番外編 哲男の胸中 下
天使と遊ぶのに夢中になっていたら、いつの間にか県のじじいがドアの前に佇んでいた。
正直、俺はこのじじいが苦手だ。嫌いでは無い。社会貢献度からしても尊敬できる人間だと思う。しかし、どうしても好かない。だが、少なくとも両親よりはまともだし、話も通じる。
「県さん、どうかしましたか?」
(じじい、何しにきやがった?)
一応ボロが出ないように口調は取り繕ったが、うん、柄じゃねぇ。
「いやはや、微笑ましい光景だと思いまして。君が妹にそんな顔をしているところを見ると、やっと君が子どもであったことを思い出します」
「はは。まだ僕は若輩者ですよ」
(だまれ、くそじじい。ゼッテー思ってねーな、そんな事)
営業スマイル全開で応答する。当然だ。このじじい、いつもだが目が笑ってねえ。
天使は見たことのないものに興味が湧いたようで、じーっと県を凝視している。
天使の視線に気づいた県は作り物の笑みを浮かべて天使に微笑む。
この時が、芳子と県のじじいの初対面だ。
芳子は着々と女神に進化していった。
芳子が小学生になる頃、避けられない出来事があった。小学校への入学だ。小学校ではやたらと親との交流が多い。恐らく、母が参加する。物心がついてから片手で数えるほどしか面識のない母親の対処は、後回しにしていたのだ。
あれと会うと、頭がおかしくなる。ぜったい初等教育にはよろしくない。よって、俺は芳子に何度も言い聞かせた。
「芳子、お母さまに会っても、何も心に入れるな。あれの言うことは聞かなくていい」
「それは、不可能では?」
「物理的に聞かないわけじゃない。感情の話だ」
「かんじょう、ですか?」
「そう。あれといると、どうしても感情を殺したくなる。何も感じない方が楽だと考えてしまう。だが、それじゃダメなんだ」
「それでは、どうしろと?」
「選択するんだ、感じる気持ちを。殺したら戻すのは難しい。だから、選ぶんだ」
「はぁ」
「分かんないよな。んー、なんで言えばいいか...、そうだ、県のお爺さんみたいにするんだよ」
県のじじいを見本にさせるのはすげー気に食わないが、あれが一番いい例だと思った。
芳子は最近、県のじじいと仲がいい。じいさんを見とめれば直ぐに駆け寄り、話始める。天使を取られて悔しいには悔しいが、大人と話すのに慣れるいい練習だと思うことにした。別に、嫉妬なんかしていない。お兄ちゃんの立場は揺るぎない...はずだ。
「ウソっぽい笑顔を作ると言うことですか?」
「いや、笑顔じゃなくてもいい。無表情でもなんでも、とにかく一定の表情を貼り付け続けるんだ。んで、気持ちは大事に自分の中にしまっておく。とりあえず、親戚連中にはそうやって接しておいた方がいい」
温度のない連中の中に一度温かな存在が入れば、たちまち冷やされてしまう。かくいう俺がそうだ。
「分かりましたお兄さま。こんな感じですか?」
そう言って目の前の天使は整った顔にささやかな笑みを讃えた。それがあり得ないくらい県のじじいに似ていたもので、俺は思わず天使の肩に手を乗せた。
「無表情でいこう」
天使は不思議そうな顔で首を縦に傾けた。
「ボクシングを習おう」
女神、芳子が中学に入学してすぐ、俺はある盲点を見つけてしまった。
「お一人でどうぞ」
女神は感情の読み取れない顔で本に視線を向けたまま、突然部屋に入ってきた俺に応えた。
凛として通る声。綺麗なストレートの髪は艶やかで、天使の輪が輝いていた。整った容貌はピクリとも動かず、完全な無表情。お陰で、親とも言えない両親からの害は被っていない。
「俺は忘れていた。美人は変質者に襲われる。危ないから、護身術は習っておくべきだぞ」
「そうですか。多大な妄想癖が脳を焼き切るまでに正気に戻ればいいですね」
「妄想癖なんかじゃない!」
思えば、この頃から割と芳子は俺に対して毒舌だった。あれ? おかしいな。そんな兆候なかったんだが...。
「ですが、まあ、一理ありますね。格闘技ですか」
「いや、格闘技じゃなくてもこの際いいんだが...」
「いえ、ボクシングにしましょう。ちょうど良かったです」
「なになに? なんの話?」
「適度な運動は能率を上げるようですし、まあ、一石二鳥というものでしょう」
