効果が薄いのでヴァルトを表に引っ張り出さなきゃいけない。

 そうなると、結局はヴァルトの思惑通りに動いた方がいいんだよな。


「――逃げよう」


 指示を出すと、ルナとレオは一気に駆け出した。

 僕と違って二人は学生だ。いくら優秀でも、ドラゴンの威圧感には耐えかねるだろう。

 それまで様子を見ていたドラゴンは、威嚇するような咆哮を上げた。


「うわぁっ……!?」


 ルナがその咆哮で体勢を崩す。僕は転びかけたルナを抱えて再び走り出す。

 さっきまでルナが走っていた場所に、灼熱の炎が燃え盛った。


「ドラゴンの、炎の息吹……!?」


 ルナが悲鳴を上げる。

 ごう、という凄まじい熱量が、直撃したわけでもないのに体の水分を奪っていく。

 どんな防御魔法を使おうと、あの熱の中で人間は生きられない。


「ええい、試してみるか……! 我が魔力よ、凍てつき敵を貫く槍となれ!」


 氷属性が付与された攻撃魔法氷槍だ。

 レオが独自詠唱で構築した氷の槍は、ドラゴンの体に向けて放たれる。

 独自詠唱とは本来の詠唱を無視して、使いやすいように改良したものを指す。

 レオにとっては本来の詠唱よりも、今の詠唱の方が自己暗示をしやすいということ。

 結局のところ、魔法を使えるほど深い自己暗示ができるなら手段は何でもいい。

 レオの《氷槍》の魔法構築は完璧に近く、おそらく想定以上の威力を叩き出した。

 それでもドラゴンの堅牢な竜鱗には、まったく傷をつけられていない。

 いくらレオが学生離れしていると言っても、まだまだ魔法騎士には及ばない。

 まだレオに上位怪物の相手は荷が重い。特に竜種なんてその中でも頂点の存在だ。


「レオ、退くぞ!」

「分かってる! こいつは牽制のつもりだ!」


 だが、むしろその攻撃魔法でドラゴンを怒らせてしまったらしい。

 これまで以上の速度で僕らを追いかけてくる。

 巨体をものともしない速さだが、《肉体活性》をした僕らだって負けてはいない。

 ただ、このまま森を抜けたとして、そこには大勢の生徒が待っている。

 そうなれば被害の拡大は避けられない――そう考えた瞬間。


「なぜこんなところにドラゴンが出てきている! 騎士団は何をやっているんだ……!?」


 怒りの混じった女性の声が届く。

 彗星の如く現れたヒルダ先生は、そのままドラゴンの額に剣の一撃を叩き込んだ。

 金属同士がぶつかり合ったような音が響く。あの堅い鱗を斬るのは容易じゃないが、ヒルダ先生の一撃は確かにドラゴンを大きくのけぞらせ、たたらを踏ませた。


「無事か?」

「ヒルダ先生……!」


 期待通りのタイミングでヒルダ先生が来てくれた。

 いや、ヒルダ先生だけじゃない。四クラスの担任教師が揃い踏みだ。


「後ろにいるのはガキどもだ。これ以上ラインは下げらねえ、とっとと始末するぞ」

「始末って……相手はドラゴンだぞ? 騎士団が来るまで時間稼ぎをした方が安全だろう」

「あなた、魔法騎士を引退して臆病になったわね。たかが一体よ?」


 気楽そうに言い合いながら剣を抜く後ろ姿は、とても心強い。

 相手はドラゴン。たとえ魔法騎士でも油断すれば命を取られる上位怪物の頂点だが、先生たちの顔に恐怖の色は見えない。それだけの自信があるのだろう。

 しかし、その自信を根底から覆すかのように、複数の足音が森の奥から近づいてくる。


「……なん、だと?」


 姿を見せたのは、さらに三体の怪物。


 一体目は、化け物の中でもさらなる異形。目にするだけでも悍ましい三つ首の巨大な犬。冥界の番犬ケルベロスという伝説にも語られる上位怪物だ。


 二体目は巨大な蛇。その頭には王冠にも似たトサカ。目が合った者を石化させるというその赤い瞳が妖しく光るのは、蛇の王といわれし凶悪な上位怪物バジリスク。


 三体目は獅子を思わせる胴体に、鷲のような頭と翼。天と地の王、両方の特徴を併せ持つ雄々しき上位怪物グリフォンだろう。


「……ありえない」


 さしものヒルダ先生も呆然とした様子で呟いた。

 こんな王国の奥深くに、上位怪物が四体も棲んでいるわけがない。

 あの魔法騎士団がそこまで怠慢なはずもない。だが、現実がここにある。


「……誰かに、仕組まれたのか? いや、怪物にそんな知性はないはずだ。なら、どういうことだ? 人間が、騎士学園の生徒を罠に嵌める理由があるのか……?」


 怪人の存在を知らない以上、ヒルダ先生の疑問は当然だ。


「悠長に推理している暇はないぞ、ヒルダ。まずは目の前の状況を切り抜けないと」


