第22話 真冬には夏の風流を 備考:作者忙しくて進んで無い...。
秋も深まる10月下旬。寒さは益々猛威を振るい、これから訪れる本格的な冬を知らせる。
芳子に、白以外で新しくクリーム色という配色が生まれていた。右腕で存在を主張するギプスらしきものがはまっているのだ。不似合いな様相が少し痛々しい。
「先生、科研費申請書もう終わってるんですよね。ちょっとてつだ...て、え?」
インターホンが告知を怠ったようで、藤村の来訪が予測できていなかった芳子は思わず声のする入り口に目を向けた。
突然の侵入者は仕掛けた側にも関わらず、素っ頓狂な声をあげて瞬きをこれでもかというほどしている。その視線の先は、芳子の右腕だ。
「な、なな、何したんですか!? え、昨日までなかったですよね? 出世競争に負けた研究員の一人が報復にでも来ましたか? もしや、研究の協力要請を無視して、国から狙われてます?」
「落ち着いてください、講師」
「藤村です。その呼称、本当にやめてください。いや、じゃなくて。骨折って相当ですよ! インドアで仕事以外で外に出ることのない先生が怪我なんて...。誰かに突き落とされたんですか?」
「違います。そもそも、骨折ではありません」
芳子はデスク上のダストボックスから小さな紙切れを取り出し、藤村の眼前に突き出した。
藤村は無事な芳子の左手に握られた紙に顔を近づける。
「えーと、て? いや、しゅ、か。手根管症候群、ですか?」
「はい」
「それって、えーと、何でしょうか?」
ジトりとした視線を感じて、藤村は肩をすくめる。
「なら聞くなっていう顔ですね。分かりました、後で調べますよ〜。別にいいじゃないですか、教えてくれたって」
藤村は口先を尖らせてぶつぶつと呟き始めた。
芳子は藤村の奇行を完全に無視して、操作中のリアクトに視線を戻す。
話が終わったのにも関わらず、文句を言いながら居座り続ける藤村に、芳子はついに根負けした。
「...物の握りすぎ・使い過ぎで中正神経が手首に圧迫される病気らしいです」
「つまりは...神経痛?」
「おそらく。よくは知りません。詳しくは医務室の方に聞いてください」
「歳ですね」
藤村が口に手を当てて笑う姿勢をとる。
指先の間からは上がった口角が丸見えで、添えている手が全く意味を成していない。
「違います。手の疲れです」
「でも、何で手なんか...あっ、リアクト!」
「...近代稀に見る症例だと言われました」
曇天を吹き飛ばす勢いで笑い声がこだまする。
「ふふっ、あははは。あんなの、使いま、せんし、ね」
藤村は身体を二つに折って腹を抱えて笑い出した。それこそ、床がカーペットで自宅であったならば、転げ回っていただろう。
「あー、お腹痛い。しかもアレ、キーボード打ってるみたいな音わざわざ付いてますよね。まあ、打った感じがしていいのかもしれないですけど。地味に違和感です」
「用事が無いのなら、今すぐ退室して下さい」
芳子はこれ以上取り合ってはいけないと本能的に察して、藤村を撤退的にいないものとして扱う方向で意思を固めた。
藤村は暫く粘ったが、ついには諦めた様子ですごすごと退室していった。
ついでに言うと、芳子は本当にリアクトのせいで手を痛めていると思っている。
知らぬが仏。いや、これは知っておくべきだろうか。
嵐が去って水を打ったような静かさが戻った室内で、負傷中の白衣の女性と和菓子の袋が、デスクを挟んで睨み合っている。
袋に貼ってある白いシールには明日の日にちが記されている。そろそろ食べなければならないのだ。
「食べるか」
誰もいない室内で、独り言のようにポツンと呟く。まあ、正真正銘独り言ではあるが。
芳子はデスクの上に鎮座している紙袋に手をかける。
ふと、芳子は哲男が勝手に取り付けた約束を思い出した。
(『写メ送ってね』)
メッセージアプリのチャット画面が頭に浮かび、なかなか消えない。
スマホを手に取り、写真の指定がないことを確認すると、紙袋の中身を取り出した。
中から出てきたのは木箱で、箱の中程を包んでいる流水がプリントされた紙には「水信玄餅」とある。
どうやら、県は相当に暇を持て余していたようだ。
(なるほど、訂正です。二重ではなく三重でしすね)
水信玄餅とは、本来は真夏の暑さ厳しい時期に涼を求めて食されるもので、時期は当然外れている。需要も無いため、この時期にこれが出回ることはほぼ無いと言っていい。
つまり、県はわざわざ和菓子屋に頼み込み、季節外れの菓子を悪戯のためだけに作らせたと言うことだ。
芳子はため息をついて包装を解き、木箱の蓋を持ち上げた。
中に入っていたのはプラスチックの容器で、中にはさらに笹の入れ物が入っていて、その中心に主のように鎮座している。
信玄餅といっても、一見すると水晶玉のように透き通って丸いフォルム。横にきな粉と黒蜜置いてあって、絡めて食べるのだ。
芳子はスマホを再び手に取り、カシャっと音を立てて写真を撮影した。
ブレもなく綺麗に撮れたことを確認し、写真を上にスライドしてメッセージアプリに共有する。
ポンと小気味良い音が響いて、季節外れの風流は芳子以上に季節外れな哲男のもとに届くのだった。
その頃哲男はと言うと、寒空の下、水面下で起きる謀略の気配を感じていた。
<途中経過>
日時:西暦2020年 10/23(金) 15:37現在
結果検証:対象が当該時間の視覚情報を入手。
考察:当該時間の視覚情報を送ったことで、時期のズレを対象に覚られる可能性がある。十分に警戒が必要。
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