第一章 絶望の八年前⑧


 外套の男の話はおおむね予想通りではあったが、確認が取れたのは何よりだ。

 ヴァルトの目的は、優秀な魔力的素養を持つ人間およそ五十人を確保し、《掃滅会》の実験に利用すること。そのために騎士学園の生徒を狙っていた。怪人の中でもヴァルトがこの仕事に就いた理由は憑依能力を持ち、潜伏に長けているから。


「優秀な魔力的素養? 何となく意味は分かるが……どういう判断基準だ?」

「ま、まず魔力量。次に魔力色だ。希少な色であるほど評価が高い」

「……それをどうやって見抜いた?」

「わ、私にも分からない。素体の選定には関わっていないんだ」

「何だと?」


 背中を踏みつける足に力を入れていく。


「ほ、本当だ! 信じてくれ!」


 試しに脅してはみたが、まあこれは本当だろう。

 おおかた教師にでも憑依して、生徒の成績を閲覧したんじゃないだろうか。

 剣、魔法、座学の評価と共に魔力量の計測なども行っているからな。


「……ヴァルトがメレハルトに潜り込んだのはいつだ?」

「た、確か……二か月前だ」

「そうなると……憑依したのは三、四人ぐらいか」


  やりなおし前、ヴァルトの能力を研究していたことがある。

 あいつの憑依能力は強力な代わりに時間がかかる。

 十数日単位で、眠っている間にゆっくりと精神を掌握していくらしい。

 戦闘には直接役立たないが、どんな相手にも通じるのが厄介だ。


「こ、これ以上は私も教えられていない……ほ、本当だ、本当なんだ。信じてくれ」


 外套の男は僕の足元で、震えながら許しを請う。

 嘘をついているようには見えない。

 ヴァルトの性格を考えても、必要以上の情報は渡さないだろう。


「……分かった、信じよう」

「ほ、本当か? だ、だったら、解放してくれるんだよな?」

「――いつ、僕が解放するなんて言った?」


 僕はただ「洗いざらい吐け」と言っただけだ。

「吐けば解放する」とは言ってない。


「そ、そんな……た、頼む。金ならいくらでも払う。そうだ、何が欲しい? これでも私は人類救済教の中ではそれなりの地位にいる! 地位でも、金でも、女でも、君の欲しいものをくれてやる! だから、お願いだ……い、命だけは、命だけは助けてくれ……」


 喚き始める男に対して、僕は努めて感情を消した表情で告げる。


「灰になれ、狂信者。己が行いの愚かさを知れ」


 何か反応がある前に僕は《肉体活性》で腕力を強化し、首の骨を折った。

 ゴキリ、という鈍い感触が手に残る。

 死んだことを確認してから、火の魔法で男を灰に還した。


「……悪いけど、生かしてはおけない。お前たちは人を殺しすぎる」


 呟く。そうやって自分を正当化する。大義名分を掲げ、許されようとする。

 ……未来を知っているとはいえ、なんて傲慢な考え方だろう。

 でも、甘えは人を殺すと何度も学んだ。

 かつての後悔を繰り返すことだけは嫌だった。

 僕はもう、絶対にルナを失いたくない。

 あの子を救えるのなら、悪人になっても構わない。

 だから僕はこの男を殺した。

 まだ大した悪事はしてないかもしれないのに、その命を奪った。

 一人、夜道を戻っていく。

 物音一つしない静けさの中、寮に向かって足を進める。

 命を奪う経験なんて、これまでに何度もあった。いまだに慣れないけど。


 ……情報は得た。後はヴァルトを倒す準備をするだけ。

 最善の行動を取ったはずなのに、なぜか気分は晴れなかった。

 僕の胸中とは裏腹に、空を仰いでも雲一つない。満天の星空だった。

 瞬く星を眺めながら男子寮に帰ると、道端の木に背を預ける人影が見えた。


 一瞬、ヴァルトに感づかれたのかと思って警戒した。

 でも違う。そこにいたのは、金の長髪をなびかせる美丈夫。

 その男の顔は知っている。

 レオ――僕の親友を名乗る男だ。


 どうして、こんな夜遅くに外出しているんだろうか。

 その不審さに思わず眉をひそめたけど、対するレオは気楽な調子で手を挙げる。


「――よぉ親友。随分と暗い顔してんじゃねえか」



 ◇



「レオ……こんな時間に、何してるんだ?」

「そりゃこっちの台詞だぜ。お前こそ、こんな時間にどこへ行ってた?」

「……君に教える理由があるか?」

「言えないんだったら、俺のことも聞くなよ。それが理屈だろ?」


 確かに、それは正論だった。

 僕が口を噤むとレオは目を細める。


「……なぁおい、俺たちの関係ってのはそんなもんだったかよ?」


 いつもの軽薄な微笑が口元から消えている。

 レオは真剣に問いかけていた。

 でも、僕にはレオとのこれまでの記憶がない。

 だから、そこに込められた感情が分からない。

 僕とレオの間には、明らかな断絶があった。


「別に、細かい事情なんざどうでもいい。俺に言わねえってことは、俺に言わねえだけの理由があんだろ。……ただ、何を一人で苦しんでんだよ、お前は」


 星空の下、レオは真っ直ぐ僕の方へと歩いてくる。


「なぁ親友、自分の長所を忘れちまったのか? お前はそんな奴じゃなかったはずだ」

「……何が、言いたい?」

「分かってねえようだから教えてやる。お前の長所は剣技でも、魔法でもねえ。お前の良いところは、自分が困っている時にちゃんと人を頼れるところなんだよ。そうだろ?」

「……確かに、僕はそういう性格かもしれない」


 だけど、それを長所だと考えたことは一度もなかった。

 だってそうだろう。僕のそういった精神性が、みんなを殺してしまったのだ。

 僕ばかりがみんなに頼って、縋りついて、逃げ惑った。

 自分の駄目なところを曝け出して、人に甘えるようにして生きてきた。

 守られて、助けられて、だから最後まで生き残ってしまった。

 みんなは僕と違って強いんだから、大丈夫だと信じていた。みんなが僕と同じように逃げ出したいと思っているなんて、考えもしない愚か者だったんだ。


「だが、今回のお前はおかしいぜ。明らかに何かが起きているのに、お前は何らかの問題に巻き込まれて困っているはずなのに、誰にも相談しようとしねえ」


 レオは僕の目と鼻の先までやってきて、ようやくその足を止めた。

 至近距離で目が合う。

 獣のような獰猛さを持つ切れ長の瞳に魅入られる。


「なぁブラム。やっぱり、お前――俺のこと、ほとんど覚えてないだろ?」


 呼吸が止まるかと思った。


「どう、して……?」

「一つは、レノアたちの名前を憶えてなかったことに違和感があった。いくら駄目人間で出席率が低いお前でも、よく話すクラスメイトの名前を忘れるか?」


レノアたちというのは、レオとの模擬戦の後に話した三人の少女のことだろう。


『いくら何でも名前を忘れるなんて、ひどくない……?』

『ブラムくんがダメ人間なのは分かってたけど、ちょっと擁護できないなー?』

『――最低ですよ』


 あの罵倒は記憶に新しい。正直、本当に悪いことをしたと思う。


「もう一つは、お前の様子が単純におかしかったこと。そして――黒い魔力」

「……調べたのか」

「ああ。予想より強すぎるとも思ったしな。図書館を探したら古い文献には載ってたぜ。黒い魔力は呪いの発露だと。魔法の前段階として生み出された呪法――それは代償を必要とする不便な技術で、魔法の開発と共に廃れたとか。もう数百年前の話みたいだな」


 魔女の存在も知られていないこの時代なら黒い魔力の知名度はないと思っていたが、考えが甘かったらしい。

 もっとも、絶対に隠したいとまで思っていたわけじゃないけど。


「――ブラム。お前まさか、記憶を代償にしたのか?」


 だからと言って、たった一日でこうまで特定されるとは思っていなかった。

 どう答えたものか。黙っている僕を見て、レオは首を振る。


「いや……そこはもう聞かねえよ。残念だが、お前にとってもう俺は何でも話せるような相手じゃないんだろ。だから、細かい事情なんざどうだっていい。ただ――」


 こつん、と僕の胸を拳で突くレオ。


「――俺にできることを言え。それだけでいい」

「どうして、そこまで……」

「お前が忘れても、俺はお前の親友のつもりだぜ?」


 嬉しかった。

 たった一人の戦いだと思っていたから、その言葉はとても胸に響いた。


「レオ……」


 そこまでする理由があるのか疑問だった。

 でも、きっとレオにとっては自然な行動なのだろう。

 だってレオにとって僕は親友なんだから。


 ああ、そうだ。レオ=クラックネルは、友達想いの優しい奴なんだ。

 記憶がなくとも心が覚えている。


「……誰かにちゃんと頼れることが僕の長所だったとして、君が僕の親友だとして、君に頼らずに何とかできるのなら、それが最善じゃないのか?」


 僕は問う。それはレオの問いに答えているのと同義だと理解しながら。


「お前がそんなに優秀な奴だったら、俺も困らねえんだけどな?」


 すると、レオは僕を馬鹿にするように笑った。

 でも悪い気分じゃなかった。それは、僕のことをよく知っている証だから。

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