5.人形の見る夢

 雲の毛布に包まれて、月も星々も眠りにつく。ひとときの静謐せいひつに温められた一室で、『殺戮の天使』は目を覚ました。

 チック、タック、と時を刻む柱時計の音色に合わせて、羽を休める蝶々のように白い睫毛が上下に揺れる。見え隠れする黒い目が、室内を照らすランタンの灯りを反射して、薄っすらと赤く色づいた。


 ルッケディーグ襲撃の任務を完遂し帰投してから、どれほどの時間が流れたのだろうか。時計を確認しようと、天使は微睡の中に取り残されたままの視線を横へと滑らせた。


「今は、真夜中の二時ですよ。クローフィー」


「……そう、か」


 時計の代わりに映り込んだのは、天使――クローフィー・エトワールと同じ、仄暗い赤い目と白い髪を持つ兄、ヨシュアの姿だった。

 寝台の側に置かれた簡素な椅子に腰をかけて、クローフィーの髪を丁寧に梳きながら、ヨシュアは微笑む。

 兄の手入れのおかげか、診察台のような簡素な作りをしたベッドに流れる白い髪は、夜の青色に潤み、上等なビロードのように艶やかに輝いていた。


 帰投し、メンテナンスを受ける為――生物的な現象で喩えると――眠りについた時刻を正確に覚えていたわけではないが、兄の言葉を信じるならば、ざっと一、二時間ほど経過したのだろうか。あれから、それほどの時間は流れていないらしい。

 納得し、起きあがろうとするクローフィーを引き止めるように、ヨシュアは彼女の髪をおもむろにすくいあげる。


「おはようございます、クローフィー。良い夢は見られましたか?」


 そして、そっと口づけを落とした。

 いつもそうだ。ヨシュアはクローフィーが目覚めると、決まってこの問いを投げかけてくる。以前その問いかけの理由を尋ねたが、答えは沈黙で返されてしまった。


 しかし、それの理由がどうであれ、それにどんな意味合いがあろうとも、分かることは一つだけ存在する。


「夢など、見ない」

 無機物ドールは、夢など見ない。


 氷柱のような声で、クローフィーはいつも通りの言葉を返した。心に突き刺さるような冷たい声音が、目が、ヨシュアを射抜く。

 それをまるで、羽毛でも抱きしめるようにヨシュアは受け止めた。そして次に、人間であるならば安堵のため息でも吐いたのだろう。ため息の代わりに、ヨシュアは赤い手袋に包まれた手でクローフィーの頭を撫でた。

 慈愛に満ちた兄の眼差しを、妹はひどく無関心に眺めていた。


 いつの間にか毛布から抜け出した月が、窓の外から冷たい光の帳を落とす。部屋は、寒々しい青に満ちた。

 沈黙が揺蕩う部屋の外で、ふと足音が響く。


 ――――こんこんこん。

 そして三度のノックが、静寂を打ち消した。


「どうぞ」


 ヨシュアは一度手を止めると、扉の向こうの人物へ声を投げた。その隙に、クローフィーは起き上がる。

 キィと軋んだ音を響かせて開かれたドアの奥には、黒いローブを身に纏った青年が佇んでいた。暗闇を呑んだローブの奥で、レモン色の光が揺らめく。


 次の瞬間。


 ローブの青年は、突進する勢いでクローフィーに迫り、そして抱き着いた。


「クローフィーおねーさん! やっと目を覚ましたんだね。もー、心配したよ」


「サキア、離れてください」


 サキアと呼ばれたその青年は、半ば剥がされるようにしてクローフィーから離れる。

 『ください』というお願いするような口調と、強制的な行動が一致していない。そう文句を言う青年を横目に、ヨシュアはため息を音声化して吐き出した。


 突進されても微動だにしなかった少女の両眉が、サキアの『やっと』という言葉に反応し、ピクリと跳ね上がる。どうやら、状況を飲み込めていないのはクローフィーだけのようだ。


