第45話 救出

「おお……! 本当に封印を解いたってのか」


 エミリヤを離すと、レイは素早く隠し部屋の中にその身を滑り込ませた。

  

 倒れ込むエミリヤを慌てて支えて長椅子に座らせるが、魔の森の花の効力が聞いているのか、あらぬ方向に向かって何事かをブツブツと呟き続けている。


 部屋の入り口に視線を戻すと、今にもレイが禁書に手を触れようとするところだった。


「——うわあぁっ!!」

「!?」


 叫び声を上げて、レイが急にその場に倒れ込む。

 何が起こったのか、ここからではよくわからない。


 一瞬、エミリヤを連れて逃げたい欲求に駆られるが、禁書をこのままにしておけない。


 恐る恐る近づこうとした時、大きな音がして「祈りの間」全体が激しく揺れた。

 見上げると、天井の擦り硝子の一部が割れて、そこから黒龍の鋭い爪が覗いている。


「あっ……ローグ……!?」


 やがて凄まじい音と振動とともに、天窓が破られる。


「ユディ!!」


 ローグの背に乗ったハルが「祈りの間」に飛来した。

 破壊された硝子片がきらきらと光りながら祭壇に降り注ぎ、黒龍はそれを避けて部屋の中心に降り立つ。


「ハル!!」


 ユディは黒龍に目がけて夢中で駆け寄る。   

 ハルは、ローグから降りたところだった。


 お互いに両手を差し出し——あと少しで抱きつきそうになるところで、ユディははっと我に返って足を止めた。

 二人の身体は、今にも触れそうなほど近い。

 

(わたし、な、何しようとしたのかしら)


 ユディがぎこちなく立ち止まったので、ハルも手を広げたまま動きを止めた。

 

「——ハル! 図書館を壊したらだめでしょ!?」

「第一声がそれ?」


 気まずさをごまかすように、つい小言を言ってしまう。

 何かを期待していたのだろうか、ハルはがくりと肩を落とした。


 けれど、そのまま諦めることはしない。

 二人の間の、あと一歩の距離をずいっと詰めてくる。

 ふわりとお姫様のように抱き上げられ、ユディはハルの首に慌ててしがみついた。


 そのやり取りに対してなのか、呆れたようなローグの鳴き声がユディの耳に届く。

 きっと、今の自分は赤い顔をしているんだろう。


 ついさっきまでは、レイに怯えて青い顔をしていただろうから、それに比べればずっといい。

 ハルが来てくれた——それだけで言いようもない安堵感がユディの胸に広がり、思わず涙が溢れそうになったが、慌てて下を向いて隠す。


 感動の救出劇より、まずは現状整理が先だ。


「ユディたちをさらったのはレイだろ? 無事だった? 怪我はない?」


 すでにレイが誘拐犯だということが知れている。 

 危うく夫婦にされそうだったことはとりあえず今は言わないでおいて、ユディはこくこくと頷いた。


「大丈夫! そこの部屋、禁書の隠し部屋よ。レイ先輩は中で倒れてるわ」

「禁書がこんなところに……。レイの奴はどうしたって?」

「それが、本に触れようとしたら急に倒れたのよ」

「見てくる」


 ユディを抱きかかえているが、ハルは大の大人の男でも持ち上げられるくらい、力がとても強い。 

 細いユディの身体など、ハルにとっては鳥の羽のように軽かった。


 けれど、戦闘になったら巻き込まれてしまう。

 壊れ物を扱うかのようにそっと椅子にユディを下ろしてから、小部屋に足を向けた。


 黴と埃の臭いがわずかに漂う小さな空間の中心に台座があり、そこに禁書が置かれている。

 しかし、床に倒れてのびているはずのレイの姿は、そこになかった。

 咄嗟に「祈りの間」の入口に目をやると、いつの間にか扉が開いている。

 

「逃げたか」


 ハルとしては、すぐにでも追って行って殺してしまうか、そうでなければ手足の骨の二、三本でも折ってやりたいところだ。

 だが、まずはユディを無事に取り戻したことでよしとするべきだった。

 

※※※


 先日の不正騒ぎに引き続いて、「祈りの間」は再度騒然となった。


 ハルとローグを追ってきたヴァルターと部下の魔導師たちが少し遅れて到着すると、すぐに治療のためエミリヤを連れていった。

 ローグはハルを置いて、破壊した天窓から飛び去って行ったし、ヴァルターたちが戻ってくるまで、ほかに人はおらず、ユディとハルは二人きりで「祈りの間」の長椅子に座って、しばし情報を交換することにした。


 見張りも兼ねて、禁書が見える位置に腰掛ける。

 大きく壊された天窓からは、青空が覗いていた。

 いつの間にか雲は晴れ、明るい陽の光が部屋に差し込んでいる。


 ユディは、言葉を選びながら、これまでのいきさつを語った。


 レイが実はフリジアの細作だったこと。

 図書館のどこかに、禁書が隠されている噂があったこと。

 ユディが「書き換え」をしたのど飴を、レイが拾って持っていたこと。

 隠し部屋の封印を解かせるためにユディをさらったことなどを端的に説明した。


 驚きつつも、ユディの説明はハルの納得のいくものだったようだ。


「ハルは、わたしがここにいるってすぐにわかったの?」 

「詰所に来たっていう怪しい業者の特徴がレイに似てたから。すぐにユディを連れて国外に出られたらまずいと思って焦ったけど、図書館にあれだけ長いこと潜伏していたことを考えると、ここに何か……離れがたい目的があるんだと思った」

 

 さすがの推理にユディは感心した。


「レイ先輩がフリジア人だっていうのは?」

「フリジア人だっていう確証はなかったけど、あまりに訛りのないドラグニア語だったから、もしかしたらどこかの国の細作かなとは思った」

「なんで教えてくれないの!」

「ごめん。泳がせておこうと思って、そのまま忘れてた」


 思わず長椅子からずり落ちそうになる。

 そんな大事なこと、忘れないでほしい。


 レイの追跡はすでに手配されているが、おそらくこちらは望み薄だろうというのがハルの意見だった。

 フリジアの優秀な細作が本気で雲隠れしようと思ったら、見つけるのは容易ではないらしい。


 ハルは立ち上がった。


「本に触れようとして倒れたって、何か罠でもあるのかな?」

「さあ……って、ハル!?」


 ユディが止める間もなく、ハルはつかつかと小部屋の中に入り込み、本を取り上げる。


「ハル! だいじょう……ぶ?」

「何ともないよ。台座に仕掛けでもあったのかな?」

「心臓に悪いわ……」


 どきどきする胸を押さえながら、ユディも小部屋の中に足を踏み入れた。

 ハルが手に持った本は、題名の書かれていない、金の縁取りがされた美しい本だ。


 やはり、間違いない。

 神様から依頼された本とまったく同じ装丁だった。


「ユディ、読んでみる? これがセラフィアンから依頼された本かどうか、調べてみたら?」


 渡された本はずっしりと重かった。

 原稿を開く瞬間の緊張感——、これをずっと、ずっと求めていた。  

 

「ユディ!」

「えっ?」


 本に手をかけた瞬間、緊張をはらんだハルの声がして顔を上げた。


「あっ……!」


 そこにいたのは、白いもやのような人型——。

 かつて遭遇した、図書館の幽霊だった。

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