第一章 絶望の八年前③
「魔法は基本が大事だ。同じことを何回でも言うぞ。そしてお前たちも、同じことを何回も頭の中で繰り返しながら魔法を使うことだ。基本なくして応用はないと知れ」
ヒルダ先生はそんな風に語りながら、僕らの周りを歩き始める。
「前提の話をしよう。魔法とは何だ? 源流はどこにある? 分かるかブラム」
いきなり僕に聞くのか。
知識面の記憶はほとんど残っているはずなので、頭から引っ張り出していく。
「ええと……元々は中位以上の怪物が備える特殊能力です」
「そうだ。人類が怪物に追い詰められていった理由は、怪物どもの特殊能力に対抗できなかったからだ。だからこそ人類は怪物を分析し、その技術を取り入れた。もちろんそのまま人間には転用できないから、長年に渡って研究し、汎用化した技術を魔法と名付けた」
ヒルダ先生が歩く度に、その豊満な双丘が揺れる。
「可能な限りの汎用化をしたとはいえ、誰でも使えるようにはならなかった。魔法を身につけられるのは魔力的な素養がある者だけで、何年もの修練を必要とした」
たゆん、と動く胸をなんとなく眺めていると、隣のルナにつねられた。
痛い。
「しかし数が少なくとも、魔法使いの力は多くの怪物を上回った。人類の滅亡が危ぶまれていた時代では、魔法使いは希望だった。やがて魔法技術は発展し、魔法使いの数も増え、彼らの奮戦のおかげで人類は持ち直した。だから今こうして、我々は生きている」
饒舌に語るヒルダ先生と、その胸に集中する男子生徒……に、呆れる女子生徒。
みんなは数年後に人類滅亡の危機がもう一度訪れるなんて露ほどにも思ってないんだろうな。
「聞いているか? ブラム」
「なんで名指しなんですか……?」
「自分の行動を省みるといい」
ヒルダ先生はコホンと咳払いをして、話を続ける。
「魔法使いは偉大な存在で、人類の守護者だった。しかし民にとって、彼らが常に頼れる存在とは限らなかった。そうだな、ブラム?」
「はい。魔法使いは本質的に怪物と同じ力を操る。だから民の中には、魔法使いは人の形をしているだけの怪物だと考える者も少なくありませんでした」
「良い回答だ。どうした、頭でも打ったか?」
ちゃんと答えただけで心配される人生だった。過去の僕を殴りたい。
「実際、当時は守ってやっているという強みを誇示して、民をいたぶる魔法使いも多かった」
――嘆かわしい、とヒルダ先生は首を振る。
「それでは怪物どもと何も変わらないではないか。なぁ、レオ」
ようやく標的が変わったのでほっと息をつく。
ヒルダ先生に名指しされたレオは堂々とした口調で答えた。
「そうですね。だからこそ、そんな魔法使いを管理するために一人の剣士が立ち上がった」
「続けろ」
「その剣士は魔法使いでもありました。遠距離から魔法を撃つのが主流だった当時は、剣の補助として魔法を使う彼の戦い方――今の主流である《魔法剣術》の使い手は珍しかった。彼は調子に乗った魔法使いをすべてねじ伏せ、纏め上げることで強さを証明しました」
その名はアイゼア=ベイリー。
僕の幼馴染ルナ=ベイリーの先祖にして、人類を救った英雄だ。
「彼はすべての魔法使いに剣を持たせました。その理由は二つ。一つは対怪物に長けた戦闘技術である《魔法剣術》を普及するため。――そしてもう一つは、魔法使いも人であるという意志の提示です。剣は人が使う武器で、怪物には使えないから」
――我々は怪物ではない。あくまで人として戦っているのだと、この剣で示す。
それは、あまりにも有名なアイゼアの台詞だ。
「レオの言った通りだ。こうして魔法使いの多くは、英雄アイゼアを旗頭に新たな騎士団を設立し、魔法騎士と名乗るようになった。騎士という役職に就いたことで、当初は荒くれ者だらけだった彼らも教養を身に着け、民を守る者としての誇りを持つようになった」
歴史の概要を語り終えたヒルダ先生は一息つくと、ルナに目をやる。
「ルナ、お前のご先祖様は途方もなく偉大な人物だな?」
「――はい。私の憧れです」
先祖の話になって注目が集まったルナは、堂々と胸を張って答える。
