第5話 世界を救うものは

01

 遡ること数分――

 酒場に残った他のメンバーは和気あいあいと歓談に花を咲かせていた。


「む、レンリ殿。箸が進んでいないようでござるが、もしや食欲がないのでござるか?」

 レンリの皿が半分も減っていないことに気付いたアザミが声をかける。

「え、ええ……ちょっとお腹が一杯になっちゃって。あの、アザミさん。もしよかったら半分こしない?」

「よいのでござるか!? あいやしかし、レンリ殿の分までいただくわけには……」

「遠慮しないで。むしろ仲間を助けると思って、ね?」

「そ、そうでござるか? 確かに見て見ぬフリはサムライの恥……では遠慮なく!」

 皿ごとアザミに渡すレンリだったが、内心は複雑であった。


(本当は食べたいけど……これ全部食べたら明らかにカロリーオーバーよね)


 他のメンバーの皿に目をやると、全員がすでに完食していた。

 摂取カロリーなど微塵も気にする様子もない。レンリは思い切って質問をぶつけてみることにした。


「ねえ皆。皆はその、食べる量とかどうやって決めてるの?」

「食べる量?」アナベルが不思議そうに訊き返す。

「ええ。カロリー制限とか、週に何回とか……その、太らないように気を付けてることとか」

 レンリの質問に全員が首を傾げる。

「『かろりぃ』? それはどういう甘味でござるか? ……むぐむぐ」

「食べる量を制限する必要なんてあるのかしら? 私は食べられる時に食べられるだけ食べておくことにしてるわ。いつ魔獣が攻めてくるかわからないもの」

「人生短いんだから、食べられるときに好きなだけ食べなきゃ損だよ~。好きなものが食べられないような人たちだって、世界のどこかにいるかもしれないしね~」

「甘いものはすべてわたくしの体内で闇の力に変換されますから、どれだけ食べてもゼロカロリーなのですわ!」

「そ、そう……それは羨ましいわね」


 どうやら質問する相手が悪かったらしい。

 食べても太らない体質なのか、摂取した以上のカロリーを消費しているのか、いずれにせよ彼女らの身体は特別製のようだ。


「それにしても、何だかやけに暑いわね……」

 アナベルが手で顔をパタパタと仰ぎながら言う。

「そうかしら? 私は涼しいと思うけど」

「いや、拙者もそう感じていたでござる。こう、身体が火照るというでござるか……」

 上気した顔でアナベルに同意するアザミ。その目はどこかとろんとして見える。

 レンリは違和感を覚えた。

 石造りの宮殿内は熱がこもることもなく、常にひんやりとしていて肌寒いくらいだ。分厚い甲冑に身を包んでいるアナベルはまだしも、薄着のアザミまでが「暑い」というのはおかしい。


「……うう~」


 その時、シュゼットが苦しげに呻き声を洩らした。

「どうしたのシュゼット? 食べすぎでお腹でも痛くなった?」

 レンリが半分冗談で声をかけると、シュゼットは顔を上げ、悲痛な声で叫んだ。


「まだぜんぜん足りないよぉー!!」

「はあっ!?」


 突然何を言い出したのかと困惑する。

 あれだけの量を食べておいて「足りない」とは、シュゼットは意外と健啖家なのだろうか。だとしてもこの場でその発言は、さすがに食い意地が張り過ぎというものだろう。


「なに言ってるの。これだけたくさん食べたんだからもう十分……」

「違うの! お腹はいっぱいなんだけど、どうしても食べたいの! あのババロアを!」

「よりによってアレを!?」


 チルリル手作りの、言葉では言い表せない異臭を放つ『魔性のクイーンババロア』。レンリはまだ手を付けていなかったが、お腹が膨れても食べたくなるほど美味しいのだろうか。


「食べたい食べたいー! ババロア食べたいよー!」

「わ、わかったから落ち着いて! そこまで言うなら、私の分がまだ手つかずで残ってるから……」

「残念でござったな!」

 アザミがすっくと立ちあがる。

「レンリ殿のばばろあはすでに拙者の胃の中でござる!」

「全部食べちゃったの!?」

 半分と言ったのに、渡した皿の上は見事に空になっていた。

「落ち着いて、二人とも」

 アナベルが割って入る。てっきり止めに入ってくれるのだろうとレンリは思ったが、その期待は見事に裏切られた。

「『魔性のクイーンババロア』ならまだ残っているわ……チルリルさんとアルドの分が!」

「アナベルさん!?」

 レンリの混乱が加速していく。この中では一番まともそうだったアナベルまで何を言い出すのか。

「あ、本当だ!」

「そういえば先ほどから二人の姿が見えんでござるな。これほどの甘味を放っておくとは、まったくけしからんでござる! 悪くなる前にいただくでござるよ!」

「ちょっと待ちなさい! 二人ともすぐ戻ってくるだろうし、勝手に食べたらダメに決まってるでしょ!」

「大丈夫大丈夫、こういうのは早い者勝ちだからさ~」

「ロディアさんまで!?」


 自分以外の全員がおかしくなってしまったことに不安を通り越して恐怖を覚える。

 だがそんなレンリをよそに、他の全員はじりじりとテーブルににじり寄る。先ほどまでの和やかな雰囲気は嘘のように霧消し、いまや会場は一触即発の空気に包まれていた。


「……拙者、皆に伝えてないことがあったでござる」

 アザミが口火を切る。

「実はアルド殿は、拙者のむ、婿となる予定にござってな。つまりアルド殿の分は拙者が頂戴するのが筋というものでござる!」

「そういえばこの間もそんなことを言っていたけど……それとこれとは話が別でしょう? ここは全員で平等に分けるべきよ」

「ダメ! 最初に食べたいって言ったのは私なんだから、私が全部もらうの!」

 一歩も譲ろうとする気配のない面々に、ロディアが「じゃあさ」と口を挟む。

「もう戦って決めたらいいんじゃない? 勝った人が全部もらうってことでさ」

「た、戦う!? なに馬鹿なこと言ってるの!」

 レンリが諫めようとするが、他のメンバーは納得したように頷く。

「ふむ、果たし合いで決着をつけると? 確かにそれなら公平でござるな」

「無用な争いは避けたいけど……それで皆が納得するなら仕方ないわね」

「よくってよ! 魔界を統べるこのわたくしに勝てる者など存在しないと証明してあげますわ!」

「ちょっと皆、目を覚ましなさい! たかがお菓子じゃない!」


 レンリがどれだけ必死に叫んでも、もはや誰の耳にも届かない。

 アザミが刀を抜き、応じるようにシュゼットも槍を構える。


「いざ尋常に勝負! サムライが剣、受けてみよ!」

「我が魔槍の贄となりなさい!」


 二人が同時に地面を蹴り、影が交錯する――その刹那。

 ちょうど中間地点に位置していた部屋の扉が開いた。


「……ん? うわあっ!?」


 その場にいた誰のものでもない悲鳴が上がる。

 ――数秒後。

 床に倒れ伏せているのは、アザミでもシュゼットでもなく、最悪のタイミングで部屋に入ってきたアルドであった。


「皆、お待たせなのだわー……って、ええ!?」

「アルド!?」

 続いて扉から入ってきたチルリルとメリナが惨状に気付き、驚愕の声を上げる。

「あ、アルド殿!? 誰にやられたでござるか!?」

「ええ!? どうしてアルドが倒れてるのー!?」

 ようやく我に返ったのか、アザミとシュゼットも慌ててアルドに駆け寄る。


 会場は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなり――突然勃発した『魔性のクイーンババロア』争奪戦は、一人の尊い犠牲によりその幕を下ろしたのであった。

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