第6話 メールよりは通話派です
『やっぱりさぁ、通話にしない?』
僻な休日。しかし、特にこれといった趣味のない芳子にとっては、平日と対して変わりがない。いつものようにコーヒーを片手に砂糖を貪っていたところで、スマホが鳴った。唐突な哲男の提案に、芳子は面倒そうに顔を顰めた。
普段食卓としては使っていない食卓につき、椅子の背もたれに体重を預けてスマホに文字を打ち込む。
『お断りします。で、何故そんな事を?』
『え、お断りするの? せめて事情くらい聞いてもいいんでは? ていうか、断った上で理由を聞くのね』
『はい。では、説明を』
『芳子さんや、あなたKYってあだ名つけられたりとかしてない?』
『説明を』
足を組みつつ、芳子が哲男から帰ってくるメッセージ全てに『説明を』で返し続けて39回、折れたのは哲男の心だった。
『分かった。わかりました。俺の話聞くかないのね。ちょとくらい雑談に付き合ってくれてもさー』
『説明を』
『はいはい! えー、噂が流れてるの。岐阜で、悪い感じのやつが』
『詳しく』
『はいはいはい! それがね、俺が遊び人だっていう感じの、仕事しないダメ男的なのが流れてるんですよ』
『的確な意見ですね』
『ぐさっとくるね。前の時ならちょっと耳が痛い話だけど、俺、こっち来たから割と真面目よ』
哲男は、死ぬまで仕事場を転々としていた。定職につかないことを厳しく叱る母親に嫌気がさして、20歳の時に家を出て行った。
昔から様々なことを禁止され、徹底的に管理されていた哲男は、今まで経験したことのない自由に戸惑い、暴走した。器用な性格が災いして、女性関係も最低な状態で維持していた。
芳子には、そんな兄が存外滑稽に写っていた。かといえ、忠告をする義理も興味も良心も持ち合わせていなかったために、これまで何も言わなかった。しかし、ここ最近の哲男に、芳子は改善の兆しを見ていた。
『そうですね、それに関しては同意します。それで、また遊び始めたんですか』
『違うわ!』
『では、どうしてそんな噂が?』
哲男のコミュニケーション能力は、活字をどうしても健在のようで、気をつけていてもしばしば話を逸らされる。
芳子が哲夫と連絡をしている時に考えていることといえば、目下話の本筋への修正であった。
『流石にさ、みんなの前で未来の文明を取り出すわけにはいかないじゃん? だから、これまで芳子との連絡は外出の時に護衛さん撒いてこっそり隠れてやってたんだけど、最近護衛が多くなって撒くのが大変なの。もう面倒だから屋敷内で隠れて連絡するようにしたんだけど、回を重ねていくごとにどんどん城の人から「遊ぶのもほどほどに!」って言われるようになってさ。別に遊んでないのに』
不可解な話だ。時々姿を消したり、護衛を巻く常習犯でも、遊びに行っているとアタリをつけるのは安易すぎる。疑問に思った芳子は、足を組み直して哲男を問いただす。
『心当たりは』
『無いよ。無いから困ってるんじゃん』
『火の無い所に煙は立たないと言いますし』
『兄の言葉が信じられないと』
『はい』
『ですよねー。分かってた』
『どうせ、何処かに定期的に遊びにいっていたのでしょう。それを目撃された事が多々あると、こんなところでは?』
『さすがっす』
ここで芳子は、話が大元からかなりされていることに気づき、ため息をついた。
通信が長引きそうなので、書斎に赴きPC用のメガネを取ってリビングに戻る。
『それで、通話がいい理由とは? どちらにしろ同じでは?』
『あ、そう言えばそういう話だった。えー、それでね、お城で人気のないところ探して回ってたら丹羽さんが壁に向かって話してたの。あの人しっかりしてるから、忙しくて頭やられたのかなって心配になって見守ってたんだけど、話聞いたらどうやら忍者さんと話してたらしいのよ。それで思いついたわけよ、通話なら多少人がいても話の内容に気をつければ、忍者と話してるって事でコソコソしなくても堂々と芳子と連絡が取れるってわけ。名案じゃない?!』
『なるほど。却下で』
『えっ、マジですか! 納得した感じだったのに。まだ理由あるよ。噂が流れ始めて...その矢先に、あれがあってさ』