くすりと、クラスの誰かが馬鹿にするような笑みを零した。
……ベイリー家は高位貴族で、英雄の家系だ。
ベイリー家に生まれた誰もが魔法騎士としての才覚を発揮し、その名を轟かせている。当然、ルナも相応の期待を背負っている。
しかし現在ルナの成績は剣、魔法ともに並だった。座学こそ学年一位とはいえ、魔法騎士としての実力には関係ない。
だからルナは『期待外れ』という扱いを受けていた。
――お前が先祖に及ぶはずがないだろう。これが今の嘲笑の意味だ。
そんな微妙な空気が流れてもルナは動じず、みんなを意志の強い瞳で眺める。
そしてヒルダ先生に向き直り、宣言した。
「今はまだ足元にも及びませんが、わたしは先祖を超える魔法騎士になります。ベイリー家の末裔として、いずれはこの国を守護する英雄になってみせます」
その言葉には一部の迷いもなかった。
ルナを嘲笑っていた連中は、その大言壮語に肩をすくめている。
呆れを多分に含んだ様子なのは、ルナがもう何度も宣言しているからだ。
最初はその意志に気圧されたとしても、結果が伴わなければ舐められる理由になる。
普通は周りの評価に応じて態度を変えるものなんだが、ルナは自分を信じ切っていた。
「ふっ、相変わらず大きな夢だ。私としても、ぜひ叶えてほしいものだな」
――ああ、昔からこんな少女だった。
柔らかい態度とは裏腹に、絶対に自分の意志は曲げない頑固な性格。
その危なっかしい立ち回りが放っておけなくて、僕はずっとルナの傍にいたんだ。
……放っておけないのは僕だって? いやいや、そんな馬鹿な。
僕が自分を擁護していると、空気の悪さを嫌ったのかヒルダ先生が話題を元に戻す。
「さて、軽く歴史を振り返ってみたわけだが……ブラム、これは何の講義だ?」
「実戦魔法です」
「そうだ。魔法の講義は常に先ほどまでの歴史を前提に置かねばならない」
そこまで言って、ヒルダ先生は腰元の剣を引き抜いた。
「魔法騎士の本懐は、あくまで剣だ。英雄アイゼアが体系化した
ヒルダ先生の言うことは正しい。
一般的に、剣士は魔法使いには勝てないし、魔法使いは魔法騎士には勝てない。
――もちろん例外も存在するが。
「さて、魔法騎士にとって剣の役割は二つある。一つは近接戦闘の武器。これは当然だな。そして、もう一つは魔法の触媒だ。ルナ、後者の役割について説明できるか?」
「学園から私たちに貸与されているこの剣は、正式には《魔剣》と呼ばれており、魔水晶という特殊な素材で造られています。魔水晶は魔力に指向性を与える性質を宿し、すべての魔法はこれを媒介にすることで発動します。だから、剣は魔法を使うためにも必要不可欠です」
魔力とは、物理法則に干渉する性質を宿す特殊なエネルギーだ。
しかし、そのままでは物理法則に多少の「揺らぎ」を与える程度の効果でしかない。だからこそ、どんな法則に干渉するのかを決められる魔水晶は重宝された。
「流石だな、ルナ。ちなみに魔法使いの時代は魔水晶で杖を造っていたが、《魔法剣術》とともに魔剣が普及して廃れた。稀にいる純粋な魔法使いが使っているとは聞くが」
ついでのように言ったそれで想起したのは、銀色の女だ。
伝説の魔女ローズ=ローレンス。
あいつは杖しか使わないが、まあ規格外すぎて参考にならないな。
「――と、話が脇道に逸れすぎたか。本題に戻ろう」
ヒルダ先生は苦笑すると、その剣を正眼に構えて目を閉じる。
「《補助魔法/基礎》起動――《肉体活性》」
その呟きは、世界に対する認識を変革する自己暗示。
《詠唱》と呼ばれる魔法発動の鍵だ。
――たとえば、人間は空を飛べない。当然だ。そう、当然だと思うのは、僕の思考にそれが常識として根付いているからだ。魔法という技術を知っていて、空を飛ぶ魔法があると理屈では分かっていても、僕は無意識に世界をそうやって認識している。
なぜなら、「魔力を使って世界を騙す」という魔法の本質を理解しているから。
「詠唱によって自己認識を変革し、体内魔力を操って触媒となる魔剣に注入する。すると魔力保有者の認識と現実の差に気づいた魔水晶が魔力に指向性を与え、物理法則を歪める」
そんな風に説明するヒルダ先生の体を青い魔力が覆う。
しかし、すぐに体の内に染み込むように消えていった。
これで《肉体活性》という魔法が発動状態になる。
効果は単純に、身体能力の強化。
これをきちんと使えるかどうかが魔法騎士の実力に大きく関わる。
「――これが、魔法だ」
先ほどまで僕らの前で語っていたヒルダ先生の声が、後ろから聞こえる。
クラスメイトのみんなが驚きの声を上げて一斉に振り向いた。
「工程に対する意識を怠るな。少しでも杜撰になれば、魔法の効果は急激に落ちるぞ」
僕には先生の高速移動が見えていたけど、みんなからすると一瞬だろう。
「お前たち一年生はまだ三種の
補助魔法の
攻撃魔法の
防御魔法の
この三種さえ使えるようになれば、そこらの怪物には負けないだろう。
それに基礎とはいえ、奥は深い。
学生は派手で強力な魔法に惹かれがちだが、実戦で使えるのは地味で堅実な魔法だ。剣を主体にする以上、それだけでも十分に戦える。
実際、魔法使いの僕だって基礎魔法三種を主体にしているからな。
「この手の魔法は実践して体に慣らしていくのが手っ取り早い。今日は模擬戦形式で講義を行うぞ。二人一組になり、基礎魔法三種を使って戦え。他の魔法は使うな」
ヒルダ先生の言葉で、みんなが色めき立つ。
地道な基礎練習より勝ち負けを決めた方が面白いからな。
「――よし親友、やろうぜ」
そう言いながら寄ってきたのはレオだ。
僕と組むつもりだったルナが目を丸くする。
「レオ、ブラムと戦いたいの? 魔法成績一位のレオが?」
「ああ。悪いけど、ちょっと旦那さん借りるぜ」
「旦那じゃないって何度言えばいいのかな?」
「なんで僕なんだ? 剣ならともかく、僕の魔法の成績は並もいいとこだぞ」
「そろそろお前の本気を見せてもらおうと思ってな」
「ああ……だってブラム、心を入れ替えたって言ってたもんね?」
「あれだけ言ったからには、手を抜くなんて真似はしねえだろう――なぁ?」
確かに魔法は手を抜いていた記憶がある。
模擬戦なんてまともにやったことはなかったはずだ。
「……なるほどな」
心を入れ替えると言えばこうなるのか。
記憶がないので確かめる方法はないが、おそらく僕の発言で歴史が変わっている。
「わたしも本気のブラムとは戦ってみたいけど……今のわたしじゃ、あなたの本気は引き出せないか。そうなると、わたしは他の人と組まないといけないなぁ」
ルナはちょっと寂しそうに呟き、僕から離れていく。
あんな空気になったばかりだし対戦相手が見つかるか不安だったが、
「おーいルナちゃん! 空いてるならやろうよ!」
――杞憂か。そりゃそうだよな。
ルナは普段から真面目で優しいから。
疎ましく思っている連中もいるけど、それ以上に友達がたくさんいる。
何なら疎ましく思われている上に友達も少ない僕の方が悲惨だ。
悲しくなってきた。
どうして事実を述べると自傷行為になるんだ。人生に問題がある。
「そんな顔するなよ、親友。やる気なら俺が出させてやる」
何を勘違いしたのか、レオが楽しそうに告げる。
僕が悲しいのは、友達らしき人物が現状お前しかいないことだが?
「ところで、なんでそんなにやる気満々なんだ……?」
「そりゃ、初めてお前の本気が見られるかもしれないんだ。当然だろ?」
「買い被りすぎだろ」
レオは魔法成績一位だったか。
対等に渡り合える相手を期待しているんだろうが、残念ながら見込み違いだ。
僕が魔法で手を抜いていた理由は、魔法の才に見切りをつけていただけだ。
不貞腐れていたと言ってもいい。
だから魔法成績一位に及ぶような実力ではまったくなかった。
しかし、今の僕は魔女と契約しているので話が変わってしまう。
「……まあ、いいか」
どのみち、この体で魔法を使えるかどうか今のうちに試しておきたい。
「お、やる気になったか。楽しみだぜ」
十メートルほど距離を置いて、レオと向かい合う。
――模擬戦が始まった。
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