 先生たちの雰囲気が変わる。一気に緊張感が増していく。


「お前たちはさっさと逃げるんだ! 他の生徒にもすぐに避難するよう伝えろ!」


 先生たちは僕ら三人を守るべき生徒として、背を向けて庇う。



 その瞬間。

ルナの雰囲気が、変わった。



「――クク」


 思わず漏れたような笑い声。

 いつものルナならありえないそれに、しかし誰も気づかない。

 それどころじゃないからだ。でも、僕だけはその変化を見逃さなかった。

 先生の指示に従い逃げようとしていたレオとすれ違うように、ルナ――いや、ルナの体に取り憑いている怪人ヴァルトは先生たちに向かって走っていく。


「ルナ……!?」


 驚いたようなレオの声。

 ヴァルトはそれを無視してさらに加速。腰の剣を抜きながら疾風の如く突き進んだヴァルトは、手始めとばかりにヒルダ先生の背に向かって剣を突き出した。

 その間、僅か一秒。

 あまりにも速く虚を突いた奇襲。

 未来を知っている僕じゃなければ、絶対に反応できないであろう完璧な一手。

 だけど。


「《呪詛魔法/三式》起動――《魔力障壁》」


 ガギィ!! と凄まじい音を立てて、僕の防御魔法がヴァルトの突きを食い止めた。


「なっ……!?」

「ルナ!?」


 ヒルダ先生とレオが、同時に驚愕の表情を見せる。

 ヴァルトが僕に振り向く。

 苛立ちの混じった鋭い眼光は、明らかにルナのものじゃない。


「テメェ……」


 ゆらり、とヴァルトは僕に向かって剣を構える。


「い、今の攻撃は何のつもりだ、ルナ!? こんな状況でふざけている場合では――」

「先生は怪物の相手に集中してください! こいつは本物のルナじゃない!」

「何を言っている……!?」


 ヒルダ先生は動揺しつつも、ドラゴンの攻撃を慌ててかわしていく。

それどころじゃないと気づいたんだろう。ヒルダ先生はこっちを見ずに言った。


「事情はよく分からないが、そちらはいったん任せるぞ! 申し訳ないが、私たちもお前たちに構っている余裕はない! いいか、可能ならさっさと逃げるんだ!」


 心配してくれるのはありがたいが、それが不可能なのは火を見るよりも明らかだった。

 なぜなら、もう隠す意味はないとばかりに、ヴァルトが尋常じゃない殺気を振りまいているからだ。その対象はもちろん奇襲を邪魔した僕に決まっている。


「……なぜ分かった?」


 ヴァルトは剣を肩掛けにしながら尋ねてくる。

 その間も周囲では、先生たちが四体の怪物と熾烈な戦闘を繰り広げている。


「答える義理があるのか?」

「ハッ」


 僕の返答を聞き、ヴァルトは上等だとばかりに口元の笑みを深く刻んだ。


「ふざけやがってクソ野郎。俺の計画の邪魔をした罪は重いぜ。魔法騎士が束になってるならともかく、たかだか学生ごときがこの俺に敵うとでも思ってんのか?」

「そんなのやってみなきゃ分からないだろう?」

「良い度胸だ。存分に後悔させてやる」


 ヴァルトは確信しているように言い切った後、改めて周囲を見渡す。


「……ったく、面倒くせえ」


 そして魔力のこもった口笛を吹いた。その口笛に呼応するように、森から数十体もの怪物の咆哮が地響きのように唸りを上げる。怪物の指揮は、怪人の持つ能力の一つだ。


「教師への奇襲に失敗したから、手勢の怪物で場を混乱させる気か?」

「どこまで分かってやがるんだテメェ。不気味な野郎だ。ここで殺しておくに限る」

「……レオ」

「……まさか本当にこうなるとはな」


 あの夜、協力者となったレオにはここまでの展開を話してある。

 レオには生徒たちの避難誘導を頼んでいた。

 先生たちの手が回らない以上、生徒たちに指示を出してくれる存在が欲しかった。

 あの場所でおろおろされていても困るからな。

 学年首席のレオの指示なら、みんな従ってくれるはずだ。


「レオ、話した通りに頼む」

「――ああ、確かに任されたぜ親友。だから……ルナを頼んだ」


 流石のレオも動揺しているけど、冷静さは失ってないな。

 僕が頷いてみせると、レオは背を向けて野営地へと戻っていく。

 もう怪物たちに襲われているのか、生徒たちの悲鳴が聞こえてくる。

 ただ、あっちはもうレオに任せた。

 今、僕がやるべきことはヴァルトからルナを助けることだ。


「まあ多少、予定が狂っただけだ。さっさとテメェを殺せば何の問題もねえ」


 ――そんな風に威圧するヴァルトの姿が、かつての光景と重なった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る