第51話 禁書の守護精霊
「では、私も一つやってみましょう」
翻訳文の別の頁を開いて参照しつつ、今度はユルゲンが先ほどよりも大きな魔法陣を打ち上げる。
花火は色や大きさ、それに光り方などが魔法陣の組み合わせ方によって変えられるようになっている。
そして、禁書によれば、色によって意味があるらしい。
白や黄色の光は国王や王族を讃えるもの。
青は騎士や魔導師の勇を讃えるもの。
赤は、現在もよく知られているように、愛する者や家族を想う気持ちを表しているのだそうだ。
師団長のユルゲンが打ち上げたのは青い花火だ。
形も、丸ではなくて大きな楕円形。
勢いよく広がり、夜空を美しく彩る。
二人の術が成功すると、魔導師団員たちが次々にやってきて試してみたいと言い始めた。
「ユディさんが禁書の翻訳をされたんですよね? ここの解釈はどのようにしたらいいでしょうか?」
「魔力が足りなそうなんですが、円形の数は減らしても発動しますか?」
「あ……えと……」
大勢に囲まれてしまったユディだったが、ヴァルターとユルゲンが彼らを引き受けてくれたので、ユディは人混みをそっと離れた。
「ユディ、こっちこっち!」
「ハル、なんてところにいるのよ」
声がした方を見上げると、詰所の屋根の端にハルがいた。
ひらりと飛び降りたかと思うと、音もなくユディの隣に着地する。
「来て」
「あ、ちょっと……」
止める間もなく、ユディはハルの腕に抱えられていた。
思わずどきりとするが、ハルは自然体だ。
二人は風の魔法でふわりと屋根の上に上がる。
「ここが特等席なんだよ。団員たちの火の魔法陣がよく見える」
ハルは屋根の上に直に腰かけ、ユディはハンカチを下に敷いてその上に座った。
夜の清涼な風を感じながら、しばらく二人で花火を鑑賞する。
色とりどりの花火は、前世のものよりもずっと自由度が高いようで、大きいものから小さいものまであるし、形も星型やら、変わったものでは竜のような形まであったりして、自由自在だ。
「この魔法がなんで禁術とされていたか、最初は理解できなかったけど……今はわかる気がする」
「禁書の翻訳、全部読んだの?」
「うん。この魔法は、もともと王族の結婚式やお祭りで使われていたけど、第五代ドラグニア国王ウルリックの最愛の王妃が不幸にも亡くなって、国王は悲しみのあまり祝い事に繋がるものをすべて禁じてしまったって。確かにおめでたい感じがして、死者にふさわしくないもんね、この魔法って」
「ええ……王妃様を静かに眠らせてあげたかったってことなんでしょうけど……」
「けれど、それによって楽しみを奪われた民もいたのですよ」
いつの間にかエリーアスが二人の側にいた。
禁書を手に持つ彼の身体は、光り輝く金色の粒で覆われている。
「禁術を見たせいでしょうか——この子の失われた記憶が私の中に流れ込んできます」
自分で自分を抱きしめるように、そっと身体に腕を回した。
そばかすの散った顔が、打ち上がる花火の光でくっきりと浮かび上がる。
「この子の母親は病気だったんです。母と子の二人きり、医者にかかる金もない。母親はおそらくその年は越せないだろうと言われていました。親子の心を支えていたのが、この魔法——当時は『光華』と呼ばれていましたが——年越しの夜の祭りで打ち上げられる、この大輪の光の華だったのです。祭りの夜に『光華』を見よう、それまで元気でいてねお母さん、と何度も母親を励ましながら……」
「エリーアス! 身体が……」
話しながら、エリーアスの身体が金色の粒に包まれ、そしてだんだん透明になっていく。
「王妃様がご崩御され、国全体が喪に服す中、この子は禁止されていると知りながら、母親のために『光華』を打ち上げる術を求めて、禁書が所蔵されていた王立図書館に忍び込んだ……。禁書を手に入れたとしても、自分の力で発動させることなど叶わないのに、それでも行かずにはいられなかったんです」
「エリーアス……」
「工事中の図書館に入りこんだのはいいけれど、工事で脆くなっていた壁の崩落に巻き込まれて、不幸にも亡くなってしまった……。そして、母を一心に想う気持ちがそのまま妄執となって現世に囚われてしまったんです」
泣き笑いのような表情が、そばかすの散った顔いっぱいに広がる。
「本当にありがとうございました、翻訳士様。数百年越しに見る魔法の光の華は格別ですよ。この子の魂が私の中で歓喜しているのを感じます」
「エリーアス……。消えてしまうの?」
「ええ。お別れです、翻訳士様。守護精霊は、禁術が発動したら精霊界に帰る決まりですから」
エリーアスは小さな手を空中に伸ばす。
「私は消滅するわけじゃありませんから、そんな顔なさらないでください。いつかまたお会いできる日もあるでしょう。私は本当に満足しています。この子も、やっと母親の元に行ける。ああ、お迎えも来た…………お母さん………」
金色の粒はどんどん増え、光が溢れる。
透明になった守護精霊の身体が、すうっと二つに分かれていく。
一つは、そばかす顔の男の子のもの。
もう一つは、光の塊だった。
あの光がエリーアスの本体なのだろうか。
そばかす顔の男の子がユディとハルに向き直り、にこりと微笑む。
口元が「あ・り・が・と・う」の言葉を形作り——次の瞬間、男の子も、光の塊も、金の粒とともに空気に溶けて消えた。
「エリーアス……!」
「危ない!!」
手を伸ばしてエリーアスをつかまえようとしていたユディは、勢い余って態勢を崩し、そのまま屋根から落ちそうになる。
すんでのところで腕を引き寄せられ——その反動でハルの胸に飛び込んでしまう。
「落ちたらどうするの! 危ないなあ」
「ご、ごめんね……」
ハルはユディを抱えたまま息を吐いた。
「きみに触れるのも、大分慣れたな、ぼく」
初めてユディに出会った時には、仮面に触れられそうになっただけで飛び上がっていたことを思い出す。
「耐性ができてきたみたいだ」
ユディは自分の鼓動が早まるのを感じた。
落ちそうになるのを助けてもらった体勢のまま、ユディはハルの腕の中にいる。
もう離してくれてもいいのに、なぜかしっかり抱きかかえられてしまっていた。
「あの、ハル……? もう離してくれても……」
「————試験に落ちたら、城を出ていくって?」
「え?」
「あの守護精霊にそう言ってるのが聞こえた」
唐突な質問に、一瞬何を言われたのかきょとんとする。
確かに、結界の中でエリーアスにそう言ったけれど。
ハルはあのときすでに結界の外に出ていたはずだが、そういえば結界の中の声は外から聞こえるとエリーアスが言っていたかもしれない。
今さっき消えてしまった精霊のことを思って、ユディの心は切なくなる。
けれど、実のところ、ハルに抱きしめられていることの方が気になって仕方なかった。
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