4.休息
問診の内容は、名前、年齢、出身地、所持している異能力について。そして、襲撃の前と後で何が起こったのか。それらの記憶の有無を一通り確認するものだった。
「アル・パーヘリオン。年齢は十七で、出身地は旧クリサンセマム。そして、血を操る異能力者と……うん、ちゃんと覚えているね」
アルの返答と、異能力者のデータが記録されているリストを照らし合わせて、差異がないことを確認すると、ルクスは一つ首を縦に振る。
しかし問題なのは、襲撃が起こる前の記憶がほとんど抜け落ちていることだ。
他人に無関心であることに繋がるだろうが、彼は同じ部隊のメンバーの顔も名前も覚えてはいなかった。
それに加え、彼ら異能力者がただ人間に特殊な力を与えただけの存在ではない、という事──これは異能力者部隊に入隊する前、必修事項として座学に組み込まれている常識であるため、ただ単純にアルが話を聞いていなかった可能性が高いが──もすっかり、と言った様子だった。
だが、戦闘時の記憶を語る時、彼は異様なまでの饒舌さを発揮した。その時の心拍数、体感温度、自分や敵の目線の動き一つ一つに至るまでを鮮明に記憶しており、話を聞いていたルクスも、その戦場で共に戦ったような錯覚を起こすほどだ。
特に、彼がルッケディーグ戦にて敗北を喫した、ドールを束ねるリーダー。クローフィーについての記憶に至っては、詩人にでもなったかのように言葉が止まらなかった。
「君、『殺戮の天使』については、特に舌が回るね」
ひとしきりペンを走らせた後、ルクスは軽く唇にペンを押し当てながら、からかうように笑う。
ピッとペン先で、元々の血色の悪さが消えたアルの赤い頬を指し示した。それは学生がよくやる、「お前あいつの事好きだろー!」を落ち着かせたようなものである。
これはつい数分前にくらった、やたらと切れ味のいいツッコミへの、ルクスなりの仕返しのつもりだった。
「そうかァ?」
心当たりがない当の本人は、首に手を添え顔を顰めながら不満を訴える。そうかと言う問いかけを、ルクスはペンを回しながら無言で肯定した。
「それで、本題なんだけど。僕たち異能力者の力の素。それはなんだが、覚えている?」
思春期らしく「好きとかじゃねーし!」と、反発するように見えるアルの反応に満足したのか、ルクスはまた表情を真剣なものに戻して言葉を続ける。
アルは首に手を当てたまま硬直し、思考を巡らせた。しかしその数秒後、アルはあっけなく考えるのをやめると緩やかに首を横に振った。やっぱりと眉尻を下げて苦笑するルクスは、速やかに説明を開始する。
「
「へー」
ルクスは天上花の写真を懐から取り出して、布団の上に置いた。アルはそれを覗き込む。
くるんと丸まった薄い花弁がいくつかまとまって、その白い花は形成されていた。繊維まで透けて見える花は柔らかそうだが、大きく弧を描いて上に伸びる蕊は、触れようとすればそのまま指を覆われ、食われてしまうのではないかと言う生物的な悍ましさを感じられる。
不気味だが、薄ぼんやりと輝き、どこか造形美的な美しさを咲かせる様は非常に神秘的だった。
アルは、この花に見覚えがあった。それは確か以前図鑑で見た、アルの出身地であるクリサンセマム特有の花──彼岸花。
だが、記憶する限りでは彼岸花は赤く、葉はなかった。正確にいえば、花と葉は混在していなかった。
しかし、この天上花には花と同じく白色をした、綿を編んだようなふわふわとした葉が咲いている。
他にも細やかな違いをあげればキリがないが、彼岸花が不吉の象徴と言われるのに対して、天上花が奇跡の象徴と呼ばれるのは、なんとなくわかる気がした。
しばらくぼーっと写真を見ていたアルに、再びルクスはからかいを発動させた。子供に言って聞かせるように、ルクスは補足を挟む。
「天上花は、強力な毒を含んでいるんだ。香りは体の感覚を麻痺させて、口に含みでもしたら、徐々に記憶が混濁してやがて死に至る。雪みたいに白くて綺麗な花だけど、無闇に触ろうとか、食べようとしちゃダメだからね」
