第一章 絶望の八年前⑤


 講義後、僕はクラスの女の子に囲まれていた。


「ブラムって魔法もすごいんだね!」

「こ、このぐらい、なんてことはないさ……」

「私もブラムくんみたいに強くなりたいです……」

「ぼ、僕ぐらいならきっとすぐになれるよ。毎日ちょっとずつ頑張ろう」

「手伝ってくれますか?」

「も、もちろん。友達のお願いは断れないよ」

「やった……! 約束ですよ!」

「――じゃあ、あたしも一緒にやっていい?」

「みんなずるい! 私も!」


 おいおいみんな、僕のために争わないでくれよ。人気者は辛いぜ。

 ――とでも思い込まないと返答などできないレベルで精神的ダメージがすごい。

 ちやほやされても、これは僕本来の力じゃない。

 このぐらいなんてことはないって? そんなわけないだろ。

 僕ぐらいならきっとすぐなれる? いやいや、これでも元世界最強だぞ。

 息を吐くように嘘をつける自分に嫌気が差してきた。


 ……ルナから氷点下の眼差しを向けられていると察知し、ため息をつく。

 どうしよう。ぼうっとしていると過去と同じような行動になってしまうな。

 僕を囲んでわいわいと盛り上がる女子たちは、ふと思い出したように尋ねてくる。


「ねえブラム。明日からまたお弁当作ってきてもいい?」

「あ、そうだ。この前のデートの約束、忘れてませんよね?」

「家に来てくれるって言ったよね? ちゃんと掃除しておいたんだ。偉いでしょ」


 ――雲行きが怪しくなってきた。

 そもそも僕は彼女らの名前すら憶えていない。

 でも、彼女らは僕と仲良くしていたらしい。そりゃそうだ。関わったことのない相手に対する喋り方じゃないし、半年も同じクラスで学校生活を送っているんだから。

 しかも、なんか内容がおかしい。

 お弁当? デート? 家に行く?

 それを同時に言ってくるのが普通だと思っている彼女らもどうなっているんだ。

 おそろしい勢いで昔の僕を殺したくなってきた。

 これが女の子に甘えながら生きてきたと噂のダメ男界隈最強の男ブラムか。

 だが今の僕は一味違う。

 未来を経験した僕はダメ男を脱したのだ。


「ねえブラム……もしかして約束、憶えてないの?」

「そんなことないよ」

「さっきから名前も呼んでくれないね。どうして?」

「ははははは」

「……流石に、忘れたりしてないですよね?」

「いやいや……そんな、ねえ? 忘れるなんて、うん。大丈夫だって」

「ブラムくん……?」


 ダメ男を脱出した僕は、さっそく追い詰められる。何でだ。ダメ男じゃないのに。

 女の子たちの表情に、徐々に失望の色が滲んでいく。


「ま、待ってくれ。これには深い事情があるんだ」


どうにか丸く収めようとしてみたが、記憶なしでは流石の僕も無理だ。

――いやいや、「流石の僕も」ってなんだよ。無意識の自信にびっくりするわ。


「いくら何でも、ひどくない……?」

「ブラムくんがダメ人間なのは分かってたけど、ちょっと擁護できないなー?」

「――最低ですよ」


 言葉の刃が胸に突き刺さる。

 僕が悪いのでどうしようもなかった。

 怒れる女の子たちはうなだれる僕を置いて去っていく。

 後に残ったのは腹を抱えて笑う親友を名乗る男と、ドン引きした様子の幼馴染のみ。


「はぁ……様子がおかしいから心配してたのに、呆れた」

「ルナ、やはり僕には君しかいない……君が一番大切だよ……」

「それ、あの子たちにも言ったことあるよね?」

「流石は俺の親友だブラム。お前は話題に事欠かないな」

「一番とは言ってないし、好きで話題になってるわけでもないよ……」

「まったくもう……わたしがいないとほんとにダメなんだから」


 頬を膨らませつつもちょっと嬉しそうなルナ。

何というか、ダメ男に引っかかりそうで不安だ。

それを避けるためにも、僕が幸せにしてあげなければ……。


「何だかんだ言いつつ嫁さんがずっと傍にいてくれるんだから、お前は幸せ者だよ」

「嫁じゃないって何度言えば……ていうか、いつまでうなだれてるの? さっさと第二訓練場に行かないと次の講義が始まっちゃうよ。ほら、立って」


 僕はルナに引っ張られるように第二訓練場へと向かう。


「次の講義って何?」

「剣術だよ」


 びくりと体が震え、僕の足が止まった。

 ――剣。その単語だけで反応してしまう体に嫌気が差す。


「……ブラム?」

「あ、ああ……いや、ごめん。何でもないんだ」

「そう……? なら、いいけど」


 ルナに心配をかけたくない。

 大丈夫だ、きっと。だって今、ルナは生きている。

 ――たとえ、あの日からずっと、剣を抜くことすらできていないのだとしても。

 今ここにルナは生きているのだから、僕はもう剣を抜けるはずなんだ。


 そう思っていた。

 そう信じたかった。


 もう過去を乗り越えたんだと、そんな都合の良い幻想を願っていた。

 でも、今ここでルナが生きていることが、僕の罪を消し去ったわけじゃない。

 今度は絶対、ルナを助ける。

 その決意は今も色褪せない。

 しかし、今ここにいるルナを助けたところで、僕がルナを殺した罪が消えることはないのだ。

 絶対に。


 ――だから、剣を握れるはずがなかった。


「お、おい……ブラム=ルークウッド。どうした?」


 第二訓練場。剣術の講義。

 剣を学ぶためには、もちろん剣を鞘から引き抜く必要がある。

 だが、どうしてもそれができない。

 それだけの行為にひどい気持ち悪さを感じた。


 ――剣。

 それは怪物と戦うための武器であり、人間としての誇りだ。

 どれだけ魔法の才能があっても、剣を使えない者に魔法騎士の資格はない。

 剣を握れなくなった僕が魔法騎士の道を諦め、この学園を辞めた理由だった。


 ……たとえ過去の世界に戻ろうと、心は何も変わっていない。

 凍ったように体が動かなかった。

 剣に触れた右手だけが、かたかたと震えている。

 声をかけてきたヒルダ先生やクラスメイトのみんなが不思議そうに僕を見ている。

 昨日までの僕は平然と剣を握っていたはずだし、その反応は当然だろう。


 おかしいのは僕なんだ。

 ……本当は、こうなると分かっていた。

 だから考えないようにしていた。気づきたくなかった。


 剣の天才? 

 剣術成績学年一位?


 大層な肩書きがあったところで、剣を握れなかったら何の意味もない。


「……ブラム」


 不安そうな表情で僕に近づくルナ。

 思わず、一歩退いてしまった。

 ルナに近づかれるのが怖かった。

 かつてのルナと今のルナを重ねてしまう。

 脳裏に、かつての光景が過る。


『ごめん……ね、ブラム』


 僕にとっては八年も前の過去、だがこの世界にとっては三日後の未来に起こる出来事。


『それと、ありが、とう――わたしを、殺してくれて』


 僕の剣に胸を貫かれながら、ルナは柔らかく笑みを浮かべてそう言った。


 ――そうだ。僕の剣が、ルナを殺したんだ。


 激しい吐き気に襲われた。

 地面に吐瀉物をまき散らす。

 慌てたようなみんなの声も、どこから聞こえているのか分からなくなった。

 頭がぐるぐると回る。

 意識が覚束なくなり、平衡感覚もなくなっていつの間にか地面に倒れていた。

 意識がそのまま沈んでいく。


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