第二章 たとえ君を忘れたとしても①


 ふと目を覚ますと、小気味よく包丁を使う音が聞こえてきた。

 むくりと体を起こすと、エプロン姿の少女がくるりとこちらを振り向く。


「ルナ……?」

「おはよう、ブラム。今日は学外演習だね。お弁当作ってるから、ちょっと待っててね」


 ルナは寝起きの僕を見て頬を緩ませる。

 その表情や口調に、ヴァルトの影は見えない。今は潜伏しているんだろう。

 ……まあヴァルトが主体の状態で部屋に侵入されたら、その威圧感を察知して起きているはずだ。

 ヴァルトは僕が気づいていることを知らない。

 だから、まだ僕を狙う理由を持ってない。そう理屈では分かっていても怖いな。


「お弁当? 僕の部屋で作ってるの?」

「どうせあなたを起こさないといけないからね」


 昨日の深夜のことなんて、まるでなかったかのようにルナは料理を続ける。


「何か手伝おうか?」

「ブラムがそんなこと言うなんて、珍しいね」

「いやだって、僕の分も作ってくれてるんだし……」

「大丈夫だよ。だいたい終わってるし、そこで待ってて……ふぁ」


 ルナが料理の手を止め、大きくあくびをした。


「……何だか、眠そうだね?」

「そうなんだよね。学外実習に備えて、早めに寝たつもりだったんだけど」


 ルナは目元をこすりながら、ちょっと不思議そうにしている。

 ――ヴァルトの憑依能力に記憶を操作するような力はない。あくまで体に取り憑き、その主導権を奪うだけだ。だからルナが昨夜のことを覚えてない理由は睡眠中だったからだろう。身に覚えのない眠気も、それで説明がつく。


「緊張してるのかな?」

「……まあ、初めての実戦だからね」

「うん。怪物との戦いは魔法騎士の使命だし、頑張らないと」


 むん、と気合を入れるルナ。

 これから君を襲う運命を思うと、その仕草に悲しくなってしまう。


 ――今日は学外実習だ。

 ここですべてが決まる。だから十分な睡眠も取っておいたし、体調は万全だ。

 僕が辿った歴史では今日、ルナが死ぬ。


 ……絶対に守る。必ず助ける。


そう決めているのに、もしルナがもう一度いなくなってしまったらと思うと、怖くて仕方がなかった。あの時の喪失感を思い出して、体が震える。


「……ブラム? どうしたの――ひゃっ」


 後ろから近づき、振り向いたルナの頬に触れる。

 ふにふにと柔らかくて、温かい感触だった。

 ルナは今ここに生きているのだと、確かに感じられる。


「あ、あの……ブラム? そ、そういうのは、まだ早いよ……」


 じっと見つめていると、ルナの頬が赤みを帯びていく。珍しい表情だった。

 いつもはすげなくあしらわれるのに。

 もしかして、意外と強引な押しには弱いのか……?

