第7話 発売会見

 1568年(永禄11年)9月、織田信長は足利義昭を奉じて京入りを果たした。しかし、織田信長の上洛に際しては1つ大きな問題があった。

 世は戦国時代、一度自領を出れば、常に身の危険が付いて回る。そこが同盟もまともに結んでいない地ならばなおさらのこと、そこを次期将軍を護送しながら通るならばそれはもう自殺行為と言って差し支えなかった。そこで、上洛への足掛かりとなる土地、近江(今の滋賀県)を勢力下に置いていた浅井家の当主・浅井長政に同盟を申し込んだ。だが浅井家にとって、当時浅井家と同盟を結んでいた朝倉家の小競り合いをしていた織田軍の提案は、二つ返事で受け入れることのできるものでは到底なかった。

 そこで浮上したのが、浅井長政と織田信長の妹・お市との婚約であった。しかし、お市と言えば言わずと知れた女武将。その生涯を兄・織田信長の補佐として生き、井伊直虎と並び「自立した女性」をいち早く体現した。現在の武将の好感度ランキングでも、トップ10常連の武将である。

 お市は浅井長政との婚約を断固拒否。織田信長も活発な性格のお市に強く言うことはできず、婚約の話はたちまち立ち消えた。

 お市の婚約という選択肢を失った織田軍は、朝倉軍への攻撃を相手からの侵攻がない限りは行わないことと、足利義昭が将軍になった時に役職を就けてもらえるように口利きすることで話はまとまった。

 こうして無事織田信長を後見として足利義昭は将軍となり、浅井長政は副将軍の地位につけられた。対照的に織田信長が何の役職も賜らなかったことに関しては諸説あるが、有力なものとして織田信長が拒んだ説が知られている。また、のちに起こる足利義昭と織田信長の不和が既にこの時起こっていたという説もある。

― 某日本史解説書より ―


 研究室では、メモリーチップが空中に映し出した映像に研究室職員群がっていた。

 今日、ついにLutricの発売会見が催される。会見内容はライブ配信が行われるため、芳子を除いたLutricの開発にかかわった人間は芳子の所属する研究室で一堂に会していた。集まっている職員のほとんどの目元には色濃い隈が見える。当の芳子はというと、会見に参加するためにテレビ局に赴いている。

 12:00を回ったところで、会見会場に動きがあった。ざわざわという音がしてひな壇に3人の人影が現れる。そのうち一人は女性で、メモリーチップの前に貼り付いている職員たち同様、顔は青白く目元にはひどい隈を作っているのだ。誰あろう、芳子である。あとの二人は男性で、一人はメインスポンサーの大手メモリーチップ製造メーカーのCEOで明らかに外国の血が流れている。もう一人の壮年の男は芳子の所属する大学の学長だ。3人が席に着いたところであらかじめスタンバイしていた司会役のアナウンサーが話始める。


「定刻となりましたので、これより次世代メモリーチップ型通信機器・Lutricの発表および発売会見を行います。司会は私、フリーアナウンサーの橋本が務めさせていただきます。どうぞよろしくお願い致します」


 カシャッカシャッとシャッター音が鳴り響く。他二人の自信に満ちた満足そうな表情と比べ、芳子の表情は面倒だという感情を顕著には表していないものの、嫌がっていることがそこはかとなく感じられる。

 いつもなら作り笑顔くらい貼り付ける社交性は芳子に備わっていた。しかし、哲男とのやり取りで使える愛想をすべて出し切った芳子に、そんな芸当はできなかった。事情を知らない職員たちは、アップで映し出された芳子の表情を見て余計に察してしまった。帰ってきたら、しばらく芳子の機嫌は最低だろうということを。


「それでは、さっそく会見に移らせていただきます。まず、本日…」


 司会の進行によって会見が進められていく中で、芳子が上辺だけでも笑みを浮かべることは決してなかった。それどころか時間が過ぎていく中でどんどん降下していく芳子の機嫌と顔色のトーンに、同室の研究者達は心配で仕方なかった。



「お疲れさまでした、林又准教授」


 学長のねぎらいの言葉に軽く会釈で返し、芳子はテレビ局のロビーを抜けて自動閉開式のドアに差し掛かる。

 ドア枠のフレーム部分に足を乗せたところでカバンからスマホの初期設定で自動的に設定されているコール音が流れる。久しく聞くことのなかった音声に、通行人が芳子のほうを注視し始める。ずっと流しておくわけにもいかず、芳子は仕方なく哲男からの着信を切って、メッセージアプリで用件を聞くことにした。


