第28話 stand by 琵琶湖

 足利義昭を倒してすぐ、織田信長は平和の象徴となる拠点の建築に取り掛かる。

 1571年(元亀二年)7月、朝廷の傀儡化を成し遂げた織田軍は、将軍の一件もあり、監視をする目的で拠点を京都に移すことになった。

 京都は元来肥沃な土地と豊かな水源を持ち、古都の繁栄で人材も豊富だったことで農業的に独自の発展を遂げている。

 京都で育てられた一風変わった農作物は"京野菜"などと呼ばれ、今日まで親しまれてきた。

 現在は京都で採れた農作物はブランドがつき、農業の街としての知名度が高い。


 そんな古都・京都に拠点を移すことで、織田家の統治を安泰なものと認識させ、更に反乱分子への牽制ができる。京都への拠点移動は、まさに一石二鳥であった。

 また、以前から親交があったポルトガルの宣教師ルイス・フロイスを足掛かりに、ヨーロッパ形式の建築が盛り込まれた、安土城が建設された。

 「安土」という名前は「平安楽土」に由来するとされている。これは、自分が天下の主であることを示す意味で名付けられた。


 これにより、織田家は更に力をつけ、着実に日本国の主人であるということを内外に知らしめたのであった。

 その後、織田信長は家督を実子に譲り、岐阜で隠居生活を送った。

 隠居してしばらくは岐阜に安土城を作り直し、織田軍の総指揮をとっていた。その後のことは、よく伝えられておらず、未だ謎のままである。


-某日本史解説書より-



「お雑煮食べたい...」

「食べて構いませんよ。貴女の手元にあるメモリーチップを全て処理し切ってから食べて頂ければ、何の問題もありません」


 1月4日、世は三が日明けの正月シーズンだ。

 翠学園であれば、通常時であればまだ休める期間である。だが、何故か去年に引き続き、新年早々仕事に忙殺されている。


「それもこれも、生物学の教授さんが老化細胞を除去する物質を新年早々に見つけたせいですよ、はあ。う〜、あーーーー、工学部関係ない! 関係ないのに〜」


 工学部が仕事を押し付けられている理由は、生物学部の教授チームが長年研究していたセノリティックドラックの候補から効果の見られる物質が発見されたからである。

 セノリティックドラックとは、老化細胞を選択的に除去する薬剤であり、今回の発見は大きな反響を呼んだ。

 何故畑違いの工学部に仕事が回されているか。それは、今が1月だからだ。そう、受験シーズンである。

 翠学園は、一応私立大学という形態をとっているので、一般入試は2月だ。しかし、この時期ににはとっくに問題は出来上がっているのだが、いかんせんイレギュラーがあったのだ。内容は推して量るべし。学長が試験問題の委託を適当に許可したらしいのだが、なにぶん適当に、だった為に今の今まで知らされていなかったのだ。その為、翠学園は朝から大忙しだ。


「藤村さん、落ち着いて。林又教授がこの上なく嫌な顔してるから。目に見えて煩わしそうだから」

「うっ、す、すみません。ん? いや、この際、もう先生のご機嫌取らなくてもいい気がしてきた。そんなこと言ってる場合じゃないし。先生だけじゃなくて、私達も十分イライラしてるし。もうこの際両成敗ってことで...」

「藤村さん、落ち着いて! 思考が危ない方向にいってる。先生の眼光がどんどん殺意を帯びてきてるから」

「ごめんなさい。そうですよね、ちょと頭冷やします。先生怒らせたら、帰れるものも帰れなくなりますね」

「何だろう、とても複雑だ。俺たちも仕事できないわけじゃないんだが、事実なだけに情け無い」

「すみません。そういうつもりでは...」

「大丈夫よ、華奈。どうせ私達はサラリーマンですし、諦めて頑張りましょう!」

「はーい」


 研究員達のおしゃべりをよそに、芳子はひたすらに手を動かす。

 リアクトを操作していると、右ポケットに振動を感じた。

 着けているグラスを起動させて、あらかじめスマホと同機させておいたコンテンツを目線操作で開く。グラスには哲男からのメッセージが表示された。


『安土城建設なう』


 メッセージと共に送られたてきた写真には、見たことのある城が立っていた。しかし、背景がおかしい。小さいが端に湖が見える。遠近感から、かなり大きい。


『京都ですよね?』

『いや、今で言う滋賀あたりだけど』


 湖は琵琶湖らしい。小さく息を吐くと、リアクトとグラスを連動させて、文字を打ち込む。


『何故、そんな所に?』

『日本列島の真ん中の方が、色々都合いいかなって』

『安土城は最初京都に建てられたのですが』

『知ってるけど』

『では何故滋賀に?』

『その方がいいって臣下に言われた。んで、まあ、そりゃそうだってんで、岐阜に』

『私が前々から言い含めていたことは記憶にないようですね』

『分かってるって。史実を変えるなって話でしょ。分かってるけど、もう十分変わってるっつうか...、あ、芳子を軽んじてるとかじゃないぞ。ただ、うん、まあ色々じゃん?』

