第42話 かの有名なドア型瞬間移動装置
今日、輸送手段の発達は停滞している。
「空を飛ぶ鉄の塊」の開発以降、新たな輸送技術は正に限界に直面した。
人類が求めて止まない近未来的技術、その最たるものとして挙げられるものは瞬間移動装置である。
実現は目前とされた矢先、大きな問題が発生した。果たして、輸送された先の物は、輸送前の物と同一と見做して良いのかということだ。
現在、実現に一番近いとされている方法は、輸送物をデータ化し、データとして輸送し目的地で再構築するものだ。
これは既に商品の輸送などの現場で利用され、人間の単純労働に代わる労働力として活躍している。
無機物であればまだ良い。問題は、生命をデータ化することの是非だ。
これまでの実験で、データ自体に保護剤となる情報を挿入することで、再構築を正確に行う生命活動で言うならシャペロンのような効果があると実証されている。保護剤は、最大一年間その機能を保ち、データ本体の保護も担っている。
しかし、人体は保護剤の挿入一つで再構築を補えるかが未知数であり、また実験というのも難しく、半ば頓挫しているのだった。
- 某工学科読本より -
時は流れ、5月。マンションの屋上には、空を仰いで突き刺さる棒や、やたらと棘を纏う葉を持つ苗、それに紫色をした清涼感のある香りを醸し出す葉物など様々ある。
個人宅のベランダも緑で覆われ、子どもが水色のゾウのじょうろで水やりをする。
今頃に作付ける野菜は、夏野菜の代表格が多い。アスパラガスにトマト、キュウリ、ナス、スイカなど、殆どがこの時期に植えられた物だ。家庭菜園をするのならば、やはり5月前後が妥当な初めどきだろう。
芳子は、レトロ仕上げを施した白の長袖カットソーにこれまた白のパンツという装いでキッチンに立っていた。カットソーの袖を丁寧に折りたたみ、レモングラスとイチゴの鉢植え持って、キッチンカウンターからベランダに移す。ベランダのドアを開けると、ぽかぽかとした陽気とともに五月蝿い輩が侵入した。
ダンッと音がして、芳子の手刀が小蝿を仕留める。
鉢植えを素早くベランダに置き、サッシの跡がついて赤く変色したであろう手を仕留めた小蝿とともに水道水で晒す。嫌そうに顔を歪め、1分ほど待って濡れた手を温風に当てた。
芳子はキッチンに置いてあったダブレット型メモ帳のペンを取り、ディスプレイに大きく"虫全滅"と書いた。
再びベランダに戻ると、陽気が芳子の身体に纏わりつく。夏のような高温ではないが、感覚としては今にも蝉が鳴き出しそうなものだ。汗がじわりと滲み出る暑さに、芳子は辟易した。
「暑い」
傷口を見ると、さらに痛くなる。これは世の常で、暑さも例外ではない。
口をついて出た言葉が蛇のように這い上がり纏わりつく。むず痒い陽気に耐えかねて、芳子はベランダを後にした。
「クーラーつけて。16℃」
「承知しました」
芳子の気怠げな声に、機械的な音声が応える。
飽和した温かさから一変、冷涼な空気が床を伝って四方から集中冷却され、冷たい空気が芳子の頬を撫でる。芳子は壁にもたれかかり目を閉じて、ほうっと息をついた。
小さな機械音に、ピコンッという音が重なる。
芳子が忌々しげに瞼を持ち上げると、目の前にポップが出現した。
"スマートフォンに、新着メッセージが有ります"
重だるい手を目線の位置まで持ち上げ、腕をすり抜けるポップに数秒手をかざす。ポップの表示が変化して、メッセージの内容を映し出した。
『中国地方をまた攻めることになったけど、オッケーなの?』
芳子は前髪を右の手のひらで掻き上げ後ろに流すと、頸を優しく引っ掻いた。
全体重を真っ白な床に預け、壁と同化したまま思い切るように息を吐く。
「検索」
「はい。何をお調べしますか?」
「ちゅ...いや、うん。安土桃山時代の中国地方大名について調べて」
「承知しました」
温度のない声が応えてすぐに新たなポップが出現する。検索結果を表示したもので、ヒット数は100にも及んだ。
