第一章 絶望の八年前⑥
――目を覚ますと、懐かしい天井が見えた。
どうやら保健室のベッドに寝かされているらしい。
昔はよくここで寝ていたことを思い出す。もちろん仮病だが。
気だるい体を起こすと、真横に人の気配を感じた。
振り向くと、まず目に入ったのは思わず見惚れてしまうほどに透き通った碧眼。白磁のように美しい肌が、精緻に整った目鼻立ちをより端麗に仕立て上げている。
窓から吹き込む風が、蒼色の髪をふわりと揺らした。
「……ルナ」
僕をじっと眺めていたルナは、困ったような表情で苦言を呈する。
「体調が悪いなら、ちゃんと言ってほしいな」
心配が九割で、不満が一割って感じだろうか。
僕は、どれだけ愚かなんだろう。
ルナを救うと意気込んで、こんな顔をさせてしまうなんて。
「ごめん」
「ねえ……ブラム」
ルナの瞳は、僕の胸中を見透かしているかのようだった。
「やっぱり、今日ちょっとおかしいよ。体調のせい、だけじゃないよね?」
その問いに、どう答えようか迷った。
「それに、あの魔力色は……?」
畳みかけるようにルナは尋ねてくる。
「……いつの間に、あんなに魔法が上手くなったの?」
その表情はとても複雑そうだった。羨望と不安と心配と、寂寥感だろうか。
ルナの優しさに甘えて、すべて吐き出したい衝動に駆られる。
――未来からやってきたなんて言ったら、ルナはどんな顔をするだろうか。
いくらルナでも、流石に信じてはくれないかもしれない。
また寝ぼけていると思われるか、あるいはいつもの戯言だと切り捨てられるか。
どんな対応をされても、ルナに隠し事をしたくない気持ちはある。
でも、これはルナが死んだ未来の話だ。
僕が何もしなければ、三日後に君は死ぬ。
そんな話をするべきなのか?
「……実は魔法の練習も最近はやってるんだけど、ついこの前、魔力色が変質したんだ」
だから、誤魔化すように嘘をついた。
「そ、そんなことあるの?」
「うん。その時から急に魔法の感覚を掴んだんだ。意外と才能あったのかも」
ははは、と僕が軽く笑って見せると、ルナは天井を見上げる。
「あーあ……羨ましいっていうか、悔しいっていうか、なんだろ。またブラムに置いていかれちゃうなぁ。剣はまだまだでも、魔法はそろそろ追い付いたと思ってたんだけどなぁ」
「ルナは大器晩成型なんだよ。剣も魔法も基礎がしっかりしているから、僕みたいに小手先で強い奴なんて学園を卒業する頃には超えてると思うよ」
その言葉に嘘はない。
実際ルナには才能を感じる。そもそも幼い頃は僕よりも強かった。
ただ最近は……何というか生来の才能を上手く活かせていない。
無意識に蓋をしているような感じだ。
それを克服すれば強い魔法騎士になるだろうけど……僕は、原因に心当たりがあった。
「――まだ気にしてるんだろう? あの日のこと」
それは騎士学園入学前、僕とルナがベイリー家で魔法の鍛錬をしていた時のこと。
暴走したルナの魔法に巻き込まれて僕が大怪我をした。普通は魔法を習いたての子供が暴走させてしまったところで大した事故にはならないんだけど、昔からルナの魔力量は規格外だったからな。
あの日以来、ルナは治癒以外の魔法を使うことを怖れているようにも感じる。
「何度も言ってるけど、僕は大丈夫だよ。君がすぐに治癒してくれたおかげで傷跡もない」
「……うん、分かってる。心配しないで」
ルナはそっと目を伏せる。それ以上の追及を断るような言い方だった。
「……そっか」
僕もそれ以上は言えなかった。だって僕も同じだ。むしろ剣を握れない僕の方が症状としてはひどい。
……似た者同士だな、僕たちは。幼馴染だからか?
