第14話 思い通りにはいかないもので...
『浅井を攻めますよ』
『決定事項なのね。攻めませんか? でも攻めましょうでもなく攻めますよなのね。俺の意思は無視ですか、はー、お兄ちゃん悲しいわ。゚(゚´Д`゚)゚。』
哲男が割と重傷を負ったせいでいつも起きない時間に無理矢理めを覚まさせられた芳子は、寝坊したことを大学に伝えるよりも先に哲男に指示を出した。
寝巻き姿でリーンを飲み、空いている左手でスマホを操作して通知音をオフにする。コーヒーテーブルに置いたままだったLutricを音声認証で開き、大学へ音声を繋げる。
(研究室の事情を知っている人間に話を通せば理由は察してもらえるだろう。直接ではないとは言え、間接的被害には入るだろう。普段から仕事は余裕を持ってやってるし大丈夫)
カチッと回線が繋がる音がして、女の声が聞こえて来る。
「すみま...」
「先生、大丈夫ですか? 遅刻なんて天変地異の前触れですかね? 体調悪いですか? 悪くなくても何かあったら不調扱いにしておきますよ。幸い、先生の講義、今日は1つだけですし。何なら代わりますよ。何たって私、『講師』ですから」
芳子が口を開こうとした途端、猛烈な勢いで藤村が質問し始める。何から答えていいのかわからず、話が切れるのを待っていたら終いには自慢を織り込む始末。藤村が本当に心配しているのかも怪しいところである。
「県教授に代わってもらってよろしいでしょうか?」
「はいはい、分かりましたよ。あっ、言いたいこともう一つありました。本当に体調崩されたのであれば、こちらでフォローするので安心して休んでください」
芳子は藤村では埒があかないと感じ教授に代わることを要求する。藤村はいつにない素直さで了承し、最後には体調の心配までしてきた。流れてくる音声からも、声の主が心配していることが伺える。
しかし、芳子は藤村の心配をよそに、白衣と格闘していた。
寝巻きはワンピース型の物で、脱ぐのには苦労しなさい。しかし、面倒だからという理由で統一している仕事着は、着る時に多少の面倒臭さがある。白衣は下から上まですっぽりと隠れて、己のファッションセンスで人様に迷惑をかけないという利点はあれど、ボタンが多いのが玉に瑕なのだ。急いでいると、余計に手元が定まらない。
「先生? 聞いてます」
やっとのことで白衣のボタンを閉め終わり、タイツを干してある洗濯物から物色出ているところで藤村が芳子に話しかける。
「聞いてます」
勿論、聞いていなかった。
「林又さんかな?」
「県教授!」
県の突然の乱入に、藤村が声を上げる。
「県教授、是非代わっていただきたく思います。助教授では話が通じません」
「ですから、昇進したんです。私は講師。あと、藤村です」
Lutricから穏やかで上品な笑い声がこだまする。
「君たちは仲がいいですね」
「もちろんで...」
「良くないです」
芳子は意識的に藤村の言葉を遮り、否定の言葉を口にする。
タイツが裏返しになっていて中々履くまでに至らないことにイライラを募らせながら、芳子は本題を打ち出す。
「県教授、お話が」
真剣なトーンで切り出せば、茶々を入れるような藤村ではない。
「分かりました。内々の話であれば、研究員がおりますので他には聞こえないように配慮しますが、どうでしょうか?」
県は落ち着いた拍子で、声を小さく問いかけてきた。
「直接的な言葉が入らなくても話せますので大丈夫です。お気遣い、ありがとうございます」
「いえ、当然のことですので。それで、お話というのは、例の件ですか? 今日の遅刻も関係がお有りですね?」
「はい。トラブル処理をしていたら時間が押し、睡眠時間を充分に確保できていませんでした。起きたら、このような時間に。申し訳ありません」
「分かりました。元々、貴方の負担が大きいことは危惧していましたし、幸にして貴方の普段の仕事ぶりは素晴らしい。今日緊急で済ませるような案件は無いですし、休んでも大丈夫、と言いたいところですが渡す物があるので、夕方6時頃に研究室へ寄っていただければ休んで問題はないですよ」
「それは、ほぼ休みでは?」
「6時から1時間ほどお仕事をお願いしようとしているので、残念ながらお休みではありません」
県は「申し訳ない」と苦笑気味に口にする。すると、気配を消していた藤村が話に乱入した。
「県教授、そんな事ないですよ! 23時間なんてほぼお休みと言って過言ではありません。それに、林又先生は趣味仕事の方なので、全く問題はないように思います!」
県は再度苦笑して、続けた。
「まあ、どうあれ林又さんには休養が必要だと思いますし、ゆっくりお休みになって下さい」
「では、遠慮なく」
芳子は苦戦していたタイツを放り、ジーンズに履き替えた。
大学に休む旨を伝え、芳子は手元のスマホに視線をおとす。
あいも変わらず、短時間の着信履歴は凄まじい。
最後に送られてきていたメッセージはこれだ。
『攻めるのは、ちょっと待たない?』
そんなに間は空いていないと思うが、すっかり慣れたフリック入力で返信する。
『先手必勝。やらなければやられますよ』
食卓の椅子に腰掛けて、背もたれに体重を預ける。哲男の返信はすぐに送られてくる。
『それ、絶対「やる」のところに殺すって意味入ってるよな? 嫌だよ、平和的に行こう? 暴力は暴力しか生まないって誰か偉い人言ってたよ』
『暴力は暴力を生みますが、極めれば問題は有りません。群雄割拠の時代ですから』
『極めるってどうやって?』
『殺し尽くす』
『発想が物騒だよ! 芳子、お前本当に現代人か? いや、現代人ならではなのか? ここはゲームの世界じゃないぞ。人の命は一つしかないんだぞ』
『知ってます。でも、究極敵全員殺せば身の安全は保証されますよね?』
