第一章 絶望の八年前⑦
一日の講義が終わり、僕らに自由時間が訪れる。
この時間の使い方は人によってさまざまだが、魔法騎士の育成機関なだけはあってみんなの意識は高く、訓練場を借りて自主鍛錬をしている者が多い。
僕は例によってルナを尾行していた。
先ほどの反省を活かし、周りの視線にも気を遣っている。
どうやらルナは魔法の鍛錬をしているようだった。
何度も何度も、習った魔法を必死に反復している。
それができる魔力量は脅威だが……魔法そのものは、いまいち精彩を欠く。
制御に意識が向きすぎていて、威力や精度に難があるんだ。
こう言ってはなんだが、魔法なんて少し暴走させるぐらいが丁度いいと僕は思う。
実戦では役に立つのは、丁寧で行儀の良い魔法じゃない。雑に強い魔法だ。
もちろんそれはルナも分かっているだろう。
でも、勝手にそうしてしまうんだ。気づいたらそうなっているんだ。
剣を握れない僕には、ルナの気持ちが痛いほど分かる。
「違う……もっと強く、もっと速く……っ!」
ルナは荒く息を吐き、大量の汗を流しながらも魔法を放ち続ける。
その努力は美しいはずなのに、なぜか痛々しい。見ているのが辛かった。
でも目を離せなくて、気づいたら夜になっていた。
ルナは魔力が枯渇したせいか、今度は剣を振り始める。
「駄目なんだ……わたしは、このままじゃ駄目なんだ……っ!」
ルナは英雄の末裔だ。強くならなきゃいけないという重圧もあるだろうし、何より本人が魔法騎士を目指し、いずれは先祖のような英雄になることを望んでいる。
昼間に見せたような強い意志は、並々ならぬ努力に支えられているんだろう。
……とはいえ、ハードな鍛錬というレベルじゃないな。あれじゃ体を壊しかねない。
流石に止めようと思って足を踏み出す。
その直後、ルナが体勢を崩してガクリと倒れ込んだ。仰向けになり胸を上下させながら、夜空に向かって手を伸ばす。
「……行かないでよ」
その言葉の意味を図りかねた。だから自然と足が止まった。
何かを掴もうとして空を切った右手が、ルナの額に乗せられる。
「弱い、なぁ、わたし……体も、心も」
手で覆われた顔は見えないけど、頬を伝って流れる涙は見える。
……泣くほど思い詰めていたとは知らなかった。
ルナはいつも気丈に笑っていたから、精神的に強いんだと思い込んでいた。
でも違った。ルナだって、十五歳の女の子なんだ。
どんなに意志が強くても、人並みに傷つくし、人並みに悔しがるし、人並みに泣くんだ。
それを改めて認識した。
ルナはしばらく休憩してから、訓練場の後片付けをする。
備品の掃除まできっちりこなした後、重い足を引きずるように帰路を歩き始めた。
「ふむ……」
ルナの様子はさておき、怪しい動きは特にない。というか怪しいのは僕だ。
僕ら騎士学園の生徒は、メレハルトに実家がある者を除いて学生寮に住んでいる。
男子寮、女子寮はもちろん分けられていて、僕とルナは別室だ。
今朝のルナのように女子が男子寮に入るのは許されているけど、女子寮は男子禁制だ。
男女の差というよりは、寮長の性格の差によるものだろう。
女子寮の寮長の方が厳しい。規則は絶対で、違反者には掃除などの罰を与えられる。
だから、いくら僕とルナが仲良くても流石に部屋までは入れない。
緊急事態だし規則を破って部屋まで侵入してもいいが、気づかれると怖い。ルナは許してくれると思うけど、ヴァルトがすでに取り憑いているなら警戒されるかもしれない。
そう考えるとデメリットの方が大きい気がするし、大人しく僕は女子寮と男子寮を隔てる林の中に隠れ潜み、女子寮の出入口を監視していた。
もしヴァルトが何らかの行動を起こすつもりなら、この出入口を使うはずだ。
念のため、ルナの部屋の窓にも視界が通る位置に陣取っている。
完璧な布陣だ。さあ尻尾を出せ、怪人ヴァルト。
息巻いていたが、この日は何の動きもなかった。
何かが変わったとするなら、僕が変質者になっただけだ。
「ブラム……お前、私の講義で寝るとはなかなかいい度胸だな?」
しかも寝不足だったので講義の最中に寝てしまい、ヒルダ先生に怒られる。
この学園は本当に意識が高いので、座学の時間に寝る奴など僕しかいない。
なんでみんな、そこまで真面目に生きられるの……?
