第6話 忘れもの/金色


「…………上着を、忘れてきた」


 陽気の中で、今や昔のことのような、公園へ行った。

 子どものはしゃぎ声が、それを見守る母らのお喋りが浄化の炎をちらちら燃やす昼から、昏々とした夕にかわるまでに帰ってきたのは良かった。

 問題は、昼寝の間背に引いていた上着を忘れてきたことである。ライオネルが夜に外出すると若干態度が乱雑になるような隣人は、もう寝ているはずだ。


(さっさと取りに行ってくれば良いか)


 鈍く銀に輝く戸に、手をかけた。



******



(ようやく克服できた、と思っていたけど、どうやら甘かったみたいだ)


 ライオネルという、うつくしい居候のいつもの上着がないと気づいたのは夕食を渡しに行ったときだ。

 まだ夜でも暖かいのだ、その時は余り気にかけなかった。

 夜になって、明日までには出そうとしていた手紙を出し忘れていたのを思い出し、少しなら平気だろう、あの公園も通らないし。と油断したのがいけなかったのだろうか。

 

 郵便受けに手紙を投函して帰ろうと振り返ったら、後ろに感じた影。それは例の公園で最後にライオネルに声をかけた、男だった。


(明日の朝にでも行けば、こんなことにはならなかったろうに。)


 ライオネルがまたこの醜い臭気や視線に絡まれることがないようと、帰りの遅いときは勝手に心配していた自分がそんな目に遭っているだなんて。 

 自嘲気味に笑う。それが癇に障ったのだろう、腕を拘束する力が強くなり、征服欲がぎらぎらと輝きを増した。


 分厚い手に少年の手首はひとまとめにされ、頭上にあげられる。空いた手がふりかぶり、頬を叩かれる。荒い暴力をしばらく受けていなかった脳はぐらぐら、混乱した。


 ぐしゃり。

 公園についた瞬間から目に入っていた漆黒が目の前で踏み潰された。

近くで立っている男の足を睨む。


(それは、それは。お前なんかが踏みにじって良いものじゃ、ない)


「…はたらい、たら」

「ァあ?」

「あなたたちの言う通りにしたら、それ、返していただけるんですよね?」


 少年の目線の先をちらと見て、乗っかった男と、周りの男たちは下衆く嗤う。


「……なんだ、偉そうに睨んどきながら、ヤることやってんじゃねぇか」

「俺らにもどうやってあいつに媚びたのか、見せてくれよ。そうしたらこれ、やっても良いぜ。ま、真っ白に汚れちゃってるかもしれねぇけどな」


 ギャハハハハ!!

 下品な笑い声が頭に響く。なんて不愉快なのだろう。あのひとの笑い声は……1度しか、彼の好物を差し入れた時にしか聞いたことがないそれは、それはきれいなものだったのに。


(きちんと洗濯すれば、綺麗になってくれるかな)


 自分は逃げられないだろう。こんなことになって逃げることができたのなんて、一度もないのだ、彼の黒さえ持ち帰れたなら、それで。


(それで、いっか)


「……好きに、してください」

「は? ……あっはは、ほんとにあいつとデキてやんの。いーよ、お前がそういうつもりなら」

 

 せめて、その不愉快なものから目をそらそうと、公園の入り口に首を回し見た。


(彼は、本当に……猫みたいだ)


 濡れた黒のすらりとした足元が見える。すたすたと動いて狭い視界から消えるとすぐ、同時にひとが倒れた振動や悲鳴や罵声が、次々に上がっては消えて行く。

 鈍いのだろう、にやにやと気持ちの悪い笑みを崩さなかった目の前の男も隣で黒を踏んだ男も、1、2分すると異変に気づいて、回りを見る、暇もなく薙ぎ倒された。


 倒れた男に潰されないよう、上にのっていたそれを避けながら上着を掴みとる。

 ごろり。転がった筋肉と脂肪の塊に挟まれた脚を抜き、立ち上がろうと上を、向く。


 金色の瞳が少年を見下ろす。滅多に会うことのない視線が、かれを縫いとめる。

 暴力的なまでの迫力に、やっぱり彼は、こんなところにいるべきではないのだろうなぁ、と思う。

 それでも手離してしまうにはこの強靭な騎士は、気紛れに優しい猫は、惜しすぎるから。


「ライオネルさん、」

「……………………なんだ」

「これは、洗濯しても大丈夫ですか?」


「……………ああ。」


 もうすこしだけ。彼が、僕を捨てたいと思うまで。

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