『色々、と言いますと?』

『だからさー、今俺がいるところと元の事実は別物だと思うわけよ』

『何がですか』

『市さんはバツイチだし、全国が敵だし、思ったより早く明智さんが家臣になったし...。とにかく、色々違うんだよ』

『行動がどうあれ、個体は同一の物です』

『物じゃないよ、人。まあ、人間は同じなんだけど。それでも違うんだよ。臨機応変っつうか、うん、そんな感じ』

『結論をどうぞ』

『あー、要は、この時代、この世界の人の意見を尊重すべきかなっと』


 芳子は顎に指をかけてしばし考え込む仕草を見せ、再びリアクトのガラスボードをたたく。


『それもそうですね』

『えっ、すな...え、素直Σ(-᷅_-᷄๑)』

『音声がないのに文章で五月蝿さを感じさせるとは、器用ですね』

『えへへ(^O^) ありがとう♡』

『...褒めてないです』

『知ってるー( ^ω^ )♪』


 芳子は深いため息をついて眉間を揉む。哲男が半ば芳子の対応に慣れ始めたために、心労が嵩んでいるのだった。


『てことは、安土城はそのままでOK?』

『...まあ、いいでしょう』

『やった! ありがと、芳子。愛してるー』

『そうですか。私は愛してません』

『つめたい...。でもめげない!』

『そうですか。では』


 モンスターの対応を諦めて、芳子は背もたれに身を沈めた。真っ白な天井をただじっと見つめていると、グラス越しに影が落ちる。


「あっ、先生。着けてくれたんですね! 嬉しいです!」

態々わざわざ改良させましたからね。着けるのが筋かと」

「それでも嬉しいです。ブルーライトカット付けた甲斐がありました」

「重いですけどね」

「すみません。少し借りてもよろしいですか?」

「どうぞ」


 芳子がグラスに手をかけようとするより早く、覗き込んでいた藤村の手がグラスを奪っていった。

 そのまま自分の顔に装着した藤村は、眉間を押さえ始めた。


「...先生、よくこれ普通にかけていられましたね」

「首・目・頭・耳・肩に痛みが出ています」

「それ、絶対グラスの重みが原因じゃないですか! すみません、作り直してきます! あっ、でもその前に...先生、私が誰だかわかりますよね」

「認知機能は、生憎とやられていないのですが」

「そうじゃなくて、ほら...」

「何ですか、講師」


 藤村は頬を膨らませて恨みがましく芳子を見据えた。芳子は無表情なままだ。


「その顔、絶対分かってますね。名前です、表示されてるんですから、ちゃんと名前で呼んでください!」


 藤村はそう言って己で奪ったグラスを芳子にかけ直す。

 起動されたままのそれは、芳子の眼前に過剰に情報を映し出す。

 大きく太字で表示された、何故かピンクのデコレーションがなされている氏名を見て、芳子は口を開いた。

 これは蛇足だが、氏名がピンクでしかもデコレーションがなされているのは、藤村の名前だけである。まあ、製作側の特権といえよう。


「催促されると、人間、素直に従いたくはなくなるものですよね」

「え?」

「最初は素直に呼ぼうと思っていたのですが。ねぇ、


 その日、珍しく岐阜に雪が降ったという。

 表層だけの、雪国では降ったうちの入らない程ではあったが、一時は白いカーペットが首都の樹脂歩道材で覆われた道路包み込んだ。

 奇跡とまでは行かなくとも、類似した事物。しかし、翠学園はいつもの通り、何ら変化はなくまた一日が過ぎていくのだった。




<途中経過>


日時:西暦2021年 1/4(月)16:36現在


結果検証:安土城を岐阜ではなく滋賀に建てるとの事。大幅に進行が逸れている為、許可した。


考察:サンプルを早めるべきだと考える。

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