第49話 お仕事、無事完了いたしました

 気がつくと、またもや白い雲の上にいた。

 

「ここは、例の……わ、わたし、また死んで……!?」

  

 焦ってつい腕を振り回すが、手も足もどこにも着かない。

 ただ空中にぽっかりと浮かんでいる状態だ。

 自分の身体が雲を突き抜けて落ちていってしまいそうで恐怖に震えていると、突如として真っ白な髪と深紅の瞳の優麗な姿が目の前に現れる。


「あっ! 神様……! じゃない、セラフィアン様!?」


 今回は小さくもないし、妖精の羽根もない。

 等身大の神様は、深紅の瞳を細めた。 


「どうもお久しぶりですね、山西悠里さん」


 ごく自然に前世での名前を呼ばれた瞬間、この世界で起きたことはすべて夢だったのではないかと思えてきて盛大に戸惑ってしまった。

 とっさに返事ができないでいると、セラフィアンは優麗な顔に尊大さを滲ませる。


「今の名前はユーディス・ハイネさんですか? 依頼を完了するまでに、まあ随分長いことかかったものですが、最後はきちんとやってくれたみたいなので一応よしとしましょうか」

「ぶ、ブレないですね……」


 前世で会ったときと変わらず、いい性格をしているようである。

 いつの間にかその手には、ユディが翻訳した紙の束があった。

 

「貴女、最初のいくつかの部分をわざと翻訳しませんでしたね?」

「それは……はい……」


 困ったような顔になるユディをちらりと見やり、わざとらしく溜息を吐く。


「仕方ありませんね。理由は理解できますから、今回はこれでよしとしましょうか。翻訳のクオリティ自体はなかなかですよ。貴女を選んだ私の目は確かでした」 

「あの、勝手なことばかり仰ってますけど、こっちはタダ働きなんですよ! ご満足いただけたなら、翻訳料金を支払ってくれませんか?」

「もちろん。フェルディナンドにいくらでも請求してください」


 ここぞとばかりに文句を言うが、セラフィアンはしれっとしているのみだ。


「国王陛下に請求なんてできるわけありませんよ! はぁ……、もういいです、タダ働きで……。その代わり質問してもいいですか?」

「ええ、答えられることならば」

「セラフィアン様って、神様なんですか? 龍じゃなくて?」


 翻訳の紙の束を眺めていたセラフィアンは顔を上げた。


「ドラグニアの歴史は知っていますね。遥か昔、神は煌龍リューネシュヴァイクを下界へ遣わしたというやつです。あれだと龍は神の使いとなりますが、実際は、龍は自身が神の一員としてその名を連ねていました。煌龍は神に遣わされたのではなく、自ら地上に降りて人間になったんですよ。私は龍ですが、まあ、今は神……とも言えないかもしれませんね。神の世界を離れて、時間が経ちすぎましたから」

「龍がかつては神……」


 途方もない話に、ユディはただ呆然とするのみだ。

 それで考えると、国王やハルは、神の子孫ということになる。

 思考がそちらに飛んだので、ハルについても気になっていることを口にする。

 

「わたし、人助けって、ハルのことかと思ってました。エリーアスのことだったんですね」

「正確にはエリーアスと融合した子どもの幽霊のことでした。あの子はあのままだと悪霊になってしまって、いずれ大きな災いをもたらすという卦が出ていましたから。禁書に書かれた魔法陣をきちんと発動させて、あの子の哀れな魂を昇天させてあげてください」

「そうならそうと、前世のあの時にもっとわかりやすく言ってくれたら……」

「あの時点で説明しても理解できなかったでしょう? それに異世界同士の干渉過多になるかもしれなかったので、あそこではこちらの世界のことをあまり口にできなかったんですよ。だから、貴女にこっそりヒントを与えるために、あのときエリーアスに似せて妖精っぽくしてたんですけど、気がつきました?」

「え、それってそういう……?」

 