「触るは置いといても、誰が食うか。なんでも口に入れたがる、赤ん坊じゃねぇっつーの」
入れられた茶々に、即座にツッコミを返すアル。その反射速度は、活躍する芸人にも匹敵するだろう。思わずルクスは、ささやかな笑みをこぼした。
返事は適当だが、しっかりと話を聞いていることを確認したルクスは、説明を再開する。
「でも、この種に適合した僕たち異能力者は、この毒が一種の薬として作用するんだ。君のその治癒力も、この毒のおかげなんだよ。まぁ毒は毒だから、ちゃんと定期的に健康診断を受けて、中和剤をもらわなきゃいけないんだけどね。……この種が、どこに埋め込まれているか、それは覚えてる?」
「心臓。ココを破壊されない限り、俺たちは何度でも生き返る。水を得た枯れかけの草みてぇに。だろ?」
「そう。だから心臓に傷があった君は、かなり危険な状態だった。目覚めたのは、一種の奇跡と言っても過言ではないかもしれない」
ルクスは難しい顔をした。彼は異能力者である以前に、一人の医師だ。
本来人間が犯してはならない、人体の改造。完成するまでに積み上げられた、犠牲の数々。計り知れないほどの人間が、この種を完成させるための人柱になった。本来禁忌など、生きてく上では不要なものそのものであるし、ましてや易々と手を伸ばしていい代物ではない。
(それでも、この犠牲が、禁忌がなければ、僕たち人間は……)
考えるだけで、頭痛がする。心臓が破壊されない限り、何度でも傷が治り再生するなど、もはや人間を捨ててしまったようなものだ。傷は再生しようとも、心に負った裂傷や削られた体力や気力までは元には戻らない。
それを政府は理解していないのだ。だから先日も、やっと傷が回復して、また人のために戦えると喜んでいた新人隊員が────。
真剣に考えるルクスの横で、アルは呑気にも大きく声を出して欠伸をした。個人的な思考にふけっていたルクスは、ハッと瞬きをしてアルを見る。
彼はうっすらと溜まった涙を手の甲で乱雑に拭い、気だるそうにルクスの眉間を指差した。
「シワ、よってんぞ」
彼の行動は、本当にきまぐれなのだろうか。思い詰めているルクスを思いやるようにも見える言動は、確かにルクスの心の緊張をほぐしてくれた。
こんなんじゃ医師失格だなと息を吐いて、ルクスは眉間のシワを二本の指でぐりぐりとほぐす。
「いや、ごめんね。情けない話だけど、ちょっと疲れてるみたいだ」
「疲れが情けねーわけねぇだろ。俺も疲れてるし、ねみぃ」
そう欠伸を噛み殺しながら、青年は言った。確かに眠い。男も内心で賛同を示す。
本当に何気ない、混じり気のないアルの本音なのだろう。しかしそれは、あまりにも真っ直ぐで正しすぎる一人の医師の心に影響を与えるには、十分すぎるものだった。アルの様子も安定しているし、今日はもう休んでしまおうかと。そう思えるくらいには。
いつもなら、ここから資料の整理や備品の発注リストの確認、医療班員たちのケアを行い、今度こそ物資に不備が出ないようにと念入りな確認を挟むところだが、もうすでにスリープモードの青年を見ていると、今は気を抜いても良いんじゃないかと思えてしまう。
「はは、そうだね。病み上がりで難しい話ばかりして、具合が悪くなったら大変だ。今はしっかりと休んで、傷を治すことに専念するようにね。それじゃぁ、僕は一旦失礼するよ」
その言葉を、彼が聞いていたかは分からない。青年の赤錆の目はすっかり閉じられていて、今にも寝息が聞こえてきそうだ。その様子を微笑ましそうに眺めて、ルクスは腰を上げた。
早く戻って休もう。決意しなければ休めない自身の体質にも困ったものだと肩をすくめて、男は医務室を後にした。
────なお、今日で五度目の徹夜となるその医師は、医務室の廊下の前で倒れているところを医療班員に発見されたという。
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