第46話 図書館の幽霊
幽霊を目の前にして、湧き上がる恐怖に悲鳴を上げそうになるが、何とか踏みとどまる。
すかさずハルがユディを後ろに庇い、前に立つ。
「おい、幽霊。おまえはなぜ出てくる? 何か言いたいことがあるなら、聞いてやるから言ってみろ」
幽霊はユディが抱えた本を指差した。
「……たすけ……くだ……本……を……」
ユディははっとした。
「……あなたは誰? この部屋に閉じ込められたという子どもの幽霊……なの?」
ユディが手にした本から、金色の光の粒がゆっくりと放たれ始める。
無数の光の粒が白いもやに近づき、そのままもやに吸い込まれていく。
すると、その光の粒の効果なのか、幽霊はさきほどよりはっきりとした声で語り始めた。
「私は……エリーアス。この禁書を守るよう、セラフィアン様から仰せつかっている、本の守護精霊……」
「守護精霊だって?」
白いもやは光を帯びながら、ゆっくりと頷いた。
人型の輪郭が次第にくっきりと浮かび上がり、やがて小さな男の子の姿になる。
六、七歳くらいだろうか。
明るい茶色の髪をして、顔にはそばかすが散っている。
一見、どこにでもいそうな子どもの姿なのだが、瞳は金色に光っており、さらには七色の羽根が背中についている。
精霊というより妖精のようである。
羽根をぱたぱたと動かしてから、嬉しそうにこちらに向き直る。
「セラフィアン様から本を守れと命じられて、幾星霜……。やっとこれでお話しできます。それでは、これより事情をご説明させていただいてもよろしいでしょうか?」
子どもらしくない、いやに丁寧な口調の男の子——エリーアスが、頬を上気させて喜んでいるのをユディとハルは呆然と見つめた。
「……いつから、この本を守ってるって?」
「この図書館が完成した頃からです」
ユディたちは目を見張った。
図書館建設を始めたのは初代国王リューネシュヴァイク。
その後何世代にも渡って図書館建設を少しずつ進めたと歴史にはある。
文官志望なら知っておかなくてはいけない知識なのかもしれない、と思いつつもエリーアスに確認する。
「それっていつ? 図書館を完成させたのはどの国王なの?」
「それが、後世の王たちに任せておいたらなかなか工事が進まなかったらしく……しびれを切らして、数百年前にセラフィアン様が完成させたんです」
「ええ……? セラフィアン様って、本当に長生きで、しかも神出鬼没なのね」
「はい、セラフィアン様は偉大なお方です。かの方から賜った力で、私も侵入者を撃退する力も備えておりますれば」
「じゃあ、さっきレイ先輩を昏倒させたのはあなたなの?」
「はい。電撃を浴びせたのですが、丈夫な男で、すぐに逃げて行ってしまいました」
電撃に負けずに本を持ち去られなくてよかった。
レイは隠密行動は得意でも、もしかしたら魔法を防いだりといった知識はそれほどなかったのかもしれない。
「それで、なんでおまえは化けて出たりしてたんだ?」
ハルの直球の問いに、エリーアスは顔を歪めた。
「……先ほど、この部屋に閉じ込められたという子どもの幽霊……と仰られましたが、そのことをまずご説明させてください。かつて——遙か昔になりますが——、図書館の建設工事中に壁の崩落事故があり、男の子が一人巻き込まれて亡くなってしまうという不幸な出来事がありました。私のこの姿は、実はその子のものなのです」
「崩落事故? わたしたちが聞いたのは、工事中に部屋に閉じ込められたっていう話だったけど……」
「それは後世の作り話です。けれど、亡くなった子どもがこの世に相当の未練があったのは本当なのです。その、守護精霊も言うなれば思念体みたいなものなので、こう……波長が合ってしまって、気がついたら私とこの子の霊が融合してしまったのです。それからです、半分だけ幽霊のような、さきほどの白いもやの姿になってしまったのは。守護精霊は本の側を離れられないはずなんですが……気がついたらこの子の意思に引きずられて図書館内をうろついていて」
「守護精霊が子どもの幽霊と合体したのか。ていうか、子どもの意思に負けるなよ……」
「面目もありません……この子の未練の元を絶ってあげれば、きちんと消滅してくれるんじゃないかと思うのですが……」
「この子」と言うときに自分を指差しながら、恥ずかしそうに俯いてもじもじしているエリーアスである。
そうしていると、本当にただの小さな男の子のようだった。羽根さえなければ、だが。
「この世への未練って何なのかしら?」
「その理由は禁書に関係しているはずなんです。この子は、こちらの禁書に書かれている禁断の魔法を求めて危険な工事現場に来たんです。ですから、ぜひ、この禁書を読み解いてください、禁書の翻訳士様」
さらりと言われて、思わず聞き返す。
「ん? えっ? わたし?」
「はい。あなたこそセラフィアン様が遣わしてくださった翻訳士様です。この部屋の封印を解かれたのが何よりの証拠。召喚式魔導羽根ペンはお持ちですよね?」
言われて羽根ペンを召喚し、ついまじまじと見つめる。
召喚式魔導羽根ペンって……もう少しましな名前はないのかと思ってしまう。
「そんな名前なの、これ?」
「はい! 早速今から、こちらの本の翻訳に取りかかってくださいますようお願いいたします」
「今からって……。あら?」
言いながらも、自分が淡い光に包まれていることに気がついた。
光は輪のようにユディの周りに展開し、金色の結界を張ってゆく。
「エリーアス、何、これ!?」
「翻訳作業用の結界でございます。ちなみに、この結界は翻訳が終わるまで解けません」
「えっ、ちょっと!」
「ご心配なさらないでください。結界内では食事をしなくても、眠らなくても大丈夫です」
「そんなブラック企業みたいな結界……!」
慌ててハルを振り仰ぐが、時すでに遅しである。
「ユディ……!」
結界に包まれてしまうと、ハルの声が急速に遠のいていく。
そこにいるのはわかっているのに、水の中にいる時のようにこもってよく聞こえないのだ。
「ハルー!」
もしかしたら自分の声も、ハルに聞こえないかもしれない。
そう思いながらも大きな声で彼の名を呼んだ。
「向こうの声はこちらには聞こえませんが、こちらの声は向こうにきちんと聞こえておりますよ」
ふと見ると、エリーアスが横にいた。
どうやら、翻訳が終わるまで付き添うつもりのようだ。
結界の中はどういうわけだか、中々の広さがあった。
今までいたはずの小部屋よりも広い、金色の光に包まれた不思議な空間だ。
ユディは肩の力をふっと抜いた。
「……仕方ないわね。もっと準備万端で臨みたかったけれど。あなた、結界の外に出られるの?」
「はい。あまり遠くには行けませんが……」
「じゃあ、ハルに言って、わたしの部屋にドラセス語の書き付けがあるから持ってきてもらって」
「はい」
「あと、机と椅子と紙と普通のペンとおやつとお茶と……」
「はい、はい」
どうせしばらくここから出られないなら、欲しいものを言ってやれと、遠慮なく用事を言いつける。
エリーアスが結界の外に出て、しばらくしてからまた戻ってきたときには、ユディの言ったものをちゃんと用意していた。
外ではハルがやきもきして待っているかもしれない。
不安はあるが、とにかくやるしかない。
ユディは息を吐くと、待ちわびた翻訳原稿——禁書を開いた。
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