第29話 からくり好きな女性技師
『和風建築ですね』
『そうだけど』
『日本史の教科書の表紙に安土城が載っていたと記憶しています。違いますか?』
『...ごめん、教科書貰う前に中退した』
芳子はデスクに肘をつき、手の平にやけに重い頭を乗せて俯いた。盛大な溜息が漏れるのと同時に藤村がビクつく。芳子がデスクの下で隠して操作しているスマホには、ザ・和風といった感じの城がそびえ立っている写真が映し出されている。
「せ、先生。間違えありました? 何度か見直ししたんですけど。いや、というかそもそも問題作りやらされている事自体間違いですし、昨日から馬車馬のように働かされているせいで少なからず集中力は低下傾向にありまして、子どもが熱出して夫があたふたしてて、もう色々キャパオーバーなんですよね、本当に。ていうか、何故このような...」
後半部分からは音量を落とし、ブツブツと独り言のように呟き始める。
芳子は早々に無視を決め込み、屍化している他の研究員達にメモリーチップを返す。
デスクと一体化している研究員達は、芳子が近づくと小さく悲鳴を上げた。
「な、何か、ご用、ですよね。修正なら、そこに...いえ、今やります」
「いえ、講師以外は帰還を許可します。修正箇所は見当たらなかったので、これで終了です」
「やばい、林又教授が天使に見える」
「それは、末期ですね。あー、でも確かに。後光が差してる」
芳子が立っているのは、研究室唯一の窓の側なので、物理的に後光が差しているのだった。
「あと、しばらくは出勤しなくて大丈夫です」
「へぇ?」
「やばいぞ、俺らが使えなさすぎて、遂に林又教授が解雇を突き付けて...」
「...理事長から休暇を脅し...いえ、もぎ取ってきました。暫くはお休みをとっていただいても大丈夫です」
「神ですか! いえ、神ですね」
「ありがたや」
「初めて林又教授が優しい」
ここまでくればやる事はそれほど多くないと判断した芳子は、誤字脱字ばかりで何を聞いているか全く分からないものを作った藤村を除く研究員を帰すことにした。実際、居ても邪魔なだけなのだ。
進行を確認するように言われて工学部に立ち寄った事務員は、仏頂面の女性を数人の屍が土下座の姿勢のまま眠り込んで取り囲んでいる状況を把握できず、フロアには悲鳴が甲高い悲鳴がこだました。
この状況を的確な言葉で表すなら、まさに"カオス"という言葉が相応しいだろう。
藤村にリテイクをかけ、「誤字脱字くらい直してもらってもいいじゃないですか。ていうか、文章作成アプリが直してくれないのが問題なんですよ。というか、何で文章作成アプリで探せないミスを見つけられるんですか。そもそもそこがおかしいですよ」という愚痴をBGMに、哲男の対応へ戻る。
因みに、工学部を訪れた間の悪い事務員は、帰還組が対応している。
検索アプリに「高校 日本史 教科書」とキーワードを簡単に打ち込んで検索をかける。
検索結果の一番最初に表示されている安土城の写真を長押しでコピーし写真のクラウドに取り込み、ホームボタンをダブルクリックしてメッセージアプリに戻す。
哲男のアイコンをタップして、画面下のコンソールから写真を貼り付ける。
ピコンッという送信音が鳴るが早いか、哲男からのメッセージが届く。
『途切れないでー! 話の途中』
『って、え!? これが安土城? まじかー、めっちゃくちゃ違うじゃん』
『ごめん! 全く知らなかった』
『やっべ、めちゃ和風』
芳子は再びため息をついた。と同時に、藤村が問題修正の手を早めた事は言うまでもない。
『ここまでくれば、何が問題か分かりますよね?』
『先に言い訳させてもらうなら、全く知らなかったのよ』
『それに関しては、こちらの配慮が十分ではなかった事もあります。一概に兄さんのせいだとは言えません』
『ほう、それはまた、随分と下手に出ていらっしゃる』
『しかし、今は少し虫のいどころが悪いのです』
『ん?』
『そう言う訳で、全面的に兄さんが悪かったと言う事で』
『いやいやいや! ちょっと待てΣ(゚д゚lll) 相当イラついてるらしい事は察したけど、その感情を俺にぶつけないで!』
『理解してください』
『できるか!』
芳子は右手の人差し指でデスクを叩き始めた。寸分違わぬ間隔で刻まれるリズムに、藤村はただただ恐怖を覚えていた。
『いや、でもさ、かなりいい出来だと思うんだよ』
『そうですか』
『興味ないな。まあ、聞いて。この前、武田さんと一戦交えたじゃん? そん時に外部顧問ぽい感じで助言してくれた女の人に今回も頼んだのよ。墜ちにくい城の構造』
『そうですか』
『うん、そうなの。んで、なんか色々考えてくれてさー』
『そうですか』
『取り敢えず聞いてとは言ったが、少しくらい興味を持ってくれないと辛いものがあるよな(;ω;) ああ、じゃなくて、まあそれで、守りの門つうのを作ろうって提案されたのよ。聞いたら結構画期的らしくて、そのまま作ってもらった。かなり凄いよ。なんか四角にして守りながら攻撃を...あ、やべ、言ってて分かんなくなってきた』
『桝形門の事ですね』
『ああ、それそれ! つうか、なんでそんなん知ってんの?』
『本で一度見たことがあります』
『...うん、俺は突っ込まないぞ。もう突っ込もうと言う意欲はない。やるだけ無駄』
『何の話ですか?』
『...芳子さん、日本史に興味は...』
『ゼロです』
『何故覚えて...いや、何でもない』
『?』
『まあ、とにかく! その人が優秀で凄いなって話でした! 以上!』
『前から聞きたかったのですが、どこで知り合ったのですか? そのからくり技師殿とは』
『おっ! 興味ある感じ? ふっふっふ〜、お兄様が教えてしんぜよう! 何かね、脱走し...いや息抜きに城下を散歩してたら、市場でからくり売ってたのよ。面白いなーって思って、そう言えばマシンガンどうしようって考えてたから、おっ丁度いいじゃんってなって声かけた。名前はねー、冴さん』
『そうですか、忙しいので切ります』
『...ほんとマイペース』
曇天がどこまで広がって、室内はどんよりと暗い。芳子の思案している雰囲気も相まって、研究室は相当な針の筵状態であった。
<途中経過>
日時:西暦2021年 1/5(火)11:14現在
結果検証:例の女性との接触は、対象の干渉によるイレギュラーだった。
考察:接触を制限すべきか指示を要求する。
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