第一章『殲滅。そして、邂逅』

1.殲滅。そして邂逅

 そこは、地獄の通り道のようだった。

 

 仕事へ行きたくないと項垂れる男や、服屋で足を止める少女。雑踏に溢れていた大通りには、恐怖で顔をぐちゃぐちゃに歪めた多くの亡骸が溢れている。


 少し躊躇いがちに指先を触れ合わせていた男女がいた広場の見事な噴水には、犬の死骸が顔を覗かせ、腹を切り裂かれた死体が、仰向けで水の中に顔を突っ込んでいる。


 子供が親に菓子を買ってくれと駄々をこねる声が聞こえたり、なんとか肉を値切ろうと必死な主婦の高い声が聞こえた市場には、凄惨な泣き声と悲鳴だけが響いていた。

 

「ちく、しょう……」


 今、瓦礫の上で転がる赤髪の青年の隣には、無数の死体の山が築き上げられていた。どの死体も胴体を深く抉られ、夥しい量の血を流している。血液はチョコレートファウンテンのように死体から死体を流れ落ち、地面を濡らす。

 既に灰と血液に塗れ傷だらけの青年は、さらに同僚の血で服を汚しながら、無様にも地面を這って進んだ。


 荒れ狂う猛火を飼い慣らし、悠然と青年を見下ろす小柄で華奢な少女の手には、禍々しくも芸術的な装飾が施された赤黒い大鎌が握られている。蝙蝠の翼を模した様な刃には、血液がべったりと付着していた。この少女が、数時間前まで活気に満ち溢れていた街を、死臭漂う地獄に変えた張本人で間違いないだろう。

 白皙にこびりついた赤を拭うこともせず、浮世離れした美貌の少女は目を細めた。


「まだ、生きている、のか」


 どこかたどたどしく、無機質な声色。そこから感情の色は見えない。

 少女は、正体に結びつく何もかもが隠匿された謎の体現。マスターと呼ばれる存在により創造された、人類の脅威である『殺戮ドール』を統率し、人間など足元にも及ばない力を保持する、言葉通り無機物ドールだ。


 しかし、いくら人間を凌ぐ力があるとして。青年らも人間でありながら、人間が得られようはずもない特異な力を開花させた、『異能力者』だ。そう簡単に、敗北するはずがない。ましてや、に敗北するなど、本来ならばあり得るはずがない。

 慢心ではなく、彼ら『異能力者』は、ドールを駆逐するためだけに異能開花の実験を受け──慢心という言葉では、片付けられない実力を得るまで──鍛錬を積みに積み重ねてきた戦士だ。


 ゆえに多くの戦士が、この現実を受け入れられずに死んでいった事だろう。

 デタラメに積み上げられた死体の煤と血で象られた形相からは、無念の色が濃く滲んでいた。

 

「お前は、俺が絶対に、殺す……!」


 そんな同胞の無念を背負って──いや、同胞の無念など、青年にはどうでもよかった。

 地面を這ったせいで、顔中は煤と泥まみれ。額から流れる血液により視力は奪われ、ほとんど前は見えていない。それでも、純粋すぎる殺意を宿した赤錆色の目は、少女の姿を捉えて離さなかった。


「諦めろ、人間」


 少女は憐れむより静かに、嘲る事なく青年を見下ろす。

 ふと持ち上げられた白いまつ毛が、儚げに風に揺られた。炎の光を浴びて、今まで黒く見えていた瞳は、最高品質のピジョンブラッドルビーを思わせる輝きを見せる。

 その輝きは、血で濁った青年の目に色濃く映った。酸素の巡回を必死で行なっている肺が、ひゅっと音を立てるのがわかる。それはダメージによるものではない。異常であると理解しながら、青年は目を奪われてしまったのだ。──少女の残酷な美しさに。

 

 唸る炎とともに、燃え尽きた家屋の残骸が崩落する。

 その直後、その方向から呻き声が聞こえた。どうやら、まだ生存者がいたらしい。

 生きたまま炎に炙られながらも、必死に難を逃れようとしていたのだろう。崩落した瓦礫の隙間から、火傷で爛れた腕が、間際の虫のようにもがいているのが見える。


 少女は懐へ手を伸ばし、風前の灯火であるその生命に近づいていく。

 その間も青年は叫んでいたが、それを気に止めることもなく、もはや亡者と果てたような腕の前で足を止めた。

 瓦礫を片手でどかし、懐から腕を引き抜く。全身に火傷を負い瓦礫に埋もれていた男は、助けが来たのだと心の底から安心したように、恐怖と火傷で強張った表情を弛緩させた。しかしその目に映ったのは、救いの手ではない。丸い形をした虚空──黒い、銃口だった。


