第50話 禁術の正体

「……ユディ?」


 目を覚ましたユディがいたのは、自分の部屋の寝台だった。

 すぐ側には、ほっとしたような、どこか怒ったような表情のハルがいる。


 今は仮面をつけていない。 

 黄金の髪に縁取られた秀麗な顔には、どことなく疲労の色が見て取れる。


「よかった……。このまま目が覚めなかったらどうしようかと……」


 安堵のあまりか、その声は震えていた。

 ユディの胸に不意に温かいものが込み上げる。


「心配かけてごめんね……こんなことになると思わなくて……」


 ハルは感情を落ち着かせるように大きく息を吐くと、今度は苛立ちをあらわにした。


「まったく無茶しすぎだよ! いくら翻訳に熱中するといっても限度ってもんがあるでしょ!? 結界のことを知らなかったみたいだけど、ぼくは何度も伝えようとしたんだよ! それなのに、集中できないからって聞く耳持たないし……。あのね、普通の人間が飲まず食わずであんなところに長くいたら、本当に死んじゃってもおかしくなかったんだよ!」 

「はい……」


 寝台に横になったまま、ユディは蚊の鳴くような声で返事をしつつ縮こまる。

 自分を本気で心配してくれたからこそなのだが、ハルに怒られたのは初めてのことで、胸までかけられていた毛布を思わず顔の近くまで引き寄せていた。


「ぼくの気をあげたから命に別状はなかったけど、それはそれできみの身体に負担だったみたい。今がいつかわかる?」

「いつって……?」 


 顔を動かして窓の方を向くと、部屋に差し込む陽の光が今が夕方だと告げていた。

 何時に結界から出たのかよく覚えていないが、確か周囲はまだ明るかった気がする。

  

「夕方まで眠っちゃったのかしら。なんだか頭が重いわ」

「何寝ぼけてるのさ。きみ、三日も目を覚まさなかったんだよ」 

「みっ……!」

「やっぱりわかってなかったか……。大丈夫、文官の採用試験は明日だよ。ぎりぎり間に合った」  

「あ、危なかったわ……」


 眠りこけて採用試験が終わってしまっていなくてよかったと胸をなで下ろすユディを、ハルは呆れたように見やった。

 武人であれば、自分の身体の変調には即座に気がつくし、どの程度睡眠を取ったかも感覚でわかるものだが、ユディはそういったことにはまるで疎い。


 本当に普通の少女なのだと改めて思う。

 そのくせ、こちらが驚くような無茶を平気でやる。

 

「起きられる? まず何か食べてから、魔導師団の詰所に行こう。例の禁術、とうとう完成したみたいだから」

「もうできたの? すごい、さすがね」

「だから、三日経ってるんだって。まあ、師団長とヴァルターで相当試行錯誤したみたいだけどね。ぼくも見たけど、あれはかなり複雑だ」

「それは早く見に行かなくちゃね! ……ん、あら……?」


 寝台から身を起こそうとするが、うまく身体が言うことを聞かない。


「ほら、無理しないで。ぼくにつかまって」 


 ハルに支えてもらってなんとか起き上がるが、黄金色の髪がふわりと揺れるのを思わず目で追ってしまった。


(ハルがリューネシュヴァイク様の生まれ変わり……)


 改めて見ると、ハルの黄金色の髪は煌龍の黄金色の鱗を連想させるし、星色に輝く瞳は歴史書のとおりである。

 夢の中でセラフィアンから新しい翻訳依頼を頼まれた——というか押し付けられたことを、いつ伝えるべきかユディは図りかねていた。 


※※※


 ハルは仮面をつけ直すと、ユディが準備を済ませる間、部屋の外で待つと出ていった。


 沐浴を済ませてさっぱりしてから、女官が持ってきてくれた食事を口にすると、自分でも驚くほどお腹が減っていたことに気がつく。

 まだ疲労が少し残っているのか、量はそれほど食べられなかったが、新鮮な果物やチーズ、胡桃入りのパンに果実水など、軽いものならすんなりと体に入る。


 顔色が良くないからと、女官の一人が気を遣って白粉を勧めてくれたが、時間がないからと丁重に断った。

 できるだけ急いだつもりだったが、二人が魔導師団の詰所に着いた頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。


 詰所の扉をくぐり中に入ろうとすると、ハルが足を止める。


「師団長とヴァルターは訓練場のはずだから、先にそっちに行ってる」

「詰所には入らないの?」

「禁術の実験のせいで、魔導師たちが盛り上がっちゃってるんだよ……。入ってみたらわかるけど、もう大賑わい。ぼく人が多いところ苦手だから。でも、皆きみのこと心配してるから行ってきなよ」

「あ……うん」


 言われるままにユディ一人が詰所に入ると、中には本当に大勢の魔導師が詰めていた。


「ユディさん! もう大丈夫なんですか!?」


 魔導師見習いのパウロがユディに気がつき、人をかき分け転がるように駆け寄ってきた。

 

「本当に、無事でよかったです! 誘拐されたとわかったときは、俺、心臓が止まりそうでした」

「パウロさん、心配かけてすみません。このとおり、無事です」


 ユディは頭を下げた。

 思えば模擬戦の後にレイに誘拐されて、そのまま結界の中で禁書の翻訳にあたったため、魔導師団の詰所に戻るのは六日ぶりである。

 どうやら禁書についてはすでに皆の知るところらしく、パウロは興奮気味にユディを褒め称えた。


「禁書を翻訳したなんて、本当にすごいです! そもそも禁書の封印を解いたっていうのもすごいです! それに、あの模擬戦……! 今思い出しても鳥肌が立ちますよっ! あんなすごい術を使えるなんて、ユディさんって本当に何者なんですか?」