「だいたい、なんでわたしが心配されてるの。今はブラムの心配をする場でしょ?」
「僕はもう大丈夫だって」
「あんな倒れ方、初めて見たよ――それも、剣を握った瞬間なんて」
そりゃ気になるよな。
「あんまり気にしないで。多分、実戦魔法で集中しすぎたんだよ」
でも、ルナには僕と違って心当たりがない。だから疑問には思っても分からない。
「……そっか、そうだよね」
ルナは納得したように頷いて、立ち上がる。
「あ、レオが保健室まで運んでくれたから、後で感謝した方がいいよ」
「分かった」
「それじゃ、わたしは教室に戻るね。ブラムは体調が落ち着いたら、そのまま早退しちゃっていいみたいだよ。先生の許可は取ってあるから」
保健室から去ろうとしていた彼女は、しかし扉を開く直前で足を止めた。
「ねえ、ブラム……」
肩越しに、憂いのある瞳が僕を一瞥する。
何かを形作ろうとしていた唇は、しかし一度閉じられた。
「――やっぱり何でもない。ちゃんと休んでね」
その笑みは、どこか哀しそうで。
僕は保健室の扉が閉まるまで、ルナの背中を眺めていた。
いったいルナは何を言いたかったんだろう。
というか、ルナの様子もちょっとおかしくないか?
八年間もの空白があったんだ。それに僕の行動だって昔とは違う。
そのせいで違和感があるだけだと最初は思っていた。
でも、何だか様子がおかしい。そもそも、いつもより優しすぎる。昔のルナは確かに駄目人間だった僕の面倒を見ていたけど、もっと日常的に怒っていたはずだ。
これでも十五年間ずっと一緒にいた幼馴染だ。経験則で分かる。
こういう時のルナは、僕に何らかの負い目がある。
だから無意識に優しくなっている。
――つまり、僕に隠し事をしているんじゃないか?
いや、待てよ。
冷静に考えろ。
そうだ。分かっていたはずだろう。学外実習で起こる事件は三日後だぞ?
「僕は馬鹿か……!」
突然のことに動揺し、流されるばかりで、根本的なことに気づけていなかった。
――まず状況を整理しよう。
そもそも僕がルナを殺してしまったのは、彼女が怪人ヴァルトの憑依能力で体を乗っ取られたことに起因する。あの日、僕はヴァルトからルナを取り返すために戦った。
しかし最終的に……僕はルナを殺した。その心臓を剣で貫いた。
あの事件が起きるのは、三日後の学外演習だ。
ルナが唐突に教師を奇襲で殺害し、阿鼻叫喚の地獄を生み出した。
僕はその日ルナと一緒にいたけど、ヴァルトに接触される隙があったとは思えない。
つまり――ルナはもうすでに、ヴァルトに憑依されている可能性が高い。
気づいた瞬間、背筋がぞっとした。
「未来の記憶があること、話さなくてよかったな……」
その話をしていたら、ルナの中に潜むヴァルトに警戒されたはずだ。
眉唾物の話とはいえ細かく語れば本当だと気づかれるし、殺されてもおかしくない。
八年前のあの事件では、数百人の死者と数十人の行方不明者が出た。
ルナを失った僕はそれどころじゃなかったので正確な数字は把握していないが、確か行方不明者はそのまま発見されていないはずだ。死体も見つかっていない。
二年前に戦った時の発言からしても、奴の目的は学生の誘拐だったと考えられる。
魔法騎士の卵である騎士学園の生徒から何らかの適性を持つ数十人を抜粋して誘拐。そしておそらくは……怪人たちの
この誘拐計画の決行が三日後だったのは、その日が学外演習だからだ。
騎士学園が存在する学究都市メレハルトは、多くの魔法騎士が警備している。
いくら圧倒的な戦闘力を持つ怪人とはいえ、そう簡単に手を出せる場所じゃない。
だけど学外演習で都市の外に出る時なら、警備がひどく手薄になる。
元魔法騎士の教師が同行するけど、逆に言えばそれだけだ。
ヴァルトの憑依能力なら奇襲で教師を殺せる。いくら元魔法騎士の強者でも、守るべき生徒に背中を刺されるとは考えていないからな。
そうなれば、後は時間との戦いだ。未熟な生徒たちで怪人に敵うはずもない。異常を察知した魔法騎士がメレハルトから駆けつける前に目的を果たすだけ。
この作戦の成功を許したのは、人類側の情報不足という点が大きいだろう。