『なにか?』

『切ったよね? 今確実に通話ボタンと逆の方向に指動かしたよね?』

『ええそうです。何か用ですか』

『つめたい!』

『通話に関しては既に棄却しました。用事は上洛関係ですか』

『あ、はい。ご名答です』


 マナーモードにしているためピコンッという音はしないが、往来の中でスマホを出していること自体が目立ってしかたない。元々直帰するつもりはなかったが、哲男の要件が長くなりそうな上、学長から「そのまま帰っていいよ」という言質もいただいているので、Lutricを歩きながら口頭で操作して勤務管理アプリに直帰の許可が下りていることを添えて退勤を知らせた。ちなみに、芳子は哲男からの着信がなかった場合は、そのまま大学に戻って作業するつもりだった。

 テレビ局のすぐ目の前に見える芳子の家は徒歩5分圏内に位置していた。その為直帰が許されたことは、芳子にとってある意味好都合と言えた。


『家に帰るので、しばらく待ってください。具体的には120分ほど』


 芳子は事情だけ簡潔に説明して、スマホをカバンに戻し、ちょうど緑になった横断歩道を渡った。


 4分もかからないで着いた自宅に到着した芳子は、荷物を食卓に置き、カバンからスマホを取り出した。芳子が帰宅している間にも、着信は3通ほど届いていた。要旨を簡潔に述べると『そんな遠くに出かけてたの?』という内容のものだった。しかもこれが5行以上の行数でダラダラと3通とも書かれていた。


『まあ、そんなところです。上洛の話をする前に聞きたいことがあるのですがいいですか?』

『芳子、話が変わるときに一言ないとついていけないから接続語入れて。あー、で質問、珍しいな。俺が答えられる範囲なら大丈夫だよ』


 メッセージとともに、二足歩行になって人の言葉で「どんとこーい」と発している実際にはあり得ない犬のスタンプが送られてきた。


『120分待たせたと思うんですけど、そういえば時計が開発されたのはもっと後の時代だったことを思い出しまして、体感でもいいので120分以上待たせてしまったでしょうか』

『いや、ちょうどそのくらいじゃない。ていうか俺、ごめん、時計作った』


 いくら哲男が歴史関係に弱いからと言って、未来のものを創造するような頭も技術力もないと思っていたので、芳子はその可能性をはなから考えてはいなかった。実際、哲男は機械系をいじる趣味は持っていなかったはずで、芳子には理解できなかった。


『私の記憶が間違ってなければ、兄さん、機械いじり苦手ではありませんでしたっけ?』

『あ、作ったっつっても日時計だから。棒が刺さる日当たりのいい地面に棒ぶっさして、目分量で周りを12等分してっただけ。そんで、だいたい棒の影が2つくらい移動したところで着信があったから、ちょうど2時間で大丈夫。間違ってないよ』


 いわれてみれば、芳子は小学校で日時計を作った記憶がある。三つ子の魂百までとは、まさにこのことである。


『で、本題なんだけど。上洛するとさ、近江通るのよ、つまり滋賀。でも、そこら辺の人たちとあんまうまくいってないらしくて、足利さん連れて行くのはそんままだと危ないんだって。同盟か、いっそ攻めるかみたいな話になってるんだけど、どっちにしてたの、織田さんって?』

『同盟です。この間の連絡で美濃は平定したようですが、まだ混乱もあるでしょうし、牽制の為にも同盟を選んだと言われています』

『なるほど。でも、どうやって同盟結んだの? なんかよくわかんないけど、うちと近江の、えっとなんだっけ、あさいさん?は仲悪いらしいよ』

『浅井(あざい)です。仲が悪いのは、同盟を結んでいる朝倉軍と織田軍が小競り合いしていたからです』


 芳子は、あらかじめ調べておいた資料をプリントアウトしたものを書斎のデスクに置き、それを読みながら文字を打ち込んでいく。


『ん? まあいいっか。で、どうすればいいの?』

『史実では、一度お市と浅井家で婚約しようという話が持ち上がっているので、まずその提案をお願いします。結局、お市さんが大反対して破談になるので、その後に朝倉軍への攻撃を辞めることと上洛後の将軍への口利きで同盟を結べるはずです』

『え、なんで?』

『これ以上どう説明しろと』

『いや、芳子の説明が分かりにくいとかじゃなくてさ。そもそもの話』


 哲男の言っていることがよく分からず、『?』と送ると、返答が返ってきた。


『んー、あのね、そもそも俺ら、朝倉さんと小競り合いしてないよ』


「は?」


一面を本棚に覆われた書斎で、芳子は思わず誰もいない室内で疑念の声を漏らした。




<途中経過>


日時:西暦2020年 8/17(木) 18:37現在


結果検証:歴史になかった事実、もしくは後世に残らなかった事実が新たに発覚。早急にどちらか見分けをつけるべき。


考察:これまでのデータから、以下のことが推測される。

当該時間=安土桃山時代の時間として

15日=1年

24時間=576時間

60分=1440分

したがって、1分=24分を目安として時間の誤差が生じている模様。


 

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