日本における文化盗用

 今回の話題は「日本における文化盗用」についてです。


 度々、欧米、いやアメリカで話題になる文化盗用。下着メーカーの名前をkimonoとして炎上して変更することになったり、とある展示物の前で着物を着て記念撮影しようというイベントが炎上して中止になったり、とある有名人が日本語でタトゥーを入れて炎上したり……日本関連のことだけでも多々ありますよね。


 日本は勿論のこと、世界的にも文化と言うものは交流し、その土地流に変化しながら取り入れられていくことでその土地に根付き、また新たな文化となる。そんなものです。

 洋服を日本のものだなんて言う人は居ないけれどゴスロリを日本文化だと思わない人は居ないでしょう。いや、原宿文化かもしれないけれど、日本にある一部の文化であることに違いはありません。少なくともどこか別の外国の文化だと思っている人は居ないはずです。原宿は日本ではないと思っていない限り。


 そもそも文化なんてものは一部の人の一部の習慣です。特徴と言ってもいいかもしれません。だけどこれをレッテル貼りだと嫌がる人がいます。

 関西人が関西弁で話す。ただそれだけのことも関西人が皆関西弁で話すと思うなよ。それは偏見だ! と怒る人もいるかもしれません。

 そんな少数の意見が文化盗用の始まりだったと私は思っています。


 ただその始まりは偏見からの差別だと感じてしまった人が居るというお話。いつの世もはみ出し者は居るわけで、その人達の声が拡散しやすい世の中だったからこそ起こったことだとも言えます。

 そこからどうして文化盗用という話になったのかというと、私は著作権と言う資本主義が生み出した価値観が問題だと思っています。


 著作権というものは近代取り入れられた価値観です。

 分かりやすいところで言うと、昔はどれだけ著作物を知っているか、それをどう自分流にアレンジしたものを提示できるかで教養のある人物であると言われていました。相手の好きなマイナーな作品をアレンジしたものを提供出来るとこいつは粋な奴だと言うことになるわけですね。それだけ広く作品を知っているということですから。

 でも著作権という考え方が出て来て、そういうオマージュは全てパクリだと言われるようになりました。どれだけ作品を知っていて、それらを避けた新しいものを提供できるかが教養のある人物だという評価に変わったのです。

 日本には未だにこの著作権という考え方が根付いていない感じがします。著作権というものが知られていないうちは日本の技術を海外の人に取られ、日本が生みだしたものなのに日本が使用料を払わないといけないというものすらあります。よって商業分野では著作権という考え方はそれなりに入り込んできています。

 けれど、コミックマーケット所謂コミケの二次創作作品は有名なのにも関わらず見逃されているところなど見ても分かる通り、欧米に合わせるべきところは合わせて利益を奪われないようには立ち回るけど日本内くらい自由にさせろと言っているかのようです。


 でも、欧米では違います。文化盗用という言葉が出てくるくらい著作権という考え方は根付いています。強迫観念と言ってもいいかもしれません。特にアメリカは訴える為の敷居が低いです。相手のものを盗んだ、盗まれたということが訴えに繋がる為、慎重にならざるを得ないのかもしれません。

 結果的に個人や会社レベルではなく、種族や国家などが持つ文化という独自のものにも著作権というものがあるかのように一部の人が思い、そういう差別があると思い込んでいる人達の声と相まって、文化盗用という言葉が産まれたのだと思います。


 また、欧米人の中には植民地支配などで他国を支配し蹂躙した罪悪感……否、我が国がそんな未開なことをしていたなんてと嫌悪感を抱いている人達もいます。行き過ぎた正義感というか、差別撲滅運動がこの文化盗用を後押ししているところもあるのでしょう。また、どこかの国の文化を奪うのかと。

 この中には黒人や東南アジア人などの被害者意識を持つ者達もいることでしょう。勿論実際にそれらの国は被害を受けて来たわけですが、過去の文化を取り戻す活動ではなく、再発防止対策のみに注力してしまっている不満をぶちまけるだけの人々になっているとしか思えません。勿論、きちんと活動していらっしゃる方もいるのでしょうが、それは少数でしょう。


 ここで日本は植民地支配されていないし、文化を破壊されていないから分からないんだ! と言う人もいるかもしれません。もしかしたら日本も韓国や台湾、パラオなどを植民地して支配し破壊した側だからという人もいるかもしれません。いや、植民地ではないんですけどね。

 ただ言えるのは日本もある意味文化を破壊されたから今こうしているんです。第二次世界大戦後はどこの国も目に見える武力行使での圧制、破壊は殆どしなくなりましたけど、日本人に自虐史観を植え付ける教育を施すなど自ら日本を嫌うようにして文化を破壊するということはされているんです。

 まあ、日本の文化は輸出されると自ら進んで取り入れたくなる魅力的な文化だと言う評価を受けているので、例え一部であっても受け継がれていくのでしょう。日本人も徐々に自分達の文化の素晴らしさに気付いて、自虐史観を跳ね除けて本来の日本を取り戻そうとしている人達も増えています。そんな綻びが目に見えて広がっているので、完全に日本文化が消滅することは心配していませんが、それでもかなり消滅したのは事実でしょう。

 世界で一番古い会社であった金剛組が資本主義社会で利益を生み出すことが出来ずに子会社化したのがその象徴とも言える出来事でしょう。本当に国がこの会社を守らなかったのは失望しかありませんでしたが、政府の構成員も自虐史観を植え付けられた人間ですからね。仕方ない部分もあると思っています。そんなに簡単に克服できる問題ではありませんから。



 これ以上話すとまた中国がどうこうという話になりそうなので、ぐだぐだですがこれで終わりましょう。

 よく考えたら「私が推測する文化盗用の成り立ち」という話題になっていた気もしますが、著作権や資本主義って改めて害悪だなと思ったことが始まりなので仕方ないですよね。

 取り敢えず、日本人は今のところ文化盗用なんて気にしていません。日本は海外の文化の良いところだけを取り入れて日本の文化としていくという特徴が変わらない限り、日本人に受け入れられることはないでしょう。そんな日本が変わらないでいて欲しいと思います。分断された世界なんて面白くありませんから。

 まあ、下着メーカーにkimonoという名前は単純に似合ってないと思ったのは私が日本人だからなのでしょう。

 それにしても文化盗用を煽ることで利益を得ているのって誰なんでしょうね。



 以上、印象論で話す「日本における文化盗用」でした。



※個人の意見な上に、正しい情報でないかもしれないから、あまり真に受けないで下さい。

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