「サキア。やっと、と言うのは、どういう、意味だ」


「そのままの意味だよ。クローフィーおねーさん、まる一日目を覚まさなかったんだから」


「一日」

「そう、一日」


 一時間ではなく、一日スリープ状態だったと言うのか。話が違うぞと、クローフィーは白いまつ毛を忙しなく往復させた。

 いや、これは兄の言葉を聞いて、自分の中で勝手に納得した話だ。違うも合っているもないか。と、再び納得したようなしないような、微妙な心境のまま、クローフィーは無意識に兄をジロリと睨んでいた。


 その目は、『なぜ早くに教えてくれなかった』と訴えかけている。だがその視線は、先ほどの氷柱のような声とは――兄曰く――段違いに温かい。もはやそよ風のように軽く受け流して、兄はサキアの方を見た。


「いつまで不審者してるんですか。ローブ、早く脱いだらどうです?」


「いや、脱ぐけどさ。僕不審者じゃないんだけど」


「僕のかわいい妹に唐突に抱きついた黒い塊を、不審者と言わずしてなんと言いましょう」


「ヨシュアおにーさん、さすがに酷くない!?」


 サキアはレモン色の目をまんまるくしながら、ローブを脱ぎ捨てた。長らくフードに圧迫されていた、少し硬めのコットンのようなアメジストの癖毛が、訴えるようにぴょこんとはねる。


 鮮やかな髪色と明るい目色は、青に沈んだ部屋に、彩りと明るさを運んできてくれたようだ。


 自分だって、好んで黒い塊になっていたわけではない。と、サキアは反発する。

 その証拠に、ローブの下の彼の装いは、普段から黒い塊である二人のゴシック調の装いとは逆に、赤を基調としたジャケットと短い黒のパンツ。そして紫のカラーストッキングと、現代的で鮮やかだ。彼は、ドールの中でも随一のオシャレ好きだった。


「見てよ、僕のこの鮮やかさ。ちょっとコソコソ動かなきゃいけない任務だったからさ、苦渋の決断で黒い塊になってただけで」


「ところで、機体に大きな損傷がないにも関わらず、クローフィーが目覚めなかった原因ですが」


「僕への当たり、辛辣すぎない?」


 もはや卓越した技術すら感じさせるほど、見事にサキアの訴えをかわして、ヨシュアは難しい顔をした。

 二人のやり取りをぼーっと見ていたクローフィーは、死角から飛んできた自分の名前に思わず肩を揺らす。戦場ならばやられていたなと、真面目だが的外れな反省をして、クローフィーは背筋を伸ばした。項垂れながらも、サキアも聞く姿勢をとる。


 躊躇うように口を結んだ後、肘を膝の上に乗せて重ね合わせた手で口元を覆うと、ヨシュアはぽつりと呟いた。


「精神的な問題ではないかと、推測しています」


「え?」


 思わぬ推測に、サキアは間髪入れずに間抜けな声をあげる。当の本人であるクローフィーでさえ自覚がないようで、いつもアンニュイそうな目を丸くして、発言者であり彼女の一番の理解者であるヨシュアへ視線を飛ばしていた。


 感情を持つ彼らドールが、己の抱く感情と与えられた使命のジレンマに苦しみ、あげく意識を手放したり暴走する事はそう少なくはない。

 しかし『無情』を象徴し、創造主たるマスターへの絶対的な忠誠を誓うクローフィー・エトワールにおいて、その可能性はゼロと断言できる。


 彼女の判断に、思考に、行動に、感情による迷いが生じたことは今まで一度もない。


それなのに、彼女をこの世で一番理解しているであろう兄が、『精神の問題』と告げたのだ。クローフィー自体が、その可能性を自覚していないにも関わらず。

 その異常とも呼べる診断結果に、サキアは律儀にも片手を挙げ発言の許可を求める。ヨシュアは手を差し出して、「どうぞ」と促した。


「単純に疲れてたとかなら、ヨシュアおにーさんが気づかないはずないよね。でも、本人にも自覚がない、そして偵察として派遣された僕にも、クローフィーおねーさんに害があるものについての心当たりはない。……人間も原因不明な病は、精神的な問題で解決するってエイルおねーさんから聞いてるけど、まさかヨシュアおにーさんが可愛い妹にそんな診断を下すとも思えない。と言うことは、クローフィーおねーさんに害を与えるような人間……異能力者が、あの場にいっ――――!?」


