8.奇縁
「彼はアル・パーヘリオン、私たちと同じ異能力者よ。この子はネージュ。色々なお手伝いをしてくれるの。二人とも、仲良くしてね」
(アメリア、その紹介の仕方は怪しすぎるってもんだぜ)
彼女の容姿とアメリアの意味深な発言を照合すると、あっという間に危険な人物像がアルの脳内に構築される。彼女は殺し屋だとか運び屋だとか、その方面の人間なのかもしれない。
言葉の綾にすぎないのかもしれないが、それにしても、だ。
彼女がナイフを持って返り血を浴びる様を想像するのは、そう難しいことではない。
「アル、よろしくねぇ」
思わず目を
特に目を引いたのは、指の付け根を覆う火傷の跡だ。まだ新しいものらしく、白く変色した皮膚が魚の皮のように弛み、中から薄桃色の肉が覗いている。その周囲の皮膚は、黒く乾き引きつっていた。
特に驚くでも嫌悪するわけでもなく、傷を見た数秒後、アルは気怠そうなため息を吐くと、ふいっとそっぽを向く。
「お前と仲良くする気はねーよ」
「……ひどぉい。ねぇ、なんで? なんで仲良くしてくれないの? なんで目を合わせないの? それってやっぱり、僕がキモチワルイから……?」
拒絶の言葉に、ネージュの手がぴたりと止まった。涙を堪えるように、はたまた微かに笑いをもらすように、問いかける声が震えている。アメリアは焦った様子で、彼女を宥めようと手を伸ばす。
それより先に、アルは逸らした顔を今一度ネージュの方に向け、彼女の鼻先に自分の顔を近づけた。赤錆の三白眼が、じっと彼女の目を捉える。
「むしろ、整った顔だ。傷の位置も悪くねぇ」
「へ……?」
「あらまぁ」
悪い人相はそのままに、至極真面目な声音で、アルは告げた。その言葉は心の底からの本音らしく、羞恥や下心の類は一切見られない。
口説いているともとれる彼の言動に、ネージュは開きかけの唇を抑えて熱に潤んだ瞳と頬、はにかみを隠すように下を向く。恥じらうその様は、年頃の乙女そのものだ。アメリアは、青春の一端を目の当たりにしたような、微笑ましい気持ちで伸ばした手を引っ込めた。
(動いてなきゃ、もっといいんだがなァ)
その実、これがアルの本音の本音であった。実に致命的で、歪んでいる。
ふわふわとした淡い雰囲気に包まれる女性二人とは裏腹に、彼は口惜しげに首をさすっていた。
「それじゃ、買い出しに行きましょうか。ネージュ、貴方もついてきてくれる?」
「いいけど、この男も行くんでしょぉ? 本当は二人っきりがいいんだけど、我慢してあげる。だからぁ」
気を取りなおすために、パンッと手を叩いてアメリアは言う。彼女の言葉にネージュは頷き、甘える猫のようにアメリアに体を擦り寄せた。ネージュの感情に合わせるように、なぜか狼の耳を模したファーもゆらゆらと揺れる。
「後でご褒美、ちょうだい?」
「ふふ、もちろんよ。それじゃぁお願いね、ネージュ」
「はぁい」
ご褒美の約束を取り付けご機嫌のネージュの頭を撫でながら、アメリアはアルにも目配せをする。わあったよと、アルも視線とため息を返す。
弾むように駆け出したネージュの背を追いかけて、赤いステンドグラスの見送りを受けながら、三人はエプレの街の市場へと歩き出した。
***
数時間後、アルは宿屋の食堂でのびていた。その横に、街の人々からもらった品々と手紙等が大量に詰められた紙袋が同席している。
人の波にもまれ、街の活気に叩きのめされ、二人の生き生きとした雰囲気に毒されたアルは、大人しく紙袋の守衛に務めることにしたらしい。
あらかたの買い出しを終えた後、意気揚々とネージュのご褒美を買いに行った二人の背中を思い出して、思わず身震いをした。
