第12話◆◆⑪ガンゾウとエルゼの師匠◆◆

その村は焼失していた。


文字通り『焼けて』『失われた』のだ。


エルゼが膝を落とし呆然と自失した。


しばらくすると、双眸から滝のように涙が溢れだした。


声にならない叫びが高周波のように耳に痛い。


俺は別の意味でガッカリだ。


チーズを食えそうもない。


「しかしまあ、見事に塵一つ残さず焼き消したものだな。」


ヴァルターが咎めるような目で睨むが、エルゼには聞こえていないだろう。


「いえご主人様、あながちそうとも言い切れないようですよ。」


ウラジミールが、鼻を高くして『クンクン』と臭いを嗅いでいた。


こいつは俺が与えた能力以外にも何か持ってるようだな。


「エルゼ様、エルゼ様、さあお立ちになって。諦めるのはまだ早いかもしれませんよ?」


そう言って『ニタリ』と笑った。


本人は精一杯『ニッコリ』のつもりなのだろう。


エルゼは、ウラジミールとヴァルターに両脇から抱えられてようやく立ち上がった。


しかしエルゼは、ウラジミールの言葉にも反応が薄い。


「さあ、あっちです!ご主人様!チーズの匂いもしますよ!」


「なんだと!本当か?」


「はい。わざわざ頭を潰されるようなことは申しません。さあ、行きましょう!」


そう言うとウラジミールはヴァルターを促してエルゼを抱えたまま歩き出した。


半信半疑ながら、微かな期待を呼び起こして俺もウラジミール達の後を追った。


ものの見事に焼き尽くされた『村』が有った場所を歩いた。


しばらくすると、俺にも判った。


見事に気配を消した強力な結界が張られている。


その中心に、エルゼと似たような『呪』いや、この場合俺達のような『魔』に属する『呪』ではなく、『光』とでも形容されそうな『力』を感じることが出来た。


たぶん、俺の『呪』とは相反するのだろうが、何故か敵対心が湧かない。


「ずいぶん強い力を持っているようだな。お前さんのお師匠さんって人は。」


顔を見ずにエルゼに言ったが、エルゼからの答えは無かった。


「ふん、おおーい!エルゼの師匠とやら!わざわざ弟子が会いに来てるぞ!

ああ、ちなみにエルゼは心を壊しかけてるから、早く顔を見せた方がいいぞ!

それとも俺が結界を破ってやろうか?」


多少脅しを入れた。


と、空間の一部が歪んだかと思うと、一人の年若い女が出てきた。


「ようこそお出でくださいました。

我が弟子を助けていただいてありがとうございます。

さあ、こちらへお入りください。」


お師匠さんと言うから老婆、あの町はずれの店の婆ぁみたいなのを想像していたが、意外に、というか、かなり若い。

見た感じ30に届かないだろう?


などと考えながら導かれるままについて歩いた。


結界を抜けると、そこには元のままの村が有った。


お師匠さんとやらがエルゼの前に立った。


次の瞬間、パチンッ!とエルゼの頬が鳴った。


「あ、お師匠様・・・」


そう言ったとたん、エルゼの双眸から滝のように涙が溢れだした。

だが、先程の絶望の涙ではなく、歓喜の涙だった。


「お師匠様ぁぁぁ・・・」


エルゼがワンワン泣きながら抱きついた。


それをお師匠さんは優しく抱きしめた。


ふん、感情が摩滅した俺には感動的な場面だとも思えなかったがね。


「エルゼを連れてきて頂きありがとうございました。

申し遅れました。

私は、この村の長を務めていますイヴァンヌともうします。」


エルゼを癒しながら挨拶するイヴァンヌは、どう見ても二十代半ばとしか見えない。


「ああ、エルゼが師匠なんて言うから歳をとった婆さんかと思っていたが・・・」


「お恥ずかしい限りです。

私は、エルフの血をひいておりますので若く見えますが、実は百歳を超えるお婆さんです。」


そう言って笑うが、そうするともっと若いのかと思ってしまう。


まあ、殆んど性欲が無くなった俺にとっては、若かろうが歳をとっていようが関係ないのだがな。


そうそう、その性欲なのだが、何故性欲が発生するのかといえば、それは『種の存続』のためなのだな。


俺は人間でなくなり、死ぬことも無い身体になったせいで、『種の存続』の必要が無くなったらしい。


そのため、セックスによる快感を魅力的に思えなくなったのだろうな。


そんなもの、『旨い飯』に比べたら糞程の価値もない。


なので、イヴァンヌが美しかろうが乳がデカかろうがどうでもよいことなのだ。


「ああ、そうなのか?

まあ、そんなことはどうでも良いのだが、チーズは有るか?

塩鉱山の草を食って育ったヤギの乳から作られたチーズだ。」


「ございますよ。」


イヴァンヌはそう言って艶やかに微笑んだ。


「あ、お師匠様!またこっそりとヴァンを飲んでますね⁉」


正気を取り戻したエルゼがイヴァンヌに詰め寄った。


「良いじゃないの、ハーフエルフは寿命が長いんだから、楽しみの一つや二つは必要なんです!」


そう言って小さく舌を出すイヴァンヌは、やはり百年も生きているようには見えない。


「ああ、同感だ。こんなのも有るぞ。」


俺はそう言って空間に円を描き、葉巻を取り出した。


「あら、良いものをお持ちですね。」


俺は一本差し出し、指先に火を点して差し出した。


イヴァンヌは慣れた手つきで葉巻に火をつけた。


「ああ、良い薫り・・・ヴァンも良いけど葉巻ならラムが飲みたいわね。」


「分かってるじゃねーか。」


なんとなく嬉しくなった。

自分の好きなものを分かち合えるというのは!満更悪いものじゃぁ無いな。


「お師匠様!ルピトピアはお酒もタバコも禁止されているのですよ!」


「あら、街中には堂々とお酒を売っているお店が有るわよ?もちろん、タバコもね。」


「あわわ・・・そ、そんなことよりこの様子はどうしたことですか?