 そのまま顔を近づけると、ルナは弱々しい抵抗をしながら顔を背ける。


「だ、ダメだって。わたしたち、ただの幼馴染だし……それに、今はその、朝……」


 朝じゃなかったらいいのかな。

 思わずツッコミそうになったけど、そもそも別にそういう目的で近づいたわけじゃないので、満更じゃないみたいな反応されても逆に困る。


「ブラム……」

「……ルナ」


 誤魔化すように髪を撫でると、ルナはむしろ甘い表情になって顔を少し上向きにした。なんか選択肢を間違えた気がするけど、ルナの珍しくしおらしい姿に心臓がどきどきする。

 このままルナの唇を奪いたかった。


 愛おしいと思った。

 この世界で一番可愛くて、何よりも大切な少女だと再確認した。


 だからこそ、今はまだこういうことをするべきじゃないと思った。

 僕はかつてルナを殺し、その事実から逃げ出した人間だ。

 それが、今ここにいるルナとは無関係だということは分かっている。

 でも、これはせめてものけじめだ。

 かつての世界で君を殺した事実を話すまで、君と結ばれる資格はない。


「……料理、焦げそうだよ、ルナ」


 そんな風に言うと、受け入れ態勢だったルナはバツが悪そうに唇を尖らせる。


「そう、だね……火、消さないと」


 ルナのじとっとした視線には気づかないふりをして、服を着替え始める。

 丈夫さと動きやすさを重視している騎士制服を着こみ、都市の外に出るので外套も羽織る。

 ……いまだに使える気はしないけど、義務付けられているので帯剣もしておく。


「お弁当できたよ、ブラム。そろそろ行こっか」

「もう行くの?」

「学外演習だから、いつもより集合時間が早いんだよ?」

「そうだったのか……」


 最近、夜な夜な女子寮を監視していた影響で昼間は寝てばかりだったので、連絡事項を普通に聞き逃していた。ルナがいなかったら普通に遅刻するところだった……。

 ルナと一緒に外に出て、騎士学園までの道を歩く。

 まだルナの様子に変化はない。やはり決定的な瞬間までは潜伏しているつもりか。教師陣への奇襲は阻止しないといけないし、ルナから離れないようにしないとな……。

 そんなことを考えつつ歩いていると、騎士学園訓練場には一年生が集まっていた。四クラス総勢二百人による学外演習だが、集まっている人数はまだ半分くらいだろうか。

 みんな初めての演習に高揚しているのか、がやがやとした喧騒が鳴り響いている。

 僕らのクラスが集まっているところに向かうと、レオが声をかけてきた。


「よぉ、相変わらず嫁さんと一緒に登校か? お熱いねえ」

「そんなんじゃ――」


 と、僕が適当に答えようとしたら、いつもなら軽く受け流しているルナが、かぁっと頬を紅潮させた。

 今朝の一件が尾を引いているのがまるわかりな反応だった。


「へぇ?」


 そんなルナを見て、レオが興味深そうに口元の笑みを深く刻む。


「どうやら、本当に何かあったらしいな?」

「あ……いや、な、何もないよ!」


 いまさら失態に気づいたルナが慌てて反応するが、もう遅い。


「もしかして……ついに一線を超えたのか?」

「超えてないし! ついに、ってどういうこと!?」

「実際どうなんだ、ブラム?」

「……まあ、想像に任せるよ」

「ちょっとブラム!? 諦めないで!」


 ルナが縋りつくような目で僕を見つめるが、正直いちいち否定する方が面倒だった。八年前なら僕も照れていたかもしれないけど、もう精神がおっさんなんだ……。

 そんなやり取りをしているうちに時間は経っていたのか、教師陣も集まってきた。

 クラスごとに整列させられ、僕ら一年二組の前には担任のヒルダ先生が立っている。


「よし、お前たち、適当に班を作って馬車に乗りこむんだ。いいか、移動も演習の一環だ。常に何人かは馬車の外で護衛させておけ。私たちも全体を見張ってはいるが、手が回りきるとは限らないからな。しばらくは街道とはいえ、怪物に襲われる可能性もゼロではない」


 僕は近くにいた者たちで班を組み、馬車に乗り込んだ。

 馬車の御者と護衛はひとまずクラスの男子がやってくれるらしい。


「学外演習かぁ、楽しみなような、怖いような……」


 一緒の班になったクラスの女の子が緊張した様子で呟く。


「楽しみなところ、ある?」


 かつての記憶が尾を引く僕は思わず尋ねてしまったが、クラスのみんなと都市の外で野営をする経験は本来なら楽しいものになるはずだったと思う。


「初めてのことだから楽しみだけど、戦うことになるのはちょっと、怖いかな」


 学外演習では馬車の護衛や野営などの経験を積むと共に、メレハルト近くの森に棲みつく下位怪物を狩ることになる。騎士学園の一年生にとっては初の実戦だ。

 メレハルト近くの森は定期的に魔法騎士が狩りをしているので、下位怪物の中でも強い種は少ない……と思われている。なお現在は人類救済教の狂信者の手引きで、ヴァルト手勢の怪物が送り込まれているけど、それを知っているのは僕だけだ。