この紙袋は、エプレの街では有名な聖女――アメリア・フローレンスを慕う人々からのお礼と、厚意の詰め合わせだ。
彼女の類まれなるボランティア精神は多くの人々を救い、感謝は一種の信仰のように変わっていき、彼女はいつしか聖女と呼ばれるようになったらしい。
人のために尽くす女から、聖女へと昇華したきっかけがなんだったのかは、アメリア自体も忘れてしまっていたため不明だが、おおよそ見当はつく。責任の放棄、転換を楽にするためだ。捻くれているアル青年は、そんなふうに確信している。
アルは首をもたげ、シロップを三つほど投入したアイスティーを、だらしなくも手を使わずにストローから吸い上げた。ズゾゾゾッと豪快な音がする。
同時に、アルはとある出来事を回想していた。それは、迷子になったネージュを探して辿り着いた、リンゴ売りの屋台での事だ。
***
「ねぇ、アル。ネージュを見なかった?」
「あぁ? 見てねぇけど」
鮮度のよい野菜の詰められた袋を抱えながら、アメリアは向かいの店から出てきたアルに駆け寄った。どうやら、ネージュが迷子になったらしい。
焦った様子で紫の目を四方八方に巡らせながらも、時折視線でアメリアは訴えかけてくる。彼女の視線の意味を薄々理解したのか、先手を打とうとアルは口を開く。しかし、アメリアの行動は早かった。断りを入れる隙もなく、彼女は彼の肩に手をのせた。
「お願い、アル。私はここの買い出しだけ済ませてしまうから、少し道を戻って、ネージュを探してくれないかしら」
「うっ……」
両眉を下げ首を傾げる様子に、誰かの――母親の影がぼんやりと重なる。思わず喉を詰まらせながら、アルはのせられた手を軽く払った。
アルは、この街のことを――軽い案内を受けたとはいえ――よく知らない。下手をすれば、ネージュとは別途で迷子になる可能性はある。それは、アメリアも承知しているだろう。
数秒考えて、アルは盛大なため息を吐いた。
「わあったよ、行きゃいいんだろ。ったく、人使い荒いっての」
「ありがとう、アル。貴方にも、後でご褒美を買っておくわね」
「いらねぇ。んなガキじゃねぇ」
言い合いもほどほどに肩をすくめると、アルは踵を返した。もう一度、お願いねと呟いて、アメリアも早足で次の店へと歩いていく。
アルはだらしなく羽織っていたパーカーを着直すと、その上から、腕に巻きつけていた――じんわりと温かく少し湿っぽい――黒い包帯に触れた。すると、脳内でエプレの街の地図情報が奔走する。
実際、アルが迷子になる可能性は限りなく低い。彼の能力、
それは体調も悪くなって然るべしだろう。
「待て! この泥棒!」
血の記憶を頼りに道を歩いていると、どこからか男の野太く尖った声が響いた。嫌な予感が背筋を伝い、直感に任せるままアルは声のする方へと走り出す。
突然の怒声に足を止めかける人々の波を押し除けた先で、予感は的中した。真っ赤な林檎を手にしたネージュが、唾を飛ばして怒鳴る小太りした男に追いかけられていたのだ。
彼女の荒み具合を見て、アルは薄々感じていた。ネージュはそういう人間だと。生きるために、手段を選べなかった人間だということを。
そしてそういう人間は、必ずどこかで同じことをする。染みついた飢餓感は、焦燥は、生への執着は、簡単に洗い流せるものではない。平穏というぬるま湯程度では、到底。
だからアルは、ただ冷静に、ネージュを止めるべく動こうとした。
ネージュは潮の流れを知る魚のように、人の波をするすると泳いでいく。しかし彼女の動きは、アルが止めるまでもなく、ぴたりと止まった。
「なんだ、アイツ」
