12.宿屋にて

 双星との邂逅を終えたアルは、怒涛の勢いで休憩場所として利用していた食堂にたどり着いた。

 壊れんばかりの勢いで開かれたドア。豪快な音に惹きつけられた人々の視線が、その前に立つ青年の迫真すぎる表情に騒然とする。何かの事件かと憶測する声を皮切りに、場は時間が止まったように静まり返った。

 静止した空間の中、コツコツと一つ靴音が響く。運動時に生じた汗とも冷や汗ともとれる水滴を拭い、アルは靴音の方に視線を向けた。

 そこには案の定、アルが置き去りにしてしまった紙袋を抱えたアメリアの姿があった。


「なんだ、聖女様のお知り合いか」

「はぁ、びっくりした」

「聖女様がいるなら、何が起きても大丈夫だな」


 彼女の姿を見とめるやいなや、人々は安堵の息を吐いた。聖女様がいるなら安心だ、と。そして食堂は、元の穏やかな色を取り戻す。

 赤錆色の視線が、目元に深い影の落ちた微笑みを浮かべたアメリアの視線とかち合う。誤魔化すようにアルは首に手を添えるが、丸まっていた背筋は冷たい鉄棒を差し込まれたように伸びている。


「お帰りなさい」


「わり……は?」


 緊張の第一声。怒号を浴びる覚悟していたアルは、謝罪の言葉を紡ごうと唇を開き、代わりに呆けた声をもらした。

 彼女の口から発せられたのは、叱責や怒りの言葉ではなく、温かな歓迎の言葉だったのだ。どうやら目元の影は、アルが見た幻想だったらしい。妙な緊張感を解いて、アルは強張った肩を下ろした。


「遊び盛りの貴方に、お留守番は酷だったかしら」


 前言撤回しよう。アメリアはしっかりと、然るべく、怒っていた。低くなった声のトーンが、それを物語っている。

 不発弾が回収後に爆発したような思わぬ爆撃に、アルは硬直する。彼の肩を軽く二度突いて、アメリアは微笑んだ。


「ほら、帰ってきたらなんて言うんだった?」

「知らねぇよ」

「うん?」


 声音をいつも通りに戻して、アメリアは微かな反抗心を見せたアルに追い打ちをかける。

 優し気な笑顔が、逆に恐ろしい。気圧され視線をふらふらと逸らしながら、アルはきつく口角を結んだまま言葉を紡ぎ始めた。

 

「……いま」

「うん? 聞こえないわね」

「た、だい……ま」

「はい、よくできました」


 全身、その穴という穴から火が吹き出たような感覚がアルを襲う。

 アルは齢十七の、本来ならば青春真っ只中にいる青年だ。親にもちょっと反抗してみたくなる、そういうお年頃だ。人前で怒られて、挨拶を教えられるなんて、まるで幼子のように扱われる現状に耐えられるはずもない。

 これでもかというほどの羞恥心が、アルの体温を急激に上昇させていく。

 それで気をよくしたのか、実はあまり気にしていなかったのか、どちらとも取れるような晴々とした微笑みを浮かべながら、アメリアはアルの頭を撫でようと手を伸ばした。


「あー! アメリアだめだよ! なでなでは僕にするの!」


 アメリアの手が芝生のような赤錆の髪に触れる寸前。もはや獲物に喰らいつく狼が如く勢いで飛んできたネージュが、彼女の手を強引に抱え込んだ。

 微動だにしないアメリアは、仕方がない子ねともう片方の手でネージュを優しく撫でる。


(なんでフードの耳が動くんだァ……?)


 ネージュが被る赤いフードの上でご機嫌に揺れている、狼の耳を模したファーを訝し気に眺めながら、アルは大きなため息を吐いた。

 因みにそのため息は、現状と、ファーと、ファーに突っ込んでしまった自分への呆れが具現化したものである。

 ネージュの髪を優しく梳くように手を動かしながら、アメリアはアルへと視線を移した。


「そうそう。アル、貴方の部屋なのだけれど、階段を上がってすぐ左の、一番壁際に用意してあるわ」


「部屋だァ?」


「あら、聞いていなかった? 貴方、今日からネメセイアの一員になるのよ」


 聞いてねぇよと危うく叫びかけた唇が、酸欠の金魚じみた開閉を繰り返す。血管が浮き出るほどツッコミ衝動を堪え、あくまで冷静に


「聞いてねぇよ」


 と、返した。ここでツッコんでしまえば、アメリアの思う壺。彼の冷静な反応に、彼女は少し退屈な様子で首を傾げた。


「あら、それは失礼。ルクスさんに、伝えてねってお願いしたはずなんだけれど……」


 ハの字に曲がった眉が困惑を示す。アルは内心で、例の鴉のような医師を思い浮かべた。

 脳内の彼はこう言った。『僕はちゃんと伝えたよ? もしかして、お説教をちゃんと聞いていなかったのかな?』

 彼ならば、確実に言うだろう。そんな確信が、アルにはあった。


「まぁいいわ。軽く案内したいから、一度宿屋へ戻りましょうか」


 イマジナリールクスを振り払って、アルは食堂の奥の階段へ向かうアメリアに続く。片手に紙袋を、もう片方に未だ甘えるネージュを抱え歩く様は、やはり歴戦の戦士じみた風格を感じさせる。

 密かに感心しながら、アルは上の階へと視線を移した。どうやらネメセイアの拠点である宿屋は、この食堂の上にあるようだ。

 だが、それらしい雰囲気は全くない。ぱっと見たところ警備は皆無で、先鋭部隊の拠点とは思えぬほど、ごくごく普通の宿屋に見えた。

 アメリアを先頭に階段を上る。その先の開けた空間には、簡素なラウンジが設けられていた。

 木造りの柵に沿うように、丸テーブルと、向き合って設置された一人用のソファーが、二組ずつ置かれている。側には自動販売機――見たところ、種類は少ないようだ――も完備されていた。

 正面には、もう一つ幅の広い階段が見える。

 アメリアは一度立ち止まると、アルの方を向いた。


「ここは簡易のラウンジよ。そっちの階段は会議室に繋がっているわ。会議室は、使われていない時はメインのラウンジになっているの。ちょっとしたゲームもあるから、息抜きにはちょうどいいんじゃないかしら」


 その間、ジュースを強請るネージュに硬貨を握らせ、アメリアは説明を続ける。ネージュは嬉しそうにアメリアの腕から離れた。


「毎朝七時には朝礼があるから、寝坊せずに会議室に来るようにね」


 朝七時。そのワードに、アルは苦々しい顔で首に手を添えた。彼は朝にとても弱い。

 ルッケディーグの守衛を務めていた際も、朝礼なんかにはよく遅刻した。最初の一回は――徹夜した勢いで――出席したが、やがてアルを起こしに来るものはいなくなり、彼は寝坊のプロフェッショナルと化した。

 

「あいよ」


「あ、これ絶対起きてこないやつだわ」


 アルの額に寄ったシワと適当な返事を受け、アメリアは悟ったように苦笑する。

 ジュースを握り戻ってきたネージュは、何事もなかったようにアメリアの腕に収まった。


「はいこれ。そのストラップに書かれてる番号の扉が、貴方の部屋になるわ」


 気を取り直して、アメリアは銀色の鍵をアルに差し出した。チェーンで繋がれた丸いストラップの中心には、『⑩』と書かれている。

 アルが鍵を受け取ると、アメリアはよいしょとネージュを抱え直し、階段の方へと足を向けた。


「貴方の部屋に支給品が置いてあるわ。最後まで案内できなくてごめんなさいね。弟の様子が心配だから、孤児院に戻るわ。何かあったら連絡してね」


「弟、病気なのか」


 突然の問いかけに、アメリアは踏み出していた足を引き戻す。戸惑うように揺れる声音。顔は前に向けたまま、彼女は答える。


「……えぇ。それも、とても難しい病気でね。あの薬じゃないと、治らないらしいの」


 アルは内心、連絡の方法を尋ねるつもりでいた。だがしかし脳裏によぎったのは、『弟に渡して』と紙袋を子供に預ける彼女の姿だった。

 その深い意味は分からないが、アルの直感が尋ねろと囁きかけてきたのだ。そしてその直感は、見事に違和感を引き摺り出す。


「らしいってのは、どういうことだァ? まるで他人事じゃねぇか」


「リーダーがそう言ってたからよ。私は医者ではないし、詳細はわからないの」


「随分と深く信頼してんだな」


「貴方こそ、随分と深くまで踏み込んでくるのね」


 互いに背中を向けたまま、言葉を交わす。

 アメリアの声音は淡々としていて、感情の機微を感じとる事は難しい。浅いため息を吐いて、アルは一歩踏み出した。


「そりゃ悪かったな」


 小骨が喉に刺さったような違和感をそのままに、二人は歩みを進める選択をした。『ばいばーい』と、ネージュの間伸びした声がアルの背を追う。

 ストラップに書かれた番号の部屋の前で立ち止まり、アルは軽く舌打ちをした。


「ったく、どーやって連絡すりゃいいんだよ……」


 そうため息混じりに呟くと、首筋に爪を立てながら、鍵を鍵穴へ差し込んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

殺戮ドール frange @fran2525

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