「そう、だね……僕も怖いよ」

「そうなの? ブラムくんはあんなに強いのに」

「僕だって君と同じだよ。……戦うのは、怖いことだと思う」


 本当に、そう思う。

 できることなら戦いなんかやりたくない。戦わなきゃいけないから戦ってきたけど。


「そっか。あんなに強いブラムくんだって、まだ実戦経験はないんだよね」


 怪物との実戦どころか、怪人との死闘ばかりを経験してきたんだけど、その勘違いを訂正する理由はない。

 僕は否定も肯定もせず、誤魔化しがてら微笑んでみせた。


「僕は強くなんかないよ。ちょっと要領が良いだけで、いずれは君の方が強い騎士になる」

「本当? あたし、強くなれるのかな……?」

「きっとなれるよ。それに、結局は実戦で活躍できるかどうかなんだからさ」


 僕がそう言うと、心なしか僕に対する女の子の態度が柔らかくなった気がする。


「ブラム、ちゃんと予定分かってる?」


 隣で黙って座っていたルナが尋ねてくる。口調がちょっと刺々しく感じた。

 く、と堪え切れなかったような調子でレオの笑い声が漏れる。何で笑うんだよ。


「現地に着いたら、とりあえず野営の準備だったっけ?」

「うん。その後は、拠点近くの怪物狩りだね。まあ、あんまりいないだろうけど」


 ……だと、いいんだけど。

 その言葉はヴァルトに聞かれないように喉元で呑み込んだ。 

 八年前のあの日、ヴァルトが仕掛けたのは怪物狩りの途中だった。

 予想よりも怪物の数が多く強いので、生徒を守って教師陣が戦わざるを得ないという状況になり、守るべき生徒であるはずのルナに背中から刺されて殺された。

もちろん教師陣は元魔法騎士であり、それ相応の実力は持っている。けれど、ただでさえ規格外の怪人に不意打ちをされてしまえばひとたまりもない。


「……ブラム、何か不安なの?」


 僕が黙っていると、ルナが見透かすように言う。


「何だかんだ言ってもここはまだメレハルトの近くだし、きっと大丈夫だよ」


 安心させるようなルナの言葉に、レオは思わずといった笑みを漏らす。


「おいおいブラム、男がビビり扱いされていいのかよ?」

「人間、臆病なくらいが丁度いいんだよ。そうじゃないと早死にする」

「なんつーか、実感のこもった言葉だな?」

「……ただの想像だよ」


 僕の行動が過去とは異なる以上、これからのヴァルトの行動が僕の知っている歴史とまったく同じとは思えない。奇襲を仕掛けるタイミングなどの細かい部分は変わっていてもおかしくないはずだ。常に臨戦態勢でいるべきだと再確認していく。

