第21話 県老人は、暇なようです。

 ここで、みどり学園の話をしておこう。

 翠学園は西暦1620年に発足した生物科学に特化した大学である。創立当時は生物学専攻のみの超特化型大学として名を博していたものの、時代の変遷に従い、理科系全般を網羅するまでになった。

 テーマとして掲げているのは「共生」。アドミッションポリシーにもその文言が含まれている。創立目的として、「森羅万象しんらばんしょうの解明と人類の持続的な発展」とあるので納得である。

 また、真理解明を目的として様々な活動を積極的に行なっている。

 ボランティアから果ては全世界に影響を及ぼす研究室・開発など。何より、学生や研究者がこぞって翠学園に入りたがる理由の大きな一つとして、限りのない投資行動がある。

 現在の医学系を除く殆ど全てのバイオロジックカンパニーは、翠学園の卒業者が設立または共同経営をしている。

 生物科学の他にも、もう一つ有名な学部がある。それが、芳子の所属する通称工学部、正式名称は工学院化学技術実践型開発学部だった。

 その名の通り技術開発を主な目的として活動し、大学が掲げる「森羅万象の解明」とは少し外れた、全国的に見ても珍しい学部だ。

 というのも、通常でも技術開発は行っていて、その点ではどこの大学の工学部でも一緒だ。しかし、翠学園は企業との連携なしに開発・販売に漕ぎ着けることができる。「翠学園」そのものが法人企業であり、研究室を持ち学生を育てる教育の場でありながらも、企業としての側面を持ち合わせているのだ。

 翠学園の様な形態の大学は日本に合わせて7つ存在し、地方の特色に合わせて分布している。経営元が同じことと名前が鉱石からとられていることからジュエリーグループと呼ばれている。