僕が浮いてしまうのでやめてほしいが、とんでもない逆恨みだと自覚している。
……しかし、事件まで後二日なんだよな。
睡眠時間を削っても、ヴァルトの尻尾は掴んでおきたい。
そう思っていたストーカー生活二日目の夜だった。
「この時間に……?」
女子寮の出入口からルナが出てくる。だがその歩き方は、普段のルナとは少し違う。口元に浮かぶ太々しい笑みも、ルナが浮かべるものだとは思えなかった。
街灯が仄かに照らしているとはいえ、深夜の暗さでは確信は持てない。
もしかするとルナ本人が何かしらの行動を起こしているだけかもしれない。
ただ女子寮の規則では、消灯時間以降の外出は禁止されている。
ルナの性格上、それを破るとは思えなかった。
僕はこれまでよりもいっそう気をつけながら、街中へと出るルナの後を追う。
メレハルトは人の出入りが盛んな学究都市だが、深夜ともなれば人気はない。
それでも大通りに出たら多少は通行人がいるだろうが、ルナは狭く暗い裏通りを選び、誰とも遭遇しないように東の外壁の方へと進んでいく。
巨大な円形の城塞都市であるメレハルトは、貴族街や研究機関、騎士学園などが存在する中心部に近いほど治安が良く、外壁に近いほど治安が悪くなる。
僕ら騎士学園の生徒はあまり外壁の方には近づかないように言われていた。
とはいえ、仮にもここは王国の大都市。
多くの魔法騎士が警備しているので、そうそう大きな犯罪は起こらないはずだ。
そう信じたいところだった。
――ルナは、入り組んでいる路地裏の奥へ奥へと潜り込んでいく。
「お久しぶりです、我が主」
やがて突き当たりの小さな広場に辿り着くと、外套を着た一人の男が待っていた。
「その呼び方は止めろと言ったはずだ。テメェらの主人になった覚えはねえ」
ルナの声帯から、明らかに普段と異なる口調が飛び出す。
この時、確信に変わった。
今、ルナの体の主導権を握っているのは間違いなく怪人ヴァルトだ。
その荒々しい口調はよく覚えている。
「どうかお気になさらず、我が主よ。これは、我々が貴方に協力する理由ですので」
恭しく頭を下げる外套の男に、ヴァルトは舌打ちをする。
「まあ、いい。――で、首尾はどうなんだ?」
「上々です、我が主よ。計百体の怪物、すべて南方の森に運び込んでおります。こちらの手の者が魔法騎士の警備時間に介入したので、発覚している可能性は限りなく低いかと」
僕は屋根上から姿を晒さないように聞き耳を立てる。
怪人は基本的に、すべての能力において人間を凌駕している。他の怪人と比較したらヴァルトは感知能力に長けていない方だけど、これ以上近づけば流石に気づかれるだろう。
……それにしても、百体の怪物か。
あの日、ヴァルトが暴れ出すと共に大量の怪物が出現した。
おそらく生徒たちの誘拐を完遂するまでの時間稼ぎだったんだろう。
ルナを失ったせいで僕はそれどころじゃなかったが、あの場に現れたのは上位や中位に分類される強さを誇る怪物ばかり。本来棲みついていたはずの下位怪物はいなかった。あいつらはどこから現れたのかと思っていたが、人間の協力者が手引きしていたのか。
心当たりはある。
――人類救済教。怪人を新人類として信仰する宗教組織だ。
人間でありながら怪物の味方をするので、戦争終盤では狂信者と恐れられていた。
この時はまだ数は少ないが、怪人が台頭し始めてから増えていった。
人類救済教を信仰すれば、新人類へと進化できる。彼らと同じ新人類になれば、この戦争の勝利者になれる――そんな噂が広まった結果だった。
結局、怪人に利用されるだけ利用され、捨てられるだけだったけど。
そんなに都合よく怪人になれるはずもない。人間が後天的に怪人化することは不可能ではないらしいが、成功するのは極わずかな適合者だけだ。
