11.帰路の一幕

 アンティークな街灯に飾られた夜の大通りを、紅茶色の髪をした兄妹が歩いていた。

 あんなにも溢れていた喧騒はまばらになり、透き通った空に降ろされた濃紺の帷を、銀色に輝く星が刺繍のように飾る。

 大通りに敷かれていた黄金色の――沢山の落ち葉が寄せ集まって編まれている――カーペットは、街灯が落とす暖色の光を穏やかに吸い込み、ブロンズのように鈍く輝いていた。

 吹く風は、氷に浸ったかのように冷たい。

 兄は羽織っていた黒い外套を脱ぎ、腕をさすり目を細める妹の肩にそっとかけた。彼女は小さく『ん』とだけ呟き、衿を引っ張って華奢な体を覆う。


「寒いですね、クローフィー」


「うん」


 人の波にすっかりと溶け込む二人の言葉に気づくものはいない。堂々と、二人は言葉を交わす。

 エプレの街の気候は、昼はうたた寝をしたくなるほど心地よく、夜は人を嫌うように冷え込むのだ。

 行き交う人々の吐く息は白く、頬はあかい。呼吸を持たない二人は、夜空に掻き消える白色を見て、改めてこの街の寒さを実感する。

 温かいココアが飲みたいねと話す親子の会話に、兄妹も心の中で賛同を示した。

 ドールは本来、寒さや暑さなどの環境への耐性は高いのだが、初期型である二人においてはその限りではない。寒いと動きは相応に鈍るし、暑ければオーバーヒートを起こす確率も高くなってしまう。年長者――特にクローフィー――は繊細なのだ。

 クローフィーは手のひらに息を吹きかける真似をして、洗うように擦り合わせた。人間の行動を模倣することに意味はない。しかし、錯覚することはできる。

 幾分かあたたかくなったように感じる手のひらで頬を挟み込みながら、クローフィーは先ほどの邂逅を回想していた。

 地獄の底から迎え殺しに来たと語り、まるで焦がれるように自分の名前を呼ぶ、あの青年の姿を。


「アル、でしたっけ。彼」


「うん」


 クローフィーの思考を見透かしたようなタイミングで、まるで回想を遮るように、ヨシュアは口を開いた。彼にしては珍しい温度のない声色が、青年の名前を象る。

 思わず、クローフィーはヨシュアの方を見た。どうしたのかと、そう問いかけるような視線を感じて、彼は――ほんの一瞬前では、凍てつくように前だけを見ていた――蜜色の目をゆるく曲げる。

 一見すれば普段通りの視線。その中に混ざり込む、ささやかな氷の結晶に気づいたらしい。クローフィーは、兄の表情を覗き込むように首を傾けた。


「彼のことを、どう思っているんですか? クローフィー」


 まるで純粋無垢なガラス玉のような視線から逃れるようにヨシュアは、やはり彼らしくもない、ひどく曖昧な質問をクローフィーに投げかけた。

 思わぬ質問に、もはや体がまで傾いてしまうほどに深く、彼女は首を傾げる。肩をなめらかに流れる紅茶色の髪を無意味に撫でながら、クローフィーは数回睫毛を重ねた後、体を正した。

 一連の愛らしい動作に、ヨシュアは思わずクローフィーを撫で回したい衝動に駆られたが、ぐっと抑えることに成功する。危ない危ないと、心の中の彼は汗を拭った。


「どう思った、じゃ、なくて?」


 曖昧に投げつけた球が、魔球になって打ち返されたようだ。不意を突かれ、緩みきっていたヨシュアは目を丸くする。

 数秒間の沈黙。周囲の雑踏がなければ、街灯の炎が身震いする音さえ聞こえてきそうなほど、静かで、停滞した時間が過ぎる。

 降参だというように眉尻を下げながら、ヨシュアは音声化された息を吐いた。


「相変わらず、クローフィーは鋭いですね。さすがは僕の妹です」


「兄さんの調子、が、悪いんじゃ、なくて?」


「うーん、クローフィーは手厳しいですね」


 その通りなんですがと付け加えて、ヨシュアは肩をすくめる。やっぱりというように、クローフィーは緩く瞼を降ろした。

 兄の不調の原因は分からないが、尋ねるつもりもない。それに、例え訊いたとしても、どうせ答えてはくれないだろう。彼はいつでもそうだ。大切なことほど、口には出してくれない。