「あ、あぁあああああああああああああ」


 甲高い悲鳴が上がる。それとほとんど同時に、ドンッと腹底に重く響く銃声が悲鳴を打ち消した。

 あり得ない口径のリボルバーから放たれた一撃は、易々と男の頭部を粉微塵にし、瓦礫の上に脳みそと肉の断片がべちゃべちゃと散乱する。

 しかし、それもすぐ炎にのみ込まれ、有象無象の区別もつかない灰へと変わるだろう。男の亡骸もろとも。


「私を、殺す? 吠えるな、人間。今のお前に、何が、できる」


 死だ。少女の形をした、死がそこに佇んでいる。


 足元に流れる血と脳漿を堂々と踏みつけ、流れるように青年の頭部に銃口を向けた。


「無様に吠えてでも、何度でもお前に噛みついてやるッ! 俺は、俺は──!」


 ガッ────!!

 瞬間、凄まじい瞬発力で青年は立ち上がり、無謀にも丸腰で死を象徴する少女へ飛びかかった。

 青年に武器はない。しかし、異能力がある。

 傷口から溢れる血液が意志を持ったようにどくどくと流れ落ち、溶けた金属のような微妙な弾力を持ちうねる。

 血液は青年の頭上でヒビが入ったように二つに割れた。それはやがて一対の剣の形を成し、青年の手に収まった。


 血を操る能力デス・ドライブ。彼は己や他人の血液を使い、武器を生成することができるのだ。

 今の失血量はひどい。本来の力など出せるはずもなく──万全の状態であっても、青年は少女に負けたのだから──勝機は薄い。しかしその目から、子供のように無邪気な殺意は消えはしなかった。


 跳躍し、体を大きく捻りながら、青年は低く唸り少女へ斬りかかる。赤く煌めく刃が、迷うことなく少女の首へと迫る。

 裂帛の叫びとは裏腹に、少女は目を閉じたまま動かない。

 違和感こそ感じるが、それを噛み締めている余裕など青年にはなかった。がむしゃらに振るった剣先が、少女の白く細い咽を切り裂かんとした時。


 ──目の前に、赤い稲妻が走った。


 稲妻は青年の渾身の一撃を弾き飛ばし、少女の横にひたりと着地する。

 不意の一撃に耐えきれなかった左腕から、剣が取り落とされた。剣はくるりと宙を舞い、死体の山のてっぺんに突き刺さった。

 死体は苺の重みに耐えられなくなったショートケーキのように、バラバラと崩れ散乱する。


「大丈夫ですか、クローフィー」


「大丈夫、だ。しかし、遅いぞ。ヨシュア」


 稲妻の正体は、少女とよく似た相貌の大人びた青年だった。

 手にしていた赤薔薇の蕾を連想させる長槍を地面に突き刺すと、少女を親しげにクローフィーと呼んだ青年ヨシュアは、謝罪の意を込めて深々と頭を下げた。

 散らばる死体にも、体勢を崩しごろごろと地面を転がる赤髪の青年に見向きもせず、ただ目の前の愛おしい存在だけを目に映す。その仕草に、クローフィーは額を抑えた。相変わらずマイペースだな、と。


 クローフィーは、ヨシュアが来ることを感じていた。その場から動かなくても良いという判断を下せるほどに、はっきりと分かっていたのだ。

 その絆の強さと、彗星の如く繰り出される息の揃った連撃は、『殺戮ドール』最強のシリーズの名に相応しいものだった。


 一夜にして街一つを崩壊させた元凶。『殺戮ドール』最強のシリーズと謳われるエトワール。

 その兄と妹二人の圧倒的な力を、この四代都市の一つ『自由都市 ルッケディーグ』の陥落により、人類は再び思い知る事となるだろう。


(ちくしょう……。俺は、こんなとこで……)

 体から、生命が流れ落ちていくのを感じる。薄れゆく意識の中で、青年は震える人々の声を幻聴した。


 “天の使者と見紛う白い髪に、血の湖畔に咲く薔薇のような瞳。ああ、なんと美しく悍ましい“

 “あれは死だ。残酷なまでに美しい、死の象徴だ“

 “殺戮の天使だ! あはははは、天使が、天使が舞い降りたんだ!“


 死の間際、狂ったように叫ぶ声を、青年は聞いていた。特に少女──クローフィー・エトワールを殺戮の天使と称し、讃美歌でも歌う様に死んでいく人間を、何人も見てきた。

 自分もそうなるのかもしれないなと、心の中で嘲る。彼も死を前にして、それを美しいと感じてしまった。とっくに心は、殺戮の天使に奪われてしまっていたのだ。


 着々と失われていく体温を感じながら、青年はついにゆっくりと瞼を下ろす。

 そして青年の意識は、茫洋たる闇に飲み込まれていった。

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