第42話 模擬戦 後半

 エミリヤの魔法陣は今度は消えなかった。


 曇り空に火炎の柱が吹き上がる。

 今度こそ魔法が発動するのを目にしたエミリヤの顔に、勝ち誇ったような表情が浮かぶ。


 だが、炎はなぜかユディの方ではなく、エミリヤに向かって襲いかかってくる。

 攻撃が術者本人に跳ね返るように「書き換え」たのである。


「え……! な、何……! きゃああぁ!」

 

 炎はエミリヤを巻き込む直前で二手に分かれ、そのままどんどん小さくなり、やがて消えた。


「どういうことですの……!? うっ……」


 エミリヤががくりと膝をつく。

 魔法の連続発動で、魔力切れを起こしたのだ。

 白目を剥いて、そのまま顔から地面に倒れ込んだ。


「——そこまで! 勝者、ユーディス・ハイネ!」

 

 師団長が勝者を告げると、喝采と怒号が同時に沸き起こった。


※※※


「エミリヤ!」


 同期の研修生たちが慌ててエミリヤに駆け寄っていく。

 師団長が、少し休めば大事ないというようなことを言っているのが聞こえた。


 ほっと安堵していると、いきなり肩を掴まれた。

 驚いて顔を上げると、鬼の形相をした叔父がそこにいた。


「ユーディス! 貴様、育ててやった恩も忘れ、エミリヤをこんな目に遭わせるとは……! 来い! お前には家長とその家族に対する礼儀というものを教えてやる!」


 叔父に腕を強く引かれ、危うく倒れそうになる。

 だが、ユディはその場に踏ん張ると、勢いよくその腕を振り払った。


「叔父様、この際だから言わせてもらいますけど、わたしは家には戻りません! マクミラン伯爵と縁談もしない。わたしは……わたしは、文官になる!」

「口答えする気か!?」


 叔父が腕を振り上げるのが見えた。  

 今までだったら、身を縮こめて、ただ殴られるのを待っていたかもしれない。


 だが、ユディはそれを避けて躱した。


「この、避けるな!」

「嫌です!」 


 とうとう叔父がユディに掴みかかろうとした時、別の腕がそれを止めた。  

 仮面の少年が、ユディを背に庇うように叔父に相対する。


「なっ、何だお前は!?」

「ユディの友人だよ。おまえはユディとエミリヤが交わした約束を知らないのか? ユディが試合に勝ったら、彼女の進路にこれ以上の口出しは無用。縁談もしないとね」


 怒気を孕んだハルの声に叔父——ハイネ男爵は一瞬怯んだものの、すぐに声を張り上げた。


「それはお前たちが勝手に言っていることだろう! 私はそんな約束は知らん! さあ、来るんだ!」 


 約束を反故にしようと再度ユディに迫ろうとする叔父を、ハルが静かに威圧する。

 まるで猛獣に睨まれたかのように、叔父の動きが止まった。


 その手が腰の剣にかかろうとした瞬間、師団長の声がかかった。


「王弟殿下! 来ていらっしゃったのですか!?」

「おう……王弟、殿下……?」


 事の成り行きを見守っていた観衆は、魔導師団長、ユルゲン・シュヴァルツが、仮面の少年に恭しく跪く姿に釘付けになった。


 ヴァルターもその場に駆けつけ、淡々と、しかし厳しい表情で叔父に告げる。


「ガストン・ハイネ男爵ですね。私は魔導師団副長のヴァルターと申します。王弟殿下の仰ったとおり、ユーディスさんが模擬戦で勝利した暁には彼女の進路には口出ししないと、エミリヤさんの方から言い出したのです。ユーディスさんは文官になることを希望されていますが、万に一つそれが叶わなかった場合でも、魔導師団は彼女の入団を熱望しています。貴方の一存で此度の約束を反故にするからには、相応の覚悟がおありなのでしょうな!?」

「は……いやその……」


 師団長が立ち上がって、すかさず間を取り持つ。


「まあまあ、ヴァルター。ハイネ男爵もユーディスどのがこれほどまでに将来を嘱望されているとはご存知なかったのだろう。ハイネ男爵、ぜひこれから王城にいらっしゃいませんか。師団長の私が自ら、とくと事情をご説明して進ぜよう」

「へ……あ、いや……」

  

 ドラグニアの英雄に威厳をもってにっこりと微笑まれ、叔父は蒼白な顔をしてものが言えないでいる。

 部下に威嚇させておいて、絶妙の間で自分は間に入るというのが流石である。

 叔父はかちこちに固まったまま、師団長に導かれるようにして王城の方に連行されてしまった。


 ユディはやっと息を吐いた。


「ハル……ありがとう」

「ユディ! おめでとう! でもまずいな、騒々しくなっちゃった」


 突然現れた仮面の王弟に、訓練場は今や騒然となっていた。


「まずいな。ぼく、一旦城に引き上げる。師団長が叔父さんに話つけるのを手伝ってくるよ」

「私は師団長に代わって、模擬戦を引き続き執り行います。ユーディスさん、申し訳ないのですが、エミリヤさんの介抱をお願いできますか? パウロに詰所に運ばせますから、起きるまで傍についていてあげてください」


 ヴァルターの言葉にユディは頷いた。  

 エミリヤとの話はまだ終わっていないのだ。

 勝負に勝った今なら、ありのままの心中を語ってくれるかもしれない。


 それはそれで、聞くのに覚悟が必要ではあるが。



 パウロに手伝ってもらい、詰所の長椅子にエミリヤを横たわらせると、ユディも近くにあった椅子に腰かけた。

 他にも仕事があるらしく、パウロはすぐに出て行ってしまう。


 詰所の中には、ユディと気を失ったエミリヤの二人きり。

 模擬戦が続く訓練場からは、時折、人々の歓声が聞こえてくる。


 張り詰めた神経をほぐすようにこめかみを押していると、ノックの音が響いた。

 業者らしき人の声が扉の外から聞こえてくる。  


「すいませーん、魔導師団の詰所に食事を運ぶように言われて来たんですけどー」


 ユディは首を傾げた。

 模擬戦が終わった後に慰労会でもするために、パウロが何か頼んだのだろうか。  


 それにしても、どこかで聞いたことのある声のような……。

  

「開けてもらえます? 食事をテーブルに並べさせてもらいたいんです。そしたら、すぐ戻らないといけないんすよねー」

「あ、はい! 今開けます」


 配達の人に急かされて扉を開けたユディは、驚きに目を見開いた。


「え……!?」


 そこにあったのは、邪気に満ちた紺色の瞳。

 疑問を口にする間もなく、素早く手が動き、ユディの首筋に痛みが走る。


 全身から急激に力が抜ける。

 がくりと崩れ落ちる身体が、その場で抱き止められる。

 

 首を打たれたのだと理解するのとほぼ同時に、ユディは意識を失った。

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