 先ほどまで庭を駆け回る犬のように明るかった雰囲気が一変。神妙な面持ちで推測を並べ立てていたサキアの姿が、突然、何の前触れもなく、大きくブレた。

 何事かと視線を動かすクローフィーの目が、自分の座る寝台に上半身を突っ伏したサキアの姿を捉える。


 ――因みに話に出てきたエイルとは、サキアとよくタッグを組んで行動する、サポートタイプのドールの事だ。現在、潜入調査の真っ只中である。


 状況をいち早く理解できたのは、どうやらヨシュアのようだ。

 サキアを吹っ飛ばした犯人をしっかりと目の中に収めながら、困った微笑みを浮かべている。


「あなたですか、シルキー。ノックもせず突っ込んでくるとは……ここは戦場ではありませんよ。まったく。戦争でも、宣戦布告はあるというのに」


「私は戦闘用に設計されてはいませんよ、ヨシュア様。それに、私たちの戦場は拠点ここですから。宣戦布告なら、とっくの昔に済んでいます」


 サキアを吹っ飛ばした犯人、雑務専門ドールのシルキー――この名前は、彼女の名前ではなくシリーズ名――は、悪びれる様子もなく開け放たれたドアの前で、きれいな仁王立ちのポーズをしていた。


 彼女の勢いには、ヨシュアでさえも苦笑いを浮かべるしか対抗策がないらしい。

 いや、戦えないとはいえ、普段の生活をサポートしてくれる彼女らには、頭が上がらないというのが本音だろう。

 吹っ飛ばされた勢いで、ごく自然にさりげなくクローフィーに抱きついていたサキアは、ヨシュアの無言の威圧に耐えかね、わざとらしく『いたた』と腰を押さえながら立ち上がった。


 シルキーシリーズには、個々を判別する為の名前がない。しかも、女型で口調は敬語。髪は金色のミディアムヘア、と言う点が共通している。若干の性格の違いと、担う役割ごとに異なる目の色や服装が、彼女たちを見分ける唯一の方法だ。正直、紛らわしい。


 サキアを吹っ飛ばした桃色の目をした活発な彼女は、衣服担当のシルキーだ。数多のドールを着せ替え人形にしては、戦闘不能にしてきた猛者でもある。クローフィーも、その犠牲者の一人だった。そのせいか、彫刻のように動かなかったクローフィーの頬が、若干引き攣ったように見える。


「もー、シルキーのおねーさんったら。なにも吹っ飛ばさなくてもいいじゃん」


「邪魔だったので、つい」


「やっぱり、僕の扱い酷くない?」


 再び項垂れるサキアに、こっそりと同情の意を示すヨシュア。どうやら自分には、彼を雑に扱った自覚がないらしい。

 ここにいる三人の様子や、今までの話の内容など知った事かと蹴り飛ばし、シルキーはクローフィーにずかずかと歩み寄った。

 今まで彼女の勢いのおかげで目にも留められなかったが、その腕には、もはや黒いボロ布と化したドレスが抱えられている。それを見て、クローフィーは事情を察したらしい。


 なんせあのボロ布は、彼女が身に纏っていたドレスなのだから。


 すうっと息を吸う真似をしてから、シルキーは口を開いた。


「クローフィー様! またお召し物をこんなにボロボロにして……いくら羊がいても蚕がいても麻があっても化学繊維があっても足りませんよ! いくらドールといえど女の子なんですから、戦闘中にも身なりには気をつけていただかないと! それに靴も! どうやったらこの厚い皮のブーツが、チーズみたいに無惨にもとろけるんですか!?」