当時も人類と怪物は戦争をしていた。ただ、それは原始的な生存競争だ。怪物の知能は低い。そして高い知能を持つ怪人の存在はまだ知られていなかった。だから、怪物がまとまって作戦を練るなんて発想がなかった。そんな状況で魔法騎士の卵を狙われるとは誰も考えていなかったんだ。
おそらく僕が今、メレハルトの衛兵やヒルダ先生に学外演習の危険性を伝えても、誰も信じてはくれないだろう。怪物にそんな知能はないと鼻で笑われるに決まっている。
そもそも根拠を聞かれても「未来を知っているから」としか説明できないのだ。疑わしいにもほどがある。僕でも僕を信じない。
他人からの協力を得るのは難しいだろう。
つまり僕一人でルナの様子を探る必要があるな。
もしヴァルトがすでに憑依しているのなら、どこかでルナの体の主導権を奪って誘拐計画の準備をするかもしれない。数十人もの誘拐だ。相応の準備が必要だと思う。
――というわけで、ルナを尾行することにした。
「ふむ。特に動きはなし……今日も今日とて可愛い、と」
昼休み。食堂で昼食を済ませた僕は、ルナを教室の影から監視していた。
ルナだって必ずしも僕と一緒にいるわけじゃない。そもそも僕は早退したと思っているだろうし、尾行には好都合だ。ルナは今、物憂げな表情で窓の外を眺めている。
「……何してんだ、お前?」
いつの間にか後ろでレオが呆れたような顔をしている。
「話しかけるな。今、僕はとても大事な使命をこなしているんだ」
「……ルナのストーカーになることが、か?」
「誰がストーカーだ」
「というかお前、体調は大丈夫なのか?」
「そういや運んでくれたんだっけ? ありがとう。もう平気だ」
「……それはいいんだが、何か理由でもあるのか?」
「大事な使命だ。簡単には明かせないな」
僕は今、ルナから目を離すわけにはいかない。
その瞬間にヴァルトが顔を出して、怪しい動きをするかもしれないんだから。
「まあとにかく、今のお前めちゃくちゃ怪しいぞ」
「大丈夫だ、ルナには気づかれていない」
僕の隠密能力なら、ルナに気配を悟られないことは容易だ。
「確かにあいつらには気づかれてねえかもしれんが、周りの様子を見てみろ。教室の壁に張り付いて中を見るなんて、廊下から見たら明らかに不審者だぞ?」
そこまで言うならと思い、仕方なくルナから視線を外す。
視線を感じて振り返ると、みんなが気持ち悪そうな目で僕を見ていた。
「……ブラムの奴、何してるの? もしかしてルナに愛想つかされたの?」
「ありそう。未練がましそうな顔してるし、ブラムって。そもそも駄目人間だし」
「いくらブラムでもストーカーは引くわ……」
「ま、待ってくれ。これには深い事情があるんだ。ルナには黙って――」
「何してるの、ブラム?」
「――やぁ、ルナ。今日も可愛いね。結婚しよう」
「はあ?」
ルナは怪訝そうに眉をひそめる。照れるとかは微塵もなかった。
辛辣。
「体調は治ったの?」
「も、もう大丈夫だよ。心配かけてごめん」
「それならよかったけど……それはそれとして、これは何の騒ぎなの?」
「こいつは重大な使命のために動いてるらしいぜ」
「どういうこと……?」
「まあ親友の頼みだからな。俺は黙っておいてやるさ」
要領を得ない、という顔をしているルナを置いて、レオは教室に戻っていく。
こいつは盲点だ。ルナに対する隠密は完璧でも、僕が周りから怪しまれてしまえばルナもその雰囲気の違和感には気づいてしまう。
そのせいで気づかれてしまったのか……。
「不覚だ……完璧な尾行だと思ったのに……」
「尾行? もしかしてまた違う女の子に手を出そうとしてるの?」
その単語を聞いた瞬間、ルナの不機嫌オーラがどんどん強くなっていく。
「い、いや、違うんだルナ。僕には君だけだよ。他の子になんて興味はない」
本心を言っただけなんだが、自分でも説得力をまったく感じない。
「同じ言葉、何回聞いたと思ってるの……?」
昔の僕、何回言ったんだろう……。
ため息をついて去っていくルナに慌てて追いすがる僕。
周りには「まーた夫婦喧嘩してるよ」と呆れた目をしている者が多数。
ルナを助けるために動いているだけだというのに、なぜこんな目に。解せぬ。
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