第8話 ちょっと入り組んだ朝倉さん 備考:歴史好き必見

 窓のない書斎で、芳子は一人織田信長に関する年表をかたっぱしからひっくり返して読み漁っていた。部屋は本を傷めないようにするために通気性をよくしているのにもかかわらず、インクの匂いと森林を思わせる紙独特の香りで満ちている。

 書斎の出入り口付近に掛けてある電子時計には温度17度、湿度65度とある。室内に埃はなく、床ではロボット掃除機がはしゃぎ回っていた。

 外はもうすでに日が落ち、街灯もまばらにではあるがつき始めた。街には夜の帳が落ち、町のネオンが存在感を主張し始め、昼とは違う賑わいを見せている。

 そんなことをついぞ知らない芳子は、かつてないイレギュラーへの対応を余儀なくされていた。


『どこを見ても、織田と浅井の不和は朝倉と対立していることが原因とあります。うちの大学の古典文学研究室の文献も借りましたが、内容は同じです。どこかで事実が捻じ曲げられたか、裏で何か取引があったか。一番ありえそうなのは、兄さんが何かやらかしたっていう可能性ですが』

『だーかーら、知らないって言ってるじゃん。』


 芳子のもとに棒人形に怒りマークが添えられたスタンプが大量に送られてくる。スマホでメッセージを打つ傍ら、インターネットで検索してみたものの、それらしい記述は見当たらなかった。芳子は突然PC眼鏡が重く感じられ、眼鏡をはずして眉間のあたりをマッサージし始めた。

 哲男から次々送られてくるスタンプに辟易してマナーモードにしようとしたところで、何通かぶりに文章が届いた。


『そもそもここ最近、斎藤さんのところのぼんくらの嫡男と戦って、ようやく稲葉山城陥落させたんだから。もう、懐かしの岐阜って感じで、どうせ首都ここにできるんだし稲葉山に引っ越そうって思って。で、最近やっと引っ越し終わって落ち着いたところだったの。朝倉さん云々にかまってる暇なかったの! ん? あれ、もしかしてこれが原因だった』

『いえ、そんな無視された程度で引き下がるものでは無いでしょう。実際に小競り合いはあったんですか?』

『あったようななかったようなって感じ』


 もし起きなかったのだとしたら、それなりに理由があるはず。しかし、芳子にはどうしても心当たりがなかった。

 そもそも、織田と朝倉の不和は足利義昭のせいであった。朝倉は、足利義光の上洛に積極的ではなく、とても後押ししてくれそうになかった。それを察知した足利義昭は、明智光秀等を通してノリに乗っている織田信長に助けを求めたのだった。

 それを皮切りに、両者、特に朝倉が織田を面白くなく思って、度々ちょっかいをかけていたと言うのは有名な話だ。

 斎藤道三と朝倉義景に特に接点は無い。他のところで特異点ができたとしか考えようがないのだった。


『本当に何もしてませんね? 接点も何もなかったのですよね』

『うん、特に。でも、朝倉さんがこっちに仕掛けてこない理由ならわかるよ。丹羽さん情報だけど』

『それを早く言ってください。それで、理由とは』

『くまぎみまるくんが具合悪いんだって。朝倉さんの第一子らしいんだけど、めっちゃくちゃ可愛がってるらしくて。どうやら相当悪いらしいよ』


 阿君丸くまぎみまるとは、朝倉義景の嫡子。朝倉義景は長いことを子供に恵まれず、やっと授かった第一子をこよなく愛していたと言う。

 しかし、そんな大病を患ったと言う資料は残っていない。しかも、病気を流行らせることなど、兄はおろか誰にもできようはずがない。

 デスクチェアをどかして、デスクに置いたメモリーチップを操作する。阿君丸について調べていると、妙なものが見つかった。


「阿君丸が、毒殺?」


 思わずと言ったように、芳子は声に出して見出しを読み上げた。

 検索してヒットしたページには、こうあった。

(阿君丸は1568年以降、生存が確認されていない。病気という説もあるが、その様子からも毒殺であった事が疑われている。その首謀者として上がっているのは、織田信長のブレーン、丹羽長秀だった。当時、足利義光の上洛を後押ししていた織田軍は、浅井の存在が邪魔で仕方がなかった。特に厄介なのが、昔から浅井と同盟を結んでいる朝倉の存在である。

 丹羽長秀は、万が一織田と浅井の同盟が成立しなかった時を考え、密かに朝倉の戦力を削ろうと画策した。密偵から朝倉義景が息子を溺愛していると言う情報を聞き、毒殺を目論んだとされている。しかし、毒殺と知れては被害が及ぶと考えた丹羽長秀は、遅効性の毒を盛って病に見せかけたという)と。

 でもそうなると、明らかに時期がズレていることになる。史実では、阿君丸が毒を盛られ始めて伏せったのは足利義昭が上洛した後。だが、哲男が言うには上洛を考えあぐねているところで既に阿君丸が体調を崩している。

 

 芳子は事情をかいつまんで哲男に説明した。その上で、何かしていないかを尋ねる。


『本当に、面倒なことは何一つやらかしてませんね? 丹羽長秀に何も言ってませんね?』

『本当にホント、マジで何もしてないから。丹羽さんとは、会議の時に話した程度だし』


 芳子は嫌な予感がして、詳しい内容を問いただす。


『詳しく』

『そんななんも言ってないって。お市さんが婚約に応じてくれない場合、最悪浅井さんと朝倉さん、両者をいっぺんに相手すんのか、それはやだなーみたいなこと話したくらい』

『はい、アウト』

『え、なんで、どこらへんが?』

『丹羽長秀は織田軍のブレーンです。優秀な部下は言われる前にるんですよ』

『あー、でも確かに。最近見ないな、忍者さん』


 芳子が持っていた数百枚に及ぶ資料が、芳子の握力によってぐしゃぐしゃという音を立てて床に落ちる。足元に綺麗に散らばった紙には目もくれず、デスクチェアに深く腰かけて詰めていた息を吐く。重みがなくなった右手で髪をかき回し、盛大な舌打ちが響く。

