第19話 失われるもの 備考:長いです。

 気づいたら、信玄餅があった。


 あっという間に15時。考え込んでいた芳子は、来客に気付く気配がない。

 芳子の元を訪れたのは藤村だった。

 ゴリッゴリッと首を鳴らし、顔を上げた芳子の目に最初に映ったのは信玄餅だ。不思議に思ってさらに視線を移すと、いつの間にやら藤村がしゃがみ込んでデスクに体重を乗せていた。


「何してるんですか?」

「何を、と言われると...、観察ですかね〜」

「何の?」


 部屋の中をぐるりと見回して、芳子は再び藤村に視線を合わせる。

 藤村は何が面白いのか、ツボにハマったように息を潜めて笑い出した。


「ふふふっ、はははは、はぁー。先生面白いですね」

「私はあなたの生態の方が興味深いと思いますが」

「そんなことはありません!」


 藤村は少し頬を膨らませた。それから、ソワソワしだして、ちらちらと芳子の方を見る。


「そんなことより、何か見えません?」

「現在進行形で奇行を繰り返している講師は見えますが」

「...先生、講師を呼称として使うのは無理があるかと」

「慣れてください」

「いえ、慣れるとかの問題ではない気が...。日本語としておかしいですよ」

「では、なんとお呼びすればいいですか?」


 藤村は目を瞬き、一呼吸おいて両腕を腰に当てて口を開く。口角はピクピクと痙攣している。


「だ・か・ら、前々から名前を覚えてくださいと、再三申し上げているじゃないですか!!」


 藤村の悲鳴めいた叫びは、空気を震わせてフロア全体に響いた。

 芳子は耳に当てていた手のひらをどかし、迷惑そうな表情を作る。


「五月蝿いです。大声を出すなら事前に告知してください」

「できると思います?」

「はい」

「できません! しかも、先生はそうおっしゃっておられますけど、先程はしっかりと耳塞いでたじゃないですか」

「学習能力は高い方です」


 藤村は脱力して再びデスクにへたり込む。


「すっかり話逸らされてしまいました。そうじゃなくてですね、ほら、デスクのど真ん中に何かあるでしょ!」

「信玄餅、ですね」

「はい、正解です」


 突然手を叩き始めた藤村を無視して、芳子は信玄餅で有名な店名が書かれた日本柄の紙袋を手に取った。

 中を覗き込むと、赤と白の巾着が入っていた。センターに「信玄餅」と行書で印字されている。


「これは、私に宛てた物ですか」

「はい。たった二つで申し訳ないですが、大学の経費じゃないもので」

「自腹なんですか?」


 芳子は目を見張った。藤村は誇らしげに口角を上げる。


「いつもお世話になってますし、たまには良いかなーと、思いまして。山梨で講習会あって、帰りにちょちょいと寄ってきました」

「講習会なんて、まだ未修学な範囲あったんですか?」

「違います! 私がやる側です! 失礼ですよ!!」


 藤村は本日二度目の大声を上げた。

 芳子は当然のように、絶妙なタイミングで両耳に手を当てた。


「有難うございます。遠慮なく受け取らせていただきます」

「いえ、まあ、はい、受け取ってください」


 藤村は諦観の目をして芳子に答えた。

 芳子は藤村の意気消沈した様子を見て、何を思ったかデスクチェアから立ち上がる。


「お茶、飲んでいきますか」

「いきなり何ですか。まあ、有難く頂きますけど」


 芳子は藤村に手で着席を促す。教授室には来客用に大きめのソファが二つ、向かい合うようにして置いてある。芳子の手は上座を指していた。

 藤村が座ったことを確認して、芳子は沸かしておいた湯と茶器一セットをデスクに下ろす。

 藤村は芳子の方を見て、思わずと言ったように声を上げる。


「お茶って、抹茶のことだったんですか!」

