第2話


目を開けると、見知らぬ少年が目の前に立って、こちらを覗きこんでいた。


学園の隅で餓死でもするかと思ったが、どうやら死に損なったらしい。




周りは血の臭いのしない、樹木の立ち並ぶ場所だ。

用が無いなら放っておいてくれと思うが、なぜかそうはいかないようだ。


血のにおいと違って慣れない視線、視線、視線。飲み干した水が顎を伝うと、どこからかごくり、唾を飲む音さえ聞こえる気がした。

如何ともし難い気持ち悪さを感じ戻ろうとすれば、退路は他の男により塞がれている。仕方なく、水飲み場に寄り掛かり目をつぶった。




「あの。御兄さん。」

「一緒に来てくれませんか。」

「…いえ、来てください。」

「腰のモノを振り回したくは、ないでしょう?」


ぴくり、と反応してしまったのは、男の言い分に理があったから。

この剣は主からいただいたものだった、確かに。




じっと見つめられていたのを初めて見返せばそこにあるのは声と同じ見透かすような瞳。

柔和な印象を受けるそれは、周りで様子を窺う男達とは1線を引いたところにあるような気がした。


「…………斬れるものなら、とっくに斬っている」

「ええ、そうでしょうね。ですから、着いてきてください。悪いようにはしない、と約束しますよ。」


後ろを向きさっさと歩き出したのは、俺が追ってくると確信しているからなのか。

おそらく、その誘いに乗れば、この不快感は軽減されるのであろう。


(どうせ、一人だ。何処に居ようと変わりはないか)


濃藍の夜に紛れ込みそうな後ろ姿を何と無く追った。

安易な考えになってしまうのは、どうしようもなく疲れてしまったから。疲れは思考力を削ってゆく。


「おいおいにーちゃん、遊ばずにいっちまうのか? ちょっと待とうぜ?」


それでも保っていたぎりぎりのプライドで、今までで初めて声を掛け、脂ぎった腕で俺を掴んだ、俺を見つめていた男をはね除けた。


「去ねてくれないか。お前には…興味はない」


更に声をあげようとしたのを聞き届けることなく、俺は背を向けた。




首もとまである繊維質な服は、いつか見た真白の鳥と似ている。しばらくし、白花色が動きを止めた。


(裏口か)


正面から入らないのは理由があるのか、と問いかけそうになって、やめた。深入りはごめんだ。

カチャカチャと数秒して、すぐに開いた内開きの扉を抜け、通されたのは小さな部屋。


続いていた廊下を見るに、ここはこの家屋の奥に位置するのだろうと思う。入った所で立ち止まっていると、部屋の奥、男の背丈ほどもある木棚の留め金を外し、横に場所をずらす後ろ姿。


見た目より軽そうな棚をずらして現れたのは壁、ではなく横開きの戸だった。


厚いが、重くもない戸をがたがた鳴らし開く。


「立て付けは……悪くなってないな」


目線だけでその先へ促される。見ると、そこは倉庫のような小間だった。


男は端に畳まれた薄いクッションを指し、使うようにと言い、どこからか机を持ってきた。小窓の下にそれを設置すると、俺を見るとも無しに出ていこうとするので呼び止める。


「お前は、誰だ?」


俺の価値すら知っていない無知か、それとも。大した魔法も使えないこの身だが、言を握っておくに超したことはない。


「僕は、……イチロウといいます」


笑むようなかたちを描いた目もと。しかし、それがおそらく偽名であることは理解出来た。只の愚かな男ではないことに、どこか確信を持っていた自分がいた。


「俺はライオネルだ。ほかに語ることはない。」

「ええ、はい。大丈夫ですよ、それで」


返ってくる声音は軟らかで、なんの含みも無い。嗤うでもなく、静かな拒絶を示していた。


「疲れた時には甘いものを、といいますから」


言うこともないので壁に凭れて行く末を眺めていると、唐突に少年はそう言って、机の上に持っていた袋から何かを取りだし置いた。


「……それは、」

「菓子ですよ。ああ、そうか」


眉を顰める俺に何を思ったか、男は机の菓子というそれにもう一度手を伸ばした。ぴり、という小さな音と共に包装が破れる。


そうして、そのうちの一つを口にする。


毒味、ということらしい。


「欲しいモノがあれば、言ってください。」


用意しますから。


言い残し、音もなく戸の向こうへ姿を消した。

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