 次の瞬間、無茶苦茶な言の葉が、マシンガンから放たれたように、クローフィーへ向かって飛んだ。あまりのその勢いに、戦場に舞い降り撃滅の限りを尽くす『殺戮の天使』でさえも、背中を仰け反らせる事しかできない。


 シルキーマシンガンは、そこから数分に渡り稼働し続けた。


 大人しく言葉の弾丸を受けていたクローフィーに、とうとう我慢の限界がきたようだ。勢いに押されていた上体を跳ね起こし、シルキーの口元を抑え、言葉の弾丸を制圧した。

 もごもごと抵抗するシルキーの口元をしっかりと固定しながら、クローフィーは一安心したように、一度目を閉じて、開いた。


「明日、私に任務は、ない。だから街に行って、生地を、買ってくる。貴方はそれで、好きに服を、作ればいい」


 そうクローフィーは提案する。シルキーも渋々それで納得しかけたが、盛大に椅子が転げる音が、それを掻き消してしまう。


「ダメです、クローフィー。貴方は仮にもリーダーなのですから、買い出しなんて彼女に任せればいいじゃないですか。服を大事にしない事はいけない事ですが、それよりも自分の身を第一に考えてください」


 今度は椅子を飛ばして立ち上がったヨシュアが、マシンガンに成り代わった。

 彼女の身がどれほど大事か、どれほど心配か、どれほど脆いか。そしてどれだけ可愛いか。……後半に至っては、ただの兄ばか話である。

 もはやクローフィーは穴だらけだ。それを見かねたサキアが「はいっ!」と大声を上げて、またまた生徒のように片手を上げる。ヨシュアはぴたりと銃撃をやめると、先程と同じように手を差し出して、発言を許可した。


「ほら、息抜きは僕らにもいるしさ、二人で街に行ってきたらどうかな。思い切ってエプレの街にでも」


 彼の提案に、ううんと大きく唸りながら、ヨシュアは眉間にシワを寄せる。


 エプレの街。そこは、異能力者を生み出す研究所と、中央政府がある大本命の学術都市だ。

 本来ならば真っ先に陥落させるべき都市であるが、備えられた警備システムはどれも一流で、配属されている異能力者はもれなく手練れ。ゆえに現段階では攻め入る事が難しく、資源の入手や情報の入手がしやすいというメリットを含め、しばらくは手を出さず偵察に留めろとマスターから命令されている。


「それもそうですね。では私は、今から変装用のお洋服を用意して参ります」


 サキアの言葉に真っ先に賛同の意を示したのは、他でもないシルキーだった。彼女は爛々と目を輝かせながら、ヨシュアの制止を聞かずに、部屋をそそくさと出ていってしまった。

 それで諦めもついたらしい。渋い顔をしながらも、ヨシュアはクローフィーとサキアの提案を受け入れた。


「それじゃ、話もついたし、僕もお暇しよっかな。今回の偵察結果を、マスターに報告しなくちゃいけないし」


「分かりました。お疲れ様です、サキア。よく休んでください」


「僕は休憩するの得意だからね。クローフィーおねーさんも、ヨシュアおにーさんも、よく休んでね」


 脱ぎ捨てたローブを忘れずに拾い上げて、サキアもメンテナンスルームを後にする。

 二人残された兄妹は、互いに顔を見合わせて、同時に肩をすくめた。


「なんだか、疲れた」


「そうですね。僕たちも休みましょうか、クローフィー」


 ヨシュアは、寝台の上のクローフィーへと手を差し出す。まるで物語の中の王子様のように。

 赤手袋に包まれた彼の手に、白く華奢な手が重なった。兄のエスコートに連れられて、二人も部屋を去っていく。

 チック、タックと、柱時計が二人の背中を見送った。


 殺戮を歩む彼らの、細やかな日常風景。人間にとっては異常な光景。


 もうその一室には、冷たく寂しい青はなくなっていた。

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