 かと言ってヴァルトにそれを悟られると警戒される。あくまで自然に、慎重にだ。

 幌の隙間から外を眺めると、ちょうど門を潜るところだった。

 城壁の向こうは、見晴らしの良い草原に地平線まで続く街道。雑多に物が溢れる都市とは違う雄大な自然だ。なかなか都市の外に出る機会はないため、みんな目を輝かせている。


「わぁ……広いね!」


 特にルナは興奮したように身を乗り出し、御者のクラスメイトに苦笑されている。


「楽しそうだね?」

「わたし、あんまり街の外に出ないから……」


 長期休みに帰省する生徒なら見慣れた景色だろうが、ルナはそうじゃないからな。

 僕にとってもこの光景は懐かしい。滅びたメレハルトの周りは荒野と化していたから。


「どうせすぐに飽きるぜ? まだ何時間も移動あるしな」


 レオの意見は夢がないけど、事実でもあった。

 昼までは演習場所への移動時間だが、馬車の護衛と御者を除いてやることはないし、いくら見晴らしが良くてもずっと見ていたら飽きる。

 しばらく雑談をして過ごしていると、馬車隊の前方から何やら喧騒が聞こえてきた。


「何かあったのかな?」


 ……これについては憶えていないな。

 大したことじゃないから普通に忘れているのか、それとも代償で記憶が削れているのか、またはもう歴史が変わっているから分からないのか、判断がつかないな。


「面白そうだな。ちょっと見に行こうぜ」

「そうだな……」


 興味津々のレオに誘われ、ひとまず騒ぎの源泉へと向かってみる。

 馬車隊の進行はいったん停止していた。

 少し前に行くだけで、すぐに状況は分かった。

 街道近くの林から三体の怪物が現れ、馬車隊を襲っているのだ。周囲の生徒たちが剣で対応している。戦闘音が鳴り響き、興味を惹かれた生徒たちが集まりつつあった。


「怪物……」


 ルナがごくりと唾を呑み込む。

 馬車隊を襲っているのは、針のように鋭い毛並みを持った四足歩行の怪物。

狼に似ているが、狼にしては大きすぎるし、動きが速すぎる。紛れもなく怪物だった。

 とはいえ、分類としては下位。学生でも落ち着いて戦えば十分に勝てる怪物だ。ヴァルトの手勢ではなく自然に湧いたものだろう。三体程度なら、教師が出張るまでもない。


「狼の怪物だな。確かウルフェンだったか」

「強そうだけど……あの人たちだけで大丈夫かな?」

「群れると厄介な怪物だけど、三体ぐらいなら何とかなるんじゃないかな」


 ウルフェンは素早く旋回し、生徒たちを翻弄する。だが、彼らも《肉体活性》で身体能力を強化しているわけだし、速度では劣っていても反応ぐらいならできる。


「馬車に近づけさせるな! いいか、《魔弾》で牽制しつつ剣で仕留めるんだ!」


 班のリーダー的存在らしい少年の指示で、連携を取りながら戦う。堅実な対応だ。さっきまでは初めての実戦に浮足立っていたみたいだけど、もう心配はないかな。

 ――相手が三体のままなら、の話だが。


「ブラム」

「分かってる」


レオも学生離れした実力を持っているから、すぐに気づいたんだろう。街道沿いの木々の影から、もう四体のウルフェンが様子を窺っていることに。

流石にこの数が一斉に奇襲をかけたら、彼らの実力では厳しいだろうな。


「やらねえのか?」

「近くでヒルダ先生が見てるから心配ないだろ。それに……」


 今のルナから目を離したくない。

 僕の協力者であるレオなら、目線だけでそれを理解してくれるだろう。


「そうか。なら俺だけでいいぜ。お前はそこで見てろ」

「ど、どういうこと? 何の話?」


 僕とレオの会話を聞いてひとり混乱しているルナ。


「すぐに分かるぜ」


 レオは肩をすくめながら体内魔力を操作していく。臨戦態勢だ。

 そんなレオに気づく素振りも見せず、潜伏するウルフェンたちは戦いの趨勢を眺める。何らかの突破口を見つけた瞬間、奇襲して加勢するつもりなのだろう。

 僕やレオ、ヒルダ先生がいる限り、ウルフェンの勝機は万に一つもないけど。


「よし、今だ! 囲んで叩き潰せ!」


これまで堅実な指示を出していた男子生徒が逸ったように言う。


「……それはまずいな」


 いや、本当に三体しかいない状況なら多少強引でも何とかなるだろう。だが、もう四体の怪物が虎視眈々と狙っている状況では隙になってしまう。

 ざざっ、と音を立てて林の奥から現れたウルフェンどもが疾風のように生徒たちに肉薄していく。強引に倒そうとしていた生徒たちは、増援の登場に気づくのが一瞬遅れた。


「しまっ……!?」


 指示を出していた男子生徒が失策に気づく。


「危ない!?」


 僕が出るまでもないと思っていたが、叫んだルナがそのまま飛び込んでいく。


「ルナ!?」


 予想外のことに僕の反応も遅れた。

 ルナは迷いなく男子生徒の前に出て、その体で庇おうとする。

 直後。


「《攻撃魔法/火属性》起動――《火炎弾》」


 疾風の如く現れたはずのウルフェンたちが文字通り炎上する。

 レオが目にも留まらぬ速度で《火炎弾》を無詠唱で叩き込んだのだ。

 一発も外さなかった。あれだけの速度で走っていた四体もの標的に、しかも同時に撃って当てるなんて学生離れした魔法技術だ。精度に加えて威力も申し分ない。

 奇襲せんとしていたウルフェンは四体ともに一撃で焼き焦がされ、大地に転がっている。

 庇ったルナも庇われた生徒たちも、レオの魔法に瞠目していた。


「ま、こんなところか」


《火炎弾》は《魔弾》と同系統の魔法だが、異なるのは属性が付与されている点だ。火、水、風、土の基本属性に、氷、雷の希少属性。合わせて六大属性と呼ばれる概念がある。

 属性が付与された魔法は、その属性に応じた効果を得る。

 レオの《火炎弾》は火属性を付与されたから、着弾時に炎上したわけだ。


「……それにしても、属性魔法は二年生の分野じゃなかったっけ?」

「俺は優秀だからな。次学年の予習も欠かさないんだ」


 ニヤリと笑うレオだが、場には静寂が訪れている。みんな、突然の出来事にあっけにとられているんだ。でも、まだ三体のウルフェンが残っていることを忘れちゃいけない。仲間がやられた動揺からウルフェンが復帰する。レオの魔法を見て隙を晒してしまった生徒に、一矢報いようとばかりに牙を剥きだしにした。