 手がかりにまったくならないので逆にびっくりである。

 わかりづらすぎるヒントにどこから突っ込んでいいのか、それがわからない。


「なんでこんな回りくどい方法で禁書を翻訳させたりしたんですか? ドラセス語が使われなくなって久しいといっても、わざわざわたしを異世界から転生させなくても、この世界で探せば翻訳できる人くらいいたんじゃないですか?」

「ドラセス語を解する者がいないわけではないんですが、問題はあのペン——召喚式魔導羽根ペンなんですよ」

「そのネーミングセンスもうちょっと何とかなりませんか? そのまま過ぎる上に、めちゃダサ……」

「——何か?」


 真紅の瞳にギロリと睨まれ、慌てて縮こまる。


「禁書の封印をあの羽根ペンで開ける者が、なぜだかこの世界にいなかったんです。それでダメ元で異世界から貴女を連れてきたんですが、うまくいってよかったです」

「そんないきあたりばったりな……」


 すました顔で言われて、ユディは大きな疲労感を覚えた。

 思えば前世でセラフィアンに会ったときにも、かなり適当な印象を持ったものだった。

 釈然としない思いにぶつぶつと口の中で文句を言っていると、セラフィアンが急に真面目な顔になる。

 

「我が子のためにも、貴女が来てくれてよかった」

「それって……ハルのことですか?」


 白い髪の龍の化身は静かに頷いた。


「ハルトムートの魔力を抑えることのできる禁術が書かれた禁書も、この世界のどこかにあります」

「え! じゃあ、その禁書を探し出せば、ハルは……」

「過剰な魔力を抑えることができ、声も普通になります。仮面を外して『普通に』生活できるようになります」


 「普通に」のところを、なぜかかなり強い調子で言う。

 おまけに、秀麗な口元が若干緩んでいるように見える。


「……? それはどこにあるんですか?」


 セラフィアンは肩をすくめた。


「わからないんです。そもそも禁書というのは、かつてリューネシュヴァイクが使った術を本にまとめたものなんです。けれど時とともに行方がわからなくなったり、使える者がいなくなったことにより忘れ去られたりして、失われていきました」

「煌龍陛下の術……? それでハルの魔力を抑えることができるんですか?」

「はい。ハルトムートはリューネシュヴァイクの生まれ変わりですから」

「——ええっ!?」


 深紅の瞳に物憂げな色が浮かぶ。


「黄金の髪に星色の瞳。聞く者を戦慄させる龍の咆哮に、無尽蔵ともいえる魔力……。それらもすべてリューネシュヴァイクと同じです。何よりも魂の色が煌龍とまったく同じですからね。彼がレーア王妃の胎内に宿ったときから、私にはわかっていました。それで人間に育てさせるのは無理だと判断して、十五の歳まで私が引き取ったんです」

「ハルが、煌龍陛下の……。そのことは本人は知ってるんですか?」

「そうとはっきり伝えたことはありませんが、聡い子ですから察しているかもしれませんね。ちなみにフェルディナンドは知っていますよ」

「え……」

「ハルトムートを一目見て、そうと気がついたそうです。フェルディナンドも龍の血を引いているだけあって流石に敏感ですね。弟の存在を知っても動揺せず、私がハルトムートを連れて現れたときにもあの子の本質をすぐに見抜いて、諸手を挙げて迎え入れた。あれはあれで真に王の器のある男です」


