第27話 New year
「先生、これ、プレゼントです」
藤村がいつになくニコニコしながら両手に乗っかるサイズのギフトボックスを差し出す。
芳子は怪訝そうな表情で藤村を凝視した。
「何を企んでいるのですか? 講師」
12月31日、俗に言う大晦日である。
煌々としたビルと通行の邪魔をしたそうに配置された軽食のテーブル、大学の敷地内は芋洗い状態だ。
翠学園は、本来ならばこう言う催しは行わない。お祭り好き(主に理事や年配の教授)が多いにも関わらず、これまでイベントの時期に大学で何かを行われてこなかった。理由は簡単、人が集まらないからだ。
基本的にノリがいい人間の割合が少ないのである。
毎年イベント企画を提出しては会議にかけられることなく却下されていただけに、それを望む人間にとって悲願が達成された瞬間でもあった。藤村もその一人だった。
しかし、いくら浮かれていたとしても、もらう謂れのないプレゼントは疑うのが定石だ。
「失礼ですねー。企みなんて、ナニモナイデスヨー」
藤村の態度を見れば、明らかに何か仕掛けがある。芳子はコンマ数秒で考えを巡らせる。
(殺意はない。しかし、油断はできない。プラスチック爆弾にしても軽すぎるから、少なくとも爆発物ではないだろう。火薬の匂いもしない。化学薬品にしても、外装は普通の段ボール紙、開けたらいきなり飛び出すなんて事はない。容器に入れなければ、何かしら人体に危害を及ぼす物は保存できない。万が一薬品であっても、殆どがガラス容器。にしては軽すぎる。フッ化水素水なら二酸化ケイ素を溶かすからガラス保存に適さず、ポリエチレン容器に保存されるから軽くても納得だけど...、一目で判別はつく。開けていきなりかかってくる事はないだろう。そもそも、常温常圧で液体の物質はこんなに軽くはないか。気体という可能性も、ハロゲンなら余す事なく毒性がついてくる。生成も研究室なら難しくは無い。リンの同素体も捨てがたいが、アレは水中保存だったな。じゃあ...)
「強酸・塩基の水溶液でもなければハロゲンでも常温保存不可の危険物質でも無いですよ。はぁ、だ・か・ら、本当に好意からくる贈り物ですって!」
「警戒心は常に持っておく性質なのです」
「心配せずとも、先生に攻撃を加えたところで私に何のメリットが有るとお考えですか? 皆無です」
「いえ、昇進出来ますよ、完全犯罪を成し遂げることができればですが」
「仕事が増えるので謹んで辞退します」
「そうですか」
芳子は心底残念そうな声音を意識的に作った。
実際、教授職はそこまで激務では無いのだが、藤村が言っているのはそういうことでは無い。芳子が担う仕事の物量は計り知れないのだ。
「そんなことより、開けてみてくださいよ! お土産の時はすんなり受け取られましたよね?」
「すみません。講師があまりにも挙動不審なのでお断りします」
「私、プレゼントを渡してそんなに懇切丁寧に断られたの初めてですよ...。貰えるものは貰っておこう精神は無いのですか?」
「家の方針で、まず疑え、というのはありますが」
「何ですかそのサバイバル感あふれる方針は」
「方法的懐疑は有名な話だと思います」
方法的懐疑とは、真実を得るために全てを疑ってみる事をいう。
フランスの哲学者、ルネ・デカルトにより考え出された思考方法である。
有名な言葉のうちに"我思う故に我あり"がある、演繹法を考えだした有名な人物だ。
「そんな範囲に割り振らないで下さい。まあ、疑う行為を否定はしませんが...取り敢えず、私、先生にプレゼント開けてもらいたいんですが」
「先程お断りしました」
「そこを何とか」
「お断りします」
途端、アルコールが入って緩んでいた空気にピシッと音を立てて亀裂が入った。
大学職員、しかもそれなりの地位にある二人の悶着に、主に耐性のない工学部以外の職員が息を呑む。
普段穏やかな藤村から発せられる剣呑な空気に、さらに会場が縮み上がる。
凍りついた空気に耐えきれず、先に白旗を挙げたのは勿論藤村だった。
「はぁ、いいじゃ無いですかそれくらい。もう! 先生冷たいです」