「え、えっと……」

「文官の研修生をされてましたけど、魔導師団に入団するんですよね? これからよろしくお願いします!」 

「えっ、なんでそんな話に?」

「だって、師団長と副長が二人して推薦状を書いたって」


 師団長自らが推薦状を書いたりしたらそれは入団許可と同義だろう。

 ユルゲンとヴァルターによって足元からじわじわと固められていくのを感じる。


「あの、エミリヤは? 詰所に来てますか?」


 パウロは少し困惑したように首を振った。


「研修期間が終わったので、研修生はもう誰も来ていません。エミリヤさんは魔の森の花を吸い込んだということでしばらく城で治療を受けていましたが、回復したと同時にお父様のハイネ男爵が領地に連れ帰ったそうです」

「そうだったんですか……」

「女の子を危ない目に遭わせるなんてと男爵は大層な剣幕でしたが、師団長が出て行って事なきを得ました。貴族の子女だろうが、女性だろうが、希望して魔導師団に来ているんですからね」


 魔導師団でも騎士団でも、男女の別なく実力さえあれば入団させてもらえるが、それはつまり、女性であっても危険を伴う可能性があるということだ。

 学校に戻るならまだしも、領地に連れ帰ったということは、もしかしたらユディの代わりにマクミラン伯爵に嫁がされるのは……。


 そこまで考えて首を振った。

 わからないことは考えても仕方がない。


「さ、ユディさん訓練場に行きましょう! ユディさんが解読した禁術で、連日皆沸いているんですよ」


 パウロに促されて外に出ると、魔石の灯りに照らされた訓練場の中央にハル、ヴァルター、ユルゲン、それにエリーアスの姿が見える。

 

「翻訳士さまぁ〜!! 大丈夫でしたか!? 本当に本当に本当に申し訳ありませんでした!!」


 エリーアスがいち早く気がついて、ユディの元へ一直線に飛んでくる。

 結界に閉じ込めたことを涙混じりにしきりに謝ってくるのを、まあまあとなだめた。


「もう大丈夫だから気にしないで。わたしも結界についてよく知らなかったんだもの」


 なぜかびくびくした様子のエリーアスを伴って訓練場の中央に足を向けると、他の面々も口々にユディの体調を気遣ってくれる。


「ユーディスどの、お目覚めになられてよかったです。ユーディスどのがおられない間に、王弟殿下がエリーアスどのを何度も消滅させようとして大変でしたぞ」

「えっ……」


 驚いてハルの方を見ると、あさっての方角を向いて頭を掻いている。

 エリーアスの怯えたような様子がようやく腑に落ちたが、そこまで心配をかけてしまったのは自分なのだ。

 間を取りなすようにヴァルターが声をかけてくる。


「ユーディスさん、本当にお手柄でしたね。禁書の封印を解いたのも驚きでしたが、内容を解読してしまうとはさらに驚きましたよ。ユーディスさんが休んでいた間に、私たちでなんとか例の禁術を再現してみたんです。ほとんど完成形だと思うんですが、細かいところが合っているかどうか、確認を手伝ってください」

「あ、はい!」


 ヴァルターは手を前に出すと、おもむろに魔法陣を描き始めた。

 豊潤な魔力に裏打ちされた、しっかりと安定した魔法陣が空中に出現する。


 これまでに見たことのない魔法陣の形で、巨大な円形の中に、小さな円がいくつも連なって渦巻き状になっている。

 そのすべてに炎の魔法を発動させる複雑な文言が刻まれているのだが、一つ一つが恐ろしく細かく、網の目のように見えるほどだ。


 ヴァルターの技量に驚嘆の思いを抱きつつも、ユディはエリーアスを振り返る。


「エリーアス、禁書はどこにあるの?」

「こちらです、翻訳士様」


 金色の粒が舞い、エリーアスの手に禁書が現れる。

 どういう仕組みになっているのかわからないが、とにかく受け取って該当するページを確認していく。

 ユルゲンも、ユディの翻訳した方の紙束を開いて同じように検証しているようだ。


「……ほとんど、いいと思います。あっ、そこはもっと小さく描いた方が……」

「あっちは逆にもう少し大きくしては?」

「いや、これ以上は魔力の使い過ぎだろ。まずはこれくらいの大きさで試してみて、後から同じ比率で大きくして試したらどうかな」


 ユルゲンとハルも加わり、それぞれ思い思いの意見を言いながらも、最終的にはユディの「書き換え」で微調整をすることで落ち着いた。

 自分ではとてもこんな力強い魔法陣を描くことはできないが、禁書の内容に則って、ほんの少しだけ手直しを加える。


「できた……と思います」

「なるほど、小さい円形についてはこの部分をすべて同じように整合させるというわけですね……。それではいきますよ!」


 中身のぎっしり詰まった巨大な魔法陣に魔力を流す。

 周囲には、事の次第を見届けようと団員たちが集まっており、ヴァルターの魔法陣に強い光が灯り始めると誰からともなく感嘆の声が漏れた。

 導火線に火がつくように、白光が魔法陣を満たしていく。


「上へ!」


 最後の箇所に描かれた風の魔法にまで魔力が回りきると、魔法陣がヴァルターの手を離れ、一気に上空に打ち上げられた。


 シュルルル……という、いつかどこかで聞いたことのある音が、ユディの耳に響く。

 大きな円の中に描かれた小さな円形それぞれが連鎖的に発光していき——最後に大きく弾ける。


 次の瞬間、夜空に大輪の花が咲いた。

 続けて、どん、という大きな音が胸を打ち、団員たちが歓声をあげる。


 白い光がパチパチと音を立てながら消えていくのを見ながら、ユディはほっと胸をなでおろした。



 ————禁術とは、魔法の花火だったのだ。

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