「みんな、わたしの後ろに下がって!」


 ルナがすべてのウルフェンの注目を集めるように声を上げる。


「――あまり無茶をするな」


 その時、ウルフェンの背後から迫ったヒルダ先生が鮮やかに残り三体を斬り倒した。

 一瞬の出来事だった。

 あまりの流麗さに戦慄すら覚える。


「ブ、ブラム……?」


 そして両手に抱えるルナは、目を白黒させていた。

 ヒルダ先生の介入と同じタイミングで、僕はルナを救出している。


「……先生の言う通りだよ。なんであんな無茶をしたんだ?」


 僕が苦言を呈すると、ルナは苦々しい表情で言う。


「魔法騎士の心得として、窮地に陥った仲間は助けなきゃいけないと思って」

「その結果として、君が大怪我をしたらどうする!?」

「――みんなと違って、わたしには治癒魔法がある。だから大丈夫だよ」


 何の気なしに言ったそれに、僕は絶句した。

 ――治癒魔法は他の魔法とは異なり、使える者が本当に少ない。

 とても繊細な扱いが必要とされる系統で、特殊な才能が要る。優秀なレオでも治癒魔法は使えない。この学園全体ですら、治癒魔法を使える者は十人もいないだろう。

 ルナはそんな治癒魔法に長けている。

 それは治癒魔法の適性――白い魔力を受け継ぐベイリー家に生まれたからだと思われているけど、それ以上にルナが幼い頃から練習し続けたからだと僕は知っている。

 これは魔法騎士を目指す者として立派な長所だ。

 だが、


「本気で言ってるのか……? 治癒魔法がそこまで万能じゃないことは、僕より君の方がよく分かっているはずだ。あれは一瞬で何もかも治るような神の奇跡じゃない!」

「わたしが一番わたしの体を知ってる。だから一番治しやすいし……それに、みんなが傷つくぐらいなら、わたしが傷つく方がマシだよ。まだあんまり戦闘の役には立たないから」


 ……その考え方が、君を大切に思う人を悲しませると分かっているのか?


「ルナ。君が思っているほど、君の価値は低くない。だから無茶をしないでくれ」


 僕の心配に対して、ルナはどうしてか俯いた。


「やっぱりブラムは……わたしをそうやって扱うんだね」

「……どういう意味だ?」

「あなたにとって……もう、わたしはそういう存在なんだね」


 言葉の意味が分からなかった。

 僕はルナを大切に思っているんだと、そう伝えているだけなのに。


「おいおい二人とも。どうかしたのか?」


 やってきたレオが僕たちの雰囲気を見て、怪訝そうに眉をひそめる。

 だが、ルナは明るい笑みを浮かべて感謝を告げた。


「何でもないよ。さっきはありがとね、レオ」

「いや、すまんな。むしろ混乱させちまったみたいだ」


 どうやら何もなかったことにしたいらしい。とりあえず僕も同調する。


「もっと普通に倒せば驚かれなかっただろ」

「普通って……普通に倒すってどうやるんだよ。魔弾でちまちまやれってか?」

「奇襲を仕掛けてきた怪物がすべて炎上したら誰でも驚くぞ」

「難しいな。強すぎるってのも考えもんだ。なぁブラム?」


 さらりとそんなことを言うレオに、みんなの視線が集まっている。


「あれがレオ……学年首席の天才貴族か。とんでもないな」

「隣にいるのがブラムだろ? 剣術成績一位のサボり魔とか言われてる」


 ウルフェンと戦っていた他クラスの生徒が、僕らを見てひそひそと話している。

《感覚研磨》を使っているので聞こえてしまうんだよな。


「さっき割って入ってきたのが英雄の七光りか。危なっかしい」

「あの二人とつるんでいて恥ずかしくねえのかな」


 動きが止まる。これは……ルナの話だ。


「座学の成績は一位だった気がするけど」

「おいおい、お勉強ができたところで何の役に立つんだよ。ここは騎士学園だぞ?」

「ベイリー家の娘にしちゃ期待外れだよなー」

「さっきも結局何もできてなかったしな。度胸だけは一人前だけど」


 ……昔の僕は周りに頓着しなかったから、ルナの評判をあまり知らなかった。

 ただ、今思えば確かに僕ら三人がつるんでいるのは目立つだろう。

 剣術成績一位で何かと問題を起こす僕に、名門貴族クラックネル家の嫡男にして魔法成績一位と学年首席の座に君臨するレオ、座学成績一位で英雄ベイリーの名を継ぐルナ。

 しかし騎士学園において座学の成績は重要視されない。

 強さが求められる職業である以上、剣術と魔法が総合成績の大半を占める。

 だからルナの総合成績は、魔法をサボり座学が壊滅的な僕よりも下だったはずだ。

 でも、ルナに助けられたお前たちに陰口を言う資格があるのか?