「むしろ、それ以外にないでしょう」

「いや、普通紅茶とかコーヒーとか...」

「コーヒーはお茶ではないのでは?」

「それはいいんです! で、茶道なんてできたんですね。あっ、そう言えば何気にお嬢様でしたっけ」

「家の資産に限らず、それくらいは一般教養でしょう」

「...そんなことはないんですが。私、できないですよ」


 芳子は茶器に湯を入れて茶筅をくぐらせた状態で固まった。ギギギっという音がしそうな動きで背後を振り返る。


「正気で言ってます?」

「何ですか? その、こいつ大丈夫か、っていう顔」

「いえ、新事実でしたもので」

「そんなことはないと思うんですが」


 抹茶の缶から、一匙目は山盛りで、二匙目は一匙目の半分で茶器に流し入れ、最後にカツンッと音を立てて茶匙を茶器に打つ。

 傍に置いてあった電子ポットを手に取り、茶器の三分目まで注ぎ入れた。

 茶筅がシャカシャカシャカと一定のリズムで鳴る音が室内に響いている。最後に「の」の字を書いて茶筅をデスクに立てる。

 裏千家の作法で泡が立つお茶を藤村の前に差し出す。


「お、お手前頂戴いたします」

「どうぞ」

「えーっと、作法って、これからどうするんでしたっけ?」

「そんなに堅苦しくやらなくてもいいですよ」

「えっ、そうなんですか?」

「私が行ったのも簡略化した物ですし。私的な場ですしね」

「では、お言葉に甘えて...頂きます」

「どうぞ」


 藤村は気が緩んだようで、先程のぎこちない動作が嘘のように遠慮なく茶器を手に持った。

 芳子は藤村からの土産を持って下座のソファに腰掛け、巾着から中身を取り出す。

 芳子はふと思いつき、左手に信玄餅のパッケージを掲げた。


「講師も食べますか? 生憎、茶菓子のストックが無くて」

「いえ、流石に自分がお土産にと渡した物ですので。気になさらないでください」

「では、遠慮無く」

「はい。そして呼称は変えましょう」

「考えておきます」


 芳子の無表情と対照的に、藤村は不機嫌な顔でお茶を啜った。


 夕暮れ、空が紅く染まって鳥が盛んに鳴いている。

 高層ビルの一角、「教授室」とプレートに表示されている部屋からは、カタカタと絶え間なく何かを叩く音がしていた。

 部屋の主、芳子はひたすらリアクトと睨めっこしている。腱鞘炎になることもなく、長時間ボードを打ち続けていたのだ。

 ピコンッという音を聞いて、芳子の手が止まる。

 顔を上げて右側に置いてあったスマホを覗き込むと、哲男から新着メッセージが届いていた。


『ごめんm(._.)m やっちゃった』


 メッセージアプリを開いて出てきた内容に、思わず疑問が浮かぶ。何をやってしまったか、明確に書いていないのだ。

 芳子の経験上、哲男がこういう書き方をするときは必ずと言っていいほどなにか重大なことをやらかした時だ。つまりは、内容を言えないほどのことは最低限やらかしたということになる。


『あまり気乗りがしませんが、一応聞きます。何したんですか』


 返信はすぐに送られてくる。


『比叡山、燃やしちゃった (๑>◡<๑)テヘ』


「あ゛?」


 芳子は、いつぞやに聞いた地獄から這いずるような声を発した。

 丁度教授室を通りかかった罪無き事務員一名は、ドア越しに両肩をビクリと跳ねさせた。

 誰かが走り去っていったのを耳ざとく聞き、芳子は胸に手を当ててゆっくりと深呼吸する。息を全て吐き切ったところで、再びスマホに向き直る。


『諸々話はありますが、ひとまずそれは後にします。被害状況は』

『麓の町全焼。無差別殺人(子供や女性含む)、3〜4千人くらい。お堂全焼、あったと思われる資料は火の勢いがやばすぎて確認できてない。けど、多分全部燃えてる。こっちの被害はほとんど無しって所かな』