「魔法騎士どもの動向は?」
「当日はできる限り別の仕事を与えるよう努力はしていますが……」
「そう上手くはいかねえか」
「申し訳ありません。騎士団に潜り込んでいる仲間は数少ないもので」
「いや、十分だ。後はこっちで何とかする。俺の手勢もいるしな」
「本当にあれだけで大丈夫でしょうか? 状況によっては我々が協力しても……」
外套の男がそう尋ねた瞬間、怖気が立つほどの殺気に襲われる。
ヴァルトが、外套の男を軽く睨んだ。それだけだった。
「――余計なことはすんな。お前らの存在はまだ隠しておく。そもそも足手まといだ」
外見は可愛らしいルナのままだというのに、纏う雰囲気がまるで違う。
僕と違って殺気をまともに受けた外套の男は声すら出せず、こくこくと頷くことしかできていなかった。
「敵地のこんな奥深くまで潜入できたのはお前らのおかげだ。準備には感謝する。成功した暁にはお前らも怪人にしてやれるかもしれねえ。だが当日は俺が勝手にやる。いいな?」
強者の風格。
ヴァルトとの距離がある僕ですら、その雰囲気にあてられ冷や汗が流れる。
これが世界最強の怪人。
――《掃滅会》序列第一位“悪魔憑き”のヴァルト。
僕が最も苦戦し、最も重い代償を支払ってやっと倒した人類の敵だ。
それから細々とした連絡を済ませた後、ヴァルトと外套の男は別れた。
ヴァルトはそのまま女子寮に帰りそうだ。それに対して外套の男は、さらに路地裏の奥へと消えていく。少し迷ったけど、今度は外套の男を尾行することにした。
ルナにヴァルトが憑依しているのは確定したが、まだ戦闘は仕掛けられない。
こんなところで怪人と戦えば街に甚大な被害が出る。
そうなったら魔法騎士が駆けつけてきて、おそらくルナが殺される。
憑依能力を持つ怪人の存在など、訴えかけたところで信じてはくれない。
魔法騎士は強く気高く、王と民を守護する存在だが、だからこそ街を守ることを最優先するはずだ。下手人であるルナの生死など問わないに決まっている。
だから僕としてもルナを助けるには、学外演習の日にヴァルトを倒すしかない。
あの事件の日でなければ、すぐに魔法騎士の邪魔が入ってしまう。
「……本来なら頼りになるはずの魔法騎士が、障害になるとは思ってなかったな」
ともあれ、そういった事情でまだヴァルトには手を出せない。
だから僕は外套の男に尾行対象を切り替えたんだ。
……まあ、この辺りでいいだろう。
「この計画が成功すれば、私も新人類へ……くく……」
ざ、と。
僕は一人でほくそ笑んでいる外套の男の後ろで、わざと足音を立てる。
「だ、誰だ!?」
外套の男が驚いて身を竦めた瞬間、足払いをかけて地面に転ばす。
仰向けになった男の腹を踏みつけて押さえつけ、徐々に体重をかけていく。
「騒がない方がいいよ。お前だって命は惜しいだろう?」
「ぐ……、き、貴様は、いったい……?」
「愚か者さ。歴史とか運命ってヤツに逆らうことにしてみたんだ」
「わけの、わからないことを……!?」
「そうだろうな。そして、許すのはここまでだ。お前はそろそろ立場を自覚しろ。今、質問する権利を持つのは僕だけだ――分かったか?」
目を細めて、殺気を放つ。
ヴァルトの威圧には敵わずとも、僕だって世界最強格の魔法使いだ。
多少なりとも武芸の心得がある者なら、殺気を出してひと睨みするだけで僕の力量を察してくれる。
ようやく沈黙した外套の男に、僕はいつでも魔法を撃てるようにしながら、告げる。
「――全部吐け、洗いざらいだ」
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