 1567年(永禄10年)8月、斎藤道三の息子・斎藤義龍の急死を受け、織田軍は再度稲葉山城に進軍した。それまでにも何度か進軍しているが、結局墜とせずに撤退していた。これを好機と見た織田信長は美濃三人衆等を味方につけて、内側から墜とす作戦に出た。それというのも、稲葉山城は立地に恵まれており、織田軍と言えども力業で押し切るのには無理がある難攻不落の城であった。

 この時、織田軍を迎え撃った総大将は斎藤義龍の嫡男・斎藤龍興で、まだ代変わりして間もなく、結束が弱まっていたことも敗因の一つとして考えられている。

 そしてその頃芳子は論文に追われており、一も二もなくインターネットで検索したURLを貼り付けたのだが、すぐに哲男から電話が鳴った。例のごとくコール音を断ち切り、メッセージアプリで事情を聴くと、どうやら安土桃山時代では検索アプリを開くことができないらしかった。泣く泣く、芳子はコピー&ペーストで検索結果のページをメッセージに貼り付ける作業を激務の中で行うはめになった。しかし、おかげで史実に沿った出来事を起こすことに成功した。

 芳子の協力でやっと解決したと思ったら、これである。


『兄さん、私最近開発に着手しようと思っているものがあるんです』

『え、いきなり話題変わった?』

『兄さんがご存命の時に私が開発した、ものをデータ化して指定の場所までデータを届けてそこで再構築する機械あったじゃないですか。まあ、あまり実用的ではないので商品化はされなかったのですが』

『うん、今もご存命だけどね。確かにそんなのあったね。無機物じゃないとダメなんでしょ。あと、電気代がやたらかかる。それがどうしたの?』

『新たに改良を加えようと思っていたところなのです』

『待って、大体予想ついた』


 メッセージのやり取りで「待つ」とはどうすることを示しているのか、全くの不明である。待ったところで、そもそもあまり意味をなさない。芳子は哲男の制止を意味を介さないものとして受け取り、先を進めた。


『時代を超えてものを転送できるようにしようと思いまして。使用用途としては、とりあえず馬鹿の頭上に鈍器を降らせることでしょうか』

『その馬鹿っていうのは、馬と鹿のことだよね。やだなー、もー、動物虐待はだめだぞ☆』

『馬と鹿を合わせてバカと読みます。ちなみに、この文章内で指しているバカとは、引っ越しにかまけてまんまと史実をお変えになるという大挙を成し遂げられた人間を示します』

『誰だろう?』

『さあ? 本人が一番自覚しているのでは』

『あっ、ごめんなさい』


 いつもならばここで土下座マークかそれに類似するスタンプが送られてくるところだが、今回は少し違うようだ。送られてきたスタンプにはいじけて頬を膨らませ、目に涙を浮かべたウサギがこちらを何度も振り向くという、モーション付きのものだった。どうやら、哲男には不満があるらしいことがうかがえた。こういう時の哲男は後をひきまくる上にやたらとうざったいことを斎藤道三の一件で学習していた芳子は、この場で不満を打ち明けてもらったほうが後の心労がないことに気付いた。


『不本意ですが、何か言いたいことがおありなようですし。何かあるなら、今なら受け入れますよ』

『えー、本当に?』

『要件がないなら、今からそちらへものを送る機械を作ろうと思っていますので、電源切りますよ』

『ぜひ聞いてください、お願い致します』


 今度は、しっかりと白いフォルムの人間らしき生物が90度に何度も腰を折っているスタンプが送られてきた。

 芳子は、年季が入って茶色が品の良い黒に変わりつつあるビンテージのデスクに肘をついて、左手でスマホを持って哲男のメッセージを待つ。

 新たにメッセージが送られてきたのは、これまでにしてはかなり時間が空いてからのことだった。


『仕方ないと思うのだよ』


 哲男からしてみればこの一言に尽きるのだろう。実際に、岐阜城が織田信長の居城になったことは確かだし、国会議事堂などは岐阜城のすぐそばに位置していた。理解できない主張ではない。しかし、芳子にとってそれはさほど重要なことではなかった。


『問題はそこではありません』

『はい、ご迷惑をおかけしまして、大変申し訳なく思っております!』

『そうですね』

『それでその、大変ご迷惑おおかけした上でとても言い難いのですが、同盟ってどうやって結べばいいの?』

『それを聞きますか、自分で選択肢を潰しておいて。兄さんもわかっているでしょう、残されている方法は一つです』

『それはまさか、お市さんを説得するとかって話?』

『はい』

『それはちょっと、無理かな』


 芳子はこれ以上話に付き合う気が持てず、『考えとくので、ひとまず市姫を説得してください』と送って、スマホの画面を落とした。

 芳子が書斎にスマホを置き去りにして部屋を出たところで、バイブレーションが新たな着信を知らせていた。


『いやほんとに無理なんだって。お市さん、芳子の大学の助教さん、藤村さんにエネルギッシュさを倍増させた感じの人だし、そもそも、政略結婚かわいそうだよ』


 しかし、芳子が本日中にそのメッセージを読むことはなかった。




<途中経過>


日時:西暦2020年 8/17(木) 21:34現在


結果検証:対象の予期していない行動により、再度歴史にずれが生じた。


考察:正しい解決法がないため、先を見通して後々不具合が起きないように対処することが求められる。


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