『山が全焼したということですか?』

『違う違う。焼いたのは下の町だけ。火の手も山中には広がってない』

『了解しました』

『んで、えーっと、ごめんね(>人<;)』

『ごめんで許されたら警察いりません』

『ごもっともでございます!』

『ダメだって言っておいた気がしますが』

『なんていうかさー、ダメって言われると、人間無性にやりたくなるよね♡』

『濃塩酸落としますか』

『ごめんなさい。ほんっとうに、誠に、申し訳ありませんでした(>人<;)』


 芳子のこめかみには、すでに血管が浮き出ていた。

 ケースという名のガーディアンを無くしたスマホは、ノーガードで芳子の苛立ちを受け止めている。


『もう、王水おうすいとか濃硝酸とか落としたい気分なんですが』

『ごめん、兄ちゃん、その王水っての知らない』

『濃塩酸と濃硝酸を3:1で混ぜ合わせた金属でも溶かせる溶液です。有り体に言えば、最強の化学薬品です』

『ごめんなさい、ふざけ過ぎました』

『本当にそんなくだらない理由でやったのなら、王水の調合を今すぐ開始しますが』

『止めてください。違うの、ちょっと和ませようと思っただけなの。

 正直な、焼くしか方法ねーのよ。僧兵を誘き寄せるにはさ、攻めてきたぞーって知らせなきゃいけないわけで、そーなったら火だよなって、明智さんと意気投合しちゃって。明智さんが先人切りたいっつうから、そのまま全部お願いしちゃったんだよね(*´-`) そしたら、思い通りに行ったわけで。作戦自体は大成功だったよ』


(それはそうだろうけど、そうじゃないでしょう。何考えているんだ、この人)


 芳子の口からため息が漏れる。


『資料焼けたら大変なことになるかもしれないって分かってましたよね』

『前の時の話? それがさ、後で考えてみたら何でだろうって思って。ほぼ勢いで返事したからさ。んで、何で?』


 盛大な舌打ちが聞こえる。

 芳子はこめかみを人差し指を折り曲げた第三関節のところでぐりぐりと揉み始めた。


『それはもういいです。過ぎたことは仕方ありません。あくまで仮定の話でしたから』

『あっ、そう? じゃあこの件についてのお咎めは無し?』

『まあ、兄さんがそんなことを知っているはずないのに期待した私が馬鹿だったので。私の責任です』


 安土桃山時代やそれ以前の気象に関する記述は、比叡山延暦寺に代々受け継がれてきた物を参考にしていた。当時、そのほとんどは麓の町・坂本の堂宇(お堂)に貯蔵されてあった。というのも、比叡山延暦寺は山にあった為交通の便が非常に悪かったからである。

 芳子は資料が消失し、ある歴史学者が描いた未来になることを危惧し、あらかじめ哲男に言ってあったのだ。


(まあ、あくまでもしもの話、気にする必要はないか。「地球温暖化」なんて、なるはずないだろうし)


『うっ、すみませんバカで』

『いえ、最初から分かっていたことですから』

『いや、否定して! お願いだから否定して。社交辞令でもいいから。お兄ちゃん心ぽっきんいきそうなんだけど』

『そうですか。ではせいぜい周りに迷惑をかけずに逝ってください』

『ちょっと待って。勝手に殺さないで!』


 その後、哲男が明智光秀に統治させた比叡山では、織田信長に関する新しい噂が出回った。

「織田信長が、神をも恐れぬ第六天魔王だ」

と。

 そしてしばらく経って、ある人がまとめた書物が出回ることになる。

 その書物には、こう書いてあった。

「織田信長が冷酷無比にも、比叡山延暦寺全体を焼き払った。被害は山頂の寺社にまで及び、火は4日間燃え続けた。全ては織田信長の命令であった」

と。

 その書物、まとめた人間は比叡山の麓の町に住んでいた比叡山焼き討ちの生き残りだとかないとか。

 まあ、今になっては真偽の分からないところである。




<途中経過>


日時:西暦2020年 9/29(火) 18:59現在


結果検証:未来に必要とされる資料の消失を確認。


考察:当該時系列に被害はないが、被験者の存在する時系列には影響があると考えられる。

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