第44話 Bad End?:本能寺の変 備考:第35話参照
「London Bridge is broken down, Broken down, broken down. London Bridge is broken down,
My fair lady.」
机上で鎮座する一つのメモリーチップから大量の画面が空中に映し出される。芳子のどこまでも黒く吸い込まれそうな昏い瞳が青白い光を受けてディスプレイの光を写し出す。
両手を空中で漂わせて操作し童謡を楽し気に歌っている姿は、側からみれば挙動の怪しい不審者そのものだ。
室内には所々に画面が浮き上がり、青く不気味に光を放つ。静かな室内で、芳子の紡ぐ歌は不気味にこだまし続ける。
気持ちよく歌っていると、新たに画面がポップする。スマホに来たメッセージを知らせるもので、文頭のみが映っている。
『きんきゆうじたい。やばいから、とか...』
芳子はこれから起こることを面倒事だと確信があるかのように嘆息し、ポップに触れる。デスクに乗っているスマホはケーブルに繋がれ、ケーブルは中央のメモリーチップにまで伸びている。
「Build it up with silver and gold, Silver and gold, silver and gold, Build it up with silver and gold,
My fair lady.」
歌に呼応して、芳子の手がてきぱきと作業する。空中にキーボードが浮かび上がっり、哲男からのメッセージの全容が映し出された。
『きんきゆうじたい。やばいから、とかくへるふ』
哲男からのメッセージは漢字変換がなされておらず誤字だらけで読みにくいものだった。
芳子は、自身の乏しい感取能力でなんとか解析を試みる。
(『きんきゆうじたい』は緊急事態だとして、『とかくへるふ』って何? とかく...とかく...あっ、とにかく! 『へるふ』は、ヘルプですか)
芳子が暗号を解くノリで熟考していると、痺れを切らした哲男から新たにメッセージが届く。
『ねえなんかやばいんだけどあけちむほん手、バタバタシテるどうするの』
文体からも分かるように、状況は切迫しているようだ。芳子は詰めていた息を吐き、安堵の笑みをもらす。
「Give him a pipe to smoke all night, Smoke all night, smoke all night, Give him a pipe to smoke all night,
My fair lady.」
芳子の歌が終盤に差し掛かったところで、県、藤村、鈴木が入室する。県はいつものごとく、反応は示さず。鈴木は瞠目している。藤村は、口をあんぐりと開け、この世のものではないものを見てしまったような反応をした。
歌い終えたところで、メッセージアプリとは異なる通知音が鳴り響いて室内にこだまする。スマホは哲男から電話がかかってきたことを示す。芳子はしばらくコール音を聞いてから意気揚々と通話ボタンをタップした。
「はい、兄さん。通話しませんって言いましたよね」
高揚した気持ちが出てしまわないように、芳子はいつもよりも感情を押し殺して抑揚のない声を発した。
「芳子ごめん、忙しいかも知んないけど聞いて。明智光秀が謀反を起こした。確か織田信長って病死だったよね。これもどうにかできない? 今本能寺なんだけど。抜け道とか突破方法とか教えて」
電話越しの声は知っているものよりも随分年をとっていて、ただならぬ焦りを感じられる。芳子の声が対して変わっていないことにまで頭が行かないらしい。下がらない口角を上げたまま、返答する。
「無理ですよ」
電話越しにひっきりなしに聞こえていたぜーぜーという吐息が、唐突に止まった。
「は?」
芳子はいたずらが成功した子供のような調子で楽し気に言い放つ。
「だから無理」
芳子は最後の「無理」を強調し、穏やかの一言に尽きる表情をまとっていた。
「な、んで?」
電話口の哲男の声音は固かった。
「なんでって、そんなものないですから」
スマホからは小さくパチパチ木材が燃えて、倒れる音が聞こえている。先ほどより火の手が回ってきているようだ。哲男からの質問がないので、芳子はそのまま続けた。
「織田信長は確かに病死です。でもそれは、弱い織田信長での話。織田信長が平和に死ぬには弱くなければならなかったのです。あの偉業を一人で成すには、負うべき憎悪と業が重すぎる。寿命の前に殺されるはずです」
哲男が息をのんだ。やっと状況を理解したらしい。
「なんで、なんでそのこと教えてくれなかった? その言い方じゃ、前から予想できてたことなんだろ? もっと前に、それこそ最初に連絡したときに助言してくれれば...」
怒りを耐える悲しく苦し気な罵声が静かにな室内に響く。芳子は口角をさらに吊り上げ、問いには答えず言い放った。
その横顔は、照明も手伝ってサディスティックに染まっていた。
「フグ毒って美味しいんですね。噂には聞いていましたが、実際に食べて仮死状態に陥った方の意見はとても参考になります」
「は?」
声はあざ笑うような調子で軽やかに紡がれる。
「なに、いってんの?」
受け止めきれない告白を突き付けられ、モニター越しの声が震える。。
「笑えない冗談マジでやめ...」
「ほら、よくあるじゃないですか。最後の最後に仲間が実は敵側だった、とか」
芳子は、背後でこちらを視聴している県を振り返り、アイコンタクトを送る。県がうなずいたところで、通話に雑音が入り込んだ。
「織田信長、覚悟っ!」
「ちっ、ちょっとま...」
芳子は、通話の終了ボタンに手をかざして、スマホの電源を落とした。通話を切る瞬間、断末魔のような叫びが入り込んでいた。
広いデスク上のメモリーチップから広がる画面の一つは、文章作成アプリが開いてある。芳子はそれを手前に引き寄せ、入力を始めた。
表紙に当たるベージにはこう記されていた。『死亡検証とパラレルワールド説の実証』と。
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