第43話 地下にて、秘密の会話

 暗く無機質な廊下を、コツコツとヒールが闊歩する。行く手がぼんやりと見えるか見えないか程度の明度の中、白衣がたなびくのが際立つ。

 人気のない空間には窓ひとつなく、かと言って空気は心なしか軽い。何処かに通気口があるようで、僅かながらに空気の流れを感じる。

 薄ぼんやりとした先の見えない回廊を直進すると、仄かに灯が見える。青白い光を受けて、芳子は具に眼を細める。

 室内には女性が一人座って待っていた。照明の色彩のせいか、顔色は青い。


「お呼びですか」

「あ、先生!」


 芳子を見とめると、女性・藤村は立ち上がって芳子に詰め寄る。


「お忙しいなかすみません。あの、レポートの件なんですけど...」

「何か、不備がありましたか?」


 芳子は宙を見つめて、レポートを思い出す。


「そういう訳じゃないんですけど...何と言いますか...」


 藤村は言いづらそうに口籠もり、芳子を手招きした。女性にしては高身長な芳子は大人しく腰を落とすと、藤村が耳元でそっと囁いた。


「理由、強引過ぎません? お兄さんをのは分かりますが、ちょっと無理が...」

「ああ」

「ああ、って...。私は、先生がちゃんと計画している物だと思っていたんですが。どう考えても、よ」

「大丈夫です。問題ありません」


 芳子が顔色変えずに言い切るので、藤村は理解できないというように声を上げた。


「いやいや、力業過ぎますって。お兄さんに気づかれたところで、私達に、県先生に不利益は無いじゃないですか。それじゃ、理由になりませんよ」

「県名誉教授、隠れたいのか会話に入りたいのかどちらですか?」

「えっ?!」


 芳子の問いかけに藤村がきょろきょろと周りを見回すと、先程芳子が入ってきた通路から県が顔を出した。


「バレていましたか。いやはや、素晴らしいですね、武道体得者の察知能力というのは」

「隠れる気、有りませんでしたよね」

「ふふふ、全くもってそのようなことは。年寄りなりに頑張って気配を消していたのですが、ダメですね。若いお方には敵いません」


 県は照れ臭そう白頭を搔いた。県の突然と登場に驚いて動きを止めていた藤村は、はっとして顔をますます青くした。


「それで、藤村さん。林又さんのレポートでしたら、あれにはしっかりとした理由がありますよ」

「えっ?! そ、そうなんですか。でも、どう考えても...」


 挙動不審な藤村を尻目に、県は芳子との当初の打ち合わせ内容を説明し始めた。


「藤村さんや鈴木くんを誘うより前に、最初に私は林又さんに声をかけました。対象が対象でしたので。その時に少しお話をしましてね。対象に気づかれた場合はどうするのか、という話になったのです」

「はあ」


 藤村はまだ事態が掴めていないようで、頭に絶えず疑問符を浮かべる。


「藤村さんは、林又哲男と会ったことが有りますか?」

「あっ、はい。一度だけ、それほどお話はしませんでしたが」

「彼は、所謂ギフテッドと言いまして、ありていに言ってしまうと頭がとても良いのです」

「はぇー、天才兄妹だ」


 藤村の説得を県に丸投げした芳子は、藤村の後ろでコンクリート打ちっぱなしの床にもたれていた。藤村の言葉に、目元がピクリと動く。


「幼い頃から元来の頭脳で林又の家に貢献し、英才教育も受けていたのでその知能は類稀なる物なのです。しかし、彼は家出をしまして。私が彼を見つけた頃には、その面影が一切合切消えていたのです」

「それはまた、奇妙な話ですね」

「恐らくは演技でしょうね。しかし、彼は子供の頃に林又さん、芳子さんに構われたいがために自らに腕に細工をしたこともありまして、リアルを求める方なので本当にそうしている可能性も有るのですよ」

「うわぁー」


 藤村は憐憫の目で背後の芳子を凝視する。

 芳子は腕を組んで、藤村から逃れるように目線を逸らす。

 哲男は、幼少期から手先が器用だった。物心がつき、哲男の干渉に嫌気がさした芳子の心情を察知し、哲男は自らの手に細工をした。芳子が干渉されないよう機械類を駆使していた哲男は、いつのまにか細かい作業が苦手になっていた。普通なら本当にはやらないものだが、哲男はその点かなりズレていた。


「まあ、そんな訳で、どちらか分からないうちは警戒が必要だろうと話していたのです」

「それで、演技だと?」

「はい」

「でも、それでなにが問題なんですか?」


 藤村は、やはり不服という表情を改めない。県が答えるのを遮り、芳子が口を開ける。


「兄は、こう言った分野で一度、とんでもない物を作った前科があります。れっきとした研究室の中でだったので良かったのですが、あれを外でやっていたらと思うと頭が痛いです」

「そんなにも...何をやったんですか?」

「データ化をせずにきのみのまま物体を転送する装置を作りかけました」

「天才怖っ!」


 つまり、その気になれば、哲男は自力でこちらの時間軸に戻って来れる可能性があるということだ。

 藤村は、芳子の言葉に驚き半分戯けて見せた。


「お言葉から察するに、当時は高校生とかですか?」

「中学生です」

「殴りたくなりますね」


 先程とは異なり本気で言葉を紡ぐ藤村に同調して、県が深く頷く。


「作りかけた、ですけどね」

「十分すごいと思いますが」

「しかも研究室の外で待たされている間に、積んであった廃棄物を使って作ってしまうのだから、凄いですよね」


 県がのほほんと言い放つ。藤村は瞳孔を最大限に開き、口を半開きにした。

 芳子は、心の中で「ブラックホールも作り出したけど」と付け足した。


「そんな訳で、一番実験の対象者に適していないのです、私の兄は」

「そうですよね。では、なぜお兄さんをお選びに?」

「それは、条件が彼にこの上なく合致していたからですよ」


 県は自身の髭を撫でながら藤村の問いに答えた。


「条件、ですか? あー、身内が捜索願出さないとですか?」

「それもあります。がしかし、最も大きな理由は、彼は織田信長とたいそう脳の作りが似ているからです」


 織田信長は基本的にひ弱で優柔不断な性格が前に出てあまり注目されていないが、実は頭が良かったとされている。

 外交面や国内統治においても、織田信長の意見が尊重された例は実は多く、また、人を束ねるという分野においては誰をも凌ぐ才覚があったということは広く知られているところである。

 一部では、ギフテッドだったのではとまことしやかに囁かれているほどだ。

 実際、織田信長の脳と林又哲男の脳はとても似た特徴をしていた。


「なるほど。それで脳の情報のみデータ化でよかったんですね」

「あちらで大きなものを再構築できる確証がありませんでしたので、小規模に抑えるべきだろうと最小限置き換えました」

「なるほど。今更ながらに納得しました」


 藤村は喉につっかえた小骨が取れたような笑顔を浮かべた。

 しかし、にこにこと藤村を眺めていた県の表情は曇り出す。


「やはり、収拾をつけるべきでしょうね」

「はい」


 県の沈んだ声に、抑揚のない芳子の声が応える。


「残念です。のですが」

「そうですね。私も、とても残念に思います」


 薄暗がりにぼんやりと浮かぶ芳子の端正な顔は、静かに一つの波も無い声で言葉を紡いだ。


「処分しましょうか」

「承知しました」


 県は両手を少し曲がった背で組み、何ともない風に言い放つ。

 今ここに、老爺ろうやの一言で、一人の人間の生死が決定した。




<途中経過>


日時:西暦2021年 5/18(火) 14:45


結果検証:特になし。


考察:特になし。

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