なぜ結界を張ってあんな景色を見せているのですか?」


「後でね。とりあえずチーズとヴァンが先ですからね。」


そう言うとイヴァンヌは、結界の中心付近にある自宅へ俺達を導いた。


しかしイヴァンヌの呪力?はかなりの強さだな。


村一つ丸々包み込む結界を張って、全ての村人をその中で保護していた。


しかも、すれ違う村人は皆笑顔で、魔物に襲われた恐怖心など微塵も伺えない。


イヴァンヌは村人から絶大な信頼を受けているのだろう。


それもそうか?

ルピトピアの最高責任者エルゼの師匠なのだからな。


「さあ、こちらがこの村自慢のチーズ、『モンテール』です。」


「おお、これか・・・」


切り分けられ皿に並べられたそのチーズは、表面がオレンジ色の輝きを放ち、トロリと中身がとろけ落ちている。

幾分揮発臭が有るが、それは発酵の賜物だろう。

好ましいか嫌いかは個人差だな。


「いわゆる『ウォシュタイプ』だな。」


「ウォシュタイプ?」


俺の言葉にイヴァンヌは首を傾げた。


「ああ、俺が人間だった頃の世界にも似たようなチーズが有った。

表面を酒で洗って発酵させているんだろう?」


「その通りです。

近隣で採れるレイズンから作られたヴァンで洗って発酵させています。」


「ああ、好き嫌いは有るが旨いチーズに違いない。ヴァンは有るのか?」


「はい!もちろんです!」


イヴァンヌはそそくさとヴァンを取りに行った。


「もう!ガンゾウさんもお師匠様も!そんなことをしている場合ですか⁉」


「そうです!ルピトピアが魔物の国になってしまいます!」


エルゼとヴァルターが呆れたように抗議したが、俺はもちろん、イヴァンヌも適度に無視していた。


「あら、もう魔物の国になってしまいましたよ。もっとも人間の国民は既に避難させましたから人的な被害は殆んど有りませんけどね。」


そう言って悪戯した子供のようにペロッと舌を出した。


「え・・・いつの間に?」


「はいはい、後でね。さあ、これがこの村自慢のヴァンです。チーズと最高に合いますよ!」


イヴァンヌはそう言って俺のグラスにヴァンを注いだ。


少しオレンジ掛かった色合いと若干の濁り。

いわゆる『ビオ』なのだろう。

この世界の時代性から、ヴァンの醸造技術はまだ中世的なのだろうな。

ああ、ジョージアの『アンバー』に似た感じだな。


ヴァンを一口含む。

ヴァンブランであるにも関わらずタニックな味わいがある。


ん?待てよ?これ冷えてるぞ?


「氷が有るのか?まだ暑さの残る時期だが?」


「はい、鉱山の坑道は奥深くに行くととても寒いのです。

そこに氷を溜めておきます。

もっとも、夏の終わりには流石に溶けて無くなってしまいますが、今の時期はまだギリギリ残ってるのです。」


「そうか。」


そう言ってもう一口含んだ。


穏やかなタンニン、奥ゆかしい甘味、微かに顔を出す酸味。

これは旨い。


口の中で弄ぶ。


舌が喜ぶ。


口中に歓喜が広がる。


無言で、とろけ出すチーズをスプーンに乗せて口へ運ぶ。


ツンとした揮発臭の奥から芳醇なミルクの香り、発酵によってもたらされる旨味、軽やかな塩味、ねっとり舌に絡み付く食感。


そこへヴァンを一口啜る。


一気に口中で旨さが爆発する。


「旨い・・・」


それ以上の言葉は思い付かない。


「お気に召して頂けたようで良かったわ。でも、このヴァンの原料となるレイズン畑まで結界が張れてないの。

幸いまだ無事なのだけれど、レイズン畑が焼かれるのも時間の問題かと・・・」


そう言ってイヴァンヌは顔を伏せてしゃくりあげた。


ウラジミールが変な顔をしているな。


いやいやそんなことはどうでも良い。


こんな旨いヴァンが作れなくなるなどもっての他だ。


「ああ、なら悪さしている魔物どもを消してしまえば良いんだな?」


「ええ、そうなのですが、私にはこの結界を維持するのが精一杯で・・・」


またウラジミールが変な顔をしているな。なんだ?

まあいい。


「俺が魔物どもを消してやるからな。

その代わりチーズとヴァンをそれなりに食わせて貰うぞ。」


「まあ!本当ですか⁉でもお一人だけでは・・・」


「ああ、心配要らない。十分だ。」


ウラジミールが大きな溜め息をついている。

何か文句があるのか?

まあいい、今はレイズン畑を焼かれる前に魔物どもを駆逐するのが先だ。


「じゃあ行くか・・・」


久しぶりに気分が高揚するのを感じる。


「ああ、確認しておく。」


「はい?何でしょう?」


「人間たちはもう街中には居ないのだな?」


「はい、全て退避させてます。でもなるべく街は壊さないようにお願いできますか?」


「約束できない。」


「でも、めちゃめちゃにされるとヴァンのお店やチーズのお店、それから美味しい『ポム・パイヤソン』を焼くお店が利用できなくなってしまいます・・・

それは悲しい事です・・・」


「・・・分かった。街は壊さない。」


またまたウラジミールが天を仰ぎながら深く溜め息をついた。


まあいい、早く出掛けよう。


「じゃあ行ってくる。」


「お願いいたします。くれぐれもお気を付けて・・・」



そう言ってイヴァンヌは深々と頭を下げた。

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