 国王の熊のような体躯と優しい瞳がユディの脳裏に浮かんだ。

 確かに、普通であれば王座を簒奪されると戦々恐々としてもおかしくない状況だ。

 しかし国王はハルを心から受け入れている。


「ハルに会いにルールシュに来ないんですか?」

「たまに行ってますよ。空に銀色の龍が飛んでいたら、おそらくそれは私です」


 ユディははっとした。 

 シュテファンに婚約破棄された日——ハルと初めて出会った日だが——にも、銀色の龍が空に飛んでいるのを目撃したのだ。

 あれはもしかしたらセラフィアンだったのかもしれない。


「今のこれって……夢、なんですよね。こんなに簡単に会えるなら、もっと早く出てきてくれてもよかったんじゃあ……」


 またもや不平口調になってしまうが、セラフィアンは意に介さない。


「それほど簡単にやっていると思わないでほしいですね。これでも色々と努力しているのですよ」


 ユディは諦めて大きく息を吐いた。


「……現実のセラフィアン様にいつか会えますか?」

「ええ。そのうち会いにいきますよ。私にはもうあまり時間が残されていないようなので、できれば早めにね」

「えっ? どういうことですか?」

「そのままの意味ですよ。つまり、寿命がきているんです」


 さらりと衝撃的な発言を放たれ、ユディは思わず固まった。

 重要な事項を次々に明らかにされ、正直ついていけなくなりそうだが、それでも頭によぎったことを口にする。


「……ハルを王城に行かせた理由もそれですか?」


 ユディの問いに、優麗な龍の化身は目を伏せたまま頷いた。


「私がいなくなった後でも、ハルトムートには彼を支えてくれる人間たちと出会ってほしかったんです。あ、この話はここだけにしてくださいね。ハルトムートはこのことを知りませんから」

「そんな……何で隠すんですか?」

「言ったところで置いていかれる悲しみが増すだけでしょう?」


 セラフィアンのように長生きをしていると、想像もできないほどのたくさんの出会いと別れがあるのだろう。

 だが、ハルの育ての親の寿命が近いなどという重大な秘め事を、一人胸に収めることなどできそうにない。


「セラフィアン様、お願いです。寿命のこと、どうかハルに教えてあげてください……! 最後の時まで、ハルを側にいさせてあげてください。置いていかれるなんて、彼はそんなふうに考えないと思います。むしろ知らずにセラフィアン様を逝かせてしまったら、きっと後悔にさいなまれるわ。あのとき、ああしてあげればよかったとか、こう言ったらよかったとか……。我が子がそんな気持ちに苦しんでもいいんですか!?」


 青紫色の瞳に真剣な色が宿るのを、セラフィアンは静かに見つめていた。


(——あの子にとってユーディス・ハイネと出会えたことは、どうやら吉と出そうですね)


 ユーディス・ハイネは、前世でも今世でもどこか頼りなく見えるようなのに、その実、意外なほどの意思の強さを隠し持っている少女だ。

 彼女がハルを想うひたむきな気持ちが伝わってきて、深紅の瞳が一瞬だけ、穏やかな光で満たされる。

 が、すぐに先ほどと変わらぬ尊大な表情に戻る。


「落ち着いてください。今すぐどうこうということはないですから。後、百年から百五十年くらいは多分大丈夫ですよ」

「えっ!? それって、普通にわたしたちより長生きじゃあ……」

「悠久の時を生きる龍からすれば、寿命が残り百年というのはすぐ死ぬのと同義ですが、何か?」


 偉そうな物言いに、ユディはがっくりと肩を落とした。


「心配して損したわ……」


 脱力するユディを横目に、セラフィアンは翻訳の紙の束を宙高く放り投げた。

 白い髪の向こうに、ひらりひらりと紙が舞い落ちていく。

 それを見届けてから、セラフィアンはユディに向き直った。


「さて、ここからは新しい仕事の話です」

「えっ?」


 嫌な予感にユディの身体がぎくっと固まる。


「ユーディス・ハイネさん。ハルトムートの魔力を抑える魔法が書かれた禁書を探し出して、翻訳をお願いします」

「ま、また翻訳の依頼ですか!? もしかして、今度も……?」


 深紅の瞳が大きく弧を描く。


「タダ働き」


 夢の中なのに、くらりと血の気が引いた。


「そんなのってないです! セラフィアン様!!」

「と、いうのは嘘です。フェルディナンドに請求してください」

「だから、それは無理ですって!」

  

 セラフィアンに向かって手を伸ばそうとしたところで、急激に身体が重くなる。    

 そのまま、セラフィアンの姿がだんだんと遠のいていくのだが、なぜか声だけはしっかりとユディの耳に届いた。

 

「じゃあ、お願いしましたからね。今度もしっかり頼みますよ」


 まだ引き受けるとも言っていないのに、という言葉はセラフィアンに伝えることはできなかった。

 理不尽な依頼とともに、ユディの意識は現実に引き戻されていった。 

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