「なんか言われてんのか?」


 レオは僕の苛立ちを察したのか、不思議そうに尋ねてくる。

 ルナが隣にいる場でどう返したものか。僕が答えかねていると、ルナが呟く。


「わたし、ちょっと手伝ってくるよ」


 その視線は、たった今ルナを嘲笑していた生徒たちの方を向いていた。

 確かに、彼らはウルフェンとの戦闘で体の各所に傷を負っている。持ってきた医療道具で応急手当をしているが、治癒魔法を使えるルナとしては放っておけないんだろう。


「……治癒魔法を使えるからって、手伝う必要はないんだぞ」


 あいつらへの嫌悪感から、僕はルナを止める。

 実際、怪我人が出る度に治癒魔法を使っていたら魔力が枯渇してルナが戦えない。実戦訓練をするための学外演習なのに、それじゃ意味がないだろう。


「少しなら大丈夫だよ。それに、わたしが唯一ちゃんとできることだし」

「ルナ、やめた方が良い。あいつらは――」

「――分かってるよ」


 ルナは僕の言葉を遮った。

 その珍しさに驚いていると、ルナは真剣な表情で言う。


「今のは何も聞こえてなかったけど……ずっと言われてきたから、視線と雰囲気だけでだいたい分かるよ。それにブラムが怒ってるんだから。わたしは、そんなに鈍感じゃない」

「だったら」

「――でも、あの人たち怪我してるから。わたしはベイリー家の娘として傷を癒すよ」


 ルナの微笑みからは力強さを感じた。

 ああ、そうだ。ルナはこういう少女だった。

 自分の痛みは気にせず、見知らぬ誰かの痛みを癒そうとする優しい子だった。


 ――その優しさは美徳なんだ。今はそれが行き過ぎているだけで。


「みんなを癒し、みんなを守る。それが治癒魔法を得意とするベイリー家の教え。わたしはご先祖様みたいな魔法騎士になるって決めてるから。その信念は曲げないよ」


 頑固なルナに、僕はため息をつく。

 僕なんかよりルナの方がよほど英雄的な精神をしている。ベイリー家の血筋なのかな。


「……分かったよ」


 今のルナから目を離したくはないので、念のため僕もついていく。

 ルナはすぐに他クラスの生徒たちに話しかけ、治癒魔法を使い始めた。

 彼らは今まさにルナの陰口を叩いていた手前、非常にバツが悪そうにしている。


「《治癒魔法》起動――《癒しの光》」


 ルナの手を白い魔力が包み、その手で触れた箇所の傷がみるみるうちに修復していく。


「す、すごいんだな。治癒魔法って」

「重傷だと時間かかるけど、これぐらいの傷ならすぐ治せるよ」


 ルナの陰口を叩いていた生徒は、治った傷をしげしげと眺めている。


「……ありがとな」

「どういたしまして。他の人も遠慮しなくていいよ!」

「なんか……悪いな。さっきは庇ってくれたし、治癒までしてくれるなんて」

「やりたくてやってるだけだから、気にしないで!」


 気づけばルナは、陰口を叩いていたはずの人たちと打ち解けていた。

 ……僕にはない芯の強さ。優しいけど折れない心。意志薄弱で嫌なことから逃げ続けてきた僕は、ルナのそれに憧れていた。八年越しにその感情を思い出す。


「……ふう、これで全員かな?」


 程なくして、すべての生徒の治癒が完了した。

 ちょうどそのタイミングで、ヒルダ先生が僕らのもとにやってくる。


「ご苦労だった、ルナ。お前たちも馬車に戻ってくれ」


 先生の指示に従い、馬車に戻ると、ルナが疲れたように息を吐いた。


「ルナ、大丈夫?」

「残存魔力量は心配ないよ。元々、魔力量だけはベイリー家でも一位だから」

「そうじゃなくて、精神的な話だよ」


 魔法は自己暗示や魔力制御がきちんとできていなければ暴発する危険性を秘めている。とても集中力を必要とする繊細な作業だ。特に治癒魔法なんかさらに難しいだろう。


「……そんなに、わたしが心配?」

「そんなの当たり前だろ?」


 僕が答えるとルナは嬉しそうに笑った。でも、その笑みはどこか寂しそうだった。

 そのやり取りを面白がるようにレオが自分を指さす。


「おい親友、俺は心配か?」

「なんで僕がお前を心配しなきゃならないんだ」

「ひでぇ野郎だ。女だけ特別扱いか?」

「ルナを特別扱いしてるんだよ」

「……ブラム、そういうのはいいから」


 今朝の影響がまだあるなら照れるかと思ったんだけど、ルナは冷めた目で首を振った。

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