先々日、斎藤道三が殺された。しかも、史実通り実子の斎藤義龍に。織田信長と友好関係構築に一番反対していた斎藤義龍は、父・斎藤道三に反感の念を募らせ、実弟2人を殺した後、長良川であい見え勝利を手にした。
哲男は家臣からの報告に一も二もなく出陣し、同時に芳子と連絡を取ろうと試みていた。しかしその頃、藤村が後回しにしていた論文の存在に気づき、研究室はかつて無いほどに騒然としていた。芳子がマナーモードにしていたスマホが、あたふたする研究員達の悲鳴に勝てるはずもなく、哲男のSOSはついぞ芳子に届く事はなかった。
連絡が取れないまま、とにかくがむしゃらに馬を走らせた哲男だが、間に合う事はできなかった。それ以前に、織田軍の応援は少な過ぎた。
それからずっとクヨクヨしている哲男に、芳子はいつも以上にフラストレーションが溜まり、『明日は我が身です。不謹慎ですが、兄さんが無事で良かったと思います』と柄にもない上に思ってもない言葉を掛けたが為に、芳子の今年使える愛想は尽きていた。
芳子が神経をすり減らしてやっとのことで立ち直らせたにもかかわらず、哲男にはまだ心の傷として残っているようだ。
『後ね、怒んないで欲しいんだけど、芳子さんのレスポンスが異常に遅いのよ』
『私は、兄さんが早すぎるだけだと思います』
事実、芳子は哲男が織田信長になってからしか連絡は大して取り合った事がなかったが、数少ない現世でのコンタクトから考えても、哲男の返事を送ってくる速さは格段に早くなっていた。
芳子が一度メッセージを送ると、ほんの2,3秒で返事が打ち込まれて返ってくる。どんな長文であってもだ。
『だってさー、そんな長文でも無い内容にも最低5分かかるんだよ! 最初は慣れてないから仕方ないのかなって思ってたけど、流石に変だよ』
芳子は顎に指を這わせて考える仕草を見せた後、これまで1ミリたりとも動かなかった芳子の口が動いた。
「面倒だな」
誰もいない室内で、芳子の呟きは反響する事なく静寂に消えていった。
(いくら兄さんが馬鹿だと言え、流石に気付くか。どうしよう...)
芳子が薄々感じていた現世と哲男のいる時代では時間の流れが違う可能性を伝えるべきか迷っていると、哲男から新たに着信があった。
『まあ、そんなことはどうでもいいんだけど、実際のところ』
芳子は眉間に皺を寄せて、眼鏡をかけなおした。
『では、先ほどまでの話の意義とは?』
『いや、いつもならそっこー電源落とす所を珍しく付き合いがいいからさ。もしかしなくても、休みだろ。と言うわけで、君は無趣味、俺はお喋りが趣味。利害は一致してるだろ?』
『ようは、暇だったんですね』
『はい、せいかーい』
ミシッという音がして、芳子が手にしているスマホが軋む。目元は、まさに絶対零度である。
芳子は忘れていたのだ。哲男はタダでは起き上がらないタイプだったことを。そして、哲男が、馬鹿ではあるが一応林又の人間であったこと。林又の人間は、頭は回るし食えないし掴めない人間であったことを。
『切りますよ』
『ストップ! 通話の件、ご一考いただきたく』
『本当の目的は?』
『妹とお話ししたいからです!』
『却下します』
芳子がスマホの電源をこのまま切るか、スマホ自体を再起不能の方向に解体するか真剣に悩んでいるところで、ピコンッと音がする。
『ごめん、もう一個。将軍さんが殺されたらしくて、足利さんの依頼で京入りすることになったんだけど、どうすればいい?』
芳子はなんとも言えない、狐にでもつままれたような顔で暫くコーヒーが無くなったカップを見つめていたが、少ししてカップを静かに食卓に置いて立ち上がる。
高層ビルの比較的上の方だけあって見晴らしの良い景色をガラス越しに眺め、リビングの中央に我が物顔で鎮座しているサンドバックを無言で蹴る。
その凄まじい打撃音は完全防音の部屋をすり抜けて、渡り廊下に打撃音を漏らすことが度々あるのだった。
<途中経過>
日時:西暦2020年 8/2(日) 9:12現在
結果検証:今のところ、実世界の歴史改変は見られない。
考察:現時点では、本説が有効と考えられる。
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