 嘘を重ねるよりも丁寧に、真実を暴くことよりも残酷に、口を閉ざす選択をする。

 クローフィーは、思考の流れを本来の質問の方へと戻すことにした。

 アルについて、どう思っているのか。その質問は、己の意思をほとんど持たないクローフィーにとって、かなり難易度の高いものだった。

 戦場においての判断は、所詮は状況を見て機械的に処理された解決策であり、彼女の意思には到底なり得ない。

 どう思うのか、またはどう感じるのか。それは、本来無機物には不要な代物だ。クローフィー達ドールのように、ただ奪うモノであるのなら尚更。下手な感情移入は、己の瓦解を招く。

 意思とは、無機物を蝕む唯一の毒となり得るのだ。


「……どうも、なにも。彼は、敵。それ以外に、何か、あるの?」


 視線だけをヨシュアの方へ向けて、クローフィーは答える。透明度の高い蜜色の視線が、ヨシュアを射抜いた。

 予想も容易いはずの返答。だが、ヨシュアはらしくもなく目を開き、足以外の動きを止めた。パチパチと、素早い瞬きが連続する。

 やがて、睫毛は羽を休める蝶々のような落ち着きを取り戻し、小さな「あ」が発音できる程度に開かれた唇は、緩い微笑みを象った。

 それは安堵とも、寂寞せきばくともとれる。あたたかくて、奄奄えんえんとした呼吸さえも聞こえてくるような。

 矛盾した、曖昧な微笑みだった。


「そうですか」


 簡潔な返答をして、紛らわせるように、ヨシュアはクローフィーの甘やかなミルクティー色の髪を一束すくいあげる。 縋るような指先から、さらりさらりと髪が流れ落ちていく様子を、彼は黙って眺めていた。

 やがて落とされた口付けは、微睡む子供のまろやかな頬にするような、優しく柔らかなものだった。

 なんだか頼りない兄の様子に、クローフィーは小首を傾げる。だがやはり、尋ねはしなかった。例え訊いたとしても、どうせ答えてはくれないのだから。

 だがこれだけは分かる。ヨシュアが閉ざした口の奥には、必ず大事な何かが潜んでいると。それが何か、検討はついたことがない。というよりも、本当はどうでもよかったりするのだ。

 何を隠していようが、実は何もなかろうが。やることは、やるべきことは、微塵も変わらないのだから。マスターのために多くの人間を殲滅する。それだけだ。


「次は必ず、殺す」


「……そうですね」


 ただ真っ直ぐ前を見ながら、クローフィーは低く呟いた。伏せ気味の視線で、ヨシュアは応える。

 頼りのなさや歯切れの悪い理由はどうでもいいことなのだが、調子は狂う。クローフィーはバツが悪そうな様子で、落涙をすくいあげるように目元を摩った。


「兄さん、帰ったら、その……チョコレートプリンが、食べ、たい」


「クローフィーの個人的なお願いとは、珍しいかつとっても嬉しいことですね。よし、わかりました。僕にお任せを! 早速、材料を買って帰りましょうか」


「うん」


 クローフィーの一言で、兄のご機嫌は恐ろしい速度で回復した。さすがはドール随一のスピードをほこる機体、といったところだろうか。情緒の入れ替わりも素早い。

 早くしないと店が閉まってしまうからと、ヨシュアはクローフィーの手を握り、早足に歩き出した。


「ついでに、温かいココアでも買っていきましょうか、クローフィー」


「そう、だね」


 すれ違った親子の会話を思い出して、ヨシュアは提案する。微かに頷きながら、クローフィーは肩にかけた外套を、空いている片手で抱え込んだ。

 あいも変わらず、この街は寒い。人を拒むほどの寒冷は、時に人と人との繋がりと、そのあたたかさを実感させてくれる。それは皮肉にも、無機物も同じのようだ。


「……?」


 ふと、何かに襟を引かれた気がして、クローフィーは後ろを振り返る。しかしそこには、何もない。アンティークな街灯が並ぶ大通りと、整理された本棚を思わせる住居や店が佇むばかりだった。

 気のせいかと、クローフィーは前を向く。その時ほんの一瞬、こちらを振り返るヨシュアと視線がすれ違った。


「早く、行きましょうか」


 姿の見えない何かから逃げるように、ヨシュアは歩みを早める。

 自分にはなにも見えなかったが、彼には、なにが見えていたのだろう。

 それを尋ねることもなく、クローフィーは黙って腕を引かれた。

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