一番上に表示されたものを開くと、地域ごとに分かれた各地の大名が紹介されているページだった。
何処も結果的に織田軍の勢力下となったので分かりにくいところもあったが、旧国名と照らし合わせてなんとか判別をつけた。
「スマホ持ってきて」
「承知しました」
機械的な音声とともに芳子の開いた手に見慣れたスマホが現れた。
素早くフリック入力で返信を打ち込む。
『残りはどこですか。多くていいので具体的にお願いします』
『嫌な予感しかしないけど...怒るなよ! フリとかそう言うんじゃなくマジで、絶対怒んなよ!』
『今の時間がまさに叱責の対象です』
『えーと、この前武田さんとこの勝頼さんを倒したから、今は敵が東西に分布してる感じ。ほら、なんかあったじゃん。えーと、糸魚川・静岡構造線ってフォッサマグナの西端のやつ。それを境にってわけではないけど、そんな感じで東西に分かれてる。西は、毛利と長宗我部と島津と龍蔵寺。東は、佐竹と里見と北条と上杉と伊達と最上と芦名と葛西...です』
芳子は軽く絶望を覚えた。手を髪に潜らせて頭を抱えていると、哲男から続けてメッセージが届く。
『そういえば、フォッサマグナの東端ってはっきりしてないんだってね(*☻-☻*)』
今するかその話、と誰もが思うだろう。しかし、芳子にとってそこはさほど気にかけるほどのことではない。視覚情報を何よりも大切にする芳子にとって何よりも許し難いこと、それは視覚情報の読みにくさである。
『"と"が多いです。日本語には句読点といって態々読み易くするために設けられた存在があるのですから、有効に利用してください。読んでいるうちに"と"と大名の名前が混ざって見えてきました。とにかく、読み易いようにするのが最低限のマナーでしょうに、相手を思い遣るかいうことをいい加減覚えてください。日本人なんですから、最低限日本語は正しく使用してください。できないのであれば、行を変えるなり空間を開けるなりどうにかなったでしょう』
カツッカツッカツッと音が鳴り響く。乱雑に打ち込まれた大量の文書はすぐに送信され、哲男の元に届けられた。
『ごめんなさい(>人<;) でも、そんなに怒るほどのことでもないような...』
『何か』
『...何でもないです。全て僕の不徳の致すところで、大変ご迷惑をおかけいたしました。今後このようなことがないように、鋭意努力して参ります( ̄^ ̄)ゞ』
芳子はスマホから顔を上げ、食卓のメモリーチップが表示しているカレンダーに目をやる。
"May"と大きく印字された半透明の水色の文字に、焦燥が胸を焼く。
(5月の初め。あと1月...いやもっと少ないか。何とか決着をつけないと)
芳子は視線を手元に戻し、手早くスマホ操作する。
『取り敢えず、平定してください。話はそれからです』
『了解( ̄^ ̄)ゞ あ、あとさ、明智さんの件はとりあえず保留にしたから』
『分かりました。もし不仲なことで障りがあれば、信用できる人間と一緒に行動させるのが良いと思います。自分と物理的距離を離しておくのも一つの手です。時間は人間関係において最高の薬となり得るそうですので』
『なんだかんだ言って調べてくれたんだ〜、へー(≧∀≦) 分かった、そうしとく!』
『一般教養の内です』
『はいはい、そういうことにしときましょうねー(*´ω`*)』
冷涼な空気に凍えるような雰囲気が伝わり、瞬間的な体感温度を大幅に下げる。眉間に深く皺を刻んでスマホを睨みつけた後、はっと何かを思いついて、先程メモしたダブレットのディスプレイを下にスクロールする。
白い画面に再び備え付けのペンで書き殴り始めたのだった。
<途中経過>
日時:西暦2021年 5/9(日) 8:17現在
結果検証:対象がこの件に気づいた模様。
考察:早急に処分を検討するべき。明智光秀との不和が問題になってきている。これを利用すれば、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます