後・第2話 林又さんと仲良くなろう!
雨がトタン製の屋根を叩いているような音がフロア中にこだましている。
スマホに哲男への指示を送り、不思議そうに芳子の手元をチラ見している藤村に向き直る。
「ところで助教授、人助けに興味はありませんか?」
「え? 先生の雑用を手伝えという事ですか?」
「いえ、人命救助です」
藤村は目を何度も瞬かせて、訝し気に芳子を見つめる。
「頭、ぶつけました?」
「なぜそうなるのですか」
「だって先生、たとえ今私が心筋梗塞とか脳梗塞で倒れても、ご自分に利益がなければ素通りなさいますよね」
「検診受けてください」
「そういうことじゃないです」
藤村は、はぁ、と土砂降りが映し出された壁に目を背ける。足元の照明が、二人を明るく暖かく照らす。
「人間に興味をもたれたんですか?」
「いえ、ではなく、はい、そのようなものです」
「私、先生のその嘘つけないというか、隠す気ゼロのところは好ましく思います」
「それは、お褒めいただきありがとうございます」
藤村は微妙ような表情を浮かべて頭を掻いた。
「なんだろう、疲れる」
「何か?」
「いえ、何でもありません」
「そうですか」
「やっぱりこの人の相手は疲れるわね。忍耐の精神がごっそり持っていかれる」
藤村は先程の反省を生かし、気持ち小さめに愚痴を吐き出す。芳子は、そんな藤村に気付いてか、じいっと藤村を凝視し始めた。
「なんでしょうか?」
「いえ、分かりやすくて安心するなと思いまして」
「何がですか」
「今、こいつの相手めんどくさいなって思いましたよね」
「なんのことだかさっぱり」
「貴女が私にどんな感想を抱いていようと、私は構いません。しかし、近くにいる人間ならなるべく思ったことが顔に出る人間がいいと思い立ちまして、こうして依頼している次第です」
「はあ」
「ということで、私の手伝いをしていただけませんか?」
藤村は思った。「ということで」って、特に何も前述されてないけど、と。しかし、ここで突っ込んだが最後、話が通じるようで通じない地球外生命体みたいな上司に魂を根元から抜かれてしまう。今日は夫が早めに帰ってくるから、早く元気な状態で上がるぞと己を叱咤する。
藤村は、作り笑顔を浮かべて何とかやり過ごそうと試みた。試みはしたのだ。
「特に何も前述されてないけど」
(そうですね)
藤村は笑顔のまま動きを止めた。自分でも制御できない、抗えない大きな力が働いた。そう、藤村は生粋のツッコミ気質なのだ。
藤村は、一度深く深呼吸して唇を噛みしめる。
「すみませんでした!!」
芳子の顔には、相変わらずなんの感情も乗っていない。それが余計藤村を不安にする。ただならぬ焦燥感に晒された藤村は、一息にまくし立てる。
「先程は、なんと言いますか、誤作動なんです! 本音と建前が直前で入れ替わったというか。私、常々思っておりまして、コンピュータにエラーが許されるのなら、ヒューマンエラーだって許容されるべきなんですよ。人の顔なんて千差万別なんて言いますけど、ほとんど同じじゃないですか。目と鼻と口が正面にあって、左右に一つづつ耳がある。たいして変わらないのに、一、二回あった程度で見分けろなんて無理がありますよ。だったらもう少し独特な目鼻立ちしろって話で。音声からの情報なんて、右から左、左から右に行くなんて当たり前ですよね。見えないし。そもそも、音は空気の波で、その波自体は間違いなく人間を通り越して行ってるんですから、一度言われたことを完璧に覚えろとか無理ありすぎますってね。もうホントに、経費申請毎回口頭なの、やめて、ほし、い、な...」
(何言ってんだろ、私。なんかもう、消えたい。今すぐ掘りやすい地盤に移動したい。穴を掘ってうずくまりたい)
足元のライトに目線をやり、今すぐ植生遷移が進行しないかなと藤村は半ば本気で願い始めた。
「I feel stupid.」
藤村は思っていることを口にしてしまう悪癖があった。そのため、理不尽に耐えかねて、ついに中学時代に藤村はある方法を編み出したのだった。芳子に聞き取られぬよう、藤村は英語で自身を罵った。
その時、芳子の眉がわずかに上がった。
「そうでした。それでなんですが」
「えっ、そんな何もなかったように続けます?」
「何か問題でも?」
「むしろ、こちらとしては嬉しい限りですが」
「では、いい加減話を戻していいでしょうか」
「あ、はい、どうもすみません」
芳子の類稀なスルースキルによって、マイナス値だった藤村の好感度が一気に上昇した。実際は、ただ人の話を9割9分聞いていないだけなのだが、そんなことは盲目的に信仰心を抱きつつある藤村には関係のないことだった。
「英語話せましたよね。確かアメリカに留学経験があったと」
「はい! よく覚えてらっしゃいますね」
「いえ、さっき履歴書を確認するまですっかり不要な情報として除外していました」
「なるほど! 潔さは必要です!」
この時、藤村の脳内ではちょっとした事件が起きていた。
これまで面倒臭い上司でしかなかった芳子の株がインフレーションの波に乗っているのだ。いつもウザがられる自らの悪癖をスルーしてくれた事で、藤村の芳子への評価はノンストップで急上昇しているのだ。
そう、藤村はマイナスからの上昇に弱いタイプだった。
「折り入って頼みがあります」
「はい!」
「兄が殺されそうなので、力を貸してください」
「はい! ん? ......はい?」
「私には不肖の兄が存在するのですが、幼少期から実験のために育てられ、今まさに命を刈り取られそうになっているので、それを邪魔したいです。協力してください」
「大事じゃないですか!?」
「いえ、割と小事です」
この間、藤村の芳子に対する評価は、理解不能な地球外生命体から懐の深い人物に変わり、最終的に兄を助けるために奮闘する不器用なツンデレ健気美少女(?)になっていた。
ちなみに、芳子は30代である。
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