彼女の目の前には、どこかのおとぎ話にでも出てくるような、貴族然とした装いの青年が佇んでいた。綺麗に整えられた紅茶色の髪と蜜色の目からは、甘やかな香りが漂っていると錯覚するほど、彼の美貌は芳しい。
側から見れば、ネージュは偶然、青年とぶつかってしまったように見えるだろう。しかし、
(それにしては、妙だな)
アルはふむと唸り、唇を舐めた。
戦闘経験を積んでいるアルは、ネージュの動きは隠密に特化した、それこそ手練れの暗殺者のような動きだったと思う。しかしそんな手練れが、たった一人の、しかも一般人如きの動きを読めないというのだろうか。
ただの偶然だと、そう考えれば簡単だが、彼からは安直に終わらせられない何かを感じる。
ネージュが潮の流れを知り尽くした魚だというなら、彼はさながら捕食者か。彼女の見ている景色を脳内で描き、同時に退路を断つためのルートを描く。それは熟練の牙があってこそ出来る行動だ。
一切の無駄なく、相手の間隙を貫く的確な一撃を放つ判断力。そして、冷静さ。やがて彼の動きに、アルは一つの既視感を見出した。
さながら、赤い稲妻のようだ。と。
考えている間にも、時間は止まらない。今は見極めることに徹しようと、アルは二人のやり取りに注意を割く。
ぶつかった勢いでよろめくネージュの背中を支えて、中性的な美貌の青年は微笑みを浮かべている。ネージュの身を案じながらも、さりげなく細腰に手を回して彼女の動きを封じ、手の中のリンゴを取り上げた。まるで女性をエスコートするかの如く、優しい手つきで。
「貴方が店主でしょうか」
頬を赤らめるネージュをよそに、青年は正に鬼の形相で歩いてくる男へ声を投げかけた。激昂のまま怒鳴り散らす男の血走った目を恐れずに見つめ、青年は更に強くネージュの腰を抱き寄せる。
「私の妹が、申し訳ありませんでした」
青年の言葉に、ネージュは呆気に取られたように目を丸くしながら、彼の顔を何度も何度も見直すが、やはり心当たりがないらしく、混乱したように素早い瞬きを繰り返した。それはアルも同様らしい。
しかし、青年には何かしらの策があるに違いないと判断したアルは、おとなしく傍観につとめることにした。
怒りのおさまらない様子の店主に、彼は続けて口を開く。
「これでお許しいただけるか分かりませんが、リンゴ二つ分のお金をお渡しします。私たちは貴方の売るリンゴが大好きなんです。だからといって、盗むことは許されませんが……妹から目を離してしまった私が悪いのです。妹はまだ幼い。もし許せないというなら、罰は私が受けます。ですから……」
そう言って頭を下げ、差し出された手の平には、リンゴ二つ分より少し多めのコインが輝いていた。青年の真摯な言葉と態度に、得体の知れぬ申し訳なさをおぼえた店主は、コインを強引に受け取り、鼻を鳴らして屋台へと戻っていった。
遠ざかっていく背中と一時の喧騒を見送って、彼はようやくネージュを解放した。惚けたような顔をして後ずさる彼女の耳元に、青年は唇を寄せ、柔らかな吐息を落とす。
「捕まったのが、私でよかったですね。お嬢さん」
優しく爽やかな声音が、耳底をさらりと撫でる。最後に微笑みを残して、名も素性も分からぬ青年は去っていった。乙女の心に、鋭い稲妻のような衝撃を残して。
「おい、ネージュ」
「か、かっこいいぃ…………」
「は?」
嵐が過ぎ去り、今度こそとネージュに声をかけるアルだが――今にも甲高い汽笛の音を鳴らしながら、蒸気でも吹き出しそうな勢いで顔を真っ赤にして、走り出す彼女を追いかける羽目になったのは言うまでもないだろうか。
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