 そんな翠学園は、あやふやな時期を除いて創立400年の節目の時期を迎えていた。


「先生! ちょうど良かった、Am-パークで故障の報告があって、今から向かうところなんです」


 教授室前の生体認証を通過し、ドアが開いたかどうかというところで、藤村がドアを突き破る勢いで芳子に迫ってきた。

 芳子は目前に迫る藤村を手でどかし、コートをクローゼットの棚に置いて扉を閉めた。


「いきなり何ですか? Am-パークは先日点検済みですが」


 バックをデスクに放り、大学のメモリーチップに手をかざす。

 空中に表示された画面を視線で操作し、大学内の管理アプリにアクセスした。

 Am-パークは略称で、正式には亜熱帯気候モデルパートと名付けられている。Amとは、ケッペンの13気候区分からとっている。

 翠学園には、H(高山気候)以外の全ての気候区分の自然環境を再現した公園が設置されている。生物科学に特化していた頃の名残りである。


「そうなんですけど、なんか気温がいきなり下がったって学生から報告があって」

「いつですか? 先程までは私もいましたが、そんな感じはしませんでした」


 Am-パークを含めそれらの管理は基本生物科学研究室の仕事だが、機械類に関してのみ工学部の仕事なのだ。

 芳子は視線を動かして温度調節のページを開くが、設定温度も実測値にも異常は見当たらない。


「まあ、冬ですからね〜。誰か開けっ放しにでもしてたのかもです」

「出来ないでしょ」

「分かってます。ちょっと現実逃避したかっただけです」


 「うー、始末書めんどくさい」と呟き、藤村は肩を落として項垂れる。必然と足元を見る格好になった藤村の視界に、一つの紙袋が映った。


「あれ? それって、信玄餅、ですか?」


 藤村の指が指し示す方向にあったのは、朝方から待ち続けていた和菓子屋の紙袋だった。

 芳子は肯首した。


「やっぱり! すみません、お土産被っちゃいましたね。他に山梨出張は居なかったので、ダブルブッキングは予想してませんでした」

「なるほど。では、これは御老人の粋な嫌がらせという名の暇つぶしなので、気にしなくて大丈夫です」


 藤村は不思議な顔をして考え込んだ。しばらくして、はっと何かを思いついた様子で顔を上げる。


「県先生ですね!」

「名誉教授というのは、暇なものなのですね」

「そんな事は、無いと思いますけど...」


 藤村は自信なさげに県のフォローをする。


「でも、まあ、良いじゃないですか。先生、甘い物お好きでしたよね」

「物によりますが、そうですね」

「では、嫌がらせというほどでは無いのでは?」

「いえ、店名が嫌がらせです。そして、内容を被せてきたところも。御老人の考える事というのは、たいへんに酔狂ですね」


 藤村が紙袋の店名を注視すると、そこには「はやしまた」の文字があった。


「え、じゃあ先生のご実家というのは」

「和菓子屋ですよ。まあ、その他にも色々。元祖が和菓子屋ですね。昔の地名で甲斐、信濃、そして岐阜に店を構えていたそうです。それはもう昔から」


 芳子は投げやりに応えた。

 パークの管理アプリからカメラの映像記録にアクセスしているが、なかなか開かない。


「着物、似合わなそうですね」

「激しく同感です」


 紅葉が、また一つ落ちていった。


『徳川さんいたじゃん。なんか知らんけど攻められたから助けにきたんだけど、なんか負けそうヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3』


 藤村が散々ごねて愚痴を吐くだけ吐いて帰った後、室内に一人になった芳子はスマホをバックから取り出した。

 このところ毎日、と言うよりは毎時間新着のメッセージが届いている。思い過ごしではなく、イベントが増えているのだ。


『そんな向こう見ずに突っ走ればそうなりますよ』

『だってさー、芳子と連絡つかなかったんだもん。この数日、ギリギリまで連絡待ってたの!』


 当然のことだが、その頃芳子はすでに就寝していた。

 時間の誤差というのは、オペレーターをする上で非常に大きな壁である。


『こちらにも事情があります。そこに関しては許容して下さいとしか言いようがありませんが』

『あっ、いや、怒ってるとかじゃなくて。とにかく、詰んでるんでヘルプ!』


 最近は、紙本に沿って作られた道を歩く事は無くなっていた。

 その時その時で全てがアドリブ。芳子のアイディアに織田軍に所属する全ての兵の命がかかっているも同然だった。


『状況によります。報告を』

『一言坂で徳川軍敗走。

 二俣城陥落。

 兵力ちょっと足りないし、急いでたからあんままとまってない。今、徳川軍と合流したらしいけど、よく分かんない。

 佐久間さんに取り敢えず任せてる。俺が自分で行こうかと思ったけど、行ったところで役には立たないなって』

『賢明です。それなら、今すぐ兵を引いてください。状況が分かるということは、指示も出せますよね』

『了』

『武田信玄の行動もイレギュラーなのでしっかり考えてから動いたほうがいいと考えます。暫くは、無難に凌いでください』

『無難に、って多いよね、最近』

『どなたかが大幅に進行をお変えになったので』

『そうでした_:(´ཀ`」 ∠):』


 話が切れたことを確認して、スマホの画面が暗転する。

 Am-パークの誤作動の原因究明が急務だったので、メモリーチップの表示画面を凝視していると、新たなポップが浮んだ。


『先生、どうも故障部位は見当たらないみたいです。これ以上は流石に先生立ち会いの元で行った方が良いと思われます。至急、亜熱帯気候モデルパートにお越しください』


 芳子はため息をついてデスクチェアから身を浮かせる。

 クローゼットの扉を開けると、クリーニング済みの新品のようなコートが目の前に現れた。

 コートに袖を通し、教授室出口で生体認証センサーに足を踏み入れるところで、ピコンッとスマホから音がした。

 足早にデスクに駆け寄ると、哲男から新たに着信があった。


『ごめん( ͡° ͜ʖ ͡°) ちょっと遅くてもう開戦してて、しかも2時間足らずで負けて敗走してた。あ、でも、今のところ徳川さんもうちも無事らしいよ』


 木枯らしが音を立てる。街はすっかり暖色に色づき、道ゆく人の服装にも茶やトーンダウンしたオレンジに赤などが多くなっている。...芳子を除いて。

 いつの日も変わらぬ白衣姿の芳子は、いつものようにハンカチーフを握り潰しににかかった。

 翌日、ついに右手に痛みを感じ痺れて動かなくなったので医務に行ったところ、「手根管症候群しゅこんかんしょうこうぐん」と診断されるのだが、今の芳子には知るよしもないことである。




<途中経過>


日時:西暦2020年 10/22(木) 10:36現在


結果検証:武田信玄の侵攻を確認。対象が討伐される危険性あり。


考察:先の特異点は解決に至らず。早急に真相究明が必要と思われる。

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