二つ目の鳥の正体は分からなかったが、当時の俺は邪険にされまくっていただけに、久しぶりに妹が話を聞いてくれたことに浮き足立っていた。
芳子はとても要領がいい。一を教わり十を知るってな感じで、なんでもそつなくこなしてしまう。ボクシングも始めて少しで大会に出られるほどの上達を見せた。まあ、そこは全力で阻止したけどな。頼みまくって土下座して...うん、大変だった。
そして、妹の部屋で勝手に買ってきた衣服を着せようとしたせいで芳子に華麗な回し蹴りを食らった俺は察してしまった。二鳥目は絶対、俺への攻撃力を高めるためだ、と。
天使は、美しくて...かなり強い女神に成長した。あれ? そんな教育方針じゃなかったんだが...。
まあいい。いや、妹の攻撃力がカンストしたことは決して良くないが、それはまず置いておく。
俺は、人生の岐路に立たされていた。そう、進路の問題だ。
「最近、高校に通っていないそうだな。髪も、染めるなとは言わないが、林又の名に傷をつけるようなことはやめなさい」
「はい」
「そういえば、哲男。貴方、大学を卒業したら、家業を継ぐのですか? やはり、学者の道に行かれるのかしら?」
「...そう、ですね」
俺に決定権はないだろ。言いたくてもいえない言葉が脳内で反響する。つうか、俺はまだ高校に入ったばかりだ。この口ぶりだと、俺の行く大学は決められているんだろう。
目の前の両親は、俺が製造ラインのロボットにでも見えているのだろうか? 最近、本気でそう思う。
なんの疑いもなく決められていく進路、結婚相手、名字。何より許せないのは、芳子を俺のスペアとして育てていること。全く同じ道を歩ませて、俺に誤作動が起きた時に対応できるように準備している。
本当、反吐が出る。
「お父様、お母様。僕、いえ、俺は家を出ることにします」
「まあ、一人暮らしを。哲男さんは偉いですね。ねえ、あなた」
「そうだな」
母は感嘆の声を漏らし、父は興味なさげに相槌を打つ。芳子は黙々と食事をとっていた。
「はい。この家、林又と絶縁させていただきたい」
当たり前のように家族の夕食の席に混ざっていた県のじじいが、僅かに眉を上げた。
場は凍りつき、しばらくして母が怒鳴り散らす。
「貴方、何を言っているのか分かっているのですか?!」
「はい、俺は家を出ます。高校は中退します。金は定期的に収入があるので大丈夫です。つうことで、縁、切ってくんない?」
「ああ、あな、貴方! なんなのですかその喋り方は! 親に対して失礼でしょう」
「俺はあんた達の商品じゃない。芳子もそうだ。それと、あんたら、親じゃねえから」
「な!?」
「とにかく、俺は抜ける。こんな生きづらい所、誰が住みたがるかってな」
俺は席を立って、少し離れた芳子のもとに向かう。
「な、妹よ。お兄ちゃんと一緒に家出しませんか?」
芳子なら、一緒に来てくれると思った。
自負があった。芳子を守ってきたのは俺だって言う自負が。
金もある。二人くらいなら余裕で養えるくらいの収入があることは、不器用な俺の代わりに機械を作ってくれていた芳子なら当然知ってる。皮肉にも俺や芳子は父親の血を色濃くひいて、機械開発はお手のものだった。特許っつうのは、なかなかに金を生んでくれる。
そうしたらもう、無表情を強制する必要もなくなる。俺の描いたハッピーエンドは完璧なはずだった。
「お一人でどうぞ」
芳子は、そう言って微笑んだ。あの時と同じ、県のじじいにそっくりの胡散臭い笑顔。
県のじじいが俺に微笑みかける。その時確信した。俺は、年の功に負けたんだって。
県のじじいは、やっぱり敵だった。
その後、放心状態のところをくそババアに軟禁されて、気づくと部屋にいた。
抜け出さなければならない。けど、予定外なことが起こりすぎて何をしたかったのか分からなくなった。それでも、逃げるべきだという義務感だけを頼りに、なんとか林又家を抜け出した。
こうして俺は、最悪な形で芳子に全責任を負わせてしまった。
自業自得? そんなんじゃない。全ては、県の狸じじいを出し抜けなかった俺の責任だ。
一番近くにいたのに、俺は芳子が県のじじいに洗脳されていたことに気づかなかったんだから...。
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