藤村がそっぽを向いてあからさまに臍を曲げていると、思わぬ人物が参入してきた。
「まあまあ、林又さん、開封くらいしても良いのでは無いかと思いますよ。藤村さんが君を害するようなものを用意する事はないでしょう。きっと、中には良い物が入っていますよ」
アメリカ出張で当日参加できないという事で了解していた工学部の職員は、呆気に取られたように目を見開いて固まった。
唯一正常に機能した芳子は、特に驚いた様子はなく、当然のように県に視線を合わせた。
「お久しぶりです」
「お久しぶりです。この度は、言い出しっぺでありながら、イベントの運営を任せきりにしていまい、ご迷惑をかけました」
「はい。大変迷惑をかけられ...」
「そんな事ないです、はい」
藤村は何故か息を切らして芳子の言葉を遮った。左手には手をつけられていないウェルカムドリンクが握られている。
「あっ、ドリンクどうぞ。で、そうですよね! プレゼントくらい貰ってくれてもいいと思いますよね! ほら、先生、上司もこう仰っている事ですし」
いつの間にか、パーティー参加者の興味は芳子の行動に向いていた。注目される事が嫌いな芳子には、恐らく藤村が狙っていたであろう感情が浮かんだ。そう、諦観である。
「分かりました」
爛々ギラギラと輝く藤村の視線を浴びながら、不承不承にプレゼントボックスへ手を伸ばす。
梱包用紙を丁寧に外していき、包まれていた若草色の箱の蓋を開けた。
中に入っていたのは、やたらと厳ついサングラスだった。
「何ですか、これ」
「ふっふっふ〜、いいから着けてみてくださいよ」
弾んだ声に戦々恐々しながらも、不本意さを前面に出して装着する。
「着けましたよ」
「では、先生から見て右のレンズのトップに指紋認識があるので手を添えてください。あっ、指紋はあらかじめ登録しているので大丈夫です」
一抹どころか不安と疑心しか浮かばない芳子は、浮かぶ疑問を何とかとき伏して指示に従った。
グラスのトップに手を添えると、視界に把握できない物量のデータが表示され始めた。
人名に年齢、好物に趣味、最近はまっているアニメと情報は多岐に渡り、食事には栄養価と簡潔にどれほど美味しいかという文章が記されている。植物を写せば簡潔な説明が入り、建造物を映せばイチオシの設計ポイントが表示される。
しかし、とにかく情報量が多過ぎる。まるで、一時代前にあったコンピュータウイルスに侵されたデバイスのようだ。
「どうですか?! これで先生も名前呼びができるようになりますよ! 職員は誰が呼ばれているのかいちいち考える必要がないですし、先生も態々説明する必要がなくなって人間関係の改善にも役立ちます! 是非使ってください」
藤村は興奮気味に説明を始めた。周りにいた工学部職員も音を立てず小さく拍手をしている。表情も心なしか明るい。
対して芳子はといえば、何故か眉間に皺を寄せている。
「講師...」
「先生、ですから...」
呼びかけに応じて、しっかりと芳子を確認した藤村は、血色の良い顔を徐々に青くしていった。
「五月蝿いです」
「え?」
「紛いなりにも工学者が、データの表示量に配慮しないとはどういう訳ですか」
「えっ、いやー、あの、先生に留意して欲しいことを表示しようとし始めたらどんどん出てきてしまいまして、こうなっちゃいました。あははは」
「笑い事じゃありません」
「いや、何もそんなにお怒りにならなくても」
「こんなことしている暇があったなら、科研費もイベント運営もできましたよね」
「いや、まあ、はい。左様でございます」
「それでこの完成度は、どういう了顕ですか」
「すみません」
「やり直し」
「い、いえっさー」
静かに怒る工学部の新教授と正座した同学部の講師の図を見ながら、翠学園は新年を迎えた。
<途中経過>
日時:西暦2020年 12/31(木) 23:59現在
結果検証:特になし。
考察:特になし。
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