『極論な! 同盟とかさ、縁組とかでさ、みんな味方にすりゃいいじゃん? みんなハッピーで人口も減らない。穏便に収めようよ』
因みに、2人のゲームの趣向は真反対。
哲男はのほほんと街を育成して住民を集めて商売するような育成ゲーム。バトルゲームをやったとしても、実際に行うのは材料採集やアイテム製作など血を見ない平穏無事な行動だ。
対して芳子は、バリバリのサバイバルゲーム。そもそもとして、あまりゲームをしないが、どちらかと言えば敵を倒す方が性に合っているようだった。しかし、それでストレスの解消はせず、イライラはほとんどサンドバッグにぶつけている。
『その穏便に収める策で裏切られた人間の言葉とは思えませんね』
『止めてください。傷を抉ってさらに塩を塗り込むような所業、非人道的だ!』
芳子には、早くも飽きが来ていた。
『そういう訳で、滅ぼしましょう、浅井を』
『いやいや、どういう訳よ? って言うか、俺まだぶれいくんはーとあんどふぃじかるなんだけど』
『broken heart and physicalですか? 何となく意味はわかりますけど、ひらがな表記辞めてください、分かりにくいです。それに、正しくはbroken heart and bodyです。兄さんが先程送ってきたものを和訳すると、「身体のと心の傷」になります。physicalは「身体の」という意味で、名詞ではありません』
『そうなの?!』
『はい。あと、broken heart自体が名詞なのでbodyを入れると違う意味になります。使えないなら英語を使わないほうがいいと思いますよ。日本語でどうぞ』
『きびしい!』
『あ、そう言えば日本語もまともでは無かったですね』
『辛辣!』
『市姫だけ救出すればいい話では?』
『いきなり変わったね? まあ、お市さんは助けようと思ってるんだけど、そこに関しては家臣達みんな賛成してくれてんだけど。浅井くんもさー、気に入ってたんだよ。芳子の話ではさ、浅井家の家臣さんが悪いんでしょ? なら、家臣さんだけでいいじゃん、倒すのは』
『そうもいきません』
『なんでさ』
哲男は尚も食い下がる。余程、浅井長政を殺したくないのだろう。
『上位下達。その時代は殆どそれです』
『上位下達?』
『上に立つ者の意思が下に伝わって物事が進む事です。浅井軍はその逆、下位上達の様ですが、それはあくまでも表面上です。結局のところ、決定したのは浅井長政です』
『だから? なんだよ?』
『浅井長政には織田信長を殺す意思が明確にあったと考えられます』
『ぜってーない』
哲男が芳子と同じ空間にいれば、きっとテーブルに腕を叩きつけるくらいはしていたであろう。しかし、スマホを介しているお陰で芳子に哲男の怒りは届かない。
『では、兄さんは浅井長政が無能だったと?』
『そんな事はない』
『では、余計浅井長政の意思が介在していたと考えられます』
『上司は色々大変なんだよ。自分の意思では動かないの! 集団の規模が大きくなるほど、足元がセメントに固まれたみたいになるの』
芳子はコーヒーが溜まったポットを左手に、右手でスマホを操作しながら食卓に戻る。
『ポエミーですね』
『今モーレツに恥ずかしくなってるから、突っ込まないで!』
『それはそうと、私はそう思わないのですが』
『え、フォロー? なんか最近、本当に芳子が優しい!』
『いえそちらではなく、本題の方です。人間は浮遊資源。人の上に立つ者はそれを有効に使える立場にあります。よって、一番自由に動けると思います。いわば、人を操る権利を公に認められている訳ですから。できないのならば、その人物に適性がなかったというだけのことです』
林又家は、代々人の上に立つことを求められ、その資質かくやを幼少期から教え込まれる。
「人は資源、己の利に沿うように有効に使うべし」というのが基本理念だ。
『林又か。厄介だなー、幼等教育』
『何ですか?』
『んにゃ、芳子は家を離れたいとか思ったことねーの?』
『利用価値がありますから』
『んー、末期だ。あのさ、人間は一筋縄じゃいかないの。複雑な心情なんて他人が操作しようって方が無理な話』
『そんな心の機微まで管理しようなどと思ってません。大まかに、望む通りに対象が動けば問題はないです』
『そーゆーことではないけど。んー、やっぱり末期だ』
『さっきから、末期って何のことですか』
『いえ、この上なく林又の人間だなーと』
『あんなのと一緒にしないでください』
完全な同族嫌悪である。
コーヒーに少しずつ口をつけながら哲男の相手をしていたが、芳子はついに話が遅々として進まないことに痺れを切らした。
食卓の中央に陣取っていたガラスのシュガーポットから角砂糖を取り出し、ぼりぼりと音を立てて頬張る。
『取り敢えず、死にたくなければ、浅井長政及び朝倉義景、あと足利義昭は最低でも
『うーん、考えとく!』
ガリッボリッという音が止んで、シュガーポットにあった角砂糖は半分ほど減っていた。
哲男とのやり取りが終わり、やることを無くした芳子は、リビングに置いたままにしていた本を手に取る。
取り敢えず本を片付けることにした芳子は、"Psicologia della connessione"と表紙に金で印字された本を持って、書斎に向かった。
芳子が小脇に抱えている本の読み飛ばした最後のページには、題名と同じ色で小さく文字が印字されていた。
Al cuore non si comanda.
(心までは命令できない)
空は、憎々しいほどに青く晴れ渡っていた。
<途中経過>
日時:西暦2020年 9/15(火) 11:39現在